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タロットで占う良し悪しとは?
タロットカードの使い方には、いろいろあることをこのブログでも触れてきました。
ただ、一般的には、いまだ占いに使うカードという認識でしょう。
そして、その占いにおいても、全体的な運勢を占うというものに使用するよりも、どちら・どれ(の方向性・選択肢)がよいかとか? あの人の気持ちはどうか?などといった、短期的なことや今の状態を知ること、今迷っていることの選択においての判断を求める時に使われる傾向にあると思います。
タロット占いが、生年月日などのデータをもとにした運命を扱う「命占」ではなく、偶然に出たもので、言わば「偶然の必然性」をもとに占う「卜占」と言われているので、占いの分野においても、上述のような使い方になるのは当然と言えます。
そして、今述べたように、タロット占いが、長期的な運勢の流れというより、今悩んでいること、迷っていることの指針を選択的に出すことでの使い方になるのなら、今の問題や関心のある何かに対して、いいか・悪いかの判断をカードに求めるようになるのも当たり前です。
ということは、どうしても、カード自体にいい・悪い、吉凶判断を見ることになってしまいます。
では、ここで極めて根本的な質問になりますが、そのいい・悪いは誰が決めているのでしょうか?ということです。
そして、そのいい・悪いの基準は何なのか?というのも、皆さんに問うてみたいところです。
このテーマ(問い)は、タロット占いをプロとしてやっている人に対しても、少し考えてみていただきたいものです。
まず、いい・悪いは誰が決めているのかですが、これは人であるのは間違いないでしょう。
占いの現場では、タロット占い師が、出たカードの良し悪しを読んだり、判断したりしていますので、ここにおいては、決めているのはタロット占い師ということになります。
しかし、その判断のよりどころ、つまり、もともとのカードの意味は、その占い師が決めているわけではなく、先生に習って知ったか、独学して知識を得たかというものでしょうから、当人(占い師)が良し悪しを決めているわけではないのがわかります。
つまるところ、伝えられてきた意味とか、絵柄から決められてきた意味で、いいか・悪いかを見ていることになります。
ほかに、カードの伝えられている意味とは無関係に、直感として、占い師がこのカードはよくない、いい感じがする・・・みたいな判断になることもあるでしょうが、カードの絵柄と意味とは、それでも無関係ではないと思いますから、結局は、カードの決められた意味からの判断と言ってもよいでしょう。
では、さらに、カードの伝えられてきた意味、書籍や教科書、先生方から教わった意味を適用するとしても、その意味が、質問に対して、よい意味になるのか、悪い意味になるのかということは、カードそのものの意味とはまた別であることがわかります。
例えば、あるカードが「別れる」「離れる」という意味合いがあったとしても、「腐れ縁の人とどうなるか?」という質問では、よい意味になるでしょうし、「好きな人とどうなるか?」だと、よくない意味だと言えます。
カードの意味が、よい意味で解釈できるか、悪く解釈するかは、最終的には、人の価値観・または感情によると言ってもいいかもしれません。
そして、それらは絶対不変の基準ではないということが問題です。時代や国によっても変わりますし、個人においても価値観は変化していきます。
ただ、そうは言っても、やはり一般総合的、人としての普遍的に近い価値とか判断はあります。常識的に見て、それは不幸な道だろうとか、それは幸福なことでしょうね・・・というものは全員に当てはまるわけではないにしても、ほとんどの人には言えるもの、そういうものはあると考えられます。
言ってみれは、地球人類としての総合的価値観と言いますか、私たち全体が決めている基準のようなものです。これは。現実認識における集合的合意のようなものかもしれません。
それ自体は、おそらく数千年、ほとんど変わっていないものでしょう。ですから、いい・悪いの判断も、ずっと使い続けることができる(た)と言えます。
人の価値観は確かに時代とともに変わるものではあるものの、奥底には変わらない、誰しもが思う幸不幸とか、いい・悪い、吉凶的な感覚が共通意識としてあるので、それがタロットの判断にも使用されてきたということです。
難しい言い方をしていますが、何のことはない、いつの時代も変わらない、人の思う良し悪し、幸不幸という(価値・基準)で、見ている(部分がある)わけです。
説明が長くなりましたが、タロットカード自体は、絵柄のついた象徴カードで、その絵から類推される、ある意味合いは出ます。しかし、そのカードの意味自体と、タロットに質問する人と、解読・判断する人(占い師やタロットリーダー)が思う、カードの良し悪し的な意味とでは違うという話なのです。(ふたつの世界があると言ってもよいです)
ですから、タロットの象徴的意味合いは変わらないとしても、タロットを読む側、見る側によっては、タロットの、まさに解釈は変化してしまうのです。
ただし、今のところは、三次元的な現実認識の中で、普遍的ともいえる幸不幸・吉凶の意味が、ほとんどの人の中で共有されているので、その基準をもって、カードのもともとの意味合いをふるい分けることで、いい・悪いや、どの選択が(現実的に)よいのかなどのことが占えるのです。
