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お金と流れ 2

昨日は「節制」と「」のカードについてのお話をしました。


実は今日もちょっとその二枚に関係します。


どこがどう関係するのかは、本日はあえて言いません。


カードを知っている人、持っている人はご自分でカードを見て感じてください。


今回のテーマはお金です。


以前もお金は動かすものという意識が大切だ」と述べましたが、この「お金を流動的にとらえる」ということが、なかなか普通の人には難しいようです。


かくいう私自身も、お金を長い間固定(したもの、するものと)して見ていました。


それは給料(固定したもの)をもらうという形でお金を得る経験がほとんどだったので、自然そうなるしかなかったといえます。


ですから世間の多くの人がお金を固定してとらえてしまうのも致し方ないことです。


お金を流動的に見るということはどういうことでしょうか?


それは自分がお金を動かすことはもとより、他人や外からも流入する(させる)というイメージができるかということになるでしょう。


自分がお金を動かすのは簡単です。つまりはお金を使えばいいわけですから。いわゆる消費活動ですね。これは誰でもやっていることです。


それでは外から流れていくるという点ではどうでしょうか。


これを普通の人は、先に述べた「給料」など固定したものからの流入と見てしまうのです。いや流れてくるというより、今の自分を中心として受け取るみたいなイメージでしょうか。


もっというと、箱から箱へただ移し替えているだけのイメージといえます。


これでは限界が最初からあるのは目に見えています。


もっと箱自体の幻想を壊して、枠を目一杯広げ、お金を流動体や羽をはやしたものとしてイメージするといかがでしょうか。


そうすると、流入経路は複数(無限に)あることが感じてこれますし、たとえば箱があったとしても、そのまた向こうの箱があり、さらにそのまた向こうにも箱があって、しかも箱は数限りなくあるという想像が働いてきます。


つまりは、人と人、モノとモノとを介してお金のエネルギーが流れているイメージです。


これを具体的にしていきますと、単に給料で固定したものの範囲で消費を切りつめていくという発想よりも、給料はひとつの流れであり、また別の流れとのコンタクトを自分でつければいい(週末起業であったり、他の方法でお金のエネルギーの道筋を作ること)のだというアイデアにつながっていきます。


結局のところ、流れを起こすということは、流出と受容(外に出すことと受け取り)を自分の中に意識するということです。


受け取って貯めるばかりでは何も流れませんし、流してばかり(使ってばかり)ではそれも干上がってしまうことにもなるでしょう。


ただ何事もコツをマスターするには、小規模のことからクリアーしていかねばなりません。


自分がコントロールできる範囲で確実に流出と流入の流れを循環せさている実感と技術がいるでしょう。


そのことは実際のお金だけに限らず、お金をエネルギーとしてとらえますと、まだ物質化していない(お金になっていない)ものの価値も流出・流入させていくということでもあります。


このことからいかにいろいろな意味で交流ということが大切になってくるかがわかると思います。


※この話は私の知人のそのまた知人の方 が、お金のことについて重要なお話をされていたことを、タロット的に私が気がついたものを皆様にご紹介したものです。その方の記事には 、お金のことについて大切な視点がたくさん書いてありますので、ご参考にされるとよいでしょう。


助けすぎと尽くしすぎになっていませんか?

タロットカードに「節制」と「」というカードがあります。


カモワン版マルセイユタロットの場合、この二枚のカードはともに壺(水瓶)を持つなど共通したところも多いカードなのですが、今日はこの二枚のカードに関係した話をします。


まず「節制」というカードです。


このカードの大きな意味の一つに、「助ける」「救済する」というテーマがあります。その絵柄からも、いわば「救済の天使」といってもいい存在です。


そして「」は、女神とおぼしき女性が、片膝着いて手にした壺から水を流す姿が描かれており、そこから「尽くす」という意味も現れてきます。


簡単に言えば、この両者はまさに「助け、尽くす」ということで似た事柄を共通して持っているのです。


ただその貢献の仕方(エネルギーの質、使い方)が、両者によって違いがあるということです。(その違いについては、タロット講座でわかりやすく説明しています)


