ブログ
「13」と「節制」のセット、再び。
今日もふと思ったことを書こうとした時、「ああ、これは前に書いたな」と思い出すことがありました。ただし、きちんとデータベース化していませんので、いつのどの記事だったのかはわかりません。
というわけで、今回の話も前に書いたものと似たような話にはなるのかもしれませんが、でもたぶん、以前のとは、また違うニュアンスになっていると思いますので、読んでいただければと思います。
今日のテーマは「13」と「節制」です。
大アルカナナンバーでは、13と14の続き番号になります。
私はカモワン流から入った者ですので、カモワン流のメソッドや考え方を受け継いでいるところが多いです。その中で、カップルカードとか、ペアカードという概念があります。
「13」と「節制」も、一種のそのカップルカードということになります。意味的には、救われる者・救う者という組性です。
以前は、確か、自分の身に起こったことを例にして、苦しい時でも必ず救いがセットになっているというような話をしたような記憶があります。
そう、今もって見ても、やはり、この「13」と「節制」の組み合わせ(の意義)は、この世の中と言いますか、宇宙の仕組みとして働いていると私には思えます。
「節制」における人物は天使の姿をしていますから、メルヘン調に言えば、つらい時でも、救いの天使はいるよということです。
その天使は、現実の人もあれば、事柄(援助・相談とか組織とかお金とか)のこともあります。つまりは心の救いもあれば、モノ・形による救いもあるわけです。
また天上的と言いますか、目に見えない領域や超越的な存在からの救いもあるかもしれませんし、地上的・現実的な救いも当然あります。
さらに言えば、この「節制」の天使は自分自身でもあるのです。
マルセイユタロットにおいては、すべてのカードは自分の内にあるものと考えることができ、そのことからしても、「節制」はあなた自身の中に存在しているのです。
当然、大変な試練を迎えている状態と言える「13」も、自分であると言え、すると、「13」と「節制」のペアは、「自分を助ける(天は自らを助くる者を助く)」という意味になりますし、「13」側から見ると、自分を天使にするための試練に挑戦していると考えることもできます。
自分を天使にするというのは象徴的言い方ですが、それは、愛を目覚めさせる、愛のレベルを上げると換言してもよいかもしれません。
自分自身が救えれば、同じ状態に遭って困っている他の人を、今度は自分が助けることができ、すなわち自らの天使的立場への上昇と言えます。
天使に羽がついているのも、救済視点として、より上の俯瞰する高次の視野が持てること、天(イデア・理想・神・霊・魂・浄化的天国世界)と地(地上・物質・現実・肉体・欲望的世界)の間に、自由に位置させることができる意味があると想像されます。
「13」を経験すると、少なくとも、ひとつの(見えない)羽が、あなたには生えてくるのです。
それから、この組み合わせ(「13」と「節制」)には、ほかの見方もできます。
「13」は、恐れと不安を示し、「節制」は愛と癒しを表すと考えますと、恐れ・不安の出る状態を経験し、それを乗り越えると、愛ある状態が訪れるということになるわけです。
これも逆に言うと、「節制」という愛や助け合い、救い、シェア、治療を象徴するような世界、あるいは精神になっていくには、「13」という不安や恐れ・危機を体験する試練が必要であると見ることもできます。
もちろん、そういう、「13」的なものがなくても、人は愛に目覚め、救いをもたらすことはできます。
しかし、もっと大きな範囲や高いレベル、深く確実な変容を遂げなくてはならない時、また多くの人に自覚をもたらすため、あるいは個人としても、本気で変容に向かう気持ちと行動を起こすには、時には「試練」という形が求められるのかもしれません。
「13」は怖く、つらく、苦しい状態でしょう。カードの絵を見ても、恐ろしいですし、骨状の人物が盲目のように大鎌をふるって、必死で作業をしている様がうかがえます。先行きが見えないのか、あるい見えているからこそ、何かを変えようとしているのか、見方はそれぞれです。
