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タロットカードから見る生活のバランスの取り方
昨日は 、「自分を見失い、自分が世界から消えているような感覚があれば、創造的なことをすればよい」というお話をしました。
その記事のヒントになったのはタロットカードの「女帝」ですが、記事を書いている内に、もうひとつのカード(の精霊)もやってきていました。
それは「隠者」です。(ほかにもいくつかの来訪がありましたが、それは後に登場します)
そして「隠者」(のカード)は「女帝」(のカード)と向き合いました。
なるほど、そういうことか。私はうなずきます。
創造的になるためには、隔離された「自分の世界」が必要なことがあります。あまりに周囲に埋没したり、ペースに巻き込まれたりしているため、一度周りから自分を切り離して、自らのリズムを取り戻す必要があるからです。
現代人は自分の部屋、ネットカフェなど個室的になれるところは多いのですが、その場所や時間を結構無駄にしていることも多い気がします。
また本当に慌ただしい毎日を送っていると、表面的には確かに一人でいたり、一人の時間を持っていたりするように見えるのですが、その実、仕事のことや人間関係などで心が占められ、心理的には騒々しく、たくさんのものに囲まれている感覚になっていることもあるでしょう。
ですから「隠者」なのです。隠者は世間から隔絶された場所で一人孤独に修行している存在です。騒がしい世の中から離れているために、かえって自分を照らす光を見ることが可能になるのです。
私たちも修行とはいわないまでも、周囲のペースとは完全に異なる場所や時間を「意識的」に持つことをお勧めします。そのことで失われた自分を取り戻すことができます。
これとは異なるのですが、タロットカードの「悪魔」と関係する「孤立化」も、ある人には有効です。
これは、自分の楽しみ・趣味などの時間(場所)を持ち、失われている自分らしさ(の余裕)を取り戻すための孤立化を意味します。
現実にはとても忙しくて無理かもしれませんが、その時間を作る、あるいは場所を作ることの工夫自体が「創造」につながります。
よく見直してみれば、きっとやらなくてもいいこと、手を抜いてもOKなことがあるはずです。
完璧を求めることは自分をますます追いつめ、たまったまストレスは後に爆発してバランスを強引に取ろうとするようになるので危険です。
完璧のプレッシャー・恐怖から逃れるためには、自分の中のルール・規則を変えることです。完璧さの基準が変われば、行動も変容します。
意外に思うかもしれませんが、「悪魔」はあなたの中のある面のバランスをうまく取るために存在するカードだと言ってもよいでしょう。
カモワン版マルセイユタロットのタロット絵図「タロットマンダラ」において、「正義」の上に「悪魔」がいることは、このことも関係していると私は考えています。(もちろん、ほかにも様々な理由があります)
そして、面白いことに、そのマンダラでは「正義」を見ているのは「隠者」なのです。さらに「正義」の下には仕事を主に意味する「手品師」がいます。
「悪魔」と「手品師」の間にバランスを象徴する「正義」、その隣に隠れて一人になっている「隠者」、これらの構図はまさに人間の生活において、自分をいかにうまくバランスよく保っていくかということを教えてくれています。
「創造」があなたの危機を救う。
日々仕事や家庭での雑事に追われて過ごしていると、まるで世界から自分が消えているかのように感じることがあります。
いわば自分を見失うといったことになるでしょうか。
それにはいくつかの解決方法は考えられますが、今朝、私がタロットから得たメッセージはタロットカードの「女帝」でした。
「女帝」は詳しくは説明しませんが、「創造性」と結びつくカードです。(理由や詳細が知りたい方はタロット講座を受けてみてください)
創造、つまり生み(産み)出すことです。
自分を見失うと、自分が何か(何者か)に消費させられているかのように感じます。雇われる立場で酷使されたり、自分が過剰に奉仕させられていると思うと、その感覚は強くなるでしょう。
ですから反対に自分から生み出すことをすればよいのです。
「生み出す」「作る(造る)」「創造する」ということを象徴的に解釈すれば、具体的な方法はいくらでも思いつきます。
文章で創作(歌、詩なども含む)、土から陶芸、色から絵画、映像から映画、生地から服や持ち物、食材から料理、種・苗から植物に、自然のものから使える道具を作る、自分の心から人の心に新しい希望をともす、単純に余暇を時間的に生み出すなど、「作る」「生み出す」ことは無数にあります。
