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誰もがドラマチックな人生を歩んでいる。

あなたは「自分なんてつまらない人間だ」とか、「私なんてしょせん何もできない凡人」だと思っていませんか?

あるいは「自分のこれまでの人生、いいこともなかったし、評価できることなんて何もない」と考えていたりしませんか?

私はこれまでタロットで人の人生を見てきました。

そして、これだけは言えることですが、誰一人としてその人生がドラマチックでなかったという人はいませんでした。

なぜそんなことがいえるのか?

私は物語やシナリオを書くことが趣味でもありました。

でも、自分で書いたものはちっともドラマチックではないのです。平凡なありきたりのものなのです。かといって、奇をてらうと余計に変になることもありました。

けれどもタロットリーディングで人様の相談をするようになってから、実際に「事実は小説よりも奇なり」だということを実感したのです。「奇なり」というよりも、すばらしいと形容したほうが正確かもしれません。


ドラマチックということは、印象的で感動的であるということです。


人の人生はすべてドラマチックなのです。誰でも自分が主人公になって、自分という人生の映画を、この世界という劇場・舞台で、自らは気が付かず、すばらしく演じているのです。


自分が映画や小説を見たり読んだりして、感動した時というのはどんな場合だったのか思い出してみるとよいでしょう。


それはいつも同じ事が起こって、楽しいばかりの話が続いていたものだったでしょうか?


いえ、違っていたはずです。


主人公に苦難が襲いかかったり、つらいことがあったり、反面それを乗り越える喜びがあったり、成果やサクセスを得た話があったりと悲喜こもごも、山あり谷ありのストーリーのほうが感動的だったはずです。


また自分ではそうだと思っていなくても、たとえばある人の平凡と思える一日をドキュメントしても、他人から見れば意外な驚きや楽しさ、すごさはあるものです。(関西では一般の人が結構、本職の芸人よりも強烈なギャグを飛ばすことはよくあります(笑))


あなたのご主人、奥さん、子ども、兄弟、両親、恋人、友人・・・みんなあなたには見せてない、あるい見えない苦労やドラマがあるのです。また彼ら自身も気がついてないドラマティックな人生を送っているといえましょう。


カモワン流のタロットでは、過去・現在・未来にわたってたくさんのカードが、流れるように展開していきます。それはタロットで上映された一種のあなたの人生のシナリオとドラマです。


これを見れば、皆さん本当にドラマチックな人生を送っていることが一目でわかります。


自分の人生はつまらないと思えていても、見方を変えれば皆、印象的であり、感動的なのです。


それを確認する意味でもタロットをする価値はあると思います。


さらに今度は、自分が主人公であることをここで自覚して、今まで無意識に演じていたものを意識的にし、自らシナリオ構成に参加していくことも可能になってくるのです。


あなたの人生はドラマチックであることを知りましょう。


タロットに親しみやすい時代に。

昨日はタロットの体験会を神戸市内で行いました。


今回は少し趣向を変えて、カルチャーセンターのタロットの受講生の方々を対象に、通常の教室で行っているものよりももっと深くこのタロットを体験してみましょうという形にしてみました。

 

私の体験会は、はじめてカモワン版マルセイユタロットのリーディングを経験してもらうものと、今回のように入門的なリーディングは知っているけれども、さらにステップアップしたリーディングがどんなものかを体験してもらうものとのふたつを用意しています。


今回は後者だったわけですが、それにしてもしばらくタロットを教えることを続けていますと、最近の受講生さんたちの変化(違い)というものを実感しています。


それは何かといいますと、生徒さんたちのタロットへの感じ方(理解というより直観的な把握に近いものです)が、現在はとても早くなっている気がするというものです。


これは前の生徒さんたちが劣っていたというわけではありませんし、私の講義の力がアップしたということでもないと思います。(講義内容はいつもブラッシュアップしていますので、年々、多少はわかりやすくはなっているとは思いますが)


その理由としては、タロットの展開法を個人的に従来のものから変えたことにも関係してくるのですが、何か地球全体のエネルギーが変化しているからではないかと想像できるのです。