ですが、この状態の先には、自身が、あるいは世界が変容した「節制」が待っているのです。それはまるで、さなぎから蝶(天使の羽を見てください)へと変わっていく様子にも似ています。
不安や恐れから逃げていては、「13」は逆位置になり、その鎌は襲いかかってくるかのように見えてきます。
本来、鎌は農作物の収穫に使う道具です。ですから、人を殺めたり、傷つけたりするものではないのです。
収穫した作物はどうしますか? それは穀物とか野菜として私たちの食べ物、栄養になるわけですよね。生きる糧と言ってもよいです。
「13」の鎌は、そぎ落とす意味もありますが、このように、もともとは私たちに恩恵をもたらすための道具であるわけです。
それが、位置を逆(逆さ)にすれば、怖い道具・凶器にもなってしまいます。不安や恐れが強く、尻込みし、あるいはパニックになったり、逃避し続けたりすると、結局、その鎌は自分か他人かに悪い意味で振り下ろしていることになります。
これをきちんと正しい位置に戻すと、鎌は余分なものはそぎ落とし、必要なものを収穫していく、自分に恩恵をもたらし、前進を助ける補助杖ともなっていくのです。
ただ、一人で立ち向かうのは大変で、難しい時もあります。
そこに、「節制」がまた登場するのです。
不安や恐れに対して、無理からに克服しようとしても、かえって危険ですし、苦しいことになります。
まずは、外や内からやって来る恐れや不安、それが自分にあるのを認めることが大切です。怖いことは怖い、苦しいこと苦しい、これを素直に自分に認め、感じている自分を赦します。
次に、それを抑えようとするよりも、不安の原因や元になっているものに対して、怖くても、ちゃんと向き合う、調べるということも必要です。
調べていくうちに、意外に自分の思っていた不安とか恐れが、まったく別の要因・原因から来ていたということもあり得ます。
さらに、最悪の事態を想定してみて、そこまで行くと、もう「生きているだけでとOK」とか、プライドや他者の評価とか、そういうものが消えてしまい、最後には「まあ、なんとかなる」とか「案外、最悪と言ってもこんなもんか」と楽になることもあります。
また、自己責任論で凝り固まるのではなく、積極的に「節制」、この場合は、他者とか組織とか行政とか、ほかの支援・協力・シェアも思うことです。自分で何とかしようとし過ぎると、かえってつらくなります。
「あの人ではこれはできない」「この人に、これは頼れない・・・」
こういうふうに、できないことを自分や他者に挙げていくのではなく、
「この人でもこれならできるだろう」「あの人だったら、何とかこれくらいなら助けてくれるかも・・・」
というプラス、助け合いの視点で、わずかでもできることを想像していくほうが心の安定にはよいです。
何もできないと思っていた自分や他人が、案外、思ったより役に立つ、できることはあるものです。
「13」と「節制」は、助けられる者・助ける者の組み合わせだと言いました。
一人でつらい時、困難な時は、誰かの助けを求めればよく、結局、現実世界において、一人では生きていけなく設定されているようなものですから、いかに助け合うか、智慧や力を出し合うか、それぞれが愛と理性をもって行動していくかによって、「節制」が実際に救済力(仏教的には観音力)を持つかどうかが決まってくるように思います。
大丈夫です。
私はタロットの示唆から見ても、俯瞰的に見て、人類はよい方向に向かっていると言いますか、必ずそのように、実はプログラムされているのだと感じます。
たとえ一見悪い状況のように思えても、それは進化や成長の視点から見て、らせん状ではありますが、上昇していっていると見ることができます。
今は「13」かもしれませんが、「13」には必ず「節制」がついています。
個人でも全体でも、「13」がやって来ているのなら、それは「節制」に近づいている証です。「13」の一番のキーワードは「変容」と言えますから、変容中の私たちに待つのは、新しいレベルの「節制」的世界(観)なのです。
それは、今までよりもっと「天」に近い位置となることを思えば、未来は明るいと思うことができるでしょう。
「節制」の天使の持つふたつの壺は、科学と自然の調和、精神と物質の同意(位)性が進むことも暗示していると思います。
こんな時に恋愛問題でも
社会的・世界的大きな問題がある中で、それとは別の個人的問題・悩みも人にはあるでしょう。