従って、占い師やタロットリーダーの価値観と、質問者・クライアントの価値観が共通するものであればあるほど、カードの判断と納得感は、両者にとって大きなもの(バッチリ合っている感じ)になるでしょう。
ところが、カードを読み、判断する側、つまりはタロットリーダー・占い師側が、クライアントとは別の価値観のフィールドに、カードの意味を持っていくと、クライアントの思う価値基準とは異なることになりますので、言われている意味がクライアントには飲み込めなかったり、言われていることとは真逆の意味だと感じてしまったりすることもあるでしょう。
占いにおいては、これはまずいことになるかもしれませんが、タロットリーディングによる気づきをもたらすようなこと、意識の変容をもたらす目的になってきますと、むしろ、このほうがよいこともあります。
それは、クライアントの価値基準が、クライアント自身を苦しめていたり、自由性を制限させていたりする(束縛したりしている)からです。常識に対して、常識で対抗すると、かえって何も進まないのに似ています。
一般的な、今の人類社会に普通に考えられているような価値基準での判断の良し悪しも、先述したように、カードの意味を占い師側が振り分けたり、決めたりすることで、言わば、カード自体が吉凶羅針盤みたいになって、現実的な意味でのよい・悪いを導くことが可能です。
この仕組みは、先述した、人類の集合意識的な合意の層(ここでは、一般現実の幸不幸とか、吉凶を思う層のことになります)に、占い師がタロットをリンクさせるようなことになって、カードに、その価値基準をもとにした出方をさせることができるからだと考えられます。
ただ、これでは、三次元の数千年続く、常識的価値観の判断になります。
一般の普通の人は、それを求めていますから、占いの現場では特にそれでいいと思うのですが、スピリチュアルや精神世界を中心とする、私たちの意識や心、さらには霊的な次元の上昇、浄化、統合などを志す場合は、これでは足りないと思います。
この場合のリンクさせる層と価値基準は、哲学的に言うのならばイデアの層といえ、グノーシス的には神性の層、心理的には、私という自我を超越した層(しかし自分を支配するスーパーエゴ・超自我ではありません)になります。スピリチュアル的な表現をすれば、天上とか天使意識、ハイヤーセルフの意識です。
カードの意味や読み方も、現実的なことでの、いい・悪いではなくなってきます。むしろ、カードが問いかけ、意識を開かせるような意味合いになってくるでしょう。
このようなことをする意味があるのかどうか、占いバリバリの現場の人には、疑問に思うことでしょう。
大阪風に言えば、「実際(現実)の幸せの具体的アドバイスができてこそなんぼや、ふわっとした抽象的なこと言うても、お客さんのためにならへんし、そんなん、求めてはらへんのや、みんなお金があって、自由があって、いい人がいて、よい家族がいて、健康な暮らししたいんや」みたいな感じでしょうから。(笑、ただし、現場でも話を聞いてもらいたい、心を理解してほしい、わかってほしいという、カウンセリング的なケースも多々あります)
それはそれでいいのだと思います。占い師もサービス業であり、生活もあります。顧客に満足してもらうことが大事です。基礎的な暮らし、運勢がよくなって、充実しないと、先に進めないこともあります。
それとともに、今やっているカードでの占い判断というものは、いったい何なのだろう? 全体の幸せとは本当はどういうことなのだろうと、ふと、考えるのも悪いことではないと思います。
占いとは関係なく、タロットに関心のある皆さんには、一度、タロットに対して質問することで、「どちらがよいのか?」という質問方法自体を疑ってみることをお勧めします。
そうした質問をなぜしているのか、あなたの思う「よい」とは、「悪い」とは何なのか、何が基準で、何を求めているのかということを、あせらず思索すると、意外なことがわかるかもしれません。
タロットには根本的な絵柄の象徴の意味はありますが、意味そのものの解釈や判断、新たな吉凶的な意味を決めているのは、人であり、あなた(タロットを読む者)自身なのです。
一枚引きの力
世にタロットのスプレッド、展開法(並べ方)は、たくさんあります。
伝統的なものや、メジャーなものはネットや書物で紹介されていますが、オリジナルなものも結構あるはずですし、プロ・アマ関係なく、いろいろな人がタロットの独自の並べ方を試みていると思いますから、それこそ、数えきれないくらいあるでしょう。
かく言う私も、オリジナルなものは、いくつか持っています。
ただ、それ(種類)を分けていくと、おそらく、いくつかのパータンに収まると思います。
今は細かい区分けをしませんが、だいたいにおいて、何かもとにあるもの(形)を象ったもの、時系列的に並列に並べるもの、縦に積み上げていく(集積させていく)か、下に分散化させていくものなどのパターンがあると考えられます。
さて、そのように数多ある展開法・スプレッドの中でも、もっともシンプルなのが、一枚引きです。
これはタロットの束(山)から、一枚だけカードを引くというやり方です。