その総合的な変化により、タロットに流れる目に見えない何かかがあるとすれば、それとも感応しやすい人が増えてきたという印象です。


エネルギーの増幅によってスピリチュアルなことに関心を持つ方が増えてくると同時に、さらにその増加した層に影響されて、もともともっていたものが開いたり、解放しようと、タロットのようなものに引き寄せられていくということなのかもしれません。


たとえタロットになじむことが遅かったり、タロットリーディングがなかなかうまくできなかったりしても、自分の奥底に眠っている(あるいは自分を縛っている)ものに、以前より早く気がつくようにもなっていると感じます。


今までタロットは占いという世界だけのもので使われてきたことが中心でした。


しかし、これからの時代、明らかにタロットの使い方は変わってきているといえますし、占いを超えた多様なことに求められているようにも思います。


占いも、もとはといえば皆さんが幸せになるために活用されるものです。(由来自体は軍事や政治などであっても現在は、ということです)


しかし従来の、吉凶判断、未来予知、状況診断(いいか悪いか、これをすればこうなるというようなもの)でタロットを使って幸せにしていくというもの以外の方法もあるのではないかということです。


そして「幸せ」の基準や考え方・概念も今はかなり変わってきています。物質的な成功も大変重要ですが、表面的ないわゆる生存や物質欲求(衣・食(職)・住)を満たすだけでは当然時代遅れにもなっています。


ですからタロットの活用方法が時代によって変容していくのも、言ってみれば道理だと考えられるのです。


カモワン版マルセイユタロットは占いだけではない、タロットの奥深い価値を知るのにはもってこいのものだと私は感じます。


同時にタロットになじみやすい時代にも変化しているので、自分とタロットが感応しやすいタイミングであり、学びやすい時期になってきているといえるでしょう。


タロット、南仏への旅で。

私はたまたまマルセイユタロットというものを学ぶことになったので、フランス、特に南仏の地を踏むことになりました。


もともとヨーロッパは好きだったのですが、歴史としてはあまり知識のあるほうではありませんでした。


学生の時も世界史は受験科目に選択するほど好きではありましたが、ヨーロッパ史は苦手といえば苦手でした。


何でもそうですが、たとえ最初はあまり興味はなくても、ある事柄に関心を抱き、それが好きになってきますと、それらにまつわる背景や歴史を知ろうとしたくなるのは人のサガかもしれません。


反対にいえば、何かに詳しくなろうとすれば、その対象を好きになることなのでしようね。知識(の習得)が感情に左右されるのも人間の面白いところです。


さて、タロットの勉強のために南仏を訪問することになり、やはり事前学習のようなものを自然に行うようになりました。


すると実際に行ってみると、訪問地での様々な歴史的建造物、土地(町)・自然などが、とてもリアルに、より感情をともなって見る(聞く)ことができたのです。もちろん説明してくれる先生のすばらしさもありましたが。


そういった知識的なこととは別に、不思議な感覚もありました。


皆さんにもあるかと思いますが、「ここは初めての場所ではない」「いつか来たことがある」「懐かしい・・・」といったような既視感(デジャヴ)のようなものです。


まあ、思いこみが激しくなったりすると、事実かどうかは別として、結構誰でも起こってしまうことではありますが(苦笑)、それにしても南仏の地には私にはそう感じさせるところが結構ありました。


特にカタリ派と呼ばれる中世に盛えたキリスト教の異教徒たちが多くいた土地土地には、本当に自分は何かここに関係していたのではないかと、前世・輪廻転生説を色濃く信ずるくらいの感慨がありました。


それから、これも奇妙なことでしたが、タロット(マルセイユタロットに流れる秘めたるもの)にまつわるいにしえの土地を訪問することで、それまで日本にいた時とは違うリーディングになってきました。


それは日本に戻ってからも数ヶ月続く、まさに不思議な感覚・フィーリングでした。


タロットカードでいうと、まるで「月」と「星」の間をさまよっているかのようなものです。しかしながら、そういったボンヤリとした中にいながらも、本質はクリアーに見える(わかる)というものです。


