リーディング技術・内容
タロットリーディングにおける数稽古
どの世界でも上達のためには「数をこなす」ということが言われます。
タロットリーディングにおいても、もちろん数(実践)をこなすということは技術の向上を生みますが、単純に数さえこなせばいいというわけではありません。
以前、別の所でタロットを習われた方で、「自分がリーディングができないのは、とにかくリーディングす.る数が足りていないからだ」と信じ、がむしゃらに「100人をリーディングする」と自分に課された人がいらっしゃいました。
しかし、その結果、「ますますリーディングがわからなくなってしまった」と嘆かれることになってしまったのです。
これはどういうことかと言いますと、自分の中に仮説や柱を立てずに、ただやみくもに数をこなしたことで、情報だけが大量に流れ込み、収集がつかなくなったことを物語っています。
つまり、リーディングの方法の整理がつかず、混乱している状態だといえます。
これを避ける意味でも、いきなり大量に実践をこなすより、まず自分なりのリーディングの方法をおぼろげながらでもつかむことが大切です。
特にカモワン流での展開法(スプレッド)でリーディングする場合は、出るタロットカードの枚数が一定ではありませんから、ある種の法則を理解していないと、やればやるほど余計にわからなくなってしまう危険性もあります。
ですから、カモワン流のタロットを上達させるには、まず、
1.少ない枚数(少ない枚数の展開法)で読みの推測ができるように練習すること。
が求められます。
次に、
2.少ない枚数の練習をもとに、自分なりの読み方の見当(ルール、パターン)を作る。
というようなことを行っていきます。
この時、1において数をこなすことはよいことです。数をこなしながら自分なりの読み方のパターンや仮説を想定していくのです。それが2の過程となります。
だいたいのパターンや読み方の予測・見当がついてきたら、今度は普通の展開法で実践に移行します。
しかしここでも無目的に数をこなすのではなく、目的をもって読み方の推量をしながら実践を行っていきます。あとの検証も必要不可欠です。
結局のところ、タロットリーディングでも、よくいわれるように「プラン、ドゥ、チェック、アクション」のようなひとつのサイクルをもって進んでいくとよいのです。
数をこなすというのは、このサイクルの数をこなすということです。
なお、最初にあげた100人実践の方に、このことを伝えたことで、それからはリーディング技量が加速度的に進化しました。
もともともっていた実践を恐れない積極性と、すでにあった100人以上の心の中に蓄積されていたデータを、ルールのもとに整理することができたので、結果的には数をこなしたことが活かされたのです。
実行ばかりでは意味がありませんし、考えるばかりでは現実に変化を起こせません。その両方が必要なのです。
もちろん単純に数をこなすだけでプラスになるものもあります。タロットリーディングの例でいえば、慣れる、度胸がつくという心理的な効果が期待できます。
ただやはり何事も数をこなすということだけではなく、そこにプランをもって臨めむことを加えれば、さらに効果はあがるものと考えられるのです。
「月」のカードの考察 読み方の一例。
タロット講座やリーディングの勉強会をしていますと(カモワン版マルセイユタロットの場合です)、読みにくさで筆頭にあげられるカードがあります。
それが「月」のカードです。
カモワン流では、カードが正立で現れた場合、どんなカードでもポジティブな解釈でリーディングすることが求められます。
そして解決カードというスプレッド(展開法)上の規則もあり、その解決カードで登場したカードも積極的な意味で読む必要があります。
ところが、「月」のカードはそのトーンの薄暗い色調や、二匹の犬が月に向かってほえあっているという、なにやら対立的な図柄からも、いい意味で読みにくいのです。
そこで皆さんは「月」のカードに困惑してしまうことになるのです。
「月」は実に深いカードなのですが(ほかのカードももちろん深いです)、ひとつ「心理」や「感情」をテーマにして読んでいくとわかりやすくなってきます。
ただ「感情」というものはとらえにくいものです。だからそうは言っても余計に難しく感じられるでしょう。
