リーディング技術・内容
タロットリーディングには知識も必要。
タロットリーディングにおいて、知識は必要ないという人もいらっしゃるでしょう。
確かにタロットは絵柄から受けるインスピレーションを頼りにして、ひらめきや感性によって得られたものを伝えていきますので、そこに知識が入る余地は少ないかもしれません。
ただ、カモワン流でリーディングする場合は、個人的には知識はたくさんあったほうがより多層的なリーディングができると考えています。
それともうひとつ、他人にタロットから読み取ったものを伝える場合、いろいろと知識があったほうが例え話もしやすく、相手に理解される可能性も高くなります。
ここでは前者の「知識があれば多層的な読みができる」ということについて説明します。
カモワンタロットでは、カード同士の関連を特に重視したリーディングをします。
言ってみれば展開されたタロットカードの中に、どれだけ意味のある関係をつけられるかどうかが重要だということです。
カードを関係づける作業は、最初は典型的な象徴(カードに描かれた特定の図柄)を発見することから始まりますが、やがて形だけではなく、数や意味にまで発展させていきます。
ここにもし神話としての知識があったらどうでしょうか。
タロットカードではエジプトやギリシア神話の神々、出来事を表していると想像されるカードがたくさんあります。
それは単にカード一枚一枚だけではなく、複数からむことで、まさに神話のストーリーを体現している場合もあります。
神話は深いところで人間の意識の元型を描写しているともいわれており、神話の内容と自己との関連を見ることにより、自分の今の心の状態や方向性も知ることができます。
またガラリと視点を変えて、職業についての知識がたくさんあるとすればどうでしょうか。
自分の適職や天職を知りたいと言った人に、実際に多くの仕事・職業を知っているタロットリーダーがいるとします。
そのタロットリーダーは、おそらくタロットと職業の組み合わせをよりリアルに多く感じるとることができ、仕事とカードとの関係の推測も容易でしょう。
仕事をあまり知らない人よりも、出たカードから具体的にたくさんのものを提示することが可能だと予想されます。
神話にしろ、職業にしろ、知識があれば例えば「正義」と「隠者」は「これこれ」の意味でつながりがあるのだとカード同士を関連させることができます。
つまり、知識があればあるほどカード同士の関係づけ作業は楽になるばかりではなく、関係した組み合わせ(セット)の数もそれだけ多くなっていくということです。
カモワン流で肝心なのは、この関連した組み合わせ同士をさらに関係させて考えていくことにあります。
簡単にいえば、「あの夫婦とあの夫婦はだんなさんが同じ高校出身で、奥さんが絵を趣味にしている共通点がある」というようなことを見つけていくようなことです。
それがリーディングにおいての理論的な根拠にもなるのです。
ですから、カモワン流においては図柄から受ける感覚だけではなく、カードの深い内容まで知識的に理解していることが大切だといえるのです。
カードの関連から「机上の空論」を見る。
カモワン版マルセイユタロットの解釈には、カード同士に同じ象徴(シンボル)があれば、それに注目してリーディングするというものがあります。
今回はそれに関連した話です。
大アルカナと呼ばれる22枚のカードに「手品師」(ほかのカードの名称では「奇術師」「魔術師」)と「世界」というカードがあります。
この二枚には同じ象徴がたくさんあるのですが、中でも「手品師」に描かれているテーブルの上の手品の道具類と、「世界」における人物・動物類との関係には深いものがあります。
その根本的なことと詳しいことについては講座でお伝えしているところですが、ここでは講座の内容とはまた別のものを書きます。
「手品師」の手品の道具と「世界」に描かれている動物たちは、同じ意味合いをレベルや状態の違いで示したものなのです。
従ってその相違を見ることによって、カードがその時、示唆していることを導き出すことが可能です。
「手品師」の道具は「モノ」であるのに対し、「世界」の動物は「生き物」です。
「手品師」も「世界」も、描かれている人物は自分が中心であることに変わりはありません。
ただ「手品師」にはほかの人物(生き物)が出てきていません。
もしカモワン流でいうところの問題カードが「手品師」として登場し、さらに解決カードに「世界」が出るようなことになっていれば、「生物」であるかどうかというポイントはとても大事なことになってくるでしょう。
