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意外に自然回復する。

タロットカードの「正義」を見て思います。


自己治癒能力という言葉があるように、人間には元に戻そうとする力が働きます。


バランスがどちらかに傾いている場合、少しくらいならそのままでいいのでしょうが、極端になってくると自動的に反動で逆側に傾くような気がします。


それが結構衝撃なので、「何か悪いことが起こったのか?」と動揺するわけです。大地のひずみを元に戻そうとする時に地震が起こるようなものです。(まあ、地震では表面的に大きな被害が出るのですが・・・)


これを生活にあてはめてみると、バランス修復機能が働いたために「問題」として登場してくるといえます。今までのひずみが大きければ大きいほど、問題も大きく出ます。


慌てて人は問題に取り組まざるをえなくなり、結局ゆがみやひずみを正そうとする力の流れに自ら協力することになります。


ということは、大きな視点で見れば、問題も自己修復機能のひとつだといえるわけですね。ですから「自然」というものを信頼することも大切なのです。

ただほとんどはそうしてバランスが戻っていくのでしょうが、メーターがふりきれてしまうこともないとは言えません。


それまで少しずつ自己修復サインはあったのでしょうが、無視していた場合などです。


いくら自己回復とはいえ、すべてやっくれるわけではないのは傷や病気と同じです。


そういう意味では、すべては自然と自分との協同作業が調和の元なのかもしれませんね。


料理にもタロットが使える?

ちょっと重い話が続いたと思いますので、ここらで軽いネタでも。。。


私は料理が好きなので、家でも妻ではなく私が料理を担当しておりますが、やはりメニューにふと困る場合もあります。


そんな時タロットが使えるんですね。


どうやって?


実はタロットには鳥とか牛とか見ようによっては食材のような象徴が描かれています。それらのカードが出たら、その関係の料理を選択するというわけです。


なんや、無理矢理やん! って思うかもですが、考えてもみてください。


そんな無理矢理が通じるのが、タロットの絵柄のすごいところなんです。


さて、で、今日何しようかと悩んだらタロットを展開します。出たカードに象徴として鳥が並んだ時(これを象徴の連繋と言います)、「おおっ、そうか今日はチキン関係だな!」と思います。(笑)


これだけじゃありませんよ。


さらに料理の種類(調理法)や国籍(和風、イタリア風など)などもタロットから見ることができ、その組み合わせでレシピが浮かび上がるという仕組みです。


これにはもちろん普段から料理とタロットの象徴を結びつけておく必要はありますが、タロットと自分がなじんでくるとできるようになります。


こんな使い方もできるのですね。


ちなみにタロットの絵柄での「鳥」や「牛」は、本来はもっと別の深い意味があることは言っておきます。


では今日もタロットを展開してメニューをば・・・


お金のイメージ

タロットカードは大きくわけると「大アルカナ」と「小アルカナ」と呼ばれるカードに分類できます。


その小アルカナでも4つのエレメント(元素)にわけることができ、その中に一般的に「コイン」(エレメントでいうと「地・土」)と呼ばれる組があります。


まあ、カモワン版マルセイユタロットを使う方は私も含め、コインではなく「玉(たま)」と日本語で呼びますが。これは端的に言えばお金を意味します。


かつてタロットを習っていた時、先生がおっしゃいました。『「玉」をシール印刷して財布に貼れば金運があがるよ』と。それで私も実践したことがあります。


結局私の友人も含めてあまり効果はなかったみたいですが・・・それはお金の意識に問題があったからだとあとでわかりました。


ほとんどの日本人はお金に対するイメージを汚いものみたいな印象になるよう教育されています。これは一概に悪いことではないでしょう。


お金だけで動くような人物になるなという、心を重視した清い思想で、これがあるために日本はバブルという時期もありましたが、狂乱破壊せずに済んでいると思います。


ただ何事も行きすぎはいけません。


お金に対するイメージが悪いばかりに、お金へのネガティブな感情が芽生え、その思いがお金以外にも波及してしまうことがあります。同じ感情に似た要素を集めてしまうようなものです。


ですからお金へのイメージをノーマル化(悪い印象をぬぐっておくこと)しないまま、うかつにお金シールみたいなことをしても、逆効果になることもあります。


なぜならば潜在的なイメージが悪いままなので、お金を強く意識すればするほど、自動的にネガティブさを引き出しまうことになるからです。


結果的にお金が入るどころか、お金が逃げていく(汚いものならばあってほしくない意識になるのが当然です)ことにもなりかねません。


そうそう、先生を弁護するとしますと、先生は「お金のイメージを変えることが最初に必要」だと強調されていました。それができていてこそのシール効果だったわけです。(苦笑)


ちなみに、まだまだ私はお金のイメージを完全ノーマル化するには至っていないと思いますが、昔よりかはいけるかもしれません。


久しぶりにシールでも貼って見ましょうかねぇ...(笑)


仕事を辞めるかどうか。

相談で多いのは、二者択一の悩みです。


仕事を例に取りましょう。


人間関係や仕事内容のつらさで辞めたいけれども、辞めると次の職場が見つかるかどうか心配。見つからなかったら経済的にどうしよう、見つかってもまた難しい職場だったら・・・


