「節制」のカードと「人を助けたい病」
タロットに「節制」というカードがあります。
このカードは「節制」という名前がついている通り、物事を少し制限したり、控えたりするような狭めるイメージとともに、もうひとつ大きな意味があります。
それはこのカードの絵柄を見ればわかるのですが、描かれているのは天使であり、そこから「助ける」「救済」ということも浮かんでくるのです。
カモワン版マルセイユタロットにおいて、天使はほかのカードでも描かれているのですが、単独で大きな姿で天使として登場しているのは「節制」のカードだけです。
このことからも、このカードが天使的な役割を強調していることがわかるでしょう。
ところが、タロットを展開する時、このカードが逆向きで現れることがあります。
カモワン流でのタロットの逆向きの解釈は「問題がある状態」と見ますので、この場合、「節制」のカードの意味において、何らかの検討されなければならないものがあると言えます。
それにはもちろんいろいろな意味とケースがあるのですが、今回は「救済」ということをテーマに焦点を当ててみたいと思います。
節制のカードが逆向きに登場し、それが救済をテーマとする時、結構多いのが「助けたい病」のようなものが相談者やタロットを展開した人にあるという場合です。
カウンセラーやセラピストなど人を癒したい仕事を志す人に、ままあるケースです。
自分は人を助けたいと思っているのに、なぜ天使であり、救済を意味する「節制」に問題ありと出るのか?
まずひとつには、単純に技術や能力が足りていないということがあげられるでしょう。
そしてもうひとつが、先述した「助けたい病」にかかっているという場合です。
「助けたい病」とは何か。
それは人を助けることで自分の満足を、いびつな形で得ようとしていることです。
いびつな満足ということがポイントです。
これは人を助けることで人から感謝してもらい、自分の足りない自尊心や不足感を満足させようとするものです。
つまりこれは、自分を助けてほしいことの裏返しなのです。
自分の満たされていない部分を、他人のためと思って何かを「してあげ」、自分の優位性を確認し、「自分は価値がある存在だ」と無理矢理高めようとしているわけですね。
また、かつて「自分が助けてほしかったのに助けてもらえなかった」「助けてあげたかったのに助けられなかった」という記憶が、「助けたい病」に向かわせることもあります。(これも欠けている何かを代償しようという行為です)
別に、これらのことが全部悪いというわけではありません。人のためになり、過去の償いの意味もあるからです。
しかし、自分の欠乏感・不足感・自信のなさ、不安の気持ちなどを補うために「人助け」を利用してはまずいということなのです。
そういう面では、やはりこれらも「能力不足」(助ける力の不足)の一つとなるのかもしれません。
そしてその裏には過剰な「助けたい精神(人を助けて自分の自尊心を補填する心)」や「極端な利他主義(自分の満足より、他人の満足を過度に優先し、潜在的に不足感を感じる心)」があると考えられます。
ただ人は最初から完璧にはできません。多かれ少なかれ、問題を抱えて生きています。
人を助け、癒す仕事をする人の中でも、私も含めて問題はもっているものです。
だからと言ってそれを無視して仕事に臨むのではなく、やはりきちんと向き合い、少しずつでも改善しながらやっていくことが大切ではないかと考えています。
あなたを頼って来てくれた人に、完全なことは提供できないかもしれません。それでもそのことで、あなたはまた勉強し、自分の技術や精神を向上しようと考えるでしょう。
結局のところ、人は助け合って生きているのだと思います。そしてこのこともまた、「節制」はその図柄にある「二つの壺のやりとり」で示しているのです。
このお話は、もしや『ウーンディドヒーラー!?』だったか、傷ついた癒し手、の事だと思いました。
>きりさん
いろいろとセラピスト志望の方を見ていまして、日頃感じたものを「節制」とともに書いてみました。ただ、ここでは書きませんでしたが、逆に傷ついたからこその気持ちがわかるということも大きなことです。そのうえで、セラピストの方でも、まずは自分を癒すことが先だと思いますね。セラピストになってからも、それは恥ずかしがらず、抵抗せず心がけることだと思います。
とても腑に落ちました。
良かれと思ってしていることが、相手の為ではなく、自分の為であった…ということ
極端な利他主義…忘れないようにしたいです。
>ぐーちゃんさん
コメントありがとうございます。
過去の記事にコメントいただけるというのもとてもうれしいことです。
私自身が読み返すと、書き間違いとか誤字とかあって、恥ずかしいですが(^_^;)(訂正はしておきました) ほかの記事にも結構あると思います。慌て者なのでお許しください。
人は意外に自分の満足を無視したり、あとにしようと思うものです。何事もバランスが大切だと私は感じています。