笑いがあなたを救う。
私はその昔、とある過酷な旅にいました。
旅といってもツアーであり、本当はスケジュールも組まれている楽な旅行です。
ツアーですから、複数の人たちも参加していました。
何がつらかったのかと言っても、予想より旅が計画的なものでなかったことにあります。
こちらとしてもツアーだからと安心していた面もあったのですが、実際にこのツアーが、いろいろな意味で常識はずれなものだったことも確かでした。
とはいえ、今から思えば過酷だったことも結構楽しい思い出ではあります。
ところで人間、思ったこととは違ってくることが重なってきますと、イライラしたり不機嫌になったりしますよね。
そんな状態が、その旅の中頃から、参加メンバーの中に芽生え始めていました。
しかし、ここでつらさやイライラ感を、半ば自嘲気味に笑いに変えているグループもありました。
こんな感じです。
「ええか。これは普通の旅とちゃうんや、行き先がわからん旅や、そうそう、ミステリーツアーちゅうもんやで、これ」
「ミステリーツアーか、それは気がつかんかったなぁ、てっきり行き先がちゃんと決まっとると思とたわ」
「そやろ、オレもそう思とったんやけど、これに気付いてから、めちゃめちゃ毎日楽しなってん、次はどこ行くんやろ、明日は何が待ってるんやろと思うとワクワクして寝られへんわ。おかげで毎日寝不足や」
「いや、あんた、毎日、夜中抜け出して遊びに行っとるやん!」
「まあ、オレの夜自体がミステリーツアーやからな。昨日も気がついたら天国におってな」
「ほほう、女性でもおったんかい」
「ようわかるなぁ。。。もう周りは女性だらけで、ウハウハですわ。いやしかし、目的地が天国とは、こりゃまた粋なツアーやで、と自分で自分のミステリーさにびっくりしたわ」
「それ、天国ちゃうやろ」
「まあ、もええやん、それでさらにびっくりしたんはな、それからまたミステリーツアーになってしもうて、もう一度気がついたら、オレ、道路に寝そべっとったんやな」
「へ?」
「で、財布見たら、これまたすってんてんや。いつの間にやで。いやぁ、ほんまミステリーやわ」
「あんたとはやってられんわ」
とまあ、これはフィクションをかなり交えていますが、ま、こういう風にしてつらさも笑いにしていくと、乗り越えられるものなのですね。
関西弁にしているのは、やはり関西にはそうした文化があるからです。いわば、笑いによる自己防衛であり、物事を一瞬にして客観にしてしまう方法(問題を外側に取り出す方法)なのです。
このことは、タロットカードでは「愚者」と「吊るし」もしくは「悪魔」を並べるとわかるかもしれません。(「吊るし」や「悪魔」はマルセイユタロットの中でも、笑いの表情を持つカードであるからです)
またカモワン版マルセイユタロットを知っている人は、「隠者」にも笑いの要素があることがわかるでしょう。およそ、笑いとは無縁の知識の塊のような老賢人の姿を持つ隠者においても、笑いの力を知っているのです。
自分を笑えるようになった時、それはかなり問題から脱出しはじめていることを物語ります。
「何をそんなにあせったり、苦しんでいたりしたのだろう・・・」と自分の必死さに滑稽感を覚えるようになればしめたものです。
苦しいとき、ちょっとマゾ的ですが(笑)、「こんなにつらいっす、こんなに大変っす、こんなドツボっすわ、わたし」と自分を笑ってみることでかえって落ち着いたり、力が出てきたりするものです。
辛いです、しんどいです。
もうなにがなんだかわからなくて、おもわず笑ってしまいました。
なんだか少し楽になりました。
>たろさん
楽になられたのならよかったですね。
でも無理して笑うということを書いたんじゃないんです。精神的にあまりに辛いときは、とても笑うことは無理ですから、笑えなくてもいいんですよ。ただ今日一日乗り越えた自分を誇りに思ってください。