さて、この「助ける、尽くす」ということは、それ自体ではとてもよいことです。人間として美しい行為だとも言えましょう。


しかしながら何事もバランスです。これが「過ぎる」とやはり問題となります。


特に、このカードたちが逆向き(逆さま、リバース)でカモワン流の展開法にて現れる時は、「尽くし過ぎている、助け過ぎている」ということが考えられます。


たとえば恋愛では、報われない、あるいは不毛とも思える関係の相手に尽くしすぎている。


ほかの人間関係においても、必要以上に相手に介入し、助けようとしている、関わろうとし過ぎているなど。(余計なお世話、自己犠牲)


お金や経済的なことでいえば、自分が生活に困るのに相手にお金を貸してしまうようなものです。もちろん助け合いの精神で、困った時に支援をすることはとても貴く、人として大切なことではあります。


しかし、相手の自立を損ねてしまうような援助は本当の意味での援助とは言えません


依存を継続したり、助長させたりする助けは、救済どころかかえって相手を悪くさせてしまうこともあるのだということです。


お金のことにいいかげんで返すあても努力もしていない人に、親切心で何度も貸してしまうような行為は、相手にとってあなたは単なる金づるでしかないわけで、楽な金づるがある限り、相手は自分で稼ごうとはしません。


楽に手に入った、いわゆるあぶく銭は、その名の通りのあぶく(泡)と消えます。


おそらく心の中の良心のようなものが、あぶく銭を持っていることに罪悪感を抱き、早く使わせてしまうよう無意識のうちにし向けるのでしょう。


カモワン流のタロット絵図、「タロットマンダラ」において、「節制」の前に「13」、「星」の前に「神の家」というインパクトの強いカードがあるのも、「助け」や「尽くす」ということが、ある種の厳しさや強い意志が必要なことを物語っているかのようです。


大きな意味で自分を犠牲にしてでも他者に貢献することの意味がわかっている人には、助けすぎ、尽くしすぎはありません。それは巨大な何かとつながっているから、自分が枯渇することがないからです。


しかし、一般のレベルにおいては、自己の許容量、相手の依存心の増大につながっていないかなど、自分と他者を冷静に、時には厳しく査定する必要があります。


助けたくても我慢した方がよい場合もあるのです。


また自分だけが救済の唯一の方法(人)ではありません。他者や社会の援助もあります。


そうしたことを勘案することで、適切な救済と尽力になるのです。


カモワン版マルセイユタロットカードの名前

昨日は講義の帰りにフランス語の発音を少し習っていました。


マルセイユタロットを扱っている者として、一度カードの名前など、フランス人の方にきちんと発音してもらって確認しておきたかったからです。


ついでに自分も正しく発音できたらとは思っていたのですが、これはなかなか一朝一夕にはいきません。ABCや発音法則、アクサン記号の違いだけでも大変で、後半はかなりヘロヘロになってしまいました。(^_^;)


いやー、しかし実際にフランス人の方に発音してもらうと、またカードが違った雰囲気になるのが驚きでした。(余談ですが、発音の授業をしてくれた先生は、ホドロフスキー氏(「ジョドロスキー」のような発音でした)の映画が好きな方だったので、びっくりしましたが)


実はカモワン版マルセイユタロットには特別な綴りの仕方を特定のカードには施しているので、普通のフランス人の方がどのように発音するのかにも興味がありました。


でもちゃんとカードのノーマルな名前の意味での発音はされていたので、さすが暗号だなと思いました。


もしフランス人の方でも発音しにくかったり、つまったりすることがあれば、それはあからさま過ぎる暗号となり、暗号ではなくなりますから。


ところで名前というのは思っているより重要なものです。


カモワン版マルセイユタロットの場合、訳者である大沼氏が通常一般に広まっているタロットの名前とは違ったものを一部採用したために、普通のタロットカードの名前を知っている人にとっては違和感のあるものでしょう。


