あの人のいうことが納得できない時

あなたが学んでいる人や、参考にしている人、上司・先輩・友人含めていろいろな方がいらっしゃるでしょう。


時には本やインターネットなどの提供されている情報から、ある人の思想を学んだり、影響を受けさせてもらっていることもあります。


しかし、悲しいかな、私たち人間は感情によって様々なことを見てしまう傾向があります。


感情が入ると、学びや助言・アドバイス的なことも、かなりの屈折を伴うようになります。いわば感情の色メガネや感情のフィルターを通して見るようなものです。


そうすると、いくら言っていることや書いていることが正論であっても、感情によってゆがめられているため、たとえばその人のことが嫌いであれば、どんなことを言われても、あなたは受け付けようとしなくなるでしょう。


ところでタロットに流れているもので、四大元素の考え方があります。特徴的には小アルカナの四つの組(スート)にそれが表されています。


すなわち、風・水・火・地と呼ばれるエレメントのことであり、タロットでは剣(ソード)・杯(カップ)・杖(ワンド)・玉(コイン)の象徴で示されています。


このうち、判断や知識的なものは、風(剣)がたとえられ、感情的なものは「水(杯)」で示されます。


人の言うことを感情で聞くということは、風(剣)を水(杯)で受け止めるということになるのです。


剣を水で満たされた杯に入れるとどうなるでしょうか?


水は剣で切ることはできませんし、そのままずっと水に浸していればさび付いて、刃がボロボロになるかもしれません。


剣の鋭さも水の中ではあいまいになってしまい、効果も消えてしまうことになります。(大きな意味で言えば、水は逆に剣を受け止める愛(杯・鞘)にもなる可能性は含まれてはいるのですが、今回はこのことはふれません)


何が言いたいのかといえば、論の内容と自分の感情は切り離して考えてみる必要があるということです。もっといえば、話をしている人への思いとその内容は区別したほうがよいということになります。


目下の者や自分が敬意を表していない人物に忠告されると、「あんたに言われたくないよ」と思いがちです。私もあります。(笑)


でも、もしその言っている人と切り離して、語られている内容自体を取り出してみると、意外に当たっているというか、自分には必要なことだったということに気がつくのです。


その証拠に、もしあなたが尊敬していると思っている人に同じことを言われると、おそらく素直に受け入れられるはずです。


剣は杯と切り離すことで、鋭い刃先を効果的に使うことができるのです。特に決断事項のある人、自分を革新したいと思っている人には、誰に言われようが、その人ではなく、言っている内容自体を見るべきでしょう。


とはいえ、こういうこともあります。


「言っていることとやっていることが違う」ということが何度も続いている人を見る場合です。


これは確かに前述の「内容と人とは切り離して考えることも大切」なのですが、だからこそ、そのふたつを区別していった時、最終的にはその人(言っている人)自体の評価にもつながるのです。


「言っていることはすばらしい」「確かにその通りであり、そのことは自分に有意義で活用させてもらおう」となりますが、次にその言っている人の行動がその通りでないことを何度も目にしていれば、やはりそれは「言っていることを真にその人が理解できていない」か、やはり「口先だけのことである」証明にほかなりません。


切り離すからこそ、具体的に感情にとらわれず判断が可能になってくるのです。


このことは私たちにまた別のことを示唆します。


それは「発言することには気をつけなればならない」ということです。自分の言葉に責任を持つということでしょうか。特に人に助言したり、アドバイスしたり、何かを教えたりする人にはこのことは重要です。


言うからには自分もその通りの行動や態度、結果が示されないと説得力や人間の信頼を失うのです。

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