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新年、タロットからのメッセージ
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
さて、せっかく新たな年を迎えましたので、皆様向けにタロットリーディングをしてみました。
テーマを具体的には設定しなかったのですが、いってみればこのブログを読んでくださる皆様にとって必要なメッセージというようなものです。
ではご覧ください。
★2011年タロットからのメッセージ★★ ★
これからはいろいろな情報がもたらされます。それにはあなたにとって必要でよい情報もあれば、無駄なものもあります。
時にはとてもよいお話や人物に見えて、あなたを試す誘惑者であることもあります。しかしどれも悪いということではありません。
あなたの心や目的に応じたものにあなたはひかれ、進んでいくことになるのです。
あなたの中にはもともと神性なる存在、部分があります。そしていついかなる時も大いなる可能性は潜在しており、それを開かせるのも、そのままにしておくのもあなたの気づきと行動次第なのです。
まずは不足していることの充足から始めてもよいでしょう。助けを乞いたければ、思い切って助けを求めてもよいのです。
けれどもいったん求めることが得られたのならば、今度は自分自身の足で立ち、進んでいくことを選択してください。あたなにはそれが可能なはずです。
一度にすべてのことをやろうとせず、少しずつでもやれたことを評価しましょう。人に人、あなたにはあなたの進度とやり方があるのです。
実は人はすでに完璧ではあるのですが、完璧さを表現することに過程と障壁があるので、問題のように見えるだけです。あなたに起こること自体が完璧さを表すための材料といえます。
物質的な成功をつかむやり方もあれば、精神的な安定を探求する道もあり、それも人それぞれですが、どのような道であっても、つきつめていくと真理に到達する正しい道になります。正しいものを選択するのではなく、自分がやっていくことを正しくするのです。
あなたの人生はあなた自身が創造しています。しかし、他の人がいなくては創造はできないのです。周りの人はあなたの協力者であり、鏡となっています。
謙虚さを常に抱き、それでいて強く自分を発揮できるよう、一歩ずつ歩みを進めてください。大丈夫です。
★★★★★★★
かなりスピリチュアル的になってしまいましたね。(苦笑)
「もう少し個別にメッセージを」ということであれば、私のHPで、誕生日をもとにした「ソウルカードメッセージ」というものをお伝えしています ので、こらちもご参考に。
本当に個人的にという方は、リーディングを受けてください。(笑)
では、お正月楽しんでくださいませ。
旧知の人と会う時間
この前、久しぶりに公務員時代の友人たちと会食をしました。
私がうつ病になって休職したり、公務員を辞めるとなっても、変わらず支援と友情を示してくれた大切な仲間です。
今はご本人たちも、組織の中で出世をされて相当な地位にいますが、当然のことながらその分責任も増えて大変なところもあるようです。
しかし、私の中では、彼らは昔のままであり、役職は変わっても基本的に本質は変わっていないと感じられました。
カードでいえばソウルカードの部分は変わらないというところでしょうか。
これから年末年始にかけて、帰省をされ、故郷の友人や仲間たちとの再会をされる機会もあると思います。
ここで留意したいのは、時間感覚です。
久しぶりに会う人というのは、あなたの中で時間(感覚)は、その人と最後に会った時で止まっています。
あるいは、最後に会った時というより、一番その人と色濃く過ごした時で止まっていると言ってもよいでしょう。
ここのプラスとマイナスの面があるです。
プラスというのは、誰でも経験があると思いますが、たとえば学生時代の同窓会などがあると、最初は見た目が変わっていて(笑)、とまどいはあるものの、少し話し出すとたちまちのうちにうち解け、その時代に戻り、今とは関係なく以前同様くったくなく話ができるものです。
ここに「今」(の地位・立場・人間関係等)は関係なくなります。タロットでいえば、皆平等な「太陽」状態です。
しかし逆に言えば、時が戻るということは、その時の感覚のまま相手に対応するということになりますから、ここで今の時間が重なってくると問題が生じることになります。
つまり、あなたにも、相手にも今の時間があるわけで、それは両者にとっては別の時間が進んでいるようなものです。昔の共有した時には、両者はまさにいろいろなことが感情的に共有できますが、今となれば話は別です。