つまり、「手品師」はモノや技術で何とかなると思っているのであり、そこには血が通った生のものがないのです。まさに机上の空論状態といえましょう。(「手品師」の図柄にはテーブルもあります)
反対に「世界」は「生き物」に囲まれています。
これはモノだけではないつながりも理解しているということになります。ちなみに「世界」の中心人物は、その手に小さく道具をもっていますので、モノを軽視しているわけではありません。
また仮に「世界」のカードが問題で「手品師」が解決を示しているのならば、その逆も考えられます。
これは、せっかくの技術や道具があるのに、他人(の意見や考え)に振り回されて、それを活かしきれていないということになるでしょう。
また、考えすぎていつも動けないことになってしまう傾向の人は、「手品師」の問題と考えるとわかりやすいかもしれません。
象徴的にいえば、「あれこれ机上で考え、“一人手品”をするばかりで、観客に自分の手品を見てもらうことをしない」ということです。
こんな風にして、カード同士の象徴を比較することによって、自分の問題をわかりやすく見ることができるのがカモワン流メソッドのよいところなのです。
タロットリーディングでの感性の違い
タロットリーディングはやはり感性といいますか、象徴とイメージの想起によって行われているところが大きいといえます。
それは当然のことながら、私たちが日常生活している時の実際的・物理的な感覚のものではありません。いわば目に見えない世界との関係を見るというようなことにもなってきます。
この目に見えない世界とのつながりを安定的に感じられる(つながることのできる)人は、普通では思いもつかないようなリーディングができたりします。まさに「スピリチュアル・霊的な」と表現できる読み方が可能です。
ただ多くの場合、「安定的に」という点では行かない(行っていない)ということも事実です。
カバラというユダヤ・西洋密儀による生命の木をものさしで使うとすると、いわゆるイエソドレベルを行ったり来たりということになるでしょうか。
それはリーダー本人の資質や体調、日々の精神状態、人格、訓練度合いなどによって変化するからであり、一度あるレベルを経験したとしても、それを自分で意図的にコントロールできるかどうかは別の話になるからです。
ただ一度でも経験すると、感覚は残りますので、経験していない人よりかは異なってくることは多いでしょう。
レベルを上げ、安定的なリーディングをするのには、やはり通常は訓練で培っていくしかないと思います。(訓練にはいろいろな方法があり、タロットに限りません)
それでも、カモワン版マルセイユタロットのリーディングにおいては、ある規則や法則を基本に置くことによって、自分の状態から起こるリーディング感覚のズレやブレをある程度防ぐことができます。
これは例えれば仕事に行く場合、自分の体調が少々悪くても毎日決まった時刻の決まった電車に乗れば、目的地までは何とかたどり着くというようなものです。
言ってみれば「タロットが教えてくれている」というようなもので、その解読方法を基本ルールとして知っておくと、自分がブレていても、「出たタロットに意味がある」と信用し、解読ルールをあてはめることで一応の回答や方向性が出るという考え方です。
いわば、読む人(リーダー)の霊的レベルで判断するのではなく、タロット自体の霊的なつながりで判断するということでもあります。これはタロットへの全幅の信頼がないとできにくいことでもありますが。
カバラでいいますと、私たちの日常経験しているマルクトレベルの「形」でタロットも見ていくということになりますが、これはレベル的には確かに低いとはいえ、一本柱が通っていると考えられますので、概ね方向性の間違いはないといえます。
柱が通っているというのは、たとえば音楽で「ド」という音がありますが、同じ「ド」でも高音の「ド」と低音の「ド」があって、聞こえてくる音の違いあるものの、皆「ド」という音で統一できているというようなことです。
さて、そうやってリーディングしながら、今度は自分自身の感性レベルも上げていく訓練を意識的に行っていくと、つながりは次第に容易さと安定さを増してくると考えられます。
そこまで難しく考えなくても、日頃の感覚を利用しながらまずタロットをリーディングし、次第に「違った意識で自分はタロットに向かっているな、読んでいるな」というものが感じられてくるようになれば、あなたに変容が起き始めている証拠ともいえます。
