モノにも心を込める
心を込めるということはよくいわれます。
タロットリーディングやタロットの講義においても、心が入るものとそうでないものとは明らかに雰囲気が違ってきます。
私がクライアントや受講生の皆様に対して、心を込めるというのは当たり前のことです。
ここで言っているのは、たとえば受講生それぞれの心の入り具合や、モノや道具など、人以外のものも含めての心の込め方ということです。
確か、ヒューレン博士のホ・オポノポノでも、あらゆるものをクリーニング(問題を消す、清める:ただし自分の中にすべての問題の記憶があるという考え方ですが)することを提唱されていました。
それとはまた少し意味は違いますが、自分の使うもの、関係するものに対して「心を込める」ということは、目には見えませんが何か特別な力があるように感じます。
私は当然ながら講義やリーディングの前にタロットに心を込めます。挨拶するという感じのほうが正しいでしょうか。
最初はそっけなかったものたちも、心を込めることで、あなたに生物的とも思えるような反応や響きが返ってきます。
気のせい? かもしれません。
それでもよいのです。なぜならば、心を込めるということはそれだけ意識がその対象に向かうことであり、少なくとも対象におけるあなたの注意力や観察力は通常よりも増します。
ですがそのような論理的な意味以上に、心を込めることには、目に見えない通路をつなげる作用があると想像できることが重要だと思います。
そうするとどういうことが起こるでしょうか。
人間が関心を向けられると逆にこちらからも気になってしまうように、対象からの情報や感覚があなたに入りやすくなってくるのです。
タロットの場合、ある特定のカードからメッセージのような反応もあったりします。
そんなわけで、人だけではなく、ものや事柄にも心を込めてみましょう。
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