ここに正逆の位置を入れる(取る)かで、またちょっと複雑化してしまいますので、正逆の位置は取らず、ただ正立のみで見ていくのが、一枚引きの中の一枚引きと言えるかもしれません。
前にも書いたことがあると思いますが、実はこの一枚引きが、一番読みでは難しいと言えます。
シンプルというのは、何も簡単という意味とは限らないのです。一枚引きの場合、たった一枚のカードしかないのですから、情報として最低の量になります。
また情報量だけではなく、一枚という、あまりにも少ない枚数のシンプルさゆえに、具体的に見るのが難しくなる欠点もあります。具体的に見られないというのは、問い(タロットに対する質問)を当てはめにくいということです。
言い換えれば、抽象的なリーディング(読み)になりがちなのです。
例えば、「私は何をすれよいのか?」と質問して、一枚、「隠者」が出たとします。
ここ(この一枚)から、どう具体的に答えやアドバイスを導き出すのか、案外、難しいものです。
ありがちなのは、「隠者」の意味をそのまま出してしまうみたいな読みです。
秘密、孤独、探求、追求、危機、覚醒、イニシエーション、経験、知識、蓄積、隠遁、後退、光明、専門性、霊的な師、ハイヤーセルフ・・・それこそ、隠者の意味はたくさんありますが、ただ単純に、こういった単語を思い浮かべてみる、みたいな読みをするわけです。
ですが、問いは「自分(私)は何をすべきか?」です。今あげた言葉の中で、これに具体的に答えてくれたものはありますか? ほとんどないでしょう。
だから、一枚引きは難しいのです。
ですが、逆転の発想ができます。
確かに、一枚引きは抽象的になりがちで、読みとしては具体的に当てはめにくい、カードから導きにくいところがあります。しかし、タロットリーディングとは、本来そのようなものなのです。(アテモノの占いではないということ、象徴性・抽象的なものから類推し、具体性を調整していくもの)
いきなり具体性を出すことは、専門的に言えば、地上性・現実性にダイレクトに落とし込むようなもので、それは換言すれば、限定する、絞るということと同じになります。ということは、いきなり答えを絞り過ぎて(当てはめ過ぎて)、間違っている(厳密な言い方をすれば、下に降りる枝分かれの過程で、ルートを間違えている)こともありうるわけです。
逆に抽象度の高い答えは、包括性・蓋然性が高くなりますから、いわば、どれを言っても当てはまるような答えになってきます。ここから、クライアントの情報とともに、実際のフィールド(クライアントの現実)に具体的に当てはまるようなことに、下降(加工でもあります)していくことで、「大外れ」を防ぐことにもなります。(なお、この過程を直感が優れている人は、一瞬で、しかも正確に、ルートを間違わずに行うので、いかにも霊感で当てているように見えることがあります)
さきほど、一枚引き「隠者」が出た例で、「隠者」の意味としての言葉をたくさん出しました。これら(隠者の象徴から出る言葉)を総合的に見て、何か共通した特徴はつかめるはずです。
そもそも、その共通したものこそ、一言では言い表せませんが、「隠者」のカードの表す象徴なのです。言葉や意味は、その象徴をわかりやすい形で言語化したものです。
さて、言葉からでもいいですので、「隠者」の共通するようなイメージはつかめましたでしょうか?
隠者の象徴からして、何となく、激しく動いたり、今まさにGOだという雰囲気ではありませんよね。
また表立って前に出たり、積極的に率先して活動したりするという感じでもありません。むしろ、穏やかに、隠れるかのように静かに過ごすイメージが伝わります。また「隠者」のような人が見守ってくれ、何か光を当ててくれそうな気もします。
こういうような総合的なイメージから、質問にまた立ち戻り、考えてみるのです。
質問は「私は何をすればいいのか?」なので、つい、何か具体的で行動的な答えを求めたくなります。
しかし、先ほど見た「隠者」の総合的意味合いは、むしろ、隠れよ、静かでいよ、じっとしていよ、引退せよ、離れよ、智慧者に伺い立てよ・・・みたいな感じに見えます。
もしかしたら、「隠者」の象徴として、知識・智慧をつけるために、学べと言われているのかもしれませんが、何を学ぶのかは、これだけでは、具体的には出ません。
そのため、その何をとか、どれをとか、誰にみたいな具体性は、別のカードを引いてはっきりさせるか、本人(質問者・クライアント)がすでに知っていることがあります。(学びたいと思っていることがそもそもあって、隠者が出たことで、そのことが後押しされたと感じる)
言い換えれば、具体性を持たせていくには、クライアント自身の実際の情報とともに、カードを何枚か引いていくことで、かなうわけです。
けれども、一枚引きは具体化こそできにくいですが、一枚を通して、まさにその一枚が示す「象徴」というものを私たちに見せてくれます。
象徴・シンボルなので、抽象的ではあるのですが、その特別の機能により、多層(多次元)な世界にも通じることができます。(現実から心理、霊的なものまで、あるいは、時代や人の個性を超えたところまで)
ということは、たった一枚の中に深遠なる多層で多次元な情報が含まれていることにもなります。含まれるというより、見る側のフォーカスしたものにタロットが合わせてくれるみたいな感じでしょうか。
