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「法皇」から、声に出すことの意味
マルセイユタロットに「法皇」というカードがあります。
タロットカード一枚一枚には、様々な意味がありますが、この「法皇」にもそれが当てはまります。
今日は中でも、「伝える」とか「話す」ということにフォーカスしてみたいと思います。
「法皇」から、なぜ上記のような意味が出るのかと言えば、絵柄を見ていただければわかるように、「法皇」に描かれているメインの人物が、何か説法をしているように見えるからです。
ですから、本来的には、話す内容も宗教的と言いますか、何か人のためになる精神的な話とか、教訓を伝えていることになるでしょう。
日本人なら“以心伝心”という言葉があるように、話さなくても伝わることがよく言われます。
ただ、「法皇」のように、精神的・霊的なことをよく理解していると考えられる宗教的なトップ層(現代では皮肉に聞こえますが…)の方でも、その伝達には、やはり言葉を発する必要があるわけです。
これが人間レベル、現実世界の特徴とも言えるでしょう。
つまりは、言葉を発する表現は、この現実世界では、とても重要なのだということです。
コロナ禍にあった頃、マスクをして、人と会話しない世界が現出されました。その時に、たとえ自覚はなくても、多くの人はストレスを感じていたはずです。(もっとも、逆に静かな環境がもたらされたという、よいこともありましたが)
人間、正常に声が出せる状態であるならば、声を出すことは自然だと思えます。
ただ、現代社会は、声だけに限らず、いろいろなことで自分を抑圧する(される)傾向・状況にあります。
その分、ネットの発達により、個人での発信が簡単にできるようになったため、SNSなどで自分の思いを発散する人は増えました。
今や些細なことでも、簡単に批判・誹謗・中傷され、その逆の賞賛・賛同・評価などの声も、ネット社会であふれかえっている状況です。
裏を返せば、それだけ、なかなか本当の声を発させられない、抑圧された環境になっているからだとも考えられます。
ガス抜きではありませんが、人は何か(自分の気持ち)を述べなくては、おかしくなる動物なのでしょう。
だからと言って、感情のままに書き込んだり、実際に何でも言えばをいいというわけではありません。他人への配慮、状況の判断は必要です。
けれども、あとでネットで書き込むというようなことをするのではなく、面と向かって言える状態なら、その場で、なるべく口に出して述べる、発するということが大事なのではないかということです。
我慢して、自分の言いたいことも言えない生活や態度を続けていると、どこかでそれは爆発してしまう危険性があります。
爆発は形を変えた発散になりますから、声以外の行動として、例えば、衝動的な買い物をしたり、やたらと食べ続けたり、自分より弱い者、抵抗できないもの(人だけとは限らず、動植物、モノなど含む)に当たったりします。
出て来るのに時間差がありますので、自分でも気がつかない感情の蓄積として、外側に現れてくることになります。
普段まじめで優しい人でも、そのせいで、突然キレたり、投げやりになったりすることがあるわけです。
そして、そのような優しいタイプの人は、外に攻撃できず、内側、つまり自分自身に攻撃をして、自分を物理的(身体的)・精神的に責めることになりがちです。その結果、心か体、もしくはその両方の不調、病気、あるいは不運と自分が思えるような出来事が頻出してきます。
また、特に日本では近代化を経て、言葉の発し方が変わり、それまで腹から出していた言葉が、口先・喉だけで出すようになったと言われます。
言ってみれば、力がこもらない、気の抜けた表面的な言葉になっているわけです。まさに気が抜けているので、気力も出ないことになります。
「法皇」のカードも、よく見ると、実は口を開いているようには見えないのです。
だから本当は、言葉ではないもの(言葉では表現できないもの)を伝えているのかもしれませんし、かつての日本人のように、腹から発声した、言霊のようなエネルギーが出ているのかもしれません。