だからうかつに「昔はオレたちもこうだったんだから、今もそういうようにやろうよ」と持ちかけても、今の時間が入ってきますから、「今の」相手から拒否されることにもなりかねないのです。
またあの時はお互い好きだったかもしれませんが、今は結婚して家庭ももって子どももいるかもしれないのですから、昔と今の時間が重なるのは難しいことになるのです。
あなたと最後に会ったその時から、相手は様々な経験をし、いろいろな人に出会ってきています。昔とは違っているのも当たり前のことなのです。
本質よりパーソナル(性格、立場によるペルソナ)部分が変化していることを考慮すると、気持ちも楽になり、相手とのコミュニケーションもスムースになるでしょう。
ですから変わらぬ友情やら恋心というのも、見方によってはそうともならないことに注意が必要です。
ちなみに特に恋愛では、男性が昔の時間を留めがちですから気をつけてくださいね。(笑) (こういうことは恋愛セミナーで説明しています)
とはいえ、昔の仲間も今の仲間も大切で一緒の時を過ごすのは楽しいものです。
そう、かつての時間はどうあれ、「今、会合している」となれば、やはり「この瞬間に同じ時を一緒にしている」のは事実なのです。そこから新しい創造的なことも始まるかもしれません。
時間が違うからこそ、別の見方もお互いできるようになり、あの時は理解できなかったことがわかって、和解することもあるかもしれないのです。
可能性はいついかなる時もあるのです。
これで今年のブログは最終になります。今年6月からの開始でしたが、毎日書き続けることができました。いつもご訪問くださる方、時々でも読んでいただいている方、コメントをいただいた方、ペタをくれた方など、すべての人に感謝申し上げます。ありがとうございました。
また来年からもできる限り一日一記事ペースで、駄文ですが書かせていただきたいと思います。
どうぞ、皆様、よいお年をお迎えください。
宮岡和宏
その悩みは自分にふさわしいか。
悩みはつきないものです。
ひとつの悩みに、人は結構長いことつきあわされる人もいます。
いくら考えても出口や突破口がない。よい方法が思いつかない・・・そして堂々巡りの繰り返しが続きます。
けれども意外な観点で、一気に悩みが解消することがあります。
その一例としてご紹介します。
それは、「まだそのことで悩むレベルに自分は至っていない」ということに気付くことです。
たとえば、自分は何か大きなことをしたい、いったいどうすれば、と思っていたとしても、まず大きなことをする前に今身近なことすらできていないこともあります。
いいパートナーと巡り会えない、理想の人に出会えないという前に、今いる人たちとの間でよい関係を築いていますか?ということもあるでしょう。
私も実はタロットの仕事を続けていくかやめるべきかで、ほんの最近まで悩んでいました。
それはタロットが精神的なものを扱うことが多いので、報酬をもらう仕事という面でなじむのかどうかという、いわば哲学的課題でした。
しかし、よく考えてみると、自分がまだタロットを一人前の仕事として扱っていない前にその悩みをしても、レベル的に低次元のことであり、たとえ答えが出たとしても、やはりその低次元での回答でしか得られないと気付いたわけです。
これは自分の中にある一種の傲慢さを自覚したということでもあります。
もちろん低次元といえど、「そもそも論」として悩み・葛藤する意味はあります。
しかしながら、私自身はもっと自分のレベルを上げたうえで、再びそのテーマを思い起こそうと考えたのです。そうすると自分のことだけではなく、より普遍性も出るからです。
また、こう考えることもできます。
悩みは必ずしもとはいいませんが、多くは、あることとあることの葛藤です。
その両者を対比させた場合、本当にどちらとも取れない、あちらを立てればこちらが立たずというような同レベルの悩みならば、真の葛藤だといえます。
けれども、よくよく分析してみると、片方のレベルがもう一方の葛藤の要素とは違っていることがあるのです。同じ重みではない(重みに達していない)といえばわかりやすいでしょうか。
そうすると、その葛藤は自分が生み出している「幻想」であることに気がつきます。
「なんだ、こちらの方が重くて大きいじゃないか」とわかれば、葛藤は均衡を保てず、どちらかにたちまちのうちに傾き、悩みということではなくなるのです。
これをタロットで象徴してるいのは「月」のカードといえましょう。
皆さんも今一度、「その悩みをするのに自分はふさわしいか」という観点から見てみると、意外なことに気がつかされるかもしれません。
移行時の狭間における「節制」の役割