つまりは、タロットの示す「象徴」という世界を見る(象徴を通して情報を知るという古代や野生の思考的な)ことに、一枚引きは訓練としても働くのです。
もし一枚引きでも、なるべく具体的に読みたい場合は、質問を最初にはっきりさせておくことです。問う側が具体的であれば、答えも自ずと具体性を持ちます。それでも、一枚引きは、やはり情報としては少ないので、判断には困ることもあるかもしれません。
ですから、一枚引きは、どちらかといえば、タロットによる象徴世界を味わうため、象徴でもって、あらゆる世界に旅をするためのトレーニングとして問いかけ、見て(読んで)みることをお勧めします。
さらに、今ここでは書けませんが、一枚引きには、すごいやり方と言いますか、タロットカード全体を回転上昇(もしくは内転集中)させるような、使い方が隠されています。一枚なのに全体、全体なのに一枚という方法です。
少し長時間かかってしまうのが難点ですが、強いエネルギーを持つと考えられるものです。受講生の方にはいずれ紹介し、勉強会などで、皆さんでやってもらいたいと思っています。
ともかく、たかが一枚引き、されど一枚引きなのです。
災害や事件の意味を考える
日本には元号があり、今年は新しい「令和」になったばかりです。
このブログの読者層は、書いている私自身が昭和生まれなところもあり、昭和生まれの人が多いと予想しますが(苦笑)、平成の方もいらっしゃるかと思います。
いずれにしても、令和とは違う時代に今まで生きてきたわけで、その時代の流れや空気というものは感じて来たことでしょう。
そして、タロットなどに関係する人は、ただ普通に思う(見えるものの)時代の雰囲気だけではなく、背景に、霊的ともいえる、見えない領域における時代の空気、変化があることを実感したり、想像したりする人も少なくありません。
このブログでも、令和になってから何度かふれているように、日本の元号の分け方で見れば、やはりその元号の時代独特の意味合いが、物・心(霊)両面とともにあり、昭和・平成、そして令和へと変化してきているのを感じます。
ところで、先日、台風19号を東日本を中心に大きな被害を出して駆け抜けて行きました。発生当初からその巨大さゆえに不安視され、非常な危機感をもって伝えられていたところですが、東京あたりは想定されているほどでもなかったかもしれませんが、やはり、各地で堤防決壊による洪水など、多大な被害をもたらしました。
昨年は、中国地方を中心に降り続いた西日本豪雨、関西で立て続けに襲来した台風など、西日本でもかなり被害が出ましたし、毎年のように、九州地方の災害も起こっており、今年も佐賀などで大きな被害があり、関東でも、先の台風15号によって、特に千葉には甚大な被害が出ました。
思えば、平成から巨大な地震が各地を襲い、天変地異、災害が頻繁かつ、強力になってきたと言えます。
そして、こうした自然災害だけではなく、凶悪な殺人事件や、常識で考えられない事件なども起き、国民の生活として、精神的にも経済的にも余裕がなくなってきている気がします。
テクノロジーと情報通信機能は進化したものの、皆、将来が安心できるような暮らしができなくなってきて、不安に思う人が潜在的にも増大しているように思います。
スピリチュアルな世界では、現実に起こることは、人々の深層的な意識、心の様相、霊的なレベルと結びついていると言われ、この考えから行くと、環境・状況が悪いから私たちが不安になるのではなく、私たちの心が逆に環境に投影されている(引き起こす)と言うことになります。
それは、今の私たち(の意識)だけではなく、過去からずっと積もり積もった歪みのようなものが、ついには臨界点を迎えて、爆発するようなことになっているのかもしれません。
地震発生のメカニズムは、一応、プレートテクトニクス説で、プレートの沈み込みによって起こると言われ、これも言ってみれば、プレートの歪みによるものです。つまりは、やはり歪みとか衝突が物理的にもあるわけです。
これを象徴的に、心の状態だとすると、鬱積したネガティブな何かとか、葛藤したり、対立したりする心と言えなくもありません。
地球がガイア生命体のようなものだと仮定すれば、地球の生命体としての自浄作用、修正運動のようなものが、特に今になって大きく働く時代になった可能性があります。
これは蓄積による歪みを治そうというもので、治療と言えば治療のような意味になるのでしょうが、もうひとつ、別の考えもできます。
それは、新しい生命体に変化するために、体(精神)を作り変えているということです。地球と人は、実は霊的には一心同体のものと見ますと、私たち自体も、何か新しい人間に変容するために、地球とともに生まれ変わろうとしているのかもしれません。
大きな変容と言えば、マルセイユタロットでは「13」または、「神の家」のカードが思い浮かびます。
大きく変わると書いて「大変」という文字になります。そう、変化・変容には、それが大きなものであるほど大変であり、変わる当事者からすれば、破壊(が来ている、壊されている)と感じるようなことも起きるわけです。
一方、変わるべき存在が、あまりにも頑固で強固、古いものにとらわれ過ぎている時は、その分、変化する力も激しいものになると想像されます。
