反応する人がいる(いてくれる)ということ。

先日、友人と久しぶりに釣りを楽しんできました。


趣味といえど孤独で一人楽しむよりも、仲間がいたほうが何倍も面白みが増します。


たとえば、釣りではそばに友人がいれば魚の取り込みに協力してくれるので、単純に魚をキャッチする確率も上がります。


しかし、なんと言っても魚が釣れた時の喜び、釣れない時の退屈な気持ち、釣り場までの期待感などを一緒に話すことのできる人間がいるという、それ自体がとても大きなことだといえます。


結局、何でもそうですが、人は自分の様々な感情を吐露したり、聞いてくれたり(受け止めてくれる)人間がいると安心できるものです。


時間や空間を他の人と共有してともに過ごす(話す)ことができる時、喜びの感情は増し、悲しみは次第に収まり、苦しみも減っていきます。


このことは、マルセイユタロットでいえば「太陽」のカードが表しています。


カードには二人の人物が太陽のもとで手を取り合っている姿が描かれています。二人はまるで励まし合っているかのようで、喜びや安堵感に満ちています。


これは反応(する人、される人)も示しているといえましょう。


いいことばかりではなく、ネガティブなことでも、人は他人の反応がないと表現しにくいものなのです。


人の悪口を言ったり、批判したり、いじめたりすることも相手あってのことです。相手がいなければ、ネガティブささえも表現することがかなわなくなります。


こう考えると、ネガティブな態度を人に取る場合、奥底には 人との関わりへの欲求が隠されているといってもよいかもしれません。


自分でも気がつかないうちに、「自分は一人きっりではない」ことを誰かに確認したくなってネガティブな表現方法を取っているのかもしれません。


結局、人はどこかで他の人や他のものとのつながり、一体感を求めている存在なのでしょう。


自分は愛されている、一人ではない、安心だと心で本当に感じることができれば、曲がった表現で他人と関わろうとはしなくなります。


ところで最初にお話した釣りの場合でも、よくあることですが、同行の人が自分よりも大物を釣ってしまったり、数を多く釣ったりすれば喜びもある反面、嫉妬のような気持ちも生じます。(私にもあります)


人と関わりを持つことはポジティブな部分だけではなく、このようなネガティブな面もあるのが普通です。


それでも様々な気持ちが人との関わりの反応によって自分に生まれることを思う時、実はそれはすごいことなのだと気がつくことがあります。


人がいないと、きっと何も感情が起きない平板な毎日を過ごすことになると想像されるからです。


ネガティブな感情は、できるだけないほうが幸せではあるでしょう。


しかし、豊かということは「たくさんあること」だとシンプルに考えれば、人との交流によって起こる様々な感情の多さも「豊かさ」であるといえるかもしれないのです。


そう思うと、人と関われることは有り難いことなのだと感じます。


とはいえポジティブな感情が上回れるのならそれに越したはありません。それにはやはり、自分自身が他人のポジティブな面をできるだけ見るようにしていくことでしょう。


いってみれば「太陽」のように輝きをもって人を照らすということでしょうか。だからこそ、「太陽」のカードはかくも明るいのです。


あなたに一緒に喜び、悲しんでくれる友人や知人が一人でもいるのならば、それはかけがえないことだと思って感謝しましょう。

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