ここで図柄にある二匹の犬に注目します。二匹が向かい合っているのですから、自分と相手がいる(または自分の中でも二人いる、二つある)ということです。
ここに先ほどの「感情」というテーマを当てはめると、「自分と相手の感情に着目する」という意味が出てきます。
犬がほえあっているのですから、主張を言い合うという解釈もできるかもしれませんが、カギは「感情」や「気持ち」です。
「ほえあう」つまり言い合う、伝え合うにしても、自分や相手の気持ちを配慮することが求められるのです。
まずは自分の気持ちを相手に伝える、同時に相手からも気持ちを伝えてもらうことです。
そこには意見の食い違いや、思ってもみなかたことで自分の感情が揺さぶられる(対立や反感も含めて)ことが生じるかもしれません。
それでもお互いの気持ちを吐露しあうのです。相手の言葉から複雑な心境にはなっても、相手がなぜそのようなことを述べるのか、そんな気持ちでいたのかを「感じる」ことを「月」のカードは示唆しています。
つまり相手の中に、自分の気付いていなかったものををお互いが見ていくということになります。
感情や気持ちを押し殺して過ごしていても解決にはならないことが多いものです。
そのため「月」のカードが出ると、ずっと心の底に貯めていたこと、あるいは普段感じていて言えずにいたこととを相手に話す(話すことだけではありませんが)ということを示していると言ってもいいでしょう。
月は太陽の光を受けて輝くものであり、光を受けるという受容性があります。また何かを鏡のように映し出すという幻影的な作用もあります。
片方の犬が見ているものは、相手への幻想であるかもしれませんが、同時に相手の見えていなかった部分(自分の中の葛藤部分)を受け入れていくということでもあります。
結局は相手の中に自分を見るということにつながります。
もう一度読み方に戻りますが、このカードが出ると、感情をキーに、ふたつの対象があることを思うことです。自分だけなら自分の中のふたつの心、相手がいるなら、相手と自分の心や感情に注目します。
次に抑圧しているもの、葛藤があるのなら、それを対話(自分ならふたつの心、相手がいるなら相手と自分)させることです。
この時、論理的な主義主張ではなく、気持ちや感情の部分に注視することが重要です。
さらに、ふたつを統合する前の分離状態をよく観察して見ることで、その両者を受け入れる素地ができます。表裏一体に思いを馳せるのです。
つまり新しい次元への移行や発想ができる前の分析と、受け入れ時期と行動が示されていると解釈します。
このことは、カードのローマ数字を見てみるとよくわかります。
月のカードの数はⅩⅧ(18)であり、ローマ数字はⅩ(10)とⅤ(5)とⅢ(3)に分かれます。
Ⅹ(10)は「運命の輪」であり、運命の転回やある段階での統合を示します。それにはⅤ(5)としての「法皇」、伝えること(話すこと)が求められ、そのことでⅢ「女帝」(3)という新しいアイデアや発想につながっていくことを表しています。
こういった「月」における一連の過程を理解しておくことで、実際の場面で「月」が出てきた時にどうリーディングしていけばよいのかの判断がつきやすくなるでしょう。
そうすれば、「今、気持ちを話すことをすればいいのか」「話すより先に見つめる感情があるのか」、はたまた「気持ちを話すにしても、どう話せばよいのか」なども、ケースによってどれが適当かということを読み解くことができるはずです。
その結果、「吊るし」と同様に、じっくり観察すること、不透明なものがはっきりするまでそのままにしておくことがいいという場合もあれば、「恋人」のようにコミュニケーションしてよく話し合うことがいいと能動的に解釈されることもあります。
しかしながら、その根本には「感情」「気持ち」ということものがあることを、「月」の場合には見ていく必要があるでしょう。
「月」にはもうひとつ、ザリガニという甲殻類が登場しているのも特徴なのですが、これを含んでの考察はまた別の機会に譲りたいと思います。
視点と軸。タロットの展開法から。
かつて、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」というテレビと映画の作品がありました。
あの「Love Letter」の監督、岩井俊二氏の作品であり、幼い時代の奥菜恵が出演していることでも話題になったものですが、別にこの作品のことをここで語るわけではありません。(個人的にはノスタルジックで好きですが;)
