メッセージ

演技者を自覚する

何か心に痛手を負った時、例えば失恋などの場合、自分を徹底的に劇画化してみると、楽になることがあります。よく「悲劇のヒロイン、ヒーローを気取っているのでは」と批判される態度ではありますが、それを意識的に行うことで、いつしか悲しみの気分と自分が分離し、その間に滑稽さやほかの感情が芽生えてきます。その気分を成長させていくと、痛みは柔らかなものに変わっていくことがあるのです。


気分転換の想像

何かや人に、非常に腹が立ってしまうことは人間なら誰でもあるでしょう。そんな時は、今までの人生の中で大切だとあなたが感じてきたことや、愛する対象(パートナー、子供、動物、自然、物・・・なんでも)を思い描くと、今の腹立ちは取るに足らないことであるように感じてきます。激情の波から脱出しましょう。


あなたの選択

自分の置かれている状況を冷静になって見てみますと、結構自分で選択できることは多いものです。たとえば、あなたはいつもと違う通勤経路をとることもできますし、忙しくても深呼吸する時間をとることくらいは選択できるでしょう。このように、人間は意外と自由な存在であり、日常でも実は常に自分で選択し続けていった結果が、「現実」となっていることに気づいていきます。問題は、この選択が、ただ習慣と惰性で、無意識がごとく「選択させられている実状」になっていることにあるのです。


私はそれを見ることができます

見えないものを理解してもらう機会は、別に特殊ことをしていなくてもよく訪れるものです。例えば、気持ちとか人の心とか、頭の中で考えたものとか...をわかってもらい時など。こうしたことを説明するのには、目に見える「形」にすることが大切です。だから、絵や図、そしてモノや道具などに当てはめてみることが行われているわけですね。実は言葉も目には見えないものです。言葉だけでなく、意図的に目に見えるものを利用してみましょう。


どちらもどっち

ふたつのものにはさまれて悩んだり、どらちを取るべきかと迷っている時、実はそのどらちでもOKな時もありますし、どちらを選択しても問題だということもあります。しばらく放置しておくと、案外と第3の道のようなものが浮かんできたり、また思いきって両者の選択ともバッサリ選択肢から落として、「無」の状態にしてみると、意外な解決方法が出現したりするものです。


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