「じしん」と神の家

日本語は面白いもので、「自身」と「自信」は同じ音になりますよね。

さらには、「地震」もそうですね。なんだか、自分に揺らぐ感じがあるのは、自らが信じられない、すなわち自信がないという、うまい具合に言葉のだじゃれ感も出てきます。

ほかにも「磁針」とか「時針」など変換で出てきますが、これなども、中心に磁力のような何かひきつけるもの、安定するものがないと自信につながらない気もしますし、時の針の示され方で、いちいち(その時々で)フラフラしていては、これまた自分の安定感がなくなる感じもしますので、一層、言葉遊び感が増します。(笑)

じしん」という言葉で遊んでみましたが、「じしん」と言いますと、マルセイユタロットのイメージとして、「神の家」が浮かんできます。

マルセイユタロットの「神の家」は、実は解釈が難しいカードのひとつと言えます。

一見、絵柄的には建物が崩れているかのようで、どこも崩れておらず、それどころか頑強な塔がきちんと建っているイメージが、よく見るとうかがえます。

私たち、マルセイユタロットを使う者は、このカードを崩壊とは取らず、むしろその逆で、完成に近い構築、積み上げという意味をメインで取ります。

「神の家」というからには、神と関係するのですが、人が建物を建てて、そこに神様に住んでもらうというような概念ではなく、自らが神となり、そして家(この家も普通言われる意味での家ではありませんが)となるという、自分の神性なるものへの変容、簡単にいえば神化(これも言葉遊びですが、進化がすなわち神化するようなもの)の状態を示していると考えられます。

もっと現実的でシンプルに言えば、さきほどから述べている「自信」の確信という意味にとってみてもよいと思います。

ただ、一口に「自信」と言っても、実は「自信」にも種類と性質があり、この神の家で構築する自信は、単なる一般的に言われる(獲得する)自信とは性質が異なるでしょう。

人が何かを得たり、他人と比べたりして持つ自信とは違い、もともとある自信というもので、それは自らの中に神性(完全性)、あるいは大いなる平和、天国があるという観念のようなものだと私は考えています。

それは誰しもが最初から持っているものなのですが、現実世界に生き、肉体と精神が癒着しつつ、一方では分離した状態にある時、本質の神性的なものは忘却され、体や心、周囲の環境、状況による反応によって、恐れ、不安、苦しみ、あるい反対の喜び、幸福感、高揚感のようなものも人は自分に巡らせることになります。

マルセイユタロットにある「運命の輪」の輪にいるに二匹の動物状態とも言えます。

しかし、そういうものとは別の、何ものにも動じず、汚れず、染まらず、輝きを放ち続けている天上的ともいえる「」が人にはあり、それが神性を持っているといってもよいでしょう。

ライトスピリチュアル的には、それとつながる平穏状態と表現できるかもしれませんが、結局、そのようなコアなものに自分の中心がシフトする時、まさに自分が神となって、当然のような自信が出るということだと思います。

「自身」が「自神」となって、本当の「自信」を思い出すといようなニュアンスです。ここでも言葉遊びが有効ですね。

そして、もともとは「神」のような魂を持つ我々人ではあっても、現実世界で生きていくことにより、忘却の幻想世界に閉じ込められ、(あるいはゲームし)、現実での様々な体験・経験・気づきを積み重ねていくことで、まるで、ひとつひとつ石やレンガを積み上げていくかのようにして、自身の神を見出していく(思い出していく)ことになるのです。

学びながら思い出していくようなイメージでしょうか。

または、マルセイユタロットの「手品師」のように、タネ(仕掛け)ある手品であっても、それを味わい、楽しみ、苦しむ世界を経験しながら、本質(偽物から脱却する世界)に目覚めていくという二重ゲームのようなものとも言い換えられます。

その経験、すなわち石積みの過程が、「神の家」の建物(塔)に描かれています。

そうなると、結果というより、積み上げていく作業そのものが重要であり、プロセスと結果の両方が神性開花には必要であることがわかります。

現実の実際世界では、完璧になることなど、誰しもあり得ません。必ず、何か悩みや苦しみもありますし、何らかの喜びや楽しさもあるでしょう。

人生が思い通りに、うまく行っている人もいるかもしれませんが、大半の人はそうでもないはずです。

宇宙人的な比喩で言いますと、この地球に慣れ、うまく暮らしていくことは案外難しい(簡単な人もいるでしょうが)もので、どこかの星ではまあまあバランスが取れていた人でも、この地球・地上世界では、アンバランスになってしまうことも多々あります。

(住む世界のルールが違えば、あるところでは完璧でも、別の場所ではマイナスになる場合もあります)

よって、うまく行かないことで、自分を責めなくてもよいかもしれないのです。あなたの能力やバランス性が、この地球の地上性、現実世界では、歪となってしまうこともあるからです。

ですが、この星(地上)に来ている人は、神性を帯びていると、グノーシス思想では言います。

難しくても、「神の家」の構築、その本質を思い出すようにしていくと、安寧は少しずつやってくるように思いますし、ここ(地上、地球)に来た何らかの意味や(意味付けでもあります)、思いを持つこともできるでしょう。

ワンダーランドでありつつ、牢獄でもあるこの星の世界を、いかにあなたらしく生きるか、過ごすか、「神の家」に限らず、ほかのマルセイユタロットのカードたちが示しているように思います。

あなたはどのカードになることもできますし、どのカードの生き方を選ぶこともできるのです。

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