このところ、大きな問題と個人的な問題が奥底ではリンクしている話、霊的統合的視点では関連が見えてくる話をしましたが、今日は真逆のようなことも言っておきたいと思います、
いや、大小の問題の関連性について、否定したり、今まで書いていたことは違いますよと言ったりするわけではありません。
悩みや問題の捉え方は様々であって、その向き合い方次第では、楽になったり、逆にますます苦しくなったりするのですよ、ということが言いたいのです。
ですから、大きな問題を自分の問題に置き換えてみたほうが楽になる人もいれば、外の問題と自分の問題はまったく別と、切り離して思ったほうがよい場合もあるわけです。
要するに、問題の対処の仕方は、自分が楽になるのであれば、いかようにでもあるということです。
しかしそれは、反対から言えば、対処の方法を間違えると、悪化することもあれば、抜け出しにくいこともあるのです。
さて、例えば、今、恋愛の問題で悩んでいる人もいらっしゃるでしょう。
世間が世界的ともいえる大きな話題で心配している時に、自分はあの人とうまく行くか、あの人の気持ちがわからない、あの人が好きだけど、どうしたらいいのかわからない・・・などなど、恋の悩みに苦しんでいるという状態にある方がいます。
そういう人はもしかすると、こんな状況なので、自分のこと、ましてや恋愛のことなどで悩んでいてもいいのだろうか・・・なんか申し訳ない気持ちになる・・・とか、自己嫌悪にますます陥るとか、そう思う方もおられるかもしれません。
また、世間が騒がしく不安になっているところにもってきて、自分もそれに対する不安はあるけれど、恋愛の心配も大きくて、余計、前よりも恋愛の悩みがひどくなってきた・・・となっている人も考えられます。
ここで言いたいのは、悩みは人それぞれであり、悩みにいいも悪いも、優劣もないということです。
それに、周囲のほかの心配事のために、今の悩み事が拡大したかのように感じることもありますが、それは自然なことなのです。
私たちは幸か不幸か、一人一人違う世界観・価値観、それに経験・個性を持って生きています。
誰一人として、まったく同じ人はいないのてす。ですから、悩みごとも千差万別で、一人一人必ず違うはずです。
恋の悩みをバカにする人もいるかもしれませんが、それは悩みの問題が違うだけで、バカにする人だって、経済的なことや仕事のこと、ほかの人間関係、あるいは病気や肉体的なことで悩んだ経験はあるはずです。
あえてカルマ説みたいなことで言いますと、皆、一人ひとり、カルマに応じて、悩みごとは違っていて当たり前なのです。
誰かの恋の悩みは、ほかの人の仕事の悩みと同レベルか、それ以上の苦しみということもあります。
結局、悩んでいる事柄は違っても、人にとって悩みがあれば、それは苦しく、大変であるということなのです。問題は悩みのテーマ(事柄・内容)ではなく、悩み葛藤するという、その「性質」にあります。
ですから、あなたが恋愛問題で苦しんでいるのは、立派な苦しみ、大変さの質であり証です。
それはやはり、苦しみではあるけれど、人としては価値あるものなのです。
誰かを好きになって、それを簡単に忘れられたら、苦労はありません。
感情のコントロールとか、切り替えとか、手放しとか、対処方法にはいろいろと人は言いますが、それはある意味、他人事だから言えるのです。
ドロドロのぬかるみの沼にはまるがごとく、思わないようにしても思ってしまう、気にしないようにしても気にしてしまう、そういうの恋愛問題です。
マルセイユタロットでは、「恋人」カードで恋愛が象徴されます。このカードはとても恋の仕組みや意味合いを巧みに図像で表しており、この図の象徴性がわかってくると、恋愛の深い意味を知ることができます。
誰もが実は恋愛(人に対してとは限りません)をするのですが、人同士の強い恋愛体験をする人は、もしかすると全員ではないかもしれません。恋愛に興味のない人もいますし、興味はあっても強烈なものがない人もいるでしょう。
もしあなたが、すごく恋愛モードで悩み、そういう体験をしているのなら、それはそれで意味あることだと考えられます。
あなたは恋愛をする運命にあり、そしてその運命は、いわゆる運命的という言い方の種類のものではなく、あなたを本質的に成長させるために起こっている意味での運命的なものと言えます。いわば使命みたいなものです。