もちろん究極的には人をつくる(子作り)という男女共同作業もあります。
生み出すことで、大げさに言えば自分を中心にして世界との関わりが成立してくるのです。
それは自分への無意識の自信・信頼、自分存在の肯定のようなものにつながります。また生み出したものへの愛情も芽生え、消費し過ぎた奉仕力の回復にもつながります。
精神的に苦しい状況にあった人、うつから回復してきた人などにも「創造」は役立つことがあります。
自分をその対象になぞらえることにより、まさに再生・復活のシンボルとして自分が新しく創造されることを体験するからです。
この場合は生物(植物含む)、生きたものを対象とする創造的行為(植物・動物を育てるなど)が実感として、より強く出るでしょう。
埋没した生活に光をともすために、何か創造的なことをはじめてみませんか。
他人は自分の一部説
自分の問題に取り組み、向上を目指して解決していくことは何も自分だけのためではありません。
ずっとタロットをやってきて、最近は特にそのことを強く感じます。
たとえばタロットリーディングにおいても、クライアントの問題は一見タロットリーダーとは何の関係もないように思えますが、お話を聞いてみると、意外にも自分の問題や考えていることと同じだったり、問題自身の次元やレベルは異なっていても、象徴的には同様であることも多々あります。
これは基本的には皆が奥底で海のようにつながっているからだとも推測され、集合的な意識を思い浮かべることでも理屈がつくことなのかもしれません。
また私は、自分の問題が人のそれと共通することには、深層で皆がつながっていることとは違って感じられることもあります。
人の魂は一人に一つと想像されがちですが、もしかすると複数あるのかもしれません。
輪廻転生説でも、巷ではひとつの魂が違う過去生を、一人の人間として生きてきたというように考えられている場合が多いように思います。
しかし、たくさんの魂が一人の人間に集合的に入るのだと想定すると、他人の過去生も自分の過去生として体験されてきたということになります。
そもそも人口も時代とともに増加していますし、単純に一人の人間の魂がそのまま繰り返し転生するのだとは考えにくいところがあります。
いわば分霊(ほかの生物も含めて)であったり、普通の時間概念を超えて、過去・現在・未来にわたって同時に存在することもありうるかもしれないのです。
そのように考えてきますと、この「自分」という意識の中には複数の魂が宿っていて、もしかすると、今のこの現世においても、自分として生きつつも他人として一部を生きていることもあるのではないかと想像できるのです。
この考えを究極的に拡大していきますと、結局、自分は他人でもあり、人間全員一部は自分だということになります。
ということは、自分の問題に取り組めば他人も救われ、人類全体に寄与していくことにつながります。そして逆もまた真なりで、人の問題を解消することに努めれば、自分にもそのまま貢献していくことになるわけです。
おそらく、タロットリーディングにおいて自分に何らかの形で関係してくるような問題を持つクライアントに遭遇するのも、自分の魂が引き寄せているのでしょう。
まさに人は自分の鏡でもあり、自分の一部でもあるのです。そして協力者やアドバイザーのこともあるでしょう。
人と出会い、和合していくのは、自分の分かれた分身との統合を少しずつ果たしているといってもいいかもしれません。
もちろん人同士交流が起こると、トラブルや行き違い、争いごとも発生します。それでも、どこかで化学反応し、目に見えない微細な部分で両者(自分と自分)の統合が図られているのではないでしょうか。
相手に自分を観て呼びかけるようなコミュニケーションを図ると、これまでとは違った関係が築けていけるような気が私にはしています。
前進ばかりじゃつまらない。
世の中、改革や改変、前向きなことのメッセージにあふれています。
何かしなくてはならない、今のままではいけない・・・と必然的にあせりが生じるような仕組み(仕掛け)になっています。
確かに積極的に前に向かって進まなくてはならないこと(人)は多いものです。
しかし、自分がいったい何をしてきたのか、今の自分にどれほどの価値があるのかを見ていないと、先には進めないということがあります。
それにはそれまでの道のり、つまり過去を振り返ることが必要です。
自信のない人、何をしたらよいのかわからない人ほどそのことは重要となってきます。
自信満々、やるべきことはわかっているという人は案外少ないものですから、普通の人には過去を振り返ることは必要な過程だということです。
では過去を振り返って何をするのか?