そのような深い意味を考えなくても、普段あまり声を出さない状態が続くと、活力が弱まってくることは考えられます。
僧侶の読経も、修道士の祈り・唱和なども、実は声を出すことで何かしらの清浄・神聖な状態を保ち、発声を毎日繰り返すことで、神仏と自己表現の融和(一種の陶酔に近いと考えられます)を実感し、健康を保っていたのではないかと想像できます。
思い・考え(思考)は内的な発露ではありますが、さらに発声することで、実際(現実)の創造につながっていきます。声は音声として振動しているからです。
人は振動を受け取り、共鳴し、波動を拡大します。そして拡大したものが、やがて現実創造へと形成されて行きます。
私たちは、声を与えられているのですから、肉体次元・現実世界では、声を発すること、意思や気持ちを声・言葉で伝え合うことは、思っている以上に重要なことなのだと理解しましょう。
すぐにクリアーにできなくてもよい
タロットでの相談を受けていますと、問題や悩みをすぐに解決しないと、とあせっている方がいるように思います。
また、漠然とした不安があるとか、はっきりとした問題意識はないけれども、どうしていいのかわからないというような状態になっている人もいます。
全部とは言いませんが、このふたつのタイプは、実は同じ根(こん)があるのではないかと察します。
それは、きちんとしたい、正しくありたい、いつもクリアーな状態でいたいという気質(囚われ)です。
私にもそういう部分があるので、よくわかります。
しかし、物事は常にふたつの要素の対立や循環で成り立っており、いわゆる陰陽思想のように、「ふたつでひとつ」と言えます。
従って、クリアーな状態な時もあれば、その反対に、はっきりきりしない状態のこともあるのはセットです。(片方だけでは、どちらの状態も意識することはできない)
ですから、正しいこと(間違いをしないほう)だけを選択し続けるとか、いつも白であり続けるとかはあり得ないわけです。
さきほど「循環」と言いましたが、逆のものへと循環作用を成す場合、それが一瞬で達成されることもなきしもあらずですが、たいていは時間がかかるものです。(時間と空間の三次元世界であるため)
従って、待つ(時間経過がいる)という姿勢も、どうしても必要となります。
自分が片方だけの状態に留まろうとしても、この世の理として、循環や入れ替えが行われて行きますので、宇宙・自然の動きに順応できず、翻弄されていくことになります。
まるで、マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」の中でしがみつく動物のようです。
輪は回っているのに、自分は動かない(この位置にいたい、この位置こそが正しい)と頑なになっているため、やがて輪が回り、逆さまに落されるような事態(こんなはずでははなかった、真逆の事態などが起きること)にもなりかねません。
ですから、例えば、あせっている人とか、いつも自分が思う正しい状態、クリアーでよい状態でいたいと固執していると(それが全体性としてアンバランスなものであるのならば)、マルセイユタロットは「吊るし」とか「月」とかの、時間経過を必要としたり、待機状態、不透明な状態を受け入れるような示唆のカードが出ます。
また、人によっては、「正義」のカードのようにルールを重んじるものより、「愚者」のような、文字通り、愚か者になることを勧める(笑)カードも出るかもしれません。
「答えが出ないことそのものが、実は答えなのかもしれない」という、禅問答みたいなことも、タロットでは示されるのです。
その悩みや問題は、別に今すぐの現実的な解決法を必要とはせず、もっと別の、根本的なことをあなたに告げているのかもしれません。
とはいえ、問題を放置せよと言っているのではありません。現実的な対応と、その大元を探る別の観点をもって対応する目を養うことも、重要だと述べているわけです。
対症療法を進めながら(これはとりあえず苦痛を取り除いて、一時的な落ち着きをもたらす)、根本治療を施していくというようなものでしょうか。
また、「こんなことも解決できない自分はダメ」だと、責めるのはかえって余計に問題をこじらせることになります。