忘れられない人がいるのなら、それはその意味がやはり(感情的なものだけではなく、深い意味で)あるということかもしれません。
無理に忘れよう、新しい恋に行こうとするよりも、大切に思っていた人、あなたが好きであった人を心に抱いて、愛している、愛していたこと、あなたが相手に向けていたその尊い「気持ち」を大事にしてほしく思います。
それを少しずつ、自分に向けてみてください。どんな形であれ、愛がそこにはあるのです。
あなたの悩みは尊いのです。それは他人がとやかく評価するものではありません。あなたのために起こり、あなたのためにやがて糧になっていくものです。
世の中が不安定になったり、不安な状況になってきたりすると、パートナーを求めたくなりますし、今パートナーがいる人は、もっと思いやりや愛をもって、パートナーと接していくようになるでしょう。
人と人つのつながり、ふれあい、これらがいつの時代も必要で、不安な時こそ拠り所になる人がわかり、そのつきあい方、関係性、向き合い方の中に、愛を基軸に見ていく方向性が現れ、変化していきます。
自分を素直に見てみましょう。そしてその目をもって、パートナーや愛する人、好きな人を思ってみましょう。
温かいものがまさにハートにあふれてくるのがわかるでしょう。もしくは、自分か普段思っていたより、相手に愛情を感じなくなるかしもしれません。
変な意地をはらず、かっこをつけず、あなたが必要であること、共にいてほしいこと、物理的に一緒にいられなくても、好きであり、心は共にあること、寄り添っていること、たとえそれが言えなくても、自分が認めることで何かが変わると思います。
つまりは恋愛を通して、あなた自身や人の本質に、皆立ち戻っていこうとしているのです。
時代もそういう方向に流れていると思えます。
そのために、あなた自身が、やはり恋をする必要があります。それはうぬぼれではない、自分自身への恋のことなのです。
「節制」の象徴する社会へ
マルセイユタロットには、数の連鎖と言いますか、サイクルのようなものがあります。
すでにかなりの人に知られているのは、7のサイクルや10のサイクルです。
諸説・いろいろな見方はあると思いますが、大アルカナは3と7が基本で、小アルカナは4と10のシステムにあると私は見ています。
この、特に大アルカナのシステムで、7というのを基本にしますと、7のひとまりがひとつの完成形ととらえることができます。
7と言えば、身近なところでは、一週間とか、そのもとになっている七惑星とか、霊的なところでは、チャクラの数にもなっています。
ラッキーセブンという名前で、幸運の数にもなっていますよね。
このことから、7がいかに重要な数であるかがわかります。
さて、大アルカナを見た場合、数を持たない「愚者」は別として、最初の数「1」を持つカードは「手品師」(通常タロット名称では「魔術師」)です。
そして7を持つ数は「戦車」です。この「戦車」からさらに7つ進めば(進むは六つですが)、「節制」というカードになります。
マルセイユタロットの「手品師」は、その名の通り、手品を見せて商売していると言える大道芸人です。ここから「仕事」を意味するカードでもあります。
私たちの今の時代、雇用されて働く人が多いですが、独立して起業する人、ビジネスを起こし、会社や営利団体を経営していく人もいます。そういう人にまた雇用されていく人も出ます。
マルセイユタロットで言えば、経営者は「皇帝」段階かもしれませんし、いわゆる成功を収めていくと、まさに「戦車」となったと例えることもできるでしょう。
こうしてみると、「手品師」から「戦車」にかけては、現代的な(過去から続くとも言える)仕事やビジネスの段階と見ることもできます。
しかし、さきほど、さらなる7段階に進むと、「節制」が出てくる話をしました。
今の資本主義経済・金融システムに慣らされた私たちには、あまり想像できないかもしれませんが、「節制」的な仕事・働き方・雇用・ビジネス・社会の表現があるのかもしれません。
「節制」は、天使がふたつの壺の水を混ぜ合わせている姿が描かれています。
そこで、助け合いとか、シェアとかの意味合いが出ます。そもそも天使なので、救済・治療・援助・融資的な意味合いがあります。
