学びへの姿勢
こういう仕事をしていると、やはりスキルアップには関心が行くものです。しかし最近よく感じるのですが、あまりにスキルや知識の向上にこだわり過ぎて、バランスを崩してしまっている人も多いのではないでしょうか。
特に精神世界の方面に興味のある方にその傾向は見受けられる気がします。それでもまだ、「スキルを磨くこと」「その質を上げること」について、はっきりと目的意識がある方はよいのですが、ただ単に何をしたいのかよくわからないまま、いわゆる「自分探し」の過程として、とにかく興味のあるものは学んでおこう・・・という感じでいろいろ手をつけてしまいますと、まさに袋小路に陥ってしまう危険性さえあると予想されます。
最初は「今学んでいることを仕事にできれば!」と意欲をもって講座などを受講していくのでしょうが、たいていのスキルには、「段階制」を設定しているところが多く、その最終過程まで到達しようと思えば、時間とお金、そして労力の多大なる投資が必要となってきます。いや、それでも完全にスキルをマスターしてしまえば、仕事として可能となり、投資分はそれできっと回収ができると考えて、前向きに学んでいる方も多いでしょう。そのように、「強い意志」と「何物にもゆるがない決意」をもって、きちんとしたビジョンを描いている方は、たぶん思ったとおりに実現できると思います。しかしながら、中途半端に「何となくこれが向いていそうだから、これが私の仕事になればいいな♪。。。」というような、きわめてあいまいな気持ちのままでは、やがて他人の評価やそれで活躍している人との差に目がいくようになり、「自分はやっぱりこれには向いていないのだ」と、傷つく前に自ら自分の価値を下げて、ほかのまた向いてそうに思えるものに転換し、いつのまにか“学びの果てしなき旅”にさすらうこととなってしまうのです。気がつけば、多くのお金と時間を浪費し、たくさん知っているけれど、何一つ「自信をもって」または「生き生きとして」できるものが自分にないことに気がつかされることになります。最悪、学んできたよいことも放棄したり、そのスキルやセミナー自体にけちをつけたり、「現実は甘くないのだ」とか、「人生はこんなもの」「しょせんは私は何をやってもだめ」とか、せっかく自分を拡大するためにしてきたことが、逆に縮小させてしまいかねない結果となります。また、そもそも「完璧」にこだわり過ぎると、いつまで経っても学んだことを活かして仕事をするということができなくなります。なぜなら、自分も人も世の中も常に変転しているからです。つまり、「完全」は追えば追うほど遠のいてゆくのです。だから、ある程度のところで割り切る寛容さ、決断力、勇気も、学びと実践の関係では大切となってくると言えます。
さて、やはり私が思うのは、学ぶことにはある程度目的意識が必要だということです。ひとつふたつの入り口くらいなら、特に趣味にできれば程度の考え方でよいとは思うのですが、複数のスキルの学習が続いている方は、そのスキルを学ぶことは、自分にとって何なのか、どう活かすのか、また何の目的で学ぶのかといったことを明確にすべきだと思います。漠然とただ、「これを勉強すれば自分自身が何か成長したような気分になる」だけでは、ある意味非常に危険です。いわば、タコ足のような多種多様な技術を学びつつも、結局どの足も獲物をとられえることがてぎず、自らの足がからまって身動きがとれないタコ(笑)のようなものです(たくさんの足があること自体を目的とするならば、それはまた別の魅力となります)。もちろん「8」本の足を自在に動かすレベルにあれば問題はないのですが、なかなか多くの人はそのように器用にはいかないものです。まずはタコの「本体」となるものを磨いてください。その本体がわからないから、いろいろと学んでいるのだ、ということでしょうが、それでも、「バランス」は重視すべきです。やみくもに学習するのではなく、自分にある余裕や資源の様々なタイミングを見計って、まずは何をしたいのか、どのようになりたいのかを方向性だけでもしっかりとした上で、世の中に各種開催されているセミナーや講座なりを申し込んでみてください。羅針盤のない船は、いつか難破してしまいます。ですから、どうしても何をしていいのかわからない人は、「自分の本質を知る」技術や、「自分の求めているものがわかる方法」を教えているセミナーなどから選べばいいでしょう。対人援助技術などのスキルは、当然のことながら、目的が「それをしたい」とわかってからのことになります。順序もとても大切なのです。さらにいえば、広く浅くより、ひとつのことを自信が持てるまで深く極める方が、実は応用が効くのです。
人生は長いようで短いです。メリハリをつけ有効に、集中と弛緩を「バランス」よく取りながら、学びをしてみてください。
学びの姿勢とはなんでしょうか?
