運命の輪」に見る時間感覚
マルセイユタロットの「運命の輪」のカードは、その象徴のひとつに“時間”があると考えられます。
時間と言っても、実はいろいろな種類があると考えられ、端的に、精神の時間と物理的な時間という区分けができますし、言い方を変えれば、一人一人の個別の時間と全体に共通の時間とも表現できます。
まあ、その区分けも、私たちが通常の意識でいるからのためのもので、私たちの今の存在形態が変化すれば、精神・物理の区分けもなくなるのかもしれません。
ところで「運命の輪」は回転体なので、言わば、時間は回転が生み出していると見ることもできます。実際、地球(惑星)の自転、公転が時間単位を表していることからもそれは言えます。
時間と空間も密接な関わりがありますが、あまりにも数学的な話になりますと、文系の私も難しく(苦笑)なりますので、そのあたりはふれません。
しかし、単位としての時間を見ることで、そこに独特の空間と言いますか、特徴あるリズムに影響される場所というのかが生まれるのではないかと考えます。
それは波のようなもので、奇しくも、「運命の輪」にも、絵柄の下方には海(と見えるもの)が描かれているので、波的な状態は示唆されていると見て間違いないでしょう。
そして人の人生を思う時、様々なサイクルやリズム、タイミングがあるように思います。
色々な方面から、それが7年であったり、10年であったりと言われているのですが、これも皆に共通するような周期と、一人一人の特徴として強く現れる周期があるのではないかと思います。それが“運命”というものの一種の可能性もあります。(まさに「運命の輪」の名の通り)
あまり細かく分けるとややこしくなるので、あえて単純に、人には三つの期間・周期があるのではないかと想定してみます。
それは、「運命の輪」に三匹の動物のようなものが描かれていることからもヒントになります。
その三つですが、長期・中期・短期と言ってもいいですし、過去・現在・未来と認識する時間という分け方もできます。
過去・現在・未来は誰しもわかることで、メジャーな話ですから、ここでは、スパンの長さによる分け方とも言える長期・中期・短期をフォーカスします。
要は、人生を一生分として見る観点、若い頃、中年の頃、老人の頃みたいな数十年のスパンの観点、一年二年の今現在を中心とした観点という分け方として見るとわかりやすいという話です。
これはマルセイユタロットの特別な方法になりますが、一枚の大アルカナのカードをほかのカードたちに含ませるという見方があります。
それを適用すると、「運命の輪」にもほかのカードたちが入って来るわけです。すると、時間をテーマにしたカードごとの違いが現れるようになります。
簡単に言えば、それぞれのカードが示す時間があるということです。
タロットの場合は数が多いので、一枚一枚の時間とすると難しくなりますが、それでもグループ分けすることで、何とか時間種の差を見ることができます。
それが、先述の長期・中期・短期的な見方と関係します。
西洋占星術の場合だと実はわかりやすいかもしれませんが、基本の7惑星それぞれの時間周期で見ることが可能です。
これは単に時間というものではなく、質の変わる空間とも言え、月時間、水星時間、金星時間、太陽時間、火星時間、木星時間、土星時間(以降、トランスサタニアン等もあり)と表現でき、それが地球の時間と空間とは異なるものになっていると感じられるものです。
そのそれぞれが、私たちのアストラルホディに影響し、私ちは地球にいながら、宇宙の時間と空間の質を味わっているとも言えましょう。
それと似たようなことが、マルセイユタロットでも見て取れるということです。ただ惑星時間のほうは、アストロロジー(占星術)のほうが、文字通り、星のロジックなのでわかりやすいとは思います。
タロットの場合は、さきほど述べた三つの時間観点を基に見ていくのがやりやすいでしょう。
その三つの観点をどう活かすのかについては、マルセイユタロット自体を学ばないとなかなか難しいです。
ただ、とてもシンプルに言えるのは、私たちは普段、ひとつの時間感覚だけに錯覚させられて、物理的な時間と空間の拘束に苛まされていると言っておきましょう。
肉体を持つ私たちには、それは仕方のないところはあるのですが、常識的な時間感覚のみに支配されていると、モノの見方も固定され、問題のとらえ方、解決方法への視野も狭められます。
もっと言うと、霊的(統合的)な解放になかなか進まないということも言えます。
「運命の輪」が、マルセイユタロットではなぜ大アルカナナンバー10(全体のほぼ半分)なのか、そしてあと11もの段階を完成(21の「世界」)まで必要なのか、こう説明するとわかってくる人もいるかもしれません。
「運命の輪」の中に留まるのか、その外に出るのか、あなたは試されているのです。
コメントを残す