「世界」への挑戦
昨日、サッカーのクラブW杯でJリーグの浦和レッズが、イタリア・セリエAのチーム、ACミランと対戦しました。
日本のクラブチームが、FIFAの公式戦で、まさにガチンコでヨーロッパの一流クラブチームと対戦するのは初めてのことであり、これによって現在の日本のサッカーが、どのくらいの位置にあるのか、ある程度計れるモノサシにもなる試合でした。
結果は浦和の敗戦。スコアこそ0-1でしたが、そこには大きな世界との壁が歴然とあることを痛感させられた試合でした。とはいえ、まったく試合にならないほどではなく、善戦に見える(相手は点を入れてから完全にペースを落としていましたが・・・)程度には戦いができることがわかりました。例えれば、代表戦におけるフランスW杯(98’)、日本の初戦、アルゼンチン戦のような感じです。あれも一応、日本は強豪のアルゼンチンに対して必死に守備をして、一見試合も拮抗しているかのようでしたが、実は個人・組織・試合運びも含めて、かなりの能力と歴史の差を思い知らされた試合だと言えました。このスコアもやはり同じく0-1。昨日の対戦後の浦和の選手たちも、口々に世界との差、自分たちに足りないものを述べていました。こうして、実際にレベルの違う相手と戦うことで、冷静に、実力の隔たりや自分たちにとって何が本当に必要なのかを学ぶのでしょう。
「世界」ということでは、タロットカードでも「世界」と名がつくカードがあります。これはすべてを体験してきて、自分と世界を究極に合一させたことを意味するカードであるのですが、単純に現実レベルに話しを考えていきますと、世界=社会への理解には、やはり自らそこに入る体験と経験が必要であることがわかります。また世界のカードには、中心の人物が周囲の動物や天使たちに比して大きく、楽しく踊っている姿が描かれています。再びサッカーのたとえになりますが、昨日の試合でも、浦和の選手たちが、相手を「ヨーロッパチャンピオン(2006-2007シーズン)であるあのミランだ!どうしよう・・・」と必要以上に意識してビビッてしまっては、萎縮して自分たちの力がさらに過小になり、前半で無惨な失点を繰り返していたことでしょう。おそらく浦和は、アジアチャンピオンである誇りを胸に、チャシレンジ精神をもって堂々と戦ったからこそ、なんとか試合の形を呈したはずなのです。つまり、最初から自分を、「どうせ自分は相手より劣っている」「小さい存在だから・・・」とへりくだり過ぎてしまうと、余計に相手に飲まれてしまって、ますます自分を見失うことになるということです。
だから、タロットの「世界」のカードのように、自分(カードの中心の人物)が一番大きく楽しんでいるのだと思うことで、人や社会に対して何らかの自由性を持つことができるはずです。自己尊厳、自分で自分を認めることから世界との関わりは始まるのだということを、「世界」のカートは暗示しているかのようです。
さあ、自分を大きくもって、ますばどんな小さな社会・世界でもいいですからチャレンジしに行きましょう!
自分に自信のない人は、「世界」のカードを眺めて、自分と同化するイメージを持つだけでも変わってきますよ。
お疲れ様です。Kです。
>世界=社会への理解には、やはり自らそこに入る体験と経験
が必要であることがわかります。
>自分(カードの中心の人物)が一番大きく楽しんでいるのだ
と思うことで、人や社会に対して何らかの自由性を持つことが
できるはずです。自己尊厳、自分で自分を認めることから世界
との関わりは始まるのだということを、「世界」のカートは暗
示しているかのようです。
そうですよね。世界の理解や順応するには、自らがそこへ
入っていかなければならないですと思います。
それがなかなか難しかったりします。例えば進学・転勤等で
新しい環境に身を置いたとき、順応するのに3か月位は
掛かります。思いっきり萎縮してますね。
このプロセスを手繰っていくと、タロットマンダラ上段
そのものかもしれないと思いました。
今までなじんだ心地良い環境(悪魔)
何らかの経緯により関係の鎖が断ち切られる(神の家)
環境を変える変わる事は一種の禊である(星)
最初は不安だし、お互いを窺いあう(月)
互いが歩み寄りあう(太陽)
自らの心に分解と再統合が起こり、社会の一員として
入って行けるようになる(審判)
そして、主体性を発揮していくことが出来る(世界)
こんな感じでしょうか。
月から世界に至る共通項はコミュニケーションが
キーワードのように思います。
コミュニケーションとは話し手ではなく、聞き手から
始まると聞いた事があります。
聞く=受容する事は、自分が関わっている社会から発信される
ものを、積極的に受けいれる。
そういった姿勢も重要なのかも知れません。
書いててなんだかエイブラハム・マズローの欲求5段階説の
他者承認・自己承認・自己実現のプロセスそのものだな
とか思ってしまいました。
K様、いつもコメントありがとうございます。
新しい環境に入る過程は、タロットマンダラでは通常「人間界」の手品師からの順序をあてがうことが一般的ですが、「天上界」で考察してみるのは新鮮なものでした。たしかにその見方もできますね。また、おっしゃるようにマズローの5段階説も、何かとタロットとリンクしてきて面白いです。
しかし、万考できるタロットマンダラ、本当に恐るべしですね。