その参考に三人の方の心得を述べたいと思います。
①僕がお世話になっている阪本氏
学びとはインプットであり、インプットは
アウトプットを起点にしなければならない。
アウトプット無き、インプットはただの知識バカになる。
②僕がレイキを学んだセミナーの学院長・高木 明氏
セミナーに参加する心構えには「買い物」と「学ぶ」の
2つのパターンがある。
「買い物」:そのセミナーの費用に見合ったものを、
持って帰ろうという姿勢で、技法などの
セミナーの一部だけを持って帰る事。
「学ぶ」:セミナーの費用を払っていることを忘れ、
求めようとする姿で、セミナーの全てを持って帰る事。
「買い物」のつもりで参加すると「師」は持てず、
「学ぶ」つもりで参加すると「師」が持てる。
また、資格を得たからと言って、そこで勉強が終わるわけではない。
そこから、その資格の段階の本当の勉強が始まるのだ。
本当の勉強を始める事で深めていく。
本来“資格”とは、その意味がある。
③『論語』にみる学びの見解
子(し)いわく、学びて、時にこれを習う、またよろこばしからずや。
ともあり遠方より来たる、またたのしからずや。
人知らずしてうらみず、また君子ならずや。
※学び、実践を通して、本当の意味で学ぶ。これは喜ばしい事だ。
次第に同士が集まってくる。これまた楽しい事だ。
人に認められようが、認められまいが、関係なく学びを続ける。
これは立派な事だ。
三者三様の見解がありますが、どれも深く
我が身の学びの姿勢を内省する参考とさせて頂いております。
とまぁ、人様の見解ばかり書くのも何ですので、
タロットの視点から僕の意見を述べたいと思います。
タロットの中で学びを象徴するのは「愚者」のカードでありましょう。
愚者は現時点では何者でもありませんが、自らの理想・目的を実現するために
邁進しているカードです。つまり、学びの前提にはすでに理想・目的が
存在している事を象徴しているのです。そして、その姿勢は純粋かつ愚直。
そこには打算無き真剣な、己を賭けるに値する熱意を感じずにはいられません。
このカードが逆立の状態であったらどうでしょう。現実に足がつかず、
ふらふらしている。また動機も不純である。そんな印象を受けます。
タロットをお持ちの方は時折、愚者のカードを一枚だけシャッフルして
正逆を見てみるのも良いと思います。
試しにやってみました…。結果は正立。ホッとしました(笑)
K様、まるでひとつのエッセイのようなすごい量の
コメント、ありがとうございます。(思うに、
これだけの端麗な文章をお書きになられるのですから、
K様ご自身もブログなど始められてはいかがかと
思います)
さてさてK様の「先生」に当たられる方のお言葉は、
どれも大変示唆に富むものはがりで、さすがに「師」
と呼ばれる人たちのお言葉であると感じ入りました。
またK様が示されたタロットでの「学び」への理解の
表現も、なかなか見事に語られていると思います。
これがなかなか「愚者」になれないんですよね。
「愚者」の一枚引きというのはチェック的なもの
としても、大変面白い試みですね。
私も折に触れて是非やってみたいと思います。
いえいえ、僕などとても書くにはまだまだですよ。
一応、ブログを書いてみた方が良いのか、一枚引きで
聞いてみました。出たのは、悪魔の正立。
やれって事でしょうね。単にやるだけでなく、
何かもっと深いところでの試練のようなものを
強く感じました。
K様、「悪魔」の正立ですか。
それはもう是非やらねば。Kさんが悪魔となって
皆様をブログで引きつけてください。(笑)
宮岡様
こちらのブログは、まさに今の私に発信している
言語のように思います!!
あぁ~意識や思考は、いつでも・どこでも繋がって
いるんですね(>_<)
バランスって本当に大切ですよね!
私のソウルカードは『7』の戦車だですが
他のエンジェルカードだと
『7』自立
自分の足でしかっりと
バランスよく立っている姿は美しい…
素敵なメッセージをいただきました♪♪♪
ありがとうございます。
さすが宮岡さん(*^_^*)♪
moriki様
別の記事へも連続コメントありがとうございます。
人が書く文章はもちろんその人が伝えたい、発したいという内容と気持ちがあるとは思いますが、読む方ではまたそれぞれ読み手側の事情、状況などによって書かれた文章解釈は変化していくものだと思います。それでも何か読み手と書き手との間で「ある共通の事柄が響きあう」ことが存在し、それがひとつのシンクロニシティであるとも言え、morikiさんの感じられた
> 意識や思考は、いつでも・どこでも繋がっている
という感覚に至るのだと思います。簡単にいえば、どんなものにも自分と神が表現されているということでしょうか。これは別に私の書いた文章がよいと言ってるのではもちろんなくて(笑)、ひとつの文章を読んで、「これは自分のことに向けられているように感じられた」というその「感覚」自体がとても大切だということが言いたいわけです。(^_^;)
ところで、
> 他のエンジェルカードだと『7』自立 自分の足で
> しかっりとバランスよく立っている姿は美しい…
ということですが、マルセイユ・カモワンタロットの「戦車」も二頭の馬をうまくコントロールしてしっかりと統御しています。だからこその「成功」で、真の自立の姿ともいえます。(マンダラ人間界最後)
ということは、そのエンジェルカードが語ることと同じことも「戦車」は含んでいるように感じますね。