この世は流れていくもの

固定した状態というのはもちろん安定感があり、そこから安心する気持ちも出ます。つまりは心地よい状態だといえます。


しかし、川もせき止められて水たまりとなると、底に泥がたまって濁り、浚渫(底さらい)しなくてはならいないように、いろいろなものが淀んできます


この状態を変えるには、やはり新しい流れを起こすかまたは呼び込むかであり、あるいは堰き止めていたブロックを取り去る(破壊する)ことになるでしょう。


その方法は物理的・心理的なものを含めていろいろと語られているところですし、このブログでも自分に変化を起こす事柄として、何度か取り上げてきました。


ところが自然は、人工的な意志をもって構築したもの以外は、たいていのものは放っておくと時間はかかるとしても、いつか流れが起きるように変化したり、風化するなどのことで壁やブロック的なものも壊れていったりします。


人間自身もそうではないかと考えられます。生まれた者は必ず老い、いつか死を迎えます。ずっと同じ状態には固定されないようになっています


肉体や生命だけではなく、自分の属している環境、自分の心境などにもこの摂理は及ぶような気がします。


自分自身は変わりたくない、変化はないと思っていても、周囲がそれを許してくれないといいますか、何か同じ状況でいられないようになる事態が自身にふりかかる気があなたもしませんか?


そしてまた、「これでよい」「もうこのままで変わりたくない」などという過信や変化を拒否する心に人がなった時、病気であったり、事業の不振であったり、人とのトラブルであったり、関係者の死であったりと突然の急流・衝撃が発生するようにも感じます。


反対にずっと不幸だと思える状況が続き、「もうダメだ」「一生このままだ」「人生は終わっている」と固定した考えをする時は、皮肉なもので、なぜかそのままあまり変化がなく続いていきます。


でも、こういうこともあります。自分の環境や状況は刻々と変化(いいことも悪いことも含めて)はしていっても、何か根本的なもので変化はないのだという一種の悟りのような心境になれば、自分の中は固定したままの状態だといえます。


つまり前にも書きました が、固定した(特に心が)状態というのは天国か地獄かを示すのでないでしょうか。天国・地獄はもとはといえばあの世の概念です。


ということは、この世では天国か地獄かというのは普通は起こりにくい状態と考えられます。摂理に反するといってもよいかもしれません。


この摂理に反することを自分がしている、あるいはなっている時は強制的な変化が起こるか、自分が地獄にいるかのような心理状態になってしまうということです。


例外として、摂理を越えるシステムや次元を認識できた者だけは特定の者として、この世で固定した状態のもう一方の世界である天国の気分を味わうことができると考えられます。


このようなことを想像した場合、私たちはまず、「この世は変化する世界だ」と思うことであり、あまり固定した状態や心にならないよういつも柔軟に過ごしていくことがよいと思われるのです。


今回語っていることは、すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、タロットカード「運命の輪」が象徴していることなのです。

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