パーソナルカード一考
タロットカードの技法でパーソナルカードというものがあります。これは
各個人の誕生日から計算したある数を、タロットの大アルカナ1枚に結びつけるというものですが、平たく言えば、性格の類型法のひとつです。それとは別に、ここの「メッセージ」でも掲載しています毎月の占いで使用している「ソウルカード」という分類もあるのですが、こちらはさらに根源的な大きなくくりで分けたものといえます。ちょっと前に、サッカー選手のパーソナルカードとソウルカードを取り上げたことがありますので、またその時の記事も興味があれば見てください。
そのパーソナルカードなのですが、タロットカードの大アルカナの数と同じく、22枚あります。いわば、人について、22の類型パターンがあるということになります。今まで、いろいろな人のパーソナルカードを見てきましたが、やはり“パーソナル”というだけあって、もちろんその人の「性格」や「個性」というものを表すとは思いますが、「ペルソナ」という言葉もあるように、一方では、社会で自分が演じざるを得ない姿、または社会での役割・職業みたいなものを示している傾向が強いように感じています。そして、それには好むと好まざるに関わらず、否応ない強制力があるのではないかというような気もするのです。
自分のパーソナルカードに象徴されるような職業や、社会的な役割(それは小は家族単位から、大は国家・世界まであると思います)に、「なるほど、その通りだな」と納得できる人は、おそらく、あまり自分と社会に対してのギャップを感じていないか、自分本来の生き方ができているというように思えているのではないかと想像されますし、たとえ自分自身が思っていなくても、周囲の人から見れば、「あの人は自分らしく生きている」と見えていることでしょう。
ところが、どうも自分はパーソナルカードとは違う、こんな性格ではないとか、今の仕事とは全く違う、こんな印象ではない・・・という人は、先述したようにパーソナルカードの強制力とでもいうべき何かに縛られているような生き方をしているのではないかと感じます。しかしそれは強制的なイメージではあっても、当人には必要な経験であったり、向上のための役割であったりすることがポイントともいえます。
そうした、パーソナルカードの強制力から半ば必然的に大変な役目(と、自分が思っているだけ)を担っている人(本来の自分とはちょっと違うのになあ・・・と感じるような人も含める)は、その根っこの部分に「ソウルカード」のエンジンを積んでいることを忘れないようにしてほしいです。ソウルカードの方が根源的なので、逃れられない、ある種のカルマ的なイメージが出てきそうですが、私は逆に、ソウルカードのほうが“核”であるがゆえに、エネルギーの潜在力、底なしの中に向かう超越した発現力のようなものを感じます。もちろん“根”であるために変えることはできないでしょうし、そういった意味では不変的な強制力を持つとも考えられるのですが、そのエネルギーの力の可能性から見て、むしろ通常ではこちら(ソウルカード)のほうが強制力はなくて、自然的なものと考えることができます。
パーソナルカードはそれとは別に、現実を生きていくためにかぶる鎧や外装であり装甲であるがために、非常に「重く」感じられるものです。しかし、エンジンとしてのソウルカードの可能性に気づいたとき、今までエンジンが弱いため武装していた装甲を、はずしたり弱めたりすることもできます。だからパーソナルカードは強制的でありながらも、可変的なものであるともいえるのです。
ソウルカードの秘めたる大きな推進力をもって、パーソナルカードの強制力をうまく操ってください。そうすれば、すばらしいエンジンとともに、熟達したトランスフォームなパーソナルが生まれ、人生においてあなたの無敵の戦艦が出現することでしょう。