結局、外側のことに必死になって対応していても、また別の問題が続いたり、気持ちが全然落ち着かなかったりするのは、内(自分自身の在り方)に何かメッセージがあるということなのだと思います。
その場合では、「月」を中心としたようなカードたちが登場してくるでしょう。
マルセイユタロットで見るということは、なかなかわかりづらい内外の世界を、象徴的にとらえやすくする(形としてわかりやすくする)ためなのです。
タロット学習への動機・思いについて
タロットを習いたいという方の中には、タロットリーダーやタロット占い師になって、人の助けになりたい、そして、それを仕事としたい(ビジネスやお金を稼ぐ意味も入る)という方がいらっしゃると思います。
それは全然OKな望みで、現実的に、タロットを学習する動機、モチベーションとしては正当なものだと思います。
ですが、その望みが叶い、いわゆる「成功」した状態になったとしても、意外に不安が続いたり、時には空しくなったりすることがあるかもしれません。
自分はやりたいことをやっている、それで人から頼りにされているし、お金もそこそこ入ってきている、これは十分自分として成功と言えるのに、何か思っていたものと違う・・・という状態です。
まあ、実際には、成功する人は少なく、なかなかタロットリーダー、タロット占い師になっても、うまく営業できないこととか、技術的に自信を失うなど、結局、仕事・ビジネス的にも今一で、精神的にも人助けの実感が得られずに萎える、というようなことはよくあるパターンです。
従って、成功する前に、すでにタロットを何のためにやっているのか、そもそも私は何がしたいのか・・・と迷ってしまう人もいるでしょう。
ということは、(タロット学習の)前提から見直す必要があります。
やはり、最初の動機・きっかけの部分に、純粋な思いを無視して、ただ自分のエゴを満たすことを優先してやると、あとでその反動が出るように思います。自分の中の不満とか不安、欠乏感などをなくそう、満たそうとするために、タロットを学ぶという姿勢であると、のちに問題になるわけです。
なぜならば、それ(不足)は、究極的には幻想だからです。自分の不足・満足というのも、自分の決めた評価であり、それは他人や周囲のものと比べて、自分がない(劣っている)と思ってしまう幻想から来ています。
しかし、そう思ってしまうのが、この現実世界の仕組みであり、そこから逃れられるのは、なかなか難しいことです。
とは言え、幻想から来ている動機なので、タロットを習い、知識や技術を習得し、実践を行っても、一時的には人の賞賛やお金を手に入れて満足しつつも、幻想からの欠乏感の根本的解決にはならないので、たとえうまく行っている場合でも、この状態を維持しなければと焦りますし、あまり望ましい結果を得られていない時は、何が足りないのだろうと必死で努力して、ますます張りつめたことになります。
そんな状態で、タロットをしていて楽しいかと言われると、おそらく楽しくはないでしょう。むしろ苦しいと感じるくらいかもしれません。そこでいっそのこと、タロットの活動をやめてしまう人も出ます。
ところが、苦しい状態になって初めて、何がまずかったのかを考え、ビジネスとか宣伝とか、技術などのやり方ではなく、もともとの自分自身のあり方にあったのだと気づく人もいます。
逆から考えると衝撃を受けますが、別にタロットうんぬんはただの演出であって、それは何でもよかったわけで、一連の行動と結果は、自分にそのことを気づかせるために起こっていたものだということです。
たぶん、気づいたうえで、それでもタロットが好きだからとか、人の役に立ちたい、自分を表現したい、自分のためにやりたいというような純粋な思いを感じて、再出発すれば、今までよりかは苦しみが減った活動(精神的なことだけではなく、現実的にも)ができるのではないかと思います。
それから、マルセイユタロットのような、世間のタロット世界ではマイナーと思える分野では、マイナーだからこそ、特別感を得られるというエゴの落とし穴があります。これはかつて、私自身もかかっていた病(幻想)です。(もしかすると、今でも少しあるかもしれません)
