経験してみないとわからない

「しょせんは経験してみないと、本当のところはよくわからない」とよく言われます。


私もまったくその通りだと思います。


頭の中で想像しているだけでは、仕事も恋愛も旅も食事も何もかも、ただのイメージに過ぎません。


それで「やった」気分、「なった」気持ちで語られても、実と心が伴っていないことになるのは明白です。


けれども、たとえば皆さん、眠ればを見られることでしょう。


夢を見ているときはたいてい「これは夢」だと意識せず(している場合は「明晰夢」として興味深いこととなりますが)、まるで本当に体験しているかのような気になっています。


目が覚めてはじめて、「ああ、あれは夢だったのか、よかった。。。」「残念! あれは夢だったのね」という具合になります。


つまり、それだけリアルに感じているということです。


バーチャリアリティも行き着くところまで行けば、どこまで現実かわからなくなってくるわけですね。


映画「マトリックス」でも、人々が本当だと思っている世界は、実は夢のようなものでした。けれども、その仮想世界で死ぬと、夢を見ている本体も死ぬことになっていました。これなど、仮想と現実が一体化しているようなものです。


このような設定は映画に限らず、漫画・アニメなどではかなりポピュラーなものといえるでしょう。


さて、最初の話に戻りますと、私たちはこの実社会で自分が自ら経験しないと本当の感覚はわからないと言いましたが、もしイメージや空想の世界でも、それが現実と区別をつかないようなリアリティをもった仕掛けや、体感覚(物理感覚)がともなえば、そこでの経験も現実とほとんど変わらなくなるということになってきます。


ということは、非常に濃密なイメージが抱けるようになれば、それは経験値を増すことに等しいということでもあります。


また引き寄せの法則や思考の現実化とは違った意味で、仮想経験のリアリティ感によって現実での再体験も容易になると考えられます(実に等しい経験は身になっている)ので、思いが現実化することも早くなったり、高くなったりするのだと推測できます。


イメージを鍛えるということはこのように特別な意味を持つのです。


そのツールとして絵柄のあるタロットは有用といえるかもしれません。


そして「経験してみないとわからない」という言葉は、二重の意味で真実味を帯びてくるのです。

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