今回お話するのは、まさに「下から見るか、横から見るか」ではないですが、タロットリーディングにおける「視点」のことになります。
カモワン式の展開法にはいろいろなバージョンがあることを説明しました が、「解決カード」(文字通り、問題の解決を示唆するカード)に着目した分類をすると、解決カードを下方向に置くやり方と上方向に置くものとの違いによる二種類があります。
規則的にはそれだけの違いであるとはいえ、やってみればわかりますが、見た目の雰囲気もかなり違ってきますし、実際にリーディングの内容にも差異が見られるように感じます。
ひとことで説明しますと、上向きが精神的(スピリチュアル的)視点、下向きが現実的視点だといえるでしょう。
これは人の視線と気持ちがどういった時にどういった方向を見るのかということを分析すれば、非常に理にかなったやり方だと思えます。
私自身は研究と実践により、現在は上向きに解決カードを置いていくことをメインとしています。しかし下向きに置くことも必要なケースもあります。
出ているカードは同じでも、上に上がっていく展開を見るのと、下に降りてくる展開を見るのとではずいぶん印象が違います。今まで気付かなかったことも見えてくるようになり、そこから新たな発想も生まれます。
つまり視点や視線方向を変えただけで、考え方も変わると言うことです。
カモワンタロットが視線を重視しているのにも、こういった理由がひとつにはあるのです。
このことをもっともカード単体で表しているのは、「吊るし」のカードです。このカードの人物は逆さまの視点で物事を見ているからです。
解決カードを置く方向性だけではなく、ひとつの展開方法を上下左右、いろいろな方向から見てみることもお勧めします。
そうするとあるカードが非常にクローズアップされたり、立体的に見えたりして、展開自体のメッセージが直観的に感じられることもあります。
時にはタロット自体から視線をはずしてみることさえも有効である場合があります。特にリーディングで煮詰まったり、出た展開の意味がまったく読み取れないなどの時は効果的です。
単純にリーディング練習としても、相手側と位置を交替するだけで、別の「ふたつの視点」を体感することができます。
これは実は視線だけのことではありません。
たとえば過去に戻った気分で今を見る、未来から今を想像して見るなどの時系列観点も面白いですし、多くの人の(それも性別・年齢・出身などの違いによる)意見を聞くというのも、ある意味考察視点の違いの比較ができて、多様性を促進されます。
と、このようなことはどこでも語られているので新鮮味もないかもしれませんので、もう少し付け加えたいと思います。
一気にいろいろな視点から刺激を受けるのもよいのですが、かえって混乱することもあります。
従って「テーマ」は最初に決めておいたほうがよいでしょう。視点は変えるけれども、テーマや主題は変えないという姿勢です。
例えば、先のタロット展開法の例でいえば、上や下という方向・視点の違いを見るのはいいのですが、リーディングの問い、何をそこから得ようとするのかという主題は固定させておくということです。
これをしないと、例えば「おいしいラーメンを食べたい」という目的でネット検索で口コミを見たり、友人から噂を聞いたりという視点を変えた調査をいろいろしたはいいけれど、そのうち自分のメタボさが気になって、いつのまにかメタボ予防の食事メニューを探してしまっている、というようなことにもなりかねません。(まあ、この場合はその人の健康にはいいかもですが・・・(^_^;))
主題も複数、視点も多数だと発想は出てきてもまとめきれずに、逆に消化不良を起こしてしまうおそれもあるのですね。いきなり鏡張りの動く立体ハウスの中に入って酔ってしまうようなものといえましょう。
視点の多角化は大切ですが、その前にはまず「主題」や「テーマ」といった自分の中心軸を定めることもまた重要だと言えます。
で、打ち上げ花火、結局下や横からどう見えたのでしょうか? それはこの夏、実際に打ち上げ花火を見に行かれるか、映画を見てご確認くださいませ。(笑)
サッカー日本代表決勝トーナメント進出
おおっ、ついにサッカー日本代表、決勝トーナメント進出ですね!