タロットにはそうした意識の変容装置としての仕組みもあるのです。
タロットから見る、逃げるが価値(勝ち)。
「36計逃ぐるに如かず」という中国のことわざがあります。簡単にいえば「逃げるが勝ち」てことです。
これは意外と皆が忘れている重要な戦法だと思います。
戦法といっても、別に本当に戦うのではなく、人生における対処法ということで考えた場合です。
ところで話は変わりますが、カモワン版マルセイユタロット(以下、カモワンタロットと略称します)ではカードの人物の視線や動きの方向性を重視します。
ですからリーディング時には、視線を持つカードとその視線方向にある二枚のカードとの関係にも注目する必要があります。
たとえば「愚者」というカード。
向かって右方向に視線を持ち(正立時)、その方向への移動を示唆しているように見えますので、「愚者」は、その右側に来たカードの人物や事柄に向かって動いて行っていると読みます。
カモワンタロットを習う初期には、この「愚者」のことを「とこかへ向かう」存在だと認識します。それはそう最初に教えられるからであり、正しいことでもあります。
しかし、「愚者」は愚か者と書くように、そうそういつも明確な意図をもって目的地に向かっているとは限らないのです。
「愚者」のカードの正立時において、その愚者の移動していく方向は、視線を向けている右方向(カードを見ている人から向かって)になると先ほど述べました。
しかし、この場合、必ずしも愚者の右方向に存在しているものにひきつけられているということを意味するのではありません。
反対の左方向のカード(の人物、内容のこと)から「逃げている」「逃れている」ととらえることもあるのです。
「愚者」の逃げ足は速いです。(笑) またそのエネルギーには膨大なものがあります。
「愚者」は楽天的で、何物にもとらわれない、気にしないという人物であるので、逃げることもまったく厭わないのです。
逃げたらかっこ悪いとか、プライドが許さないとか、逃げないで立ち向かうことに意味があるのだとか、そんな小難しいことは考えないから「愚者」なのです。
「とにかくヤバイと思ったら逃げる」「命あっての物種」「君子危うきに近寄らず」「無理してドツボにはまるよりまし」「無駄なエネルギーを消費するより、スタコラサッサと逃げて別の所でエネルギーを使うほうが効率的だろ」・・・こんな声が愚者から聞こえてきそうです。
ロールプレイングゲームでも、自分やパーティー(仲間)ではとうてい相手に実力的に勝てないと思った時、いったんは退却するという選択肢が必ずあります。
もちろん逃げてばかりだと、ゲームですら、自分(の力)を成長させることはストップしてしまいますから、なんでもかんでも逃避を続けてしまうことは問題です。
でも無理して全滅したり、また一からやり直したりするよりも得策なこともあります。
特に男性は変なプライドを重視して玉砕してしまう傾向がありますから注意してください。
あえて無茶して自滅することを、逆に「一生懸命、死にかけになってやっているオレ、かっこいい」と勘違いしているドMな方が日本では多いので、それが効果的かどうか、意味があるのかどうか、もう一度冷静な目で見てみる必要性もあるでしょう。
今回は述べたことはふたつの意味があります。
ひとつは、カモワンタロットの視線カードの読み方の別例を提示したこと。
そしてもうひとつは、「愚者」のカードを例にして、人生には一時的には逃げてもよい場合もあるのだという発想を持つことをお話しました。
カモワンタロットの展開法の整理
昨日は久しぶりに関西タロット研究会 (カモワン版マルセイユタロットを使ったリーディングの研究をする会)に出席していました。
そこで出席者のある方が、最近のカモワン版マルセイユタロットを使った展開方法の種類について質問されていらっしゃいましたので、ここで(推測も入っていますが)私の整理した見解を述べたいと思います。
カモワンタロットの展開法については以前にも書きましたが 、今回はまた違った観点で見ていきます。
現在日本でフィリップ・カモワン氏が開発した展開法をもとにしたマルセイユタロットのスプレッド(展開法)は大きくわけて、4つあると思います。
1.タロット大学時代に主として教えられていた展開法
2.タロット大学時代に上級者用としカモワン氏より伝えられていた方法
3.イシス学院で独自に開発された展開法(カモワン流がベース)
4.カモワン氏が直接、ここ数年に日本で教えられた展開法
この4つの違いは、本質的にはあまり大きくは変わりはありません。それぞれ基本OSは同じといえます。