イソップ物語の「北風と太陽」の話ではありませんが、意固地になればなるほど、余計な力を入れなくてはならなくなります。それがまた自分を苦しめることになります。
私たちが古いものを手放し、新しい価値観へと変貌を遂げる時代(そのプロセスの初めの時代)として、令和になっているのだと思います。
それから、これだけ、巨大な災害が起きるというのも、人々の意識と考えが、個人単位では太刀打ちできないということを思い知らせされている気がします。言ってみれば身勝手な、自我欲求としてのエゴの世界からの脱却の要請です。
今の災害レベルは、個人はもちろん、地方自体単位のレベルでさえも、その被害の対応、処理になすすべがないほどです。かといって、国に全部お任せ、国が何とかしろ、と言っていても始まらないのです。
阪神大震災から東北大震災を経験して、私たち日本人は、ボランティア精神や助け合いの行動、義援金などで、相互に思いやる気持ちと、民間レベルでも行動していく機運が高まりました。
災害は受けた者には悲惨で、時には絶望にもかられる苦しいものですが、一方で、私たち全体としての意識に変化を生み出します。
もはや、個人がどうのとか言っている場合ではなく、明日は我が身と思い、全体で支え合う仕組みを考え、国や政府を動かしていく必要があると思います。まずは私たちの意識を、見えるものだけではなく、精神の面で変えていくことも求められます。
さきほど、タロットで「13」と「神の家」を出しましが、「13」の次は、14の「節制」に続き、16「神の家」は、17「星」へと進みます。
「節制」はまさに、助け合い、相互扶助的な象徴カードであり、救済を意味する天使が描かれています。
そして「星」には女神がおり、穏やかに、すべてのものに惜しみなく愛やエネルギーを捧げています。ここには調和が描かれています。「節制」も「星」も、ふたつの壺と水があるのが象徴的です。
個人主義に走り、一部の勝者と大量の敗者のようなピラミッド社会を、特に経済的な構造として続けていく限り、人々の精神・心も同じ構造を取り、自分さえよければいい、自分が勝者や生き残りになればいいという思考になりがちです。
自己責任という言葉がよく言われます。確かに、幼い精神で、うかつな行動を起こすものは自業自得で「自己責任」であると言えますが、最近の風潮は、自己責任によって、まさに自分の責任(全体としての責任)逃れをし、あらゆるものから関わり合いたくないという心を助長しているようにも思います。
それはでも、人々の心が病んでしまっている(それもありますが)というより、そのようにさせている(させてきた)社会の問題・構造も大きいと思います。(他人のことなど考えられない、余裕のない世界にされてきたと言いますか)
人の価値を、ただ能力のあるなし、経済の多寡、情報通かどうかなど、特に量(計る幅ともいえます)的に見ていては、この傾向にますます拍車がかかると思います。
確かに、今の実状は、自分の生活だけで精一杯の人が多く、他人に構っていられないと思います。
ですが、ふと立ち止まり、なぜ、そうした気持ちにさせられているのかという「構造」に少し思いを馳せ、小さなことからでも、他者、国、地球など「全体」というものの視点で見る心を思い出すことが重要かと感じます。
人々の小さな行動と気づきも、それが多くの人で集合して行けば、巨大なものとなって、変革の力に変わります。
仕方ないとか、今までの常識とか、一人ではどうにもならないとか、それこそがある意味、洗脳でもあるのです。
現実を変えるには、自己の中で創造することが大事です。アイデアを、今の状態ではない新しいものとして考え、イメージを創り出すのです。妄想に逃げるのではなく、地上に生きながら、地上ではないところからのアイデアを持ってくるわけです。
これは、マルセイユタロットでいうところの、「女帝」と「皇帝」の関係にもなるのです。
大きな災害は、逆に見ると、それだけの規模や危機感を持たないと、人々の意識が全体性・集合性の方向に向かない状態であるからだと言えます。これ以上、犠牲者(明日は自分になるおそれもあります)を増やさないようにするためには、私たち自身にかかっているわけです。
また、デマに流されたり、誰か救世主を待つ、先の時代を待つなどという姿勢になったりせず、自らが成長し、自己を確立していくことも重要です。
愛や平和を叫ぶだけでは(そう思う気持ちは非常に大切ですが)、あまり変化はないと言えます。
個としての確立を目指し、そのうえで全体レベルに統合していくことで、自他ともに救済できる力が発揮されると考えます。(単純に言えば、自分を救うには、他人も救う協力体制があれば、どちらも救われるということ、それは実は自己や他人が、ともに同じレベルに成熟しないと持ちにくく、少なくとも、自分が未熟でエゴ的な状態、依存的な状態であると出にくい発想なのです、もう「成功」という概念自体を変える時代に来ていると言えます)
地球や世界は、すでに変わろうとしてはいますが、そのスイッチを本当に押し、稼働させるには、あなた自身の思いが必要なのです。
特別な人との関係の理由 その2
前回の続きです。
前の記事では、人間関係や恋愛などにおいて、特別となる人との関係性について、こうしたものは縁のものとは言え、自分の納得する理由が欲しくなり、その理由を探したくなることをお話しました。