特別感を得る(得たい)というのは、自分が特別でありたいという感情であり、逆に言えは、自分は特別ではない、何のとりえもない、普通以下である、人から評価されない、もっと言うと、生きる価値がない、死んでもいい、みたいな非常に根深い自己否定に基づいている場合があります。
メジャー分野では、すでに多くの人が関わっているので、そこから特別を得るのは難しいことになりますから、あえてマイナー世界で勝ちを得る(一目置かれる、評価される)ことで、自分に価値をもたらすという構図を取る人がいます。
いわゆる勝ち組・負け組で、一度メジャーで負け組感覚を味わい、マイナー世界に逃避して、こちらでは何とか勝ち組になるというパターンです。
マイナーなのですから、よく考えれば、数のうえではあまり多くの人から賞賛は得られない可能性が高いのに、それでもマイナー世界に入るのは、一人でもいいから、誰か自分を評価してほしいという強烈な渇望があるわけです。
ただ、別にそれが悪いと言っているのではありません。この世の中の仕組み上、誰しも他人と比べ、ほとんどのところで自分に負けやマイナス、否定感情を思ってしまうのも仕方ないことでしょう。
だから、まずは何か、誰かからの評価を得て、自分に自信を少しでもつけるというのは悪くはないと思います。
ですが、その繰り返しは、結局、どこまで行っても、充足感や安堵感は得られない(もともとの発想が幻想であるため)ということも理解しておくとよいです。
本音と建前と言いますが、建前だけで生きていると、本当の自分は死んでしまい、だからこそ死にたくなる、感動もない世界になり、自分を否定し、世界も否定する思いに囚われます。(自我の抑圧)
そして、本音だけで生きようとすると、現実世界のしがらみ・仕組みの中で、社会の中で不適合を起こしやすく、その反発で、かえって孤立化したり、協調性を失ったりしかねません。(エゴの肥大化)
それでも、まずは本音を大事にする習慣は重要でしょう。その本音を認めたうえで、どう立ち回るか、どう現実的に調整を図るかというのが、また自分の生きる力を養うこと(ゲームとして楽しむ世界化)になります。
自分の中には、純粋な思いの王様とともに、世間をうまく生きるための軍師や、宰相も必要なのです。
しかし、軍師や宰相の言いなりになっていては(操られていては)、最初のあり方を忘れ、勝てばよい、得られればよいという本末転倒のことにもなりかねません。
こんな社会では、素直に生きられない自分があって当然です。むしろ、よく耐えている、頑張っていると自分をほめてあげましょう。
そうした中で、本音を無視し続けていないか、本当はどうしたいのか、どうありたいのかを思い出し、それをそのまま押し通すのではなく、いかにすれば、自分の本音を偽らずに、現実的に泳いでいくことができるのかを試してみましょう。
タロットのことにおいても、タロットを学び、タロットの活動をしていくうえで、自分の本心を無視せず、自分自身と相談しつつ、活動を行っていくことをお勧めします。
やりたくもない、好きでもないカードを使ったり、合わない・しっくりこないと思うスキルを使用したりするのは、自分自身と和合していない状態ですから、お客様・クライアントの方に、よいものが提供できない(自分自身も納得感がない)のも、また当然となります。
逆に、あるカードが好きとか、タロット全部好きという人は、そのカードを使うことや、様々なカード駆使をすることは、自分が楽しくなることであり、その思いは、相談に来る人をよい状態に導く理由のひとつとなるでしょう。
「太陽」 自分との対話と共感
今日は、マルセイユタロットの「太陽」のカードの、ある使い方(とらえ方)を書きます。
その前に、タロットの読み方や、タロットから何か気づきを得ることにおいて、初心者の人に、基本として伝えておきたいものがあります。
それはタロットは象徴だということです。
今日のテーマになっている「太陽」のカードについても、その絵柄を見ますと、二人の人物が描かれているのがわかります。
その二人の人物が、自分とパートナーとか、自分と友人とか、言わば、自分と別の人を表していると見ることがあるでしょう。これは、まあ、見たままと言いますか、普通に絵柄を見て持つ実際的(外面的)な印象かと思います。