発熱もしていた昨日の私ですが、お陰様で自力で回復しました。
さて昨日の続きです。
決断・実行するにせよ、一度立ち止まって状況を観察するにせよ、タロットカードの「節制」から象徴されることが重要であると予告しました。
「節制」の画像を見ますと、一人の天使の女性がふたつの壺の水を混ぜ合わせて、視線を向かって左方向に向けています。(カモワン版マルセイユタロットの「節制」の場合です)
一言でいうと、このカードは文字通り「節制すること」を表しているのですが、もうひとつ「癒し」ということでも大きな意味を持ちます。
何かに向かう行動力が出るのも、その場で見直しを図るのも、ある面、「納得を自分につける」ということでもあります。
何事も納得していないと次に進むことができず、悩みが深くなる傾向があります。
そのためにはこれまでやってきたこと、つまり経緯や現状を見る必要もあるのです。単に見るだけでなく、それまでの自分自身を労い(ねぎらい)、労る(いたわる)ことが大切です。
ともに漢字では「労」という字になるのも不思議ですね。
字の成り立ちとは別にイメージで見ますと、「力」の上に三つの光のような点で囲む「冠」になっています。(本来の漢字の部首は旧字体から簡略化されているので、こういったイメージとは別物です)
つまりは、自分で頑張ってきた(力)の上に「冠」をかぶせるという、カードでいえば、ちょっとした「神の家」のような印象になります。
簡単に言えば、これまでの経緯を無視したり、貶めたりするのではなく、きちんと評価してあげましょうということです。
間違いという観点でとらえるのではなく、その時その時自分でやってきたことの努力や経過を認めないと、次に進むことも、現状を分析することもできないということになります。
これが「納得すること」にもつながるのです。
そのうえで、ふたつの壺が示唆するように、別のもの(考え)との対比や対照によって、是正すべきものは直し、統合できるところは組んでみたりして、変化の道筋を編み出します。
どんな形であれ、今までの自分は自分なりに頑張ってきた複数の自分たちでもあります。
それらを変化のために一様にバッサリ切り捨てていくのではなく、一度受け入れ、評価をしたうえで卒業させたり、統合させたりして、特に感情的に納得させてから進むのです。
ゆえに、「節制」の壺から流れているのは水状のものであり、水は感情を象徴させるものなのです。
決断・実行の前にはこの作業がいりますし、止まって自分を見つめるのにもこのことが大切となります。
もちろん「節制」のもうひとつの意味である自制・節制・時間をかける、心身の調整・回復も次に向かう時には重要な要素になることは言うまでもないことです。
決断・実行か、停止か。
昨日、大掃除の話を書いたら、とたん自分自身の浄化や調整も始まってしまった私です。わかりやすすぎるぞ、私の体。(笑)
ということで、ちょっとヘロヘロになりながら書いています。(^_^;)
今年一年、タロットリーディング、タロット講義での実践練習等で皆様のカード展開をたくさん見てきました。
もちろん、その時その時、人それぞれの問いであり、出方も違うわけですが、大きくわけてふたつの傾向があるように感じられました。
ひとつは今まさに決断して実行すべしという状況、そしてもうひとつは今の状態をよく観察し、見極めた上で次に移るというようなものです。
これは今年に限らず、たいていのタロット展開で示唆される二種類の傾向なのですが、前者においても、現状への惰性や甘えのようなもので来ている方と、反対に積極的な目標があって、そのためには今の自分を転換しなくてはならないという場合に出ます。
後者(現状や過去を観察する)は結果を焦りすぎていたり、比較的順調に進んでいるものの、そのためにかえって油断が出たり、前ばかりを見ているため、これまでの経緯・過程を振り返る余裕がない時などに登場します。
このようなことは、意外と自分ではわかっているようでわからないものです。
客観的に自分を観る方法が少ないこともありますし、あることを強く思っているとその視野の中で情報を得ようとするので、逆にいうと、ほかの部分はそぎ落とされてしまうこともあるからです。
ですからタロットは有効なのです。
タロットは絵柄のついている根源的な象徴体といえますから、カードを見ることにより自分を客観視することができますし、自分でわからなければ他人のリーディングによって理解を促進することができます。
さて、決断して実行するか、あるいは立ち止まってこれまでのことを整理してみるなどのふたつの狭間において、キーとなるカードがあります。それは「節制」です。
なぜなのかについては次回ご説明しましょう。