そして、見方として、心理的なものと、霊的なものがあるとご紹介したところで、「つづく」となったわけです。(笑)
では、早速お話していきます。
特別な人となってしまう人との関係の理由についてですが、これははっきり自覚できるものがあれば、別に理由を求める必要性はありません。逆に言えば、自分でもなぜこんなにまでなってしまうのか、気にしてしまうのかと、よく理由がわからないこそ、それを知りたいと思うわけです。
それは、言わば、見えない理由のようなものです。
そのように考えると、たいてい、見えない世界というのは、心理的なもの(サイキック分野含む)か、霊的なものとなります。
ですから、特別な人との関係性のわかりづらい理由は、見えない世界にあると考えてもいいわけです。ここに、タロットの世界、スピリチュアルなものと関連してくるのです。
まず、心理的なものですが、これは、範囲を限れば、自分の生育歴におけるものからの理由が大半と思えます。
心理分野は確かに見えない世界のことではありますが、心理学がメジャーとなった今、案外と常識的・現実的な考えでもあります。
つまり、自分のこれまでの生きた歴史の中に、その相手と特別になってしまう何がが働くようになっていたというものです。
よくあるパターンとしては、幼少期の両親、あるいは家族との関係から来るもの(理由)です。
父や母との関係、兄弟姉妹との関係など、家族の中で、自分がどのような位置を占め、育てられてきたか(愛情のかけられ方)によって、大人になっても人間関係(それ以外でも)に影響を及ぼしているケースです。
問題となっていた(当時は問題とは意識しておらず、自然や当然の行為と思っていた場合もあります)家族との関係性を再現させて、自己を守ったり、浄化を図ったりすることもあれば、刻み込まれた自覚のないパターンとして、他人を家族の代替のようにして、関係性を繰り返します。
あなたが特別だと思っている人、どうしても気になってしまう人の中には、こうした自分の家族との関係が隠されていることがよくあるのです。
こう説明すると、自分でもわかりそうなものですが、意外に自分にはわからないもので、しかし、他人が見ると、結構ははっきりします。
ましてや心理カウンセラーやセラピストなどのプロの人にとっては、明確にわかるでしょうから、どうにもある人との関係が拭い去れない、忘れられない、同じような人や人間関係を繰り返して困っているという人は、そのような人に相談するとよいでしょう。
次に霊的な分野での理由です。
こちらは、心理的なものよりもわかりづらいですし、心理的なもの(トランスバーソナルな心理分野は別として)より範囲が広くなり、例えば、時間的なもので言えば、自分だけの人生(今生)だけではなく、過去や未来の生も入ると考える場合もあります。
あと、時系列(時間の流れとしての方向)だけではなく、縦階層の理由も、霊的になってくると現れます。
縦階層とは、次元やレベルのような考えで、私たちの一般的な中心観点は、今は三次元的物質次元にありますが、もっと高次(逆に低次)の、別の次元階層もあると想定して、それらの意識(データ・情報)からの理由が、人との関係性においてあると見ます。
カルマ的な概念は、時間的流れと縦階層のものとの両方があると見てよいかもしれません。
物語風に言えば、過去(生)で関わった特別な人なので、やはり今生でもそうなるとか、未来に何らかの関係や理由が作られるために、今会っている(気になっている)とか、自分と宇宙の進化のために、その人を意識するようなことが組み込まれている、イベントとして(自分)が選んでいる・・・そのような感じです。
簡単に言えば、魂のデータがそれを企画し、実行しているみたいなことでしょうか。
ですから、今の自分の普通の記憶とか、常識、推測を超えたところにあるので、理由がわからないわけです。しかし、そうした領域から見れば、理由はあると考えられものです。
ですが、問題なのは、その理由がはっきり最後までは(今生の自覚意識の人生では)、気づかないまま終わることもあるわけです。
むしろ、理由がわからないままに、あえて自らの魂がしている可能性さえあります。それは隠されたほうがよいという理由が、やはりあるからだと思われ、もしかすると、自分の(霊的な)成長にならないのかもしれません。
しかし、ここが重要ですが、それは今の時点のあなたの意識と行動における状況であり、もし何かのことで、あなたの意識が向上し、いわば、霊的な発展を遂げていくことができれば、生きているうちに、わからなかった、特別な関係性の人との理由が判明するかもしれません。
マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」を超えて、同じ10という数の二倍の数20を持つ「審判」に至った時と言えましょうか。(気づきのスピードも、覚醒すれば早くなります)
そして、タロットリーディングをしていて思うのは、理由を求めすぎてもいけないということです。
先述したように、変な言い方になりますが、現在の自分の状態では理由がわからないから、やはり、わからないのです。
いくら調べよう、知ろうとしても、自分の意識のレベルが本当の理由を明かす(理解する)レベルに至っていないので、徒労に終わることも多いのです。
ですが、自分が変われば、気づきは自然にやってきます。それも思いもかけない時に。
