バレンタインデーに「恋人」カード
今日はバレンタインデーですね。
そのいわれや、日本での商業主義による煽り(笑)などはともかくとして、せっかくの機会ですから、愛や恋についてちょっと考えてみるのもよいかもしれません。
タロットで恋愛をもっとも表すカードといえば、「恋人」のカードでしょう。(カモワン版マルセイユタロットで語っています)
このカードは、本当に人間世界(つまり私たちが現実に生きている世界)においての恋愛模様における様々なことを表現していると思います。この元画像を作った人は、やはり神ではないかと思うくらいです。
ということで、このカードについて語り出すと、私も時間がいくらあっても足りないくらいなのですが(^^;)、今日はせっかくバレンタインデーなので、恋愛での「恋」の部分について、「恋人」カードに交えてお話します。
さて、「恋人」の絵柄では、大きくわけて二部構成となっていることに気がつかれるでしょう。(画像を見たい方はここをクリックして最下段右から二番目のカードを見てください )
すなわち、上空の天使(キューピット)と、下の三人の人物達に分かれるのです。
そしてよく見ると、キューピットのことは下の三人の人たちは見ていません。何か自分たちのことに夢中で気がつかないという感じです。
一方、キューピットは矢をつがえ、狙いを定めています。おそらく下の人間の誰かを狙っているのか、もしかするとただ矢を放つに任せるだけで、的は絞っていないのかもしれません。
キューピットは一般に言われるように、まさに「恋のキューピット」です(もちろんこのカードでは、ほかの意味もあります)。恋をするには、このキューピットが登場しなければならないのです。
ところがキューピットの訪れは下の人間達には予測がてきないものです。すでに男女三人がいるこの「恋人」カードの画像では、もう恋(の雰囲気)は始まっていると言えましょう。
だからこそキューピットがやってきているのです。ただこれだけではまだ不十分です。矢が放たれることで縁が結ばれ、三人のうちからカップルが誕生します。
ここに縁(えん・えにし)という概念も現れてきます。
おっと、次々と話が続きそうで、秘密・アルカナも口走ってしまいそうなので(苦笑)、そろそろ今日の本題に入ります。
キューピッドの画像をよく見ると、キューピットの後ろに光り輝く赤と黄色の光芒が出現しており、さらに白色をバックにして漂っています。
これらのものと色には意味があるのですが、それはアルカナ(学ぶ者の秘密)なのでここではふれません。
ただ、今回は「白い色がある」ということに注目します。白は純粋さや浄化、まさにピュアなものの象徴です。
下の人間達の恋ごころには、だふんいろいろな思惑、しがらみ、時には打算や欲望も隠されているのだと思います。
だから、みんなあれこれ迷っているように感じられますし、「花いちもんめ」みたいに人を取り合っているようにさえ見えます。
それでも、そういうものに振り回されながらも、人は恋をします。
恋をすると、確かにドロドロしたものがあふれ出しては来るのですが、その中に疑いようのない純粋なものも見えてきます。
たとえ片想いでもその人を思うピュアで好きな気持ち、愛されている喜びからくる感謝の気持ちなどです。
また逆に考えれば、人間世界の条件、打算、自己の強い欲から来るような恋は上空の天使のもの(世界)とは相容れないと思われます。
多少なりとも純粋な気持ちが本人の中に起こらないと、キューピットはやって来ないと言えます。それは恋の情熱のようなこともあるかもしれません。
キューピット自体は純粋なものを背負いつつも、矢は無造作に放たれ、人間界の思惑と結びついて、そこに縁が生じます。
縁は自分が結びつけるものと、天使が結びつけるものとの両方でできているということですが、特に「恋人」カートで語られる縁は恋愛に関する部分が強く、それがためにとんでもない人と結びつくこともあります。
けれども結局のところ、自分にとっての純粋なものを抽出させるために訪れた縁だとも考えられるでしょう。
今日は全国的に雪が降っているようです。白い世界がバレンタインデーに現れるというのも、何か意味があるように感じられますね。
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