自分の価値判断で相談はしない。
少し前のことになりますが、何気にある文章を読んでいますと、ニートや働けない人のことを批判している内容に出くわしました。どうやら文章を書いた人が人様の相談の仕事をしている人らしいので、少し気になりました。
いわく、「仕事がないなら自分で作れ」「家から出たくないのなら、家でできる仕事をしろ」というようなものだったと記憶しています。
これはまあ、その通りといえばその通りなのですが、困っている当事者にとってはつらい発言になると思います。
「仕事がないなら自分で作れ」ということもわかるのですが、そもそも仕事の経験自体が少ないのに、仕事を作る方法なんてわからないでしょうし、何よりも「自分で仕事を作る」というモチベーションや気力が起こらないことに問題があるわけです。
誰しも「今のままではまずいな・・・」とは自分で思っていることなのですが、改善できない心や状況に問題があるので、ますますジレンマに陥り、苦しみつつもなすがままにしているわけなのですね。
何事も段階がありますし、自分の尺度や考え方で計っていたら、相談される立場にはなれません。まずは相手の弱っている面を考えないといけないでしょう。
「やれ!」といわれてもできないことを理解し、そのできない心はなぜなのか、そして少しずつできるようにする方向に導けないだろうかともっていくことが大切だと思います。
例えば健全な人でも、病気やおなかが減っている時に「そこの重い荷物、全部運んでおいて!」ときつく言われたら誰でもへこみます。
「この荷物を運んでもらいたいのだけれど、運べますか?大丈夫ですか?」とまずは相手を気遣って確認してあげることです。
そして、「ああ、お腹が減っていらっしゃるのですか。では食事してからでいいですよ、そうしないと運べませんよね」と運べない原因や理由を明らかにし、それを考慮します。
次に、「一気に処理する荷物の量が多いのならば、小分けにしたら運べる気持ちになるかもしれない」と、相手の問題状況の中でもできることを考えてみるということです。
それは、本人のとれる行動(方法)も一緒に検討するという意味でもあります。
そうしてやっと困っている人は重い腰をあげられるようになるのだと思います。
もちろんいきなり葉っぱかけたほうがいい人だっています。それはケースバイケースです。
ですが冒頭に紹介したようなニートの人に対しての言葉は、極端にいえばマリーアントワネットが飢えた民衆のことを聞いて、「パンがなければお菓子を食べればいいのに・・・」と言ったようなものです。(もっともこの言葉はでっちあげという説もありますが。。。)
まあでも、私の見た文章も、「動けるのに動けない本当に怠惰な人」に対して言っていたのかもしれず、まったく的はずれだったら申し訳ないことではあります。
ともかく、どんな状態にしろ、自分の価値観で判断するのは危険で、相手の立場を思うことが相談の基本だということが言いたかったわけです。
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