例えば、新たな出会いがあった時に、以前、悩んでいた人との関係の理由がはっきりしたというケースもありますし、こだわっていた人の思いが、いつの間にか薄れ始めたことに気づいた時、突如。目覚めのように、感謝のような理由(ギフト的な感じ)に思い至ることもあります。
ですから、大切なのは、自分のレベルを上げる、特に霊的な向上であり、それは「上げる」というような表現より、統合とか融和とか、そのままの中で意識が変わっているような感覚です。見方の変化、こだわりの消失、受け入れる幅の増大というのに近いでしょう。
もちろん、これには自分の浄化として、まずは傷がついている場合、癒しが必要になります。過去生まで癒しを求めるのであれば、そうした療法を受け入れてみるのもありかもしれません。(事実か否かより、自己のセラピーとして大切と考える)
未来に進むのには、過去に戻ったり、今の足踏みの状態をあえて続ける(深い落とし込みのために、続かざるを得ない期間がある、マルセイユタロットで言うと「吊るし」の期間)こともあります。救いを求めてさまようような場合もあるかもしれません。
ただ闇雲にあせったり、理由を今の時点ではっきりさせたいと強く思い過ぎたりすると、「運命の輪」はますますループしてしまい、その輪から抜け出ることができなくなります。
人は思考と感情での両方の納得を必要とします。思考・頭だけでは腑に落ちず、また、感情が納得しても、その経験を俯瞰したり、普遍化したりすることが難しいです。(これは自己の経験を、ほかの人の役に立たせることでもあります)
混乱している人は、その人との関係の理由をつきとめようとせず、理由が知りたい(知りたがっている)自分というものを受け入れ(認め赦し)、つらいですが、「今の自分のレベルではわからないようになっている」のだと思うことも、逆に救いになります。
人に相談することによって、理由の一端が示されることもありますが、それもひとつの仮説であり、正しいとは限りません。そもそも正しい答えというのはないと言ってもいいでしょう。
ですから、自分が、最終的に「ああ、そういうことだったのか!」と気づくもの、そのストーリーで正解なのだと思います。(細部は異なっていても、象徴的な意味では合っていること)
理由がわからない時は、情報の断片を拾い集め、そうしているうちに、自分の目覚めや向上が起き、自分が納得する理由を、自分の内から見つけることができるでしょう。
たとえ見つけられなかったとしても、自分の人生で必要だった人、会うべき人、思いや気持ちを入れてしまうような、自分の人生を彩る人だったということが、ネガティブな意味ではなく、振り返ることができるようになると思います。
あなたの人生劇場が輝くよう、祈っています。
特別な人との関係の理由 その1
人間の悩みは、マルセイユタロットの小アルカナのパートに実は象徴されています。
小アルカナに貫かれている基本構成・コンセプトとも言えるものに、4組というのがあります。これは、トランプでいうところの、スペード、ハート、クラブ、ダイヤにも象徴されるものです。
この四つの組で表されるものが、人間の悩みがちなこと、問題として考えられるのです。
今は四つのそれぞれを、どれがどれとは言いませんが(今日の本題でもないので)、例えば、お金や経済の問題、生き甲斐の問題、人間関係・恋愛の問題など、人の悩みごとではよくあるテーマを、4組の象徴として見ることができるというわけです。
これは、小アルカナで表される次元が、私たちの生身の生活次元、現実のフィールドを象徴しているからで、むしろ当たり前なのです。
また、発想としては逆になり、人間の悩みがタロットで象徴されるのではなく、タロットで表現される構造が、人間の仕組みにもあるからと言ったほうがいいかもしれません。このあたりはとても面白い話になるのですが、これも本日の本題ではないので、またの機会、あるいはタロット講座でお話したいと思います。
それで、今日の話は、この、人間の悩みでよくある種類のものの中のひとつ、人間関係・恋愛関係のことになります。端的に恋愛に絞ってもよいかもしれません。
まあ、言ってしまえば、「特に濃密になる人との関係」ということです。そういうのは恋愛での関係が多いので、恋愛に絞ってもいいかもしれないと言ったまでです。
ところで、マルセイユタロットの「恋人」カードの絵に、矢を持ったキューピッドが描かれているように、恋愛相手とか、自分にとって特別になる人というのは、人間が意識して関係できるものではありません。(中には、意識して関係をつけていく人もいるでしょうが)
気がつけば、いつの間にか、自分の心を占めていたとか、好きになっていたとか(相手から告白されたり、相手の行動によって意識するようになったりすることもあります)、そんな感じですよね。(ほかに、一目ぼれというのもあるかもしれませんが、これは「恋人」というより、「神の家」のような出来事で、これも意識して自分が惚れるというのではなく、突然惚れたみたいなことですよね)
ただ何もせず、妄想ばかりを巡らしていても、実際に、人と交流することはできません。
今はネット時代で、リアルの関係はいきなりは少なくなったかもですが、それでも、人は意識だけで交流する時代にはなっていません。まだまたちゃんと形・肉体・物質次元としての私たちが存在し、物理的に出会わないとならないところがあります。