カモワン流タロットの創始者、フィリップ・カモワン氏は日本に来られた時も、「南仏のエネルギーとつながってリーディングする」と語られていましたが、そのようなものかもしれません。


この時以来、私は実際に訪れて感じるということの深い意味を学んだ気がしました。


タロットに限らず、あることがある場所に密接に関連するのなら、あなたもそこに行ってみることをお勧めします。


そこでしかわからない、目に見えないものがあるのです。


巡礼の旅は、何も巡礼地に行き着くことが重要なのではありません。その道中、旅路こそが巡礼者の心身に変容を起こすのです。


それは巡礼路の過程で起こる様々な外的な事件による内的変容もあるのですが、歩いている土地そのものにある種のエネルギーが流れており、その影響を受けるということもあるのです。


私は、南仏のタロットの旅はその「巡礼」だったと認識しています。


「あいまい」でもいいタロット学習の目的

タロットを習う目的は人によって様々です。


タロットといえば、世間的には「占い」という認識が普通ですから、まず「自分で占いができるようになればいいな」と思って学ばれる方は多いでしょう。


そのうち、自分だけではなく、他人(ひと)も占ってみたいと思うようになって、いずれお金を取って占う、リーディングするということに発展していきます。


本格的にプロのタロットリーダーやタロットを使う占い師になるためには、タロットの技術以外でもいろいろと学ぶ必要が出てきますし、もしそれをメインの仕事にしようという場合には、さらにフリーランス・自営業としてのビジネス感覚と知識、ある種の決意もいります。


そのため、一口にタロットを習う、するということでも目的や活用によっていろいろとわかれてくることになります。


大まかに区分すると、純粋に自分(個人)が楽しむ趣味のタロット、人と関わる趣味の延長から半公共(社会)的になるタロット、まさに仕事(公共・社会)としてのタロットが挙げられるでしょう。


よく、タロットを習う時に「自分はタロットを使って何がしたいのか」をきちんと決めたほうがよいという人もいますが(実際、私も場合によってはそう話すこともあります)、一概にそうとも限りません。


先ほどの区分でいえば、個人で楽しむ趣味のタロットと、人を占って少し役に立つ自分を実感する趣味の延長的なものの間を行ったり来たりするくらいの漠然としたイメージでいいこともあります。


タロットを習う方は女性が多いですから、実状は主婦やお勤めでほかの仕事をしているという方が大半です。


何もタロットリーディングを仕事にする絶対性はありません


主婦の方ならば、ご主人の収入だけで経済的に自分の自由が効かなかったり、家計的に余裕がなかったりする場合に、人様をリーディングしてお小遣い程度に足しになるような報酬を得られるくらいでもずいぶんこれまでとは違ってくるでしょう。


ほかの仕事をしている方でも、休日や空いた時間にタロットリーディングをして幾ばくかの報酬をいただくことで、少し余裕を持つことができるかもしれません。


けれども、それ(タロット)一本で生きていくわけではありませんから、プレッシャーが過剰にかかったり、ビジネス的にあれこれ悩むことはなく、止めようと思えばいつでも止めることができて、とても気楽です。


実は経済的な観点から述べてはいますが、大切なのは心や心理の面なのです。


趣味でタロットをして、新しい世界や技術を学ぶ喜びを知り、さらにその延長線上で人をリーディングして(占って)お金をもらうことにより、経済的な部分と心理的な(私でもお役に立てているという)余裕を得るのです。


この余裕こそが心の安定、満足感につながり、自分に自信を持ったり、価値を見いだしたりすることに成長していきます。


タロットリーディングを行うことで、普段の主婦生活・仕事場での自分とは違う、活き活きとした自分自分が中心となって(自主的・自営的に)人と関わる存在感などが感じられ、淡々とした、あるいは眠っていたような生活から脱却することも可能になります。