このような悩みのパターンはとても多いといえます。


タロットをすると割とはっきりとすることが多いのですが、それでも両方どちら(辞める、辞めない)かすぐに判断がつかないこともあります。


こういう場合、得てしてどちらでもよいケースだといえます。


しかしながら、問題なのは本人の中である特定の考えが強固になっている場合です。


わかりやすく上の例でいいますと、「辞めると次の仕事を探すのは困難」「次もいい職場が待っているとは言えない」という自分自身の強い思いこみがあるということです。


つまり 不安>期待 という構図が、自分の考えによって成立している時に迷うということです。


そういっても、普通の人間ならば次の職のことについて不安に思うのは当たり前でしょう。ましてや今の世界的な状況と日本の状態では不安に思わないほうが不思議です。


ところが、人はよくも悪くも一番強く信じていることが実現します。


「次もダメだろう」「無謀に転職してえらいことになるのでは・・・」という不安が、「次はよくなるだろう」「何とかなるものさ」という期待感を大幅に上回っている状態では、自分の信じている不安の事柄を実現させてしまうことは可能性として大きいと言わざるを得ません。


従って、転職することに希望と期待感、よくなる確信感をもてない間は辞めることを控えたほうが安全です。


大切なのは自分の中にある思いこみや考えを、常識や世間とは切り離して見つめ、自分を中心にした思考に変えていくことです。


自分はどうしたいのか、自分はどうなりたいのか、これをはっきりさせ、そのためには今の仕事を辞めることが必要で重要ならば、すぐに決断できるはずなのです。


単なる逃避からの行動は、罪悪感と混乱が自分の中に残っていますので、同じこと(状況)を引き寄せる結果になりがちです。同じことを再現して解消したい心の働きが残っているからです。


それでもがんばってはみたものの、どうしてもつらく、このままでは心身が壊れるということならば、それは辞めたほうがよいです。


辞めるのならば、辞めてから心身が回復すること、整った心になることをイメージし、罪悪感を持たず、次なる自分の安定に心も行動も集中していくことです。


追いつめられ、やぶれかぶれで行動した人が成功を収めたりするのは、退路がないことを知り、陰極まって陽になるがごとく、前進あるのみの意識の転換が無理からに起こったからとも考えられます。


ほかに考えることのない収束ビームのような未来志向意識が、不安やネガティブさの入り込む余地を吹き飛ばしているともいえるでしょう。

どの道、周りも自分も必ず変化していくのが世の常です。自分から変化を起こすか、周囲の変化を待つのか、それはまさに自分次第なのです。


選択については、いろいろと方法がありますので、またタロットのことを交えながら解説したいと思います。


うつの予防のために

あまりよい記憶ではありませんので、ブログに書くのもあれなんですが、同じようなことで苦しまれている方や予防的な参考の意味もこめまして、うつ病時代のことにも少しふれたいと思います。


ただ私の体験や対応が皆様全員に当てはまるわけではありませんし、医学的なことにふれることも適当ではありませんので、このあたりはご勘弁とご注意をお願いしたいと存じます。


まず私が心身の異常を感じたのは、公務員時代の何度目かの転勤後でした。


公務員と聞けば、皆様は9時17時の楽な仕事だと考えていらっしゃる方も多いかもしれませんが、決してそうではありません。部署によっては午前様がずっと続くような激務のところもあるのです。


それと、ただ単に忙しいのではなく、お役所ならではのしきたり、気遣い、閉鎖的な環境など相まって、精神的に民間とはまた違った苦しさが伴います。


もちろん民間のほうが大変で、特に今の不況での勤務状況は常軌を逸した苦境にあって、公務員の大変さなんて比べものにならんよ、と述べられる方がいらっしゃるのもわかります。


けれども今はそうした業種の厳しさの比較論より、あくまで個人の中での重さ軽さで見ていただければと思います。


さて転勤後、私がどうなったのかといえば、新しい仕事の説明を受けてもまったく耳に入らないどころか、頭の中の全体にもやがかかったようにどんよりとした感じになり、何を考えるのも、何をするのにもおっくうになっていました。


最終的にはボールペン一本さえも持つのが「しんどい」という状態になりました。もうこの頃には自分でもかなりおかしいことには気づいていました。神経内科を受診すると、うつ病であることが告げられました。


思えば、前の職場でひどく残業が続き、かなり体力的に弱っていたところ、転勤して次の職場での仕事内容も私には相当難しいように思えて、精神的プレッシャーも感じたことが発症の要因だったと考えられます。


この経験から、今日は私が言いたいのは次のことです。


体力と精神、両方が疲労していないかチェックすること。


人はうまくできているもので、精神的に少々堪えていても、体力が十分であると乗り切りやすいです。


反対に体力が弱っていても、安心した環境で回復が図れるのなら、それもまた何とかなります。


しかしながら、この両方を同時に弱らせるようなことがあると、とても危険です。個人の弱いほう(心か体)に何らかの症状が、サインとして出るおそれが高いといえます。


また、先ほど心と体、片方に力があるならば大丈夫とお話しましたが、それも程度と限界があります。


片方(心か体)でも許容量を超えてあまりに痛めつけられると、もはやもう一方でバランスを取ることが困難となり、心身の天秤は破壊されます。


ですから、日頃からの対応策は以下のようになります。


体の休息を取ること。 食事・睡眠・運動など基礎体力の温存と回復。

心のケアー。 友人とのうち解けた話、レクリエーションなどでのリフレッシュ。


そして心と体、そのものの「体力」と「許容量」(つまり打たれ強さや受け流す力)を、普段から上げていくことも求められます。


これはいわば、心身の天秤のはかりの部分(おもりやモノを入れるカゴの部分)自体を、少々のものが入っても傾かないように大きくしていくということになります。


このあたりはタロットをしている人には「正義」のカードの絵柄を見ると、よく理解できるはずです。


私のうつ体験やその後の経緯などは、話せばとても長くなりますので、いずれまた少しずつご紹介することにいたします。


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