そのことも、さすが「恋人」カードであり、キューピッドの下側にいる三人の人間たちが、実際に触れられるような近い距離感を描写することで表しています。つまり、現実に(行動・環境的に)人が出合わないと、始まらないわけです。
そんなこんなで、私たちは人と出会い、交流・交際していきますが、世界中には、これだけ多くの人がいるのに、出会う人は限られており、さらに中でも、親友になったり、恋人になったり、結婚したりする相手は、まさに特別な限定者です。
「恋人」カードによれば、人間側の出会いの機会を増やせば、もしかすると、縁結びをしてくる上空のキューピッドの矢は、誰かに当たりやすくなるのかもしれません。←ここ、引きこもっている人には、結構重要です。天は自ら助くる者を助くです。(笑)
しかし、逆説的ですが、出会いの機会を増やしても、矢が当たるとは、また限らないのかもしれません。
ロマンティックなことが好きな人ならば、キューピッドの矢は、あらかじめ刺さる人が決まっているのだという考え方もできるからです。
にしても、です。現実の人間は、さきほども言ったように、出会わないと交際が進みませんから、最初からまるで運命の赤い糸のように、矢の相手が決まっていたとしても、何もしなければ、運命の人なのに、一生出会わないこともありそうです。なんだか、それでは、身も蓋もない話になりますが。(笑)
いやいや、キューピットは天使でもあるのだから(厳密には違うのですが、ここでは同じとしておきましょう)、天使によって、出会えるよう、図らってくれるのでは・・・とロマンチストの方はおっしゃるかもしれません。
ま、出会い頭にぶつかるとか、別のイベントで会った人が、偶然にも同じ所属やクラスになったとか、気になっていた人が隣の部屋に引っ越してきたとか・・・そんな古典的マンガみたいな話(笑)はないでしょうが、世の中には、意外に、不思議な偶然・縁というのがあるのも確かです。天(もしかしたら悪魔も)がいるのかもしれません。
ともかく、自分の努力にしろ、偶然の出会いにしろ、誰かと知り合い、その人物は、何故かあなたにとって、特別な関係(位置)の人になったとします。ただし、必ずしも、相手のほうも、あなたと同等に思ってくれるかは別です。ここが人間・恋愛関係のもっとも難しいところで、悩む主要因にもなります。
そこで、占いでも、「相手は自分のことをどう思っているのか?」と聞く内容が多いわけです。(ちなみにカードでは、これがわかることが多いのですが、人の心は絶対ではありませんから、完全に読めるわけでもないのは当然ですし、カードとのコンタクトの方法、読み手の解釈によっては間違うこともしばしばあります)
そして、関係はよい状態に移行することもあれば、破綻してしまったり、そもそも最初から、自分の思うようなことにならない(片思い)ケースもあったりします。
この最中、人は悩みます。たとえ、よい関係であったとしても、これがずっと続くだろうかとか、相手に別の好きな人がいるのではないかとか、些細な行き違いなどで相手を疑ってしまうようなこととか、最悪は、相思相愛でも、相手が不慮の事故・病気などで亡くなってしまうようなことさえあります。
こうなると、人間関係とはいかに残酷なものであるのかと思う人もいらっしゃるでしょうし、逆に、ラブラブで、今関係性は最高だというペアの人は、人間関係のすばらしさを満喫していることでしょう。
歓喜と絶望、濃密な人間関係・恋愛関係であればあるほど、そのギャップも激しいものが内包されています。
また、思いが通じ合えない人、一方的に自分のほうだけが思いが強く、相手は多くの中の一人としか自分を扱わなかったり、ひどい時は、嫌われたりしていることもあります。これのほうが失恋よりつらく、残酷と言えるかもしれません。
かと言って、ストーカーになる人は、相手に恐怖と不安、怒りを与えますので、思われているほうも被害者的な怖さ、不幸感があり、これもまた残酷といえば残酷な話です。
このストーカーとストーキングされる側との関係は誤解があるといけないので、今から言う話とは別だと考えておいてください。
その他の、恋愛などの濃密な人間関係において、特に別れてしまったり、なかなか自分の思うようにカップル的になれなかったり、または、恋愛という感情ほどではないけれど、どうにも気になってしょうがない人がいたりすることに対して、人は理由を探そうとします。
なぜあの人と出会い、このような思いになったのか、何か意味があるのか・・・というように。
特に大きな問題もなく、交際し、そして自然な別れで終わったものは、それほど出会いの理由は考えないかもしれません。
何か、自分ではどうしてもわからない感じの、忘れようにも忘れられないとか、偶然にしては出来過ぎているとか、特別に思う人との関係の場合は、理由を考えないと、自分の納得がいかないわけです。
私はこの理由に、タロットリーディングでもそうですが、いくつかの見方を呈示しています。
ひとつは、心理的な見方、もうひとつは霊的な見方です。
長くなりそうなので、次の記事に続きを書きたいと思います。
特に恋愛ネタは、思い出すと、つらい人も多いと思いますので・・・間をおいて、分けて書いて行ったほうがよいと思ったこともあるからです。
それでは、しばしお待ちください。