地元を愛すること
先日もお知らせしましたが、私が担当するカルチャーセンターでのタロット講座があります。
今日、よみうり文化センター神戸 での「マルセイユタロット入門」の講座が告知されました。4月から始まります。(1日体験講座は3/17)
マルセイユタロットを学ぶ入り口として、神戸近郊の方は是非ご検討いただければと思います。
私は現在、大阪が比較的メインの活動場所となっておりますが、地元はむしろ神戸の方です(出身は隣りの明石です)。今後は神戸や明石、姫路方面などにも活動も広げていきたいと思っています。
さて、地元という話が出ましたが、皆さん、自分の地元や地域、出身、あるいは現在住んでいる所、所属している場所・会社・組織などを愛していますか?
愛するとは行かないまでも、そこにいることにある程度の感謝がないと、たとえばそこから変わりたい、脱出したいと思っていても、簡単には抜け出せないことがあります。
カルマや因縁という言葉になると大げさになりますが、自分がそこにいる(いた)ことには何らかの大きな意志、理由が働いていると考えられます。
ですから、何か嫌なことがそこにあったとしても、それを受け容れる、あるいは体験して何か重要なことに気付くようなことが次の場所に移ったり、自分のステージを上げたりするためにも必要な場合があるのです。
いわば、自分の因縁・カルマを昇華・浄化するようなことが求められるわけで、ただ拒否したり、逃げ回ったりするようなことは考え物と言えましょう。
本当に出るべき時には、「卒業」というような、あるいは「ひとつが終わった達成感・区切り」のような気持ちが起こるものです。(もちろんこれに当てはまらず、純粋に問題状況や危うきところからの脱出、自分の成長によりふさわしいところに導かれるなどのことはあります)
少なくとも、その場所であなたは生活させてもらっていますから、やはりそれに応じた感謝と還元は必要なのではないでしょうか。
たとえば、何かモノを買うにしても、特別な場所でしか買えないものはともかく、どこでも売っているようなものならば地元で買うなどしたり、ただ目に付いた地域のゴミを拾って捨てたりすることだけでもいいと思うのです。
タロットでも、まずは足下、身近なことから進んでいく過程が描かれています。
いきなり世界平和を唱えるのもよいのですが、近くの自分の住む地域から愛することから始めないと、なかなか大きな気持ちにはなりにくいものです。
大きな規模ばかりで愛を考えると、時には小さなもの、中規模なものを覆い隠してしまう危険性もあります。
これは逃避の危うさを秘めています。個々の問題には目をつぶり、大きなことだけ言っていれば気持ちがよくなるという麻薬めいたものです。
「大きな愛の前では、目の前にいる人が困っているのも大した問題ではない」となり、いつの間にか、それは愛ではなく自分勝手な正義、イデオロギーにまでなってしまうことがあります。
もちろん、目の前の問題を解決するためには、大きな視点が求められることもあります。
しかし、愛に次元やフィールドの違いはあれど、大も小もないと思います。
ということで、「地元にも目を向けて愛してみましょう」という提案です。
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