単純には過去の整理です。具体的にいえばこれまでの自分が行ってきたことのプロセスと実績(結果)を見る(確認する)ということになります。
しかしながら、これを何も道具を持たず、単独で行うのには少々困難なところがあります。何事も一人でやれといわれると、わかっていてもなかなか手がつけられないのは皆さん経験済みでしょう。
そこで、ここに、たとえばタロットリーディングということを手法として持ち込んでみます。
カモワン流のタロット展開では過去・現在・未来という時系列をブロック(認識する時系列)別に、詳細にカードで見て行き、分析します。
この時、単純に過去のカードが一枚だけで終わるというようなことはまれです。カモワン流はその独特の展開法(タロットの並べ方法則)によって、流れるように相談者自身のストーリーがタロットによってドラマチックに展開していきます。
過去の展開の場合、その部分を自分自身の目で確認することによって、ある感覚が生じます。
それは大きくわけてふたつのことを意味します。
1.何を自分が見なくてはならなかったのかが絞られる
2.自分なりにやってきたことが確認でき、自信につながる
1は、タロット展開の前に質問(問い)をするのは普通ですが、たとえ質問がなくても出たカードによって、自分が過去において整理すべきポイントが明確になってくるという利点があります。
質問をしていた場合は、さらにその質問に関する中でもポイントが絞られるのです。いわば、現在の問題の原因・要因といったものを確認することと同じような意味を持ちます。
2は、人の記憶のあいまいさを補強する意味があります。
人は結果的なこと(起こったこと)は覚えているものですが、その過程・プロセスは意外に忘れているのです。また自分中心の記憶しかありませんから、他人視線での記憶というものは、ほかのデータでも見ないとわかりようがありません。
それがタロットの画像で確認することができるのです。タロットリーダーがいれば、他人視点での「自分のスートリー(つまり記憶)」を見直すことも可能です。
こうして、自分でも思ってみなかった、あるいは忘れていた自分なりの努力と結果に価値を見いだすのです。それは小さな成功体験の発見といってもいいかもしれません。
そのことにより、自分の価値を再発見し、今度は不足していた、あるいはやり過ぎていたものを調整しながら、バランスを取って前に進むことができるようになるのです。
それは言ってみれば「後顧の憂いを絶つ」というような前進ですので、気持ちのよいスタートになっていくのです。
タロットリーディングを受けてあなたも過去を見つめてみましょう。またタロットを学んで、自分自身で見ていくこともよいでしょう。いずれにしても、タロットはあなたにとってよいツールになることは確かです。
※質問と展開によっては、過去があっさり終わることもあります。それはそれで意味があります。
正直であることはあなたを楽にする。
嘘をついてあなたは平気ですか?
たいていの人は心苦しさや違和感を自分の中に感じるでしょう。
自分に正直でないものがあると、それはあなたのブロックとなってそれを隠したり、沈めたりするためにいつも大量のエネルギーを無意識的に使用していることになります。
たとえば本音では「この人はあまり良くない」と思っていても、仕事のつきあい上、やむなく相手にいい顔をしているということがあります。
また好きでもないけれども、とりあえず相手がないと寂しいのでつきあっているというケースもあるでしょう。
しかしできる限り、自分の心と行動が一致するようにしておかないと、いつも奥底でねじれ現象を起こして潜在的には混乱することになります。
その「葛藤」がいずれは心か体に病として現れることもあれば、引き寄せ的には、まさに「葛藤した状況」を現実として自分が生み出す(悩む状況に追い込まれる)ことにもなりかねません。
ですから自分の本心には誠実にしてくことが望まれるのです。そうすると葛藤は少なくなりますから、それを抑える必要もなくなって使うエネルギーも、やりたいこと、本当に目指したいものに集中させることができます。その結果、実現力も大幅に向上し、そもそも生きることが楽になります。
けれどもそうは言っても現実的には心を偽るほどではないにしても、本心とは別に割り切らねばならない部分も、特に仕事の場面などでは出てくるのが普通です。
そこで新たな対処方法が示されます。
それは自分の気持ちの中に第三の選択肢や考え方を起こすのです。
「なになにをやりたいくないけれど、立場上やらなければならない」「なになにさんは嫌だけれど、仕事なのでつきあわないといけない」
という葛藤に対して上部概念として、「嫌なことに取り組む私、かっこいい」「この人嫌だけれど、全部果たして嫌なのか?いや、いいところもあるはず」など、ちょっとふざけているようですが、そんな「考え方」を作り出すのです。
つまり、葛藤したまま嫌々行動するのではなく、何かの理屈をつけてから動くのです。
ただし、この理屈というのが重要で、「仕方なく」とか「やるしかないだろ」的なものはもちろん、「給料もらうためには仕方ない」「寂しいよりまし」などという極端なマイナス、ゼロ地点思考というべきものはまずいのです。
言ってみれば自分に嘘をつくことが罪悪感になる、心にねじれや積み残しみたいになってしまう理屈はいけないということです。
積極的になれるもの、嘘から出た真(まこと)になるようなものの考えを出すのです。
ですから、こういう場合によいのは、やはり精神的・霊的な向上を念頭において対応することです。簡単にいえば「学び」だととらえる方法です。
しかしこれにしても、「学び」だからと無理矢理自分に納得させていては、結局「仕方ない」と言ってやることと同じになってしまいます。「学び」ということを前向きに、そして心からとらえる(感じる)ことができるかが重要なのです。
そのためには知識的な学習とともに感情で納得させていく両面の理解が必要となってきます。どちらかだけならば片手落ちになります。
感情で納得すればよいではないかと思うでしょうが、それでは普遍的なものにならず、