たとえば、大アルカナのカードで「1」の数を持つものは、通常、「魔術師」や「奇術師」と呼ばれますし、次の「2」を持つカードは「女教皇」と言われますが、カモワン版では「手品師」と「斎王」です。


ほかにも「13」が「死神」ではなく、名前を持たないカード(実際、マルセイユ版の「13」では名前の欄がありません)とし、「16」は「塔」ではなく「神の家」とフランス語直訳になっています。(その他のカードも若干の違いあり)


カードの名称も、ウェイト版の絵柄で見た場合、一般名での名前が合っているように思えますが、カモワン版のマルセイユタロットでは、やはりカモワン版日本訳でいうところの名称のほうが適当であるように個人的には感じられます。


ウェイト版の「1」のカードは確かに「魔術師」ぽいですし、カモワン版マルセイユタロットでは「手品師」と呼ぶにふさわしい人物と絵柄です。


もし絵柄のないままで「魔術師」といわれた場合と、「手品師」といわれるのとでは、皆さんどう感じられるでしょうか?


「魔術師」と聞くと、なにやら重々しい空気と不思議な力を醸し出すかのように感じられ、「手品師」と聞くと、軽くて子どもぽい印象と庶民的・現実的な雰囲気があるように思うかもしれません。


実際、カモワン版の「手品師」は、新しいということ、若いということ、現実の外の世界(社会)に出て生きること、存在することの意味が強調されているのです。


言ってみれば、魔術は現実の実践生活の中にあり(いきなり社会と隔絶して修行するわけではない)ということです。


もちろん裏側には、魔術的な要素と意味も含んでいます。手品をして現実で生活しながらも、裏では魔術修行に勤しんでいるかもしれないのです。それは一見、普通の人には「ただ手品をやっている」としか見えない絵柄に秘密が隠されているということです。


このあたりがいわばマルセイユ版の魅力でもあります。


ヨーロッパ中近世の人物や風景を単純にただ描いているだけにしか見えないようで、少し本当の見方を教えてもらうだけで、とたんにマルセイユタロットが奥深い謎めいたものに変貌するのです。


カードについた名前を考えながら、絵柄を見てみると、当たり前に思っていたことから新鮮な発見があるかもしれません。


誰もがドラマチックな人生を歩んでいる。

あなたは「自分なんてつまらない人間だ」とか、「私なんてしょせん何もできない凡人」だと思っていませんか?

あるいは「自分のこれまでの人生、いいこともなかったし、評価できることなんて何もない」と考えていたりしませんか?

私はこれまでタロットで人の人生を見てきました。

そして、これだけは言えることですが、誰一人としてその人生がドラマチックでなかったという人はいませんでした。

なぜそんなことがいえるのか?

私は物語やシナリオを書くことが趣味でもありました。

でも、自分で書いたものはちっともドラマチックではないのです。平凡なありきたりのものなのです。かといって、奇をてらうと余計に変になることもありました。

けれどもタロットリーディングで人様の相談をするようになってから、実際に「事実は小説よりも奇なり」だということを実感したのです。「奇なり」というよりも、すばらしいと形容したほうが正確かもしれません。


ドラマチックということは、印象的で感動的であるということです。


人の人生はすべてドラマチックなのです。誰でも自分が主人公になって、自分という人生の映画を、この世界という劇場・舞台で、自らは気が付かず、すばらしく演じているのです。


自分が映画や小説を見たり読んだりして、感動した時というのはどんな場合だったのか思い出してみるとよいでしょう。


それはいつも同じ事が起こって、楽しいばかりの話が続いていたものだったでしょうか?