ただパソコンソフトと違うのは、どれがどのバージョンアップであるとは一概ににいえず、たとえてみれば、パソコンの形態(モバイル用、デスクトップ用など)や用途に応じて変化しているものととらえたほうがわかりやすいかもしれません。
ここで私のいう基本OSが同じというのは、
この4つとも、基本的に「視線カード」というものと、「問題カード/解決カード」というカード展開の規則を選択しているということです。
視線カードというのは、カードに描かれている人物の視線を追って、さらにその方向にカードを置いていくという方法です。
そして問題カードと解決カードというのは、逆向き(リバース)で出たカードを問題状態のカードとして解釈し、そのカードの下か上に、問題を解決していくと考えられるカードを置くというものです。
結局のところ、このふたつの大原則のもと、あとは細かな違いがあるに過ぎないといえます。逆にいえば、このふたつのルールさえ理解していれば、どのバージョンにも対応できることになります。
質的な観点からしますと、1と2、そして4はカモワン氏の展開法であるので基本的には同質ですが、3はイシス学院の大沼忠弘氏が考案されたものですので、ほかのものとは異質な面があります。
私個人の考えでは、どの方法を使用しても構わないと思いますし、どれもきちんとリーディングできる方法だと感じています。
ただひとつだけいえるのは、カモワン流(上記、1,2,4)の展開法でリーディングする場合は、当たり前ですが、ご本人の開発されたカモワン版マルセイユタロットを使うほうが読みやすいのは確かです。
とはいえ、ほかのマルセイユ版でもできないわけではありません。基本構造と絵柄は同じだからです。
しかし、カモワン流の場合は細かな図像の象徴に着目(カード一枚の全体絵柄はもちろん、一枚一枚の細かな象徴に注目)したリーディングを行いますので、細部まで鮮明に描かれた象徴(カモワン氏と共同制作者のホドロフスキー氏の解釈ではありますが)のあるカモワン版マルセイユタロットでなければならない理由はあります。
ところが、そこまで細かく象徴に注視し、その連繋(同じ象徴、意味のつながり)に何重にも留意しながら(単なるひとつやふたつでありません)、さらに展開全体の構図まで読み解いていく技術はなかなかに難しいものです。
この部分において、本家といえるカモワン氏自身の象徴抽出能力と、誰も想像しえないようなスピリチュアル的なカードの解読によるリーディング方法は圧巻のものがあります。(カモワン氏自身、カモワンコード(暗号)と名付けていて、その解読に特殊な技術がいることをお話されています)
けれども、このレベルで、普遍的な技術として皆が行えるようになるかという点では、非常に厳しいものがあると言わざるを得ません。
ですから、おそらく純粋な意味でのカモワン流のリーディングをされている方は、かなり少ないと予想されます。
大沼氏がカモワン流をもとにしつつも、独自の展開法を編み出されたのも、こういった理由があるからであり、もっとシンプルに皆さんにリーディングしやすい方法をという思いがあったものと考えられます。
そして、今、日本ではカモワンタロットを習らわれた方、本を読んで自分なりにされている方など、様々なバージョンと個人での読解方法が出ているものと推測されるのです。
結局のところ、展開法は人為的なものです。自分に合う展開法(自分がリーディングしやすいもの)をやっていけばよいと思いますし、クライアントが納得し、問題が解決したり癒されたりするのであれば、それはそれで正解でしょう。
複数の展開法を使いこなすこともありですし、ひとつのものを極めていくのもありです。ただいずれにしても、最初のうちはひとつのものをきちんと自分の基本の「型」としてマスターしておくことが望まれます。
そうしないと、ほかのものを判断する基準というものが自分にできないからです。自分の中にいわば「タロットのものさし」を作っておく必要があるのです。
またそれぞれの展開法は同じ規則には基づいていても、別物だと認識していたほうが混乱せずに済みます。
極端なことを言えば、展開法の違いは、同じタロットを使うものではあるのですが、別の道具を使って占っている、あるいは別の占い種類でやっていると思うくらいでちょうどいいのです。
ちなみに私自身はリーディング時においては、最初に挙げた4つの分類でいえば2をメインとして、時と場合により、小アルカナを含めていろいろな細かいメソッド(ホドロフスキー流もあり)を入れています。