一方で、この二人は、もしかすると、自分の中にいるもう一人の自分ではないだろうか、と考える人もいるかもしれません。こちらはどちらかと言えば、内面的な見方、心理的なとらえ方と言えるでしょう。
タロットの読み方がまだよくわからない初心者の人(あるいは、象徴が何であるかというものが教えられていない人)にとっては、この「太陽」のケースだと、特に前者の見方をして、それで決まりだとしてしまいます。
つまり、タロットの絵柄そのままで解釈して、さらには、その解釈した考えや意味を一度決めてしまうと、ほかの見方・読み方を思いつこうとしなくなる態度になるわけです。
「太陽」の二人は、自分とパートナーかもしれないし、自分の肉親(兄弟・姉妹・親子)かもしれず、はたまた学校の友達同士、職場の同僚、趣味の仲間、同じ考えを共有している同志ということも考えられ、さらには、先述したように、自分ともう一人の人物(表の自分と裏の自分、意識的な自分と無意識の自分)、低次やエゴの自分と高次・トータル的な自分ということも考えられるのです。
もっと言えば、人間同士とも限らず、とにかくこの二人の人物という絵柄が何の象徴を表しているかを理解できれば、それは動物、モノ、国、宇宙など何でも解釈は可能になります。
ただし、表している象徴からはずれている場合は、この限りではありません。(タロットは、どんな読み方もありではあっても、それが全部、タロットの表しているルールに適用しているわけではないということ)
それから読みに必ずひとつの正答がある(数学的な解がある)と思うのは、タロットリーダーの誤りがちな初心者の態度です。
同じカード、同じ展開であったとしても、質問によって、または状況・個人によって、タロットの解釈は異なってきますし、多くの読み方があるのです。そういう考えになじむところから、タロットリーディングの第一歩は始まります。
さて前置きがほとんど本文みたいになってしまいましたが(苦笑)、マルセイユタロットの「太陽」の二人について、今回は、自分が二人いるという見方をします。
この見方は、すでに述べたように、多分に心理的な解釈になりますが、それだけに自己の内面を統合していくツール・方法としても大変有用なカードの見方になります。
自分の中には、様々な自分がいるという考えはわかると思います。これもある種の象徴的な見方ではありますが、本当は実際的な意味もあります。(本当に別の人間のような存在がいるという考えもあります)
それはともかく、まず、この心理的な解釈を自分が受け入れることが重要です。
もう一人の自分とは何者か?というのは、ここでは詳しく述べません。それも色々な解釈があるからです。
ただ、自分が自分だと思っている意識の通常の自分、この自分は、周りの環境や人間に配慮しながら(気を使いながら)生きている自分とも言えます。この自分をAとしましょう。
一方、普段は表にあまり出ない潜在的な自分、言い換えれば、本音の自分、どちらかと言えば子供的な自分(しかしインナーチャイルドとは言い切れず、むしろ本来の自分とも言え、こちらのほうが本当の意味で大人なこともあります)がいるとします。この自分をBとします。
「太陽」の二人は、言わば、このAとBの対話であり、相談であり、共感と調和、統合を示しているようにも思います。
自分との対話ということは、よく心理的な手法でも言われることですが、実はなかなか普段はできないものです。
ですから、ここにカードの重要性があるのです。「太陽」というカードをあえて自分の前に置くだけで、二人の人物という絵柄が目に入ってきます。
そこで、Aである自分が、Bである自分の声を聴こうというシチューエーション(場)が作られます。
内的な声を聴くというのは案外、慣れない人、わからない人も多いので、私が個人的に思うのは、聴くというより、「共感」する(共に感じてみようとする)ということで、もっと簡単に言えば、一人二役を演じてみるという感じになります。
「ほんとは嫌なんだよね」「それは怖いよね」「もっとこうしたいんだよね」「悔しいよな」「泣きたいよね」「そら腹立つわな」…など、Bの気持ちを、ただAがわかってあけようとするという態度でしょうか。