今、あえて言いませんが、日本はもとより世界的に、あることで、大きな不安や障害、衝撃が来ています。
皆さんの間では、自分の仕事はどうなるのか、経済はどうなるのか、行先にとても不安や心配を感じていらっしゃる方が多いと思います。
さきほど述べました、マルセイユタロットの示唆からしますと、もしかすると、「手品師」から「戦車」という従来型の仕事やビジネス・経済の形を、私たちは卒業する段階が来ているのかもしれません。
そして、これからは、「節制」的業務形態と言いますか、社会になるように促されている気がします。
これはあくまで仮想ですが、「節制」的なことで見ますと、「節制」の天使が壺の水を混ぜ合わせているように、資本主義的なことと社会主義的なことが混淆し、半分全体や社会で支え、半分自由主義みたいなことができてくるのではないかと思います。
例えば、ベーシックインカム的なことで、まず生存不安を払拭し、物質と精神の基本的安心を獲得したうえで、自由に仕事を選んだり、起業・経営したりできるようにします。
すると、ベーシックに収入はあるのですから、経営側の支払うお金も、雇用側のもらうお金も、それほど多くなくてもOKとなります。その分雇用時間も少なくて済み、企業間の競争は減り、職業選択の自由、掛け持ちとかもでき、肉体的・精神的負担も少なくできるでしょう。
ひとつの会社とか組織、個人が利益・儲けを独占していくような形ではなく、ひとつのひとつの規模はスモールにはなりますが、全体としては皆で支え合う形になってきます。
できれは、土地の売買も禁止し、土地がお金を生むようにならず、共有財産としたほうがよいと思います。
そうなると住居も完全に個の邸宅として自由にするのではなく、移動・引っ越しはOKですが、マンションや団地的なものを基本としたほうが、災害などで破壊されても、すぐ入居できるので生活は困らないと思いますし、家に対する個人の負担が巨大になったり、災害による何重もの負債になったりすることから逃れることができます。
ただ、それでは無個性な家ばかりになるので、余暇やレクリエーション、癒しや元気のために、独自のセカンドハウスとか、宿泊施設としての旅館・ホテルとか、こうしたものは比較的自由に建築できるとするとします。
普段はマンション的な家住まいながらも(家族数によって部屋の割り当て・大きさは決まっているものとします)、休みや余暇では(これも皆が土日とか決まった曜日に集中しないような働き方になっているのて、フレキシブルです)、共有的なセカンドハウス、宿泊先の旅館・ホテルなどの個性的な売りのところで、おのおの過ごすというものならば、無個性な家ばかりとはならないでしょう。
今述べたような社会は、あくまで夢想の範囲かもしれませんが、助け合い、シェアしていく、節制を基本とした社会、働き方に向けて、これからの時代、変化していく道があるのではないかと思っているところです。
社会主義が失敗したところには、結局、自由を制限する権利者(一党独裁など)の支配になるところと、同じ時間働いても同じ給料になるということから来るサボタージュ、社会や人の意識の硬直化が問題と言えました。
これはつまるところ、人の意識の低さにあります。自分さえよければよいという意識が、支配やサボり、独占、硬直を生むのです。
ですから、仮ではあっても自由を実現していくには、過酷とも言える自由資本主義経済、金融システムでなければならない時代が長く続いてきたわけで、それは私たち一人一人の意識がまだ新しい社会になるためまで成長していないということもあったかと思うのです。
今の世界的問題をきっかけに、一人一人の意識が高められ、成長が促され、もはや「戦車」を超えて、「節制」に行かねばならない時代になってきていることを、多くの人が認識すれば、社会・世界はよい意味で大きく変わると思います。
多くの人がもっと安心で、幸せになれる社会になっていけるはずなのです。
実現不可能と思うのではなく、少しでも実現可能だとイメージや方法論で現実に落とし込んでいくこと、つまりはリアリティを理想に多くの人が近づけることで、本当になっていくのです。
ホ・オポノポノを例に 問題の内転換
ホ・オポノポノをご存知でしょうか?
