「辻占」に見る自分の世界の作り出し方
辻占(つじうら)というものがあります。
現代風にいうと、交差点に立って、偶然聞こえてきた通行人の会話や見えた看板などによって占うというものです。
たとえぱ自分が何かをやるべきかやらないかで迷っている時、自分とはまったく関係のないある人たちの会話から、「それはやったほうがいいんじゃない?」と聞こえてきたら「GOのサインだ」と知るというようなものです。
これは結構面白いです。
判断の目安としては、複数回、同様のことが、まったくそれぞれ別の人やモノから徴(しるし)として現れた(表れた)かどうかがカギとなります。(回数は自分が最初に決めたものでもよいでしょう)
これをやっていますと、本来卜占(ぼくせん、偶然現れた徴によって占う方法)であるタロットのよい訓練にもなります。
詳しくは述べませんが、カモワン流ならば、連繋カードを読むということにもつながってくるものなのです。
また辻占を行っていると、人間の心理や情報処理ということの特徴にも気がつかされます。
辻占を行うということは、あるひとつの判断を下したいと思っているわけですから、頭の中には集中した一つの事柄が浮かんでいるはずです。
辻占による判断は、周囲の無関係に思える景色や人々の会話の中に、その集中したことに関係する情報を自分は無意識のうちに選んでいるということになります。
このことは三つの重要な示唆をはらんでいます。
ひとつは、人は意識をあることに集中すれば、多くの中から選抜してそれに関係した事柄を抜き出す能力があるということ、二つめは、たくさんの中から集中したことしか目に入らなくなる(頭に入らなくなる)ということです。
このふたつは結局同じことを言っています。
そして三つ目は、無意味なもの(中立なものに)に、自分と関連があると意味づけることができる(意味づけしてしまう)ということが挙げられます。
人間は確かに多くのものや人たちに囲まれる世界に生きてはいるのですが、その多くの中のものから自分が意識を向けたものだけの情報世界に住み、それに意味づけすることで、世界を現実として実感するということです。
つまりは自分の意識と価値判断(いい、悪いも含めての意味づけ)によって、自分の世界は構成されているのです。まさに世界は自分が作り出していると言ってもいいでしょう。
いかに意識の向け方(何に意識を向けるかでもあります)と、それに対してどう意味をもたせるのかが重要であるか、これによってわかると思います。
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