このようなことを書いている私自身もそうですが、私たちは、なかなかBの存在を気に掛けるということ(機会)が普段ありません。
また、自己の統合ということを難しく考え過ぎて、専門家に任せたり(深刻な場合は専門家の助けは必要です)、何とか自分(B)を理解しようと、なぜそうなったのかとか、隠れている(隠している)ことを、とことん探ろうとするようなことをします。
これは、追及となり、結局、Bを責めるみたいになることがあります。それよりも、寄り添うという態度が最初は大切かと思います。
一人二役の対話と共感(特にBへの)、もっと言えば、自分の本音を知ろうとするという態度だけでも、変化は起きてくるでしょう。
本音をごまかし、抑圧するエネルギーは、様々な矛盾とねじれ、心身の異常を来します。
しかしながら、現代社会では、Aで生きないといけない部分もあるのは当然で、ここで言っているのは、少なくとも普段無視している、あるいはごまかし、やむなく生きている状態の中で、本音を知ろうとすること(表に浮上させる)だけでも、ずいぶんと違うということです。
また、必ず本音で生きなくてはならないという意味でもありません。AとBの協力で、実際を生きる(乗り切る)という意味に近いです。
長年、対話は放置され、Aの論理と対策(それは外的なことに配慮したガチガチのルールに基づくことが多い)で続けられていたことなので、かなりパターン化され、オートマチックに働き、悪い意味での堂々巡りに陥っていることでしょう。
それを崩すのは容易ではないかもしれませんが、少しずつ雪解けを目指し、対話と共感という習慣を続けて行けば、それこそ「太陽」カードのような、二人の融和・統合が果たせ、分離したモノゴト、二元間の落下や移動(振幅)の恐怖・不安、幸不幸の荒波、焦燥感、矛盾感などが静まって来ると思えます。
「太陽」のカードは、そのきっかけを作る象徴の絵図となり、マルセイユタロットは、言わば、宗教的にはイコンの役割もあるのです。
「力」の回復
今日はマルセイユタロットの「力」のカードに関しての記事です。
このカードは「力」と名付けられていますが、フランス語ではフォルス、英語ではフォースと呼ばれています。
一般的には、英語的にフォースは物理的な力、パワーはそれより潜在的な能力も入るようです。私自身は英語もネイティブではありませんし、詳しくもありませんので、実際、どのように使われるのか、正しく指摘することはできません。
しかし、日本語的な意味で考えますと、むしろ逆で、この「力」のカードは単に物理的な力を表しているのではなく、内なる力のニュアンスのほうが強いと思います。
その力が何なのか、詳しくは述べることはできませんが、いずれにしても、マルセイユタロットの「力」のカードが表す何かの“力”を、私たちは普段忘れている、(自分や周囲に)あるとは思っていないことは言えると思います。
すでに、多くの人に知られているように、マルセイユタロットの大アルカナは、数を追うごとに成長や拡大、完成に向かうという考えがあります。
大アルカナは全部で22枚あり、「力」のカードはその半分の11の数を持ちます。
とすると、全体から見て中間の位置であり、何らかのターニングポイント、切り替えの位置にあると考えられます。
それについては、詳細はマルセイユタロット講座で語っていますが、その一部をシンプルに言い表しますと、『忘れていた力の回復』となるでしょう。
私たちは、顕在的であれ、潜在的であれ、ある力を、自分の生きることに日常使っています。ですが、おそらくそれは、生命維持を除くと、ごくわすがのエネルギーしか使用していないと想像されます。
そして意外にも、多くの力を他人に明け渡しています。というより、自分に力がないと思い込んでいるので、人間も含め、機械や外の環境など、かなりのことを他力に依存しているところがあります。
もちろん、便利さや機能性・合理性を追求していけば、自らの力・エネルギーを無駄に消費しないために、ほかのものによって楽に行えるに越したことはありません。
しかし、あまりにも便利になり過ぎると、自分の力を出す機会も減り、出力するコツ、技術、ルートも衰退していくと考えられます。