ハワイの伝統的な癒し、問題解決法を簡略にアレンジしたと言われるメソッドです。
一昔前、スピリチュアル界では大変話題になり、書籍の出版、セミナーの開催など各地で行われ、基本の四つの言葉を唱えることが流行ったことがありました。
今ではブームも去ったかのように見えますが、このメソッドの効果は今でも十分にあると私自身は考えています。
とはいえ、私はマルセイユタロットが専門であり、ホ・オポノポノを深く学んだわけではないので、いい加減なことは言えませんが、実際の経験と、タロットの浄化システム・理(ことわり)のようなものを見てきても、同じようなところが、ホ・オポノポノにはあると考えられますので、まったくの思いつきで言っているのではありません。
タロットとホ・オポノポノには、見た目、共通点はありません。
しかしながら、浄化システムの本質では、先述した通り、似ていると言え、実は、およそ浄化に関するメソッドには、共通する仕組みのようなものがあると考えられ、そのために、まったく異なるツールやメソッドにおいても、本質的には共通するのだと推測できます。
これは癒しや浄化だけではなく、どんなことにも言え、例えば、西洋的なもので言いますと、タロット、カバラー、占星術、数秘など、別の体系同士であっても、やはり共通したものがあると考えられ、そこを理解すると、ただ表現の違いでしかないということに気づきます。
ということは、裏を返せば、宇宙全体には、本質的には同じ構造・システムがあると言え、それが民族や時代、方法によって表し方が異なっているだけなのだと思うことができます。
ですから、大きな意味では、どの方法をやっても効果はあり、本質・大元にに辿り着ける可能性はあると言えますし、そもそも私たち自身が本質と同じであることも、こうした理由から当然だと言えるのではないかと思います。
マルセイユタロットに流れる思想、グノーシスでは、端的に言えば、人は神であるということを伝えるものですが、このことは、さきほど述べた宇宙の本質と私たちの本質は同じであることを言っていると考えられます。
さて、私が今、またホ・オポノポノについて語っているのは、今の不安に満ちた社会状況に、ホ・オポノポノがとても効果的ではないかと思えたからです。
ただ、マルセイユタロットもそうなのですが、問題の解消を期待して、メソッド(タロットだと展開とリーディング)を行っても、あまり意味はないように感じます。いえ、それなりの意味はあるとは思いますが、本当のメソッド(の効果)にはならないおそれがあります。
ホ・オポノポノでも、問題の原因は外にあるのではなく、内(潜在意識)のインナーチャイルド、もしくは人類の集合的な問題意識(データ・パターン)にあると言われ、実際現れている外の問題は、その投影や、インナーチャイルドからの警告や叫び(訴え)であるとみなします。
この原理から言えば、外側の問題の解消を願って、ある言葉を唱えたり、方法を施したりしても、逆効果というか空しいところがあり、むしろ、解消を願うのではなく、淡々と、ひたすら内なるデータの浄化に努めるというほうがいいわけです。
つまりは、外のことをコントロールしようとしても無駄で、いわば、映画のスクリーン(写し出されている物語や人物)に向かって、「こうなってくれ」「ああしてほしい」と願っているようなものなので、それをしても肩透かし、素通りみたいになるわけです。
とはいっても、外側(現実)に起きている問題のインパクトは強烈で、不安で苦しく、恐れがあり、悩ましいものです。しかし、それこそが罠みたいなもので、リアリティが強烈だからこそ、それは内なる訴えとしても強烈だと見て、方向性を逆に見なければならないわけです。
これは、私自身も囚われることが多く、なかなか本当に内に向かうということは、言うは易し行うは難しなのですが、それでも、本当の平安は内にあるということが、体験によって少しずつ理解てきてくるようになると思います。
これも段階・過程のようなもので、内なる浄化が進めば、外なる刺激に惑わされる度合いが減少し、その本当のメッセージ性に気づくようになってくると考えられます。(これにはカルマ的のものとあると推測されます)
なかなかこの幻想(とはいえ、ある意味、実体でもあります)システムは強固で、生まれながらずっとそのように過ごしてきたわけですから、簡単に転換することはできないのが普通でしょう。
しかし、問題が起きる度、外から内への転換、マルセイユタロットで言えば、「吊るし」の逆さま状態に気づいていくことが増え、常識認知システムか崩壊しはじめ、本当の安心・平和へと自らを誘い、同時に、人類全体の流れもそれに向かうよう寄与していくでしょう。
マルセイユタロットの「運命の輪」にも、内なる声を聴くという象徴がありますが、それによって、外の運命ではなく、内なる運命が回り、変化すると言えます。