けれども、だからと言って、今の仕事や立場を辞めてプロになるということとはまた別であり、その、いわば中途半端な状態こそが、あなたにとってはベストということもあるのです。


物事が白黒はっきりしないあいまいな状態、それが今の自分にとっては最適ということもあるのだと理解してみてください。そのことを示しているのが、タロットカードの「」だともいえましょう。


ここからカード的にいえば「太陽」に向かう人もいれば、「星」になる人もいますし、「審判」になる人もいます。またほかのカード(の象徴)に進む人もあって、人それぞれです。


気楽にゆるーくタロットとつきあい、趣味と半趣味の状態の間の、これまたあいまいに行き来するやり方も、場合によってはOKだということをお話いたしました。


はしごを降りてみる。

問題の解決には、次元という視点で見た場合、その(次元の)上下によって改善されることがあります。


たいていは上の次元・レベルによって問題解決に至ろうと努力するのですが、逆の下へ行くこと(下降)、つまり、次元やレベルを下げてみることで解決に向かうこともあります。


たとえば、仕事をしたり社会に出ることが怖くて引きこもっていたとしても、明日食べることもやばいよという状況に陥れば、一気に外に出ざるを得なくなり、たとえ仕事はいきなり無理でも、引きこもり自体は解決したという場合もあります。


またある組織がまとまらず、それには統一したルールがないからだと上からの視点でまとめようしたけれども、何のことはない、実はグループ内の二人の人間のいがみ合いから組織全体に派閥ができてしまって、ぎしゃくしていた・・・ということもあるでしょう。


目標にしても、いきなり高度な完璧なものを目指すより、さらに下へ落とした実現可能(現実的)なものにすれば急にやる気が出たり、自分にもできそうな気がしてきたりするものです。


ここから専門的になりますが、カモワン流のタロットリーディングでも、その次元・レベルの違いによって問題を解決していく手法が、ほかならぬカモワン流の展開法に備わっています。


まず、カモワン流には問題を表すカードとその解決を示すカードのふたつのカードが登場します。そして、展開法も大きく分けると上に上がっていくものと、下に下がっていくものがあります。


このふたつをうまく扱うことで、問題解決の視点を上下させることができます。


さらに、展開は複数のカードによって並べられていきますので、横にも広がりますし、縦にも階段状に積み重なっていきます。


問題に応じて出る展開は、その時その時で異なってくるわけですが、中には全体の展開図が本当に建物のように何段も階層を伴って出現することがあります。


あまり知られていないことですが、実はその出た展開図の階層自体にレベルや次元の違いが表されていると見ることもあります。


ノーマルなカモワン流の読み方では、過去・現在・未来にわたって時系列的に質問者の問いに関連したストーリーを読み解いていくのですが、そうした横の流れを基軸とした物語的なリーディングとは別に、縦の階層別に次元の異なりを読み解いていく手法もあるのです。


これはスポット的な展開の一部を取り出したリーディングになることもあります。またどの展開にも通じるやり方ではありません。


何を言っているのかさっぱりわからないかもしれませんが、簡単にいえば、ひとつの問いの中にある階層別の問題と解決方法と読み取るということです。


話を元に戻します。


皆さんも、何か問題があれば、自分の持つ「はしご」を使って次元を降りてみてください。上がるばかりではなく、下がることで簡単に解決することもあることを覚えておくと便利です。


その際の考え方としては、精神から現実・物質性へ、高いものから低いものへ、抽象的なものから具体的なものへ、統合されたものから分割されたものへ、集合から個別へなど想定すればよいでしょう。


結局のところ、問題はその人が「はしご」を使わず、いつもそこに留まろうとしているから解決策が見えないのであって、その場の上か下かへ移動してみれば案外と氷解してくものだといえるでしょう。


その「はしご」とは、様々なツールやメソッド、物の見方ということにはなりますが、タロットもとても有効な「はしご」になります。すでに気付いている方もいらっしゃるでしょうが、タロット(カモワン版マルセイユタロット)の中でも「はしご」を象徴するカードがあるくらいなのですから。


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