メッセージ

私はそれを見ることができます

見えないものを理解してもらう機会は、別に特殊ことをしていなくてもよく訪れるものです。例えば、気持ちとか人の心とか、頭の中で考えたものとか...をわかってもらい時など。こうしたことを説明するのには、目に見える「形」にすることが大切です。だから、絵や図、そしてモノや道具などに当てはめてみることが行われているわけですね。実は言葉も目には見えないものです。言葉だけでなく、意図的に目に見えるものを利用してみましょう。


どちらもどっち

ふたつのものにはさまれて悩んだり、どらちを取るべきかと迷っている時、実はそのどらちでもOKな時もありますし、どちらを選択しても問題だということもあります。しばらく放置しておくと、案外と第3の道のようなものが浮かんできたり、また思いきって両者の選択ともバッサリ選択肢から落として、「無」の状態にしてみると、意外な解決方法が出現したりするものです。


揺るぎないものに至るには

揺るぎない決意というのは、ひとつの固定した考えにこだわっていることではありません。多くの選択肢を経て、今もっともそれを行うのにふさわしいという決断のもとに、出てくるものです。そこには柔軟な発想と考えの裏打ちがあるのです。ですから、皆さん、まずは大いに迷いましょう。それも大切な過程です。


三歩進んで二歩下がるのを見る。

自分も世の中も確実に進んでいます。よくない方向に向かっていると思っても、ふたつの力の間を行ったり来たりしつつ、以前より少し上を歩んでいると考えると、全体としてらせん状に上昇していることがわかります。進歩を確認するには、一度立ち止まって自分を客観視することと、自分の物事の感じ方を記録していき、停止の度にそれをふりかえることで、見ることができます。


やいば、剣

時間シリーズから一度離れます。今回は刃(やいば)というものをば。刃・剣は当たり前ですが、攻撃の道具であり、人に向かえば相手は傷つき、自分に向かえば自分が傷つきます。では誰にも向かわない状態にしてみれば・・・それは自分の守護となり、相手を守る道具にも変化します。ふれると鋭いものですが、そこに厳しさとともに真実の強さからくる温かさもあるのです。自分の中の「剣」を見つめてみましょう。


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