ホ・オポノポノは、方法としては、とても簡単です。
ただ、「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と唱える(心の中でもよい)だけです。
詳しくは、ホ・オポノポノ関連書籍や、サイトをご覧いただければよいかと思います。
今こそ、必要なことではないかと思いましたので、ご紹介させていただきました。
もちろん、マルセイユタロットでも、すでに述べたように、同じような働きが本質的にはあると考えられますので、タロットを使って自身を浄化していくのもありです。
そうした方法は、タロット使っていると自然に降りてきますが(自分自身に合った方法とかカードが出ます)、タロットの場合は、カードの象徴性を知ったほうが効果的なので、それは自習されるか、誰かに学ばれることをお勧めします。
とにかく、大切なのは、問題をそのまま問題としてとらえよう、解決しようとすればするほど、問題は大きくなるか、いったん収まっても、形を変えて再び現れたりするということです。
ですから、問題の方向性を内側に転換して、問題自体を、むしろ手放す(赦す)ような態度で向き合えば、問題の本質に気づき、解決とか変容に向かうと思います。
それはなかなか難しい道かもしれませんが、結局、それが近道になる人が多いような気がします。
問題やピンチは、別の方向からすれば、本当にチャンス(「運命の輪」の転換、回転)なのです。
特別リーディング期間 開始します。
私のタロットの生徒さんのグループとか、メルマガ(受講者用)などではお話していることですが、今回の新型コロナウィルスのことに限らず、社会全体に及ぶような、何か大きな問題については、個人レベルで考えるものと、全体レベルで見ていくものがあります。
そして、個人・全体、それぞれにおいても、いろいろな階層、種類、色のようなものがあり、それもマルセイユタロットのシステムを使えば、把握することが可能になりますが、とにもかくにも、問題を検討したり、解決したりするには、ただひとつのところを見ればよいというものではないことは、共通して言えることではないかと思います。
さて、そうした多様な階層の中に、人の心理レベルの問題もあります。
理由については長くなるのでは省きますが、今の状況も、実は一人ひとりの心の中の問題、あるいは問題を思っているその人の状態と、巨大で社会的・世界的な問題が関係していると見ることができるのです。
逆に言いますと、一人ひとりの問題の浄化とかクリアーになっていけば、全体的な問題も軽くなっていく、浄化されていくと考えることができます。
そして、これは、相談者と相談を受ける側、タロットで言いますと、クライアントとタロットリーダーの関係において、問題を抱えている人は相談者・クライアントとなるわけですが、相談を受ける側、タロットリーダー側の、無意識的な問題(意識的な問題もあります)をも浄化していくことにつながっているのです。
よって、相談を受ける側が、相談をしてくる人によって癒されるという事態も、別の視点(別の世界観)ではありえるわけです。
ということで、これからしばらくの間、私は皆さんがタロットリーディングを受けやすいようにしたいと思いました。
具体的には、料金をかなり安くしまして(さすがに無料ボランティアではできないので、すみません・・・)、直接の対面方式では、いろいろと今の時期、やりづらいでしょうから、オンライン(zoom)を使って、自宅にて安心して受けていただく形で提供いたします。
料金は、通常、一万円のリーディングですが、同じ内容で3千円にいたします。(時間は60分までにします)
もちろん、今までもzoomによるリーディングはしていたのですが、今回は、料金を大幅に値下げしての、新たな形のものです。
繰り返しますが、先述した通り、多くの人の心が軽くなれば(浄化したり、統合できたり、癒されたり、気づきがあったり)すれば、社会や全体の問題も軽くなっていくと想定しているから、こういう形式で行うものです。
方法についてご説明しますと、お申し込み受付後、ご自分の問い(タロットへの質問)の内容を書いてメールで送っていただき、リーディングの日時を調整決定いたします。
送っていただきましたご質問内容をもとに、当方がタロット展開したものを、リーディング当日、zoomをしながら一緒にみてもらい、リーディングと解説をいたします。
全国どこからでも、ネット環境があればスマホでも可能です。zoomは簡単に使え、無料で使えるアプリですので、リーディング料金以外はかかりません。
できるだけたくさんの人に受けていただきたいと思いますので、時間もフレキシブルに考えます。
しばらくは特別リーディング期間として続けますので、ご興味のある方は、このサイトの「お問合せ・お申込み」からお願いいたします。
