痛みがあるからこそ、助かっている。
昨日、歯の治療をした時に麻酔をしました。
家に帰り、ご飯を食べようとするのですが、麻酔のため口内の一部に感覚がなく、少し噛んでしまいました。
そして、「なんか、血の味がするな・・・」と思ったら、なんと傷口からかなり血が出ていました。
それなのに全く気が付きませんでした。(食べるのは麻酔が覚めてからにしましょうね(^_^;))
そう、痛みがないから傷ついてもわからなかったのです。
この時私は、「痛みがある感覚というのはなんてありがたいことなんだ」と思いました。
痛みがあるからこそ、危険を知らせてくれるわけです。
このことは何も物理的(肉体的)なことに限りません。心・精神にも言えることです。
すなわち、心にも痛みが走るということは、何らかの危険や注意を示していると考えられるのです。
これは人に与えられた防衛システムであり、ありがたく感謝せねばなりません。
体の痛みにはある程度、目に見える部分があって、たとえその時点で見えなくても検査をすればわかります。
けれども心の痛みは見えないですし、心理テストなどしてもわかりづらい面はあります。
だから放置されたり、一時的なものとして、対処することを怠ったりしがちです。
しかしやはり痛みがあるのですから、きちんとその痛みに向き合い、なぜ痛んでいるのか、痛みを覚えたのか追求していく必要はあるでしょう。そして何か原因があるのなら治療や対応をしなくてはなりません。
しかも、肉体の痛みと同じように、いつも同じ状況、場面で痛みが起こるのならば、それはやはり要検査なのです。
ここで、よくありがちな、「痛みに耐えて強くなる」という考え方がありますが、やみくもに耐えてばかりでは、肉体の痛みを例に出さずとも、それが時に問題になることはわかると思います。
大切なのは痛みと向き合うということです。その上で耐えることもありますし、心理的な治療や浄化が必要なこともあります。
痛みには耐性と慣れが出ますから、痛みの原因がわかっているのなら耐えることで、痛みにはどんどん強くなって行きます。
ここに辛い経験も糧になることがわかります。
一番いけないのは、ただ痛みから逃げ回ったり、わけもわからずマゾヒスチックに我慢したりすることでしょう。
ちなみにタロットは心の状態を映し出すものとしても有効な道具ですので、痛みを分析するのに使えることもあります。
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