いやー、見事な戦いぶり。堂々の勝ち上がりです。
本当におめでとうごさいます。
この件で改めて思ったのは、未来は自分(たち)の手で変えられるということです。
前もっての私のリーディングでは、あまりよい感じではなかったのですが、カモワン流でタロットを展開しておりましたので、どのようにすれば改善できるのかといった「解決カード」も当然出ていました。
おそらく選手はじめ、監督やスタッフの皆さんが一丸となって、まさに「解決カード」のことを実行したことによって、未来をいいものに変えていったのだと私は確信しています。
また、やはりカモワン流の展開法は、これまでの過去と現実を作り出している心理状態(心の決め事)をカードに投影させ、それを変換する(心の決め事を変える)ことで、過去・現在・未来にわたって次元を転換していくことに本当の意味があるのだと認識しました。
この展開法とタロットの使い方が、今更ながら理解できたところです。ありがとうサッカー日本代表。
タロットの非合理性
女性の方は気軽にタロットに接してもらえることが多いのですが、男性の方は占いというイメージで毛嫌いされていらっしゃるのか、なかなか入り口から困難です。
そんな中でも数少ない?貴重な男性諸氏がタロットを習いにやってきます。
教室ではもちろん少数派です。めちゃくちゃ少数派です。いじられキャラの人は間違いなく、お姉様方から愛あるツッコミを受けるでしょう。関西ですから、それも半端なものではありません。(笑) まあ、それがうれしい人もいらっしゃるかもしれませんが。(^_^;)
冗談はさておき、
男性でタロットリーディングを行う時に多いのは「硬直」です。
展開されたタロットを前にして、まさに固まってしまうのです。それまでほかのお話を気軽にされていたのに、タロットが展開されたとたん、突然冷凍室に放り込まれたマグロ状態に変化します。
「もしもし、どうされましたか?」
「いえ、読み方はさきぼとの講義で頭ではわかっているんですが・・・いざ展開を目の前にしてみると全然わからなくて・・・」
これをほうっておくとですね、たいていテキストとか、キーワードを書いたプリントなどカンニング(笑)されるわけです。(練習前に見ないように言っておいても)
何もこれは男性に限ったことではないのですよ。女性でもあります。
なぜこのようなことが起きるのでしょうか。
それは普段から論理思考が強い男性(あるいはそういった傾向の女性)は、左脳的にタロットをとらえようとして脳内回路がショートするんですね。
つまり理屈でタロットをリーディングしようとしているのです。
ここが肝心なところなのですが、タロットはもともと私たちの暮らしている世界や社会の常識からは、非合理、非論理的なものなのです。
「ナルト」ではありませんが、タロットは「右を向きつつ、左を見ろ」と言われるようなものです。(すみません、漫画ネタで)
まあ、ナルト君は影分身という術で、自分の分身の三人目を出すことでこの問題を解決したわけですが、要はタロットはこの影分身三人目という発想を促すものだということです。
しかし、いつも現実社会で合理的思考で生きている人には、そこに常識としての理屈が通らないとわけがわからなくなるのです。
例えば「13」「手品師」というカードが並んだとします。それぞれ意味的に「変化」や「仕事」と単純にキーワード的に覚えてしまっていると、仕事を変えたほうがよいのだなと頭(理屈)で理解しようとします。
けれども問いを発した当人は、「仕事は順調で変えたいとも思っていない」と答えたとします。(自分リーディングの場合は、自分がそう思っていたとします)
もうそうなると、そこで普段の自分の理屈を超えてしまう(「変えたくないのに、変えろ」と出ているタロットとの矛盾で合理性や整合性がわからなくなってしまう)ので、硬直するしかないのです。
このような人は、とにかく力を抜いて、タロットの絵柄に意識を集中してみるとよいでしょう。タロットの声に耳を傾ける無心な状態になってみます。
タロットがどんな風な動きや感じとして伝わってくるか。
そうすると、もしかすると、上記の例(「13」と「手品師」)でいえば、「13」は困っている人のように見えてきて、何か訴えている気がしてきたとします。隣の「手品師」も誰か人物に見えてくるかもしれません。
(タロット画像を見たい人はカモワン氏のサイト でご覧ください。「手品師」は一番下の段左から二番目、「13」は中段右から二番目のカードです)
ここから「自分はいいかもしれないが、誰か職場で困っている人、やり方を変えたいとか思っている人がいるのかも」という発想が浮かびます。最初の言葉だけに頼ったものとはまったく違う内容になってきています。
そのことを、問いをした人に確認して、思い当たることがあれば、タロットはそれを示唆しているととれます。思い当たらなくても、表面的に気付いていないだけで、そのようなことが隠れている可能性もあります。
つまり、タロットは「象徴」なのでそれ自体に何重もの意味があり、それが重なってとらえられることにより、時には矛盾として感じられることもあるということです。非合理性なのはいわば錯覚に近いものです。
重なりをほどけないのは、普段の凝り固まった日常意識があるからともいえます。
そういう意味で、タロットは頭を柔らかくするのには大変いい訓練になります。(何より、私自身がそうでした)
なお、「硬直」するのには、まだほかの理由があります。それについてはまた別の機会で語らせてもらいたいと思います。