「節制」の象徴する社会へ

マルセイユタロットには、数の連鎖と言いますか、サイクルのようなものがあります。

すでにかなりの人に知られているのは、7のサイクルや10のサイクルです。

諸説・いろいろな見方はあると思いますが、大アルカナは3と7が基本で、小アルカナは4と10のシステムにあると私は見ています。

この、特に大アルカナのシステムで、7というのを基本にしますと、7のひとまりがひとつの完成形ととらえることができます。

7と言えば、身近なところでは、一週間とか、そのもとになっている七惑星とか、霊的なところでは、チャクラの数にもなっています。

ラッキーセブンという名前で、幸運の数にもなっていますよね。

このことから、7がいかに重要な数であるかがわかります。

さて、大アルカナを見た場合、数を持たない「愚者」は別として、最初の数「1」を持つカードは「手品師」(通常タロット名称では「魔術師」)です。

そして7を持つ数は「戦車」です。この「戦車」からさらに7つ進めば(進むは六つですが)、「節制」というカードになります。

マルセイユタロットの「手品師」は、その名の通り、手品を見せて商売していると言える大道芸人です。ここから「仕事」を意味するカードでもあります。

私たちの今の時代、雇用されて働く人が多いですが、独立して起業する人、ビジネスを起こし、会社や営利団体を経営していく人もいます。そういう人にまた雇用されていく人も出ます。

マルセイユタロットで言えば、経営者は「皇帝」段階かもしれませんし、いわゆる成功を収めていくと、まさに「戦車」となったと例えることもできるでしょう。

こうしてみると、「手品師」から「戦車」にかけては、現代的な(過去から続くとも言える)仕事やビジネスの段階と見ることもできます。

しかし、さきほど、さらなる7段階に進むと、「節制」が出てくる話をしました。

今の資本主義経済・金融システムに慣らされた私たちには、あまり想像できないかもしれませんが、「節制」的な仕事・働き方・雇用・ビジネス・社会の表現があるのかもしれません。

「節制」は、天使がふたつの壺の水を混ぜ合わせている姿が描かれています。

そこで、助け合いとか、シェアとかの意味合いが出ます。そもそも天使なので、救済・治療・援助・融資的な意味合いがあります。

今、あえて言いませんが、日本はもとより世界的に、あることで、大きな不安や障害、衝撃が来ています。

皆さんの間では、自分の仕事はどうなるのか、経済はどうなるのか、行先にとても不安や心配を感じていらっしゃる方が多いと思います。

さきほど述べました、マルセイユタロットの示唆からしますと、もしかすると、「手品師」から「戦車」という従来型の仕事やビジネス・経済の形を、私たちは卒業する段階が来ているのかもしれません。

そして、これからは、「節制」的業務形態と言いますか、社会になるように促されている気がします。

これはあくまで仮想ですが、「節制」的なことで見ますと、「節制」の天使が壺の水を混ぜ合わせているように、資本主義的なことと社会主義的なことが混淆し、半分全体や社会で支え、半分自由主義みたいなことができてくるのではないかと思います。

例えば、ベーシックインカム的なことで、まず生存不安を払拭し、物質と精神の基本的安心を獲得したうえで、自由に仕事を選んだり、起業・経営したりできるようにします。

すると、ベーシックに収入はあるのですから、経営側の支払うお金も、雇用側のもらうお金も、それほど多くなくてもOKとなります。その分雇用時間も少なくて済み、企業間の競争は減り、職業選択の自由、掛け持ちとかもでき、肉体的・精神的負担も少なくできるでしょう。

ひとつの会社とか組織、個人が利益・儲けを独占していくような形ではなく、ひとつのひとつの規模はスモールにはなりますが、全体としては皆で支え合う形になってきます。

できれは、土地の売買も禁止し、土地がお金を生むようにならず、共有財産としたほうがよいと思います。

そうなると住居も完全に個の邸宅として自由にするのではなく、移動・引っ越しはOKですが、マンションや団地的なものを基本としたほうが、災害などで破壊されても、すぐ入居できるので生活は困らないと思いますし、家に対する個人の負担が巨大になったり、災害による何重もの負債になったりすることから逃れることができます。

ただ、それでは無個性な家ばかりになるので、余暇やレクリエーション、癒しや元気のために、独自のセカンドハウスとか、宿泊施設としての旅館・ホテルとか、こうしたものは比較的自由に建築できるとするとします。

普段はマンション的な家住まいながらも(家族数によって部屋の割り当て・大きさは決まっているものとします)、休みや余暇では(これも皆が土日とか決まった曜日に集中しないような働き方になっているのて、フレキシブルです)、共有的なセカンドハウス、宿泊先の旅館・ホテルなどの個性的な売りのところで、おのおの過ごすというものならば、無個性な家ばかりとはならないでしょう。

今述べたような社会は、あくまで夢想の範囲かもしれませんが、助け合い、シェアしていく、節制を基本とした社会、働き方に向けて、これからの時代、変化していく道があるのではないかと思っているところです。

社会主義が失敗したところには、結局、自由を制限する権利者(一党独裁など)の支配になるところと、同じ時間働いても同じ給料になるということから来るサボタージュ、社会や人の意識の硬直化が問題と言えました。

これはつまるところ、人の意識の低さにあります。自分さえよければよいという意識が、支配やサボり、独占、硬直を生むのです。

ですから、仮ではあっても自由を実現していくには、過酷とも言える自由資本主義経済、金融システムでなければならない時代が長く続いてきたわけで、それは私たち一人一人の意識がまだ新しい社会になるためまで成長していないということもあったかと思うのです。

今の世界的問題をきっかけに、一人一人の意識が高められ、成長が促され、もはや「戦車」を超えて、「節制」に行かねばならない時代になってきていることを、多くの人が認識すれば、社会・世界はよい意味で大きく変わると思います。

多くの人がもっと安心で、幸せになれる社会になっていけるはずなのです。

実現不可能と思うのではなく、少しでも実現可能だとイメージや方法論で現実に落とし込んでいくこと、つまりはリアリティを理想に多くの人が近づけることで、本当になっていくのです。

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