逃げるという選択・戦法

何か問題が起こった時に人が取る態度に、戦うか・逃げるかでの見方があります。

状況に応じて、戦ったほうがいい場合もあれば、逃げたほうがいい場合もあります。

原始人的な時代を想定すると、自分より力の強い動物が現れた場合、逃げたほうが生存確率が高まりますが、勝てると見込めるものには、狩りをしたほうが獲物としてゲットできる可能性が高まって、生きる糧を得ることになりますから、これまた生存確率が上がるわけです。

つまり、逃げるか戦うかでは、人間の生存確率に由来する(判断の根源)部分があったのだと推測できます。

これを現代人にそのままあてはめるわけにはいきません。

けれども、現代人は逃げるにしろ戦うにしろ、方法がたくさん昔よりありますので、かえって情報が錯綜し、混乱して、結局、どちらにも行けず、固まったまま問題そのものにやられてしまうケースもあるように思います。

ですから、複雑に対処方法を考えるより、本来の判断基準を考慮し、生存する可能性の高い方(今風に言えば長生きできる方と見ていいでしょう、これは自分自身が長生きしたいからという意味ではなく、その選択が一般的に見ても長く生きられるのではないかという見方をするということ)を選ぶ視点で、戦うか逃げるかのどちらかを選んで行動したほうが、シンプルに考えられることもあるということです。

そして、どちらかと言えば、現代は戦うより逃げたほうがましな場合が多いのではないかとも思います。

それは、昔より、逃げる戦術・場所・方法が増えたからです。また一時的に逃げることで、反撃の機会・力を蓄えることができ、最終的には戦うことになっても、勝てる算段が増えます。

それから今は、一人だけではなく、チーム、すなわち他人や組織の力を借りることがやりやすい状況ですので、ここの意味でも逃げのほうが有利だと考えられます。

他人や組織の力というのは、具体的には誰かに相談したり、同じような問題を抱えている(いた)グループの協力とか示唆であったり、公的・私的な援助や支援、制度であったりと言い換えることもできるでしょう。

ネット社会ですので、簡単にそういうものを見つけることもできます。

よく、成長のためには立ち向かうこと、つまりは戦うことをよしとする言い方をされることがあります。換言すれば、「問題から逃げるな」というものです。

しかし、このことは一見正しいように思いますが、多くの人が誤解している部分もあるように見えます。

それは問題そのものから逃げては確かに成長は難しいかもしれませんが、問題への対処として、逃げてはいけないと言っているわけではないということです。

結果的に問題に取り組めばいいわけで、その取り組み方、向き合い方、順序にはいろいろなものがあると考えることです。それに、一人一人個性があるのですから、もともと積極的・行動的な人もいれば、消極的・慎重派な人もいます。

チームともなれば、前線に立って戦う戦士タイプの人と、後ろで戦術を練り指揮を執る人、物資を補給する人、傷ついた人を治療する人など役割もそれぞれで、戦いに勝つにはそうした総合力が試され、適材適所であればあるほど、有利に戦いも進められるでしょう。

従って、自分が問題に対してどのように対処するのかにも、やりは個性があり、チームとかグループとかになってきますと、一人一人役割も変わって来るということです。

ということで、その中で、「逃げる」という選択肢を、もっと肯定し、言い方は変ですが、逃げる積極性を持つといいのではないかという提案です。

ただ、勝つ(安心の)ための逃げですから、目的を見失ったただの逃げは、ずっと逃げ続けなくてはならず、それは体力的にも精神的にも消耗し、つまるところ、追いつめられることになります。

マルセイユタロットでは、「吊るし」が逃げの中でも、待機とか再起を図る、いい意味での逃避を象徴しています。「愚者」も、物理的な意味(距離)を含めての逃げを意味することがあります。

この二枚は他のカードに比べて、絵柄や描かれる人物像の立ち位置・服装などが変わっています。それだけ、通常とは異なる考え・行動ではあるのです。

しかし、それがとても大切なのです。人からどう見られようと、逃げて反撃の機会を待つのです。

精神的にも逃避は悪いことではありません。その逃避があるからこそ、エネルギーは回復したり、バランスが保てたりして、あなた自身が完全に崩れてしまう(負ける)ことを防いでくれるのです。

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