月のタイミング
タロットカードでは、どのカードもそれぞれ関連性があると言えますが、あるテーマや問題を意図した場合、特にその関連性が強まって来るカード同士があります。
今回はそのような例として、「月」のカードと「運命の輪」を取り上げ、特に「月」についてふれてみたいと思います。
この二枚は、タイミングをテーマにして結びつけることができます。そしてタイミングと言えば時間に関係します。
「運命の輪」はその回転性から「時間」を象徴することは知られていますが、「月」は時間と関係あるのでしょうか?
かつては月(の運行)を基準にした暦が使われていたくらいですから、月は太陽とともに私たちの生活時間に密接に関係していますし、ある意味、私たちの日常的な時間を作っている天体のひとつとも言えます。
特に「月」の時間・タイミングは、太陽のそれと違い、見えない領域、自然の生命的リズムなどを司っているように感じます。もちろん、太陽も一日を支配し、一年を形成しており、それも自然と言えば自然です。
しかし、太陽が何か意思があるような、表に現れる強い時間のようなものをイメージさせるのに対し、月のほうは優しく、オートマチックに流れている(無意識の)ような感じがあります。言ってみれば、太陽が表の時間、月が裏の時間という表現になるでしょうか。
月が裏で自然的な時間であることは、マルセイユタロットの「月」に、人間ではなく動物やザリガニのようなものが描かれているところからも想像できます。
ところで生命を育んできた大きな存在といえば、地球では「海」が思い浮かびますが、「運命の輪」と「月」には、その海と関係するような絵と言いますか、水の部分があります。
「月」のほうは、水たまり的な感じではありますが、手前側はもっと広大になっているかもしれず、それは海とつながっている可能性もあります。
一方、「運命の輪」は、明らかに大海に浮かんでいるかのようなマシーン的な回転体が描かれていますので、海というイメージは明確です。
そして、海の潮の満ち引きは、月の引力によって起こされていることが知られています。ここからも「月」と「運命の輪」が関係していることがわかります。
タイミングや時間をテーマにすると、この二枚が今述べたように関連し、地球における時間、あるいは「運命の輪」の名前のように、人の「運命」さえ「月」が影響を及ぼしている可能性がうかがえます。
人生において、タイミングが大事だとよく言われますが、確かに、選択や物事が起きるタイミングによって、私たちの人生は大きく変わってしまいます。
もし成功と失敗と言う概念を入れるとすれば、「あのタイミングたから成功した」「あのタイミングを間違えたから失敗した」という人も多くいることでしょう。
「運命の輪」のほうの時間・タイミングは、もしかすると自分で選べたり、ずらしたりすることができるのかもしれません。けれども「月」の時間・タイミングは宇宙の天体のことなので、一人の人間の力ではどうしようもなく、だから月のタイミングは皆に共通で、無慈悲なところもありそうです。
逆に言うと、月のタイミングをよく知っておくことで、私たち人間が意識する時間(地上の生活時間)をうまく活用できる可能性もあります。
また、タロットカードは単なる組み合わせだけではなく、構造や要素として立体的に組み入れて見ることができます。このことはあまり知られていません。
どういうことかと言えば、簡単に言えば、あるカードの中にほかのカードが入るような構造で見ることです。
今回の場合、「運命の輪」の中に「月」が、その逆に、「月」の中に「運命の輪」が入ると見立てるわけです。
こういう見方をすると、宇宙時間・地球時間・個別時間(一人一人の時間)などの時間の性質、種類分けのような感覚も生まれてきます。
占星術でも、それぞれの惑星の時間性質を見るのがひとつの技法だと私は考えていますが、それと似たようなことになってきます。
そうしますと、私たちが実際に何か意図(計画)して実行したり、働きかけたりしても、なかなかすぐに効果が出ないことがあるのも、時間の性質が異なるからだと見ることができます。
これは二枚のカードで言えば、「運命の輪」中に「月」があるということであり、月のリズムが自分の実際のタイミングに関わってきている感じになります。
月に満ち欠けがあるように、満月や新月になるにはその途中の過程があり、つまりは物事の成就、変化、消失(終わり)には、月の満ち欠け的なタイミングがあり、それが自分の時間の中にも影響してくるわけです。
「月」のカードが出ますと、まるでほかのマルセイユタロットのカードで言うと「吊るし」のような待機モードを指していることも多く、ただそれは「吊るし」で待っているのとは違う「月」の待ち方があるのです。
「月」は何やら不穏なイメージもありますが、大アルカナの数の順序では、「太陽」の前の段階でもあるのです。
ということは希望もあり、自分が迷いながら行ってきた様々なことが、やがて有機的に結びつき、効果を出すタイミングがやってくるという意味もあると言えます。
それが「運命の輪」のような明確な変わり方ではないことが多いために、一見、暗闇状で救いがないような、曖昧模糊とした様子に自分は感じてしまうのです。
タロットの展開で「月」が出ている場合(正逆を取る場合は正立の時)、「月」を信じると言いますか、「月」の中に「運命の輪」を見るというような感じで、やがて訪れる夜明けを待って、静かに裏であっても進めて行くと、いつか効果・変化は出ると思うとよいでしょう。(ほかのカードとの組み合わせで、解釈は変わってはきますが)
ただグノーシス的には、この月の支配も超えねばばならず、それが「運命の輪」ともつながっており、「運命」や「運勢」に作用されている段階(吉凶的運勢を過剰に意識する段階、もしくは全くの惰性・反応で生きている段階)では、月の支配がますます強まることが、マルセイユタロットからも示唆されています。
換言すれば、「月」と「運命の輪」が創り出している(仕掛けている)「時間・タイミング」のリアリティ(感)から逃れることが、大きなカギだと言えるのです。
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