また、これとは違った意味になりますが、そしてむしろ、こちらのほうが重大な問題と言えますが、他人からの支配・洗脳によって、自らの力のほとんどを預けてしまっているケースがあります。
マルセイユタロットには「悪魔」というカードがありますが、本来、この(「悪魔」のカードの)段階では、エゴの完成(わがままを押し通したり、自分の思い通りにすることとは別です)に至り、力をかなり自由に発揮することができるようになります。
しかし、「悪魔」の絵柄を見ると、悪魔につながれた人がいるのがわかります。
自らの力を明け渡してしまった人は、このように他の存在的な悪魔の奴隷になり、自分の力も相手に奪われ、ますます相手のほうはエネルギー(力)を増大させます。
他者や外の何か(それは人格的な神なども入ります)に頼ったり、祈ったりするよりも(祈りがダメと言っているのではありません)、自身に力があることを思い出し、その力が発揮できること、また、外側のものに力が吸収(利用)されているのなら、それを引き戻すようなイメージで取り戻すこと、こういうことのほうが、マルセイユタロットの「力」的には重要だと思えます。
特に、自己主張ができず、他人の言いなりになる人、争いごとになるのを避け、言いたいことも言えずに八方美人的な態度を取りがちな人は要注意です。
また自身は病弱だとか、何もいいところも、魅力もないと思っている人、自己犠牲(自分さえ我慢すればよい)を考える人、このような人たちも、力を失っている(明け渡している)と言えましょう。
実は上記の人たちは、力を失わせる(と思わされる)に至る、何かの事件やトラウマがあるはずです。すでに忘れているか、思い出すと自身の存在に揺らぎが出るため、封印しているおそれもあります。
だいたいは生育史の中にあり、スピリチュアル的には過去生(自分のものとは必ずしも言えないものの、データとして入れてしまっているもの)的なものもあり得ます。
それに気づき、解除・癒し・浄化していくことで、自分の力をなくす傾向にあった人が回復するきっかけになることは多いです。
あとは、そもそも、社会・世界が、幻想を思いこませ、力を奪わせるよう、無駄に消費させるよう仕向けているところもあるでしょう。(集合意識的な問題もあります)
例えば、力の種類のひとつには、セクシャルエネルギーがありますが、これを適切に内なる創造性の力として使われないよう、物質(金銭)への欲求、感情を起伏させること、過度のルール、監視などによって、エネルギーコントロールを乱すようなことも平気で行われています。(しかしセクシャリティの問題では、両性統合の方向性へ進んでいるようにも思えるので、一概には言えませんが)
何事にもいいことと悪い面はありますが、一昔、ライトスピリチュアルの世界で流行した「引き寄せの法則」的なことも、よい面であえて言えば、自分に力があることを思い出すためのひとつの運動でもあったかと思います。(一方で、本来のスピリチュアリティとは異なる、物質的欲望をかなえるための堕落した方法が多く流布しましたが)
自分の力の回復は、通常、かなり洗脳された状態(自分にはないと思わさせられる)にあるので、生半可なことでは難しいかもしれません。11という段階の「力」のカードが示すことなので、本来なら、マルセイユタロット大アルカナの象徴する全体の半分の過程は必要なのでしょう。
「力」の次の12番は「吊るし」であり、逆さまの人物が描かれているカードなので、言ってみれば、真逆の世界観が必要とさえ言えます。それでも11番に至る前の段階、すなわち、私たちの日常レベルにおいても、少しずつ、回復していくことは可能かと思います。
それには意識の切り替えと実践が重要となるでしょう。
また、先述したように、力を他人に明け渡す(他者や環境に依存したり、自分の思いとは関係なく従ってしまったりするような)人は、そうなってしまう根本的な要因をつきとめる必要もあります。(無理矢理な思い替えは、結局、自分を苦しめます)
自分が一番恐怖を感じるもの、不安を覚えるもの、自分を怖がらせるものに、実は力の存在が逆に働いています。(そこに力が逆向きに働いている、ベクトルが逆なだけで、モノゴトを創造する力は自分に確実にあること)
「力」のカードで言えば、ライオンもあなた自身の力なのです。