いえ、違っていたはずです。


主人公に苦難が襲いかかったり、つらいことがあったり、反面それを乗り越える喜びがあったり、成果やサクセスを得た話があったりと悲喜こもごも、山あり谷ありのストーリーのほうが感動的だったはずです。


また自分ではそうだと思っていなくても、たとえばある人の平凡と思える一日をドキュメントしても、他人から見れば意外な驚きや楽しさ、すごさはあるものです。(関西では一般の人が結構、本職の芸人よりも強烈なギャグを飛ばすことはよくあります(笑))


あなたのご主人、奥さん、子ども、兄弟、両親、恋人、友人・・・みんなあなたには見せてない、あるい見えない苦労やドラマがあるのです。また彼ら自身も気がついてないドラマティックな人生を送っているといえましょう。


カモワン流のタロットでは、過去・現在・未来にわたってたくさんのカードが、流れるように展開していきます。それはタロットで上映された一種のあなたの人生のシナリオとドラマです。


これを見れば、皆さん本当にドラマチックな人生を送っていることが一目でわかります。


自分の人生はつまらないと思えていても、見方を変えれば皆、印象的であり、感動的なのです。


それを確認する意味でもタロットをする価値はあると思います。


さらに今度は、自分が主人公であることをここで自覚して、今まで無意識に演じていたものを意識的にし、自らシナリオ構成に参加していくことも可能になってくるのです。


あなたの人生はドラマチックであることを知りましょう。


タロットに親しみやすい時代に。

昨日はタロットの体験会を神戸市内で行いました。


今回は少し趣向を変えて、カルチャーセンターのタロットの受講生の方々を対象に、通常の教室で行っているものよりももっと深くこのタロットを体験してみましょうという形にしてみました。

 

私の体験会は、はじめてカモワン版マルセイユタロットのリーディングを経験してもらうものと、今回のように入門的なリーディングは知っているけれども、さらにステップアップしたリーディングがどんなものかを体験してもらうものとのふたつを用意しています。


今回は後者だったわけですが、それにしてもしばらくタロットを教えることを続けていますと、最近の受講生さんたちの変化(違い)というものを実感しています。


それは何かといいますと、生徒さんたちのタロットへの感じ方(理解というより直観的な把握に近いものです)が、現在はとても早くなっている気がするというものです。


これは前の生徒さんたちが劣っていたというわけではありませんし、私の講義の力がアップしたということでもないと思います。(講義内容はいつもブラッシュアップしていますので、年々、多少はわかりやすくはなっているとは思いますが)


その理由としては、タロットの展開法を個人的に従来のものから変えたことにも関係してくるのですが、何か地球全体のエネルギーが変化しているからではないかと想像できるのです。


その総合的な変化により、タロットに流れる目に見えない何かかがあるとすれば、それとも感応しやすい人が増えてきたという印象です。


エネルギーの増幅によってスピリチュアルなことに関心を持つ方が増えてくると同時に、さらにその増加した層に影響されて、もともともっていたものが開いたり、解放しようと、タロットのようなものに引き寄せられていくということなのかもしれません。


たとえタロットになじむことが遅かったり、タロットリーディングがなかなかうまくできなかったりしても、自分の奥底に眠っている(あるいは自分を縛っている)ものに、以前より早く気がつくようにもなっていると感じます。


今までタロットは占いという世界だけのもので使われてきたことが中心でした。


しかし、これからの時代、明らかにタロットの使い方は変わってきているといえますし、占いを超えた多様なことに求められているようにも思います。


占いも、もとはといえば皆さんが幸せになるために活用されるものです。(由来自体は軍事や政治などであっても現在は、ということです)


しかし従来の、吉凶判断、未来予知、状況診断(いいか悪いか、これをすればこうなるというようなもの)でタロットを使って幸せにしていくというもの以外の方法もあるのではないかということです。


そして「幸せ」の基準や考え方・概念も今はかなり変わってきています。物質的な成功も大変重要ですが、表面的ないわゆる生存や物質欲求(衣・食(職)・住)を満たすだけでは当然時代遅れにもなっています。


ですからタロットの活用方法が時代によって変容していくのも、言ってみれば道理だと考えられるのです。


カモワン版マルセイユタロットは占いだけではない、タロットの奥深い価値を知るのにはもってこいのものだと私は感じます。


同時にタロットになじみやすい時代にも変化しているので、自分とタロットが感応しやすいタイミングであり、学びやすい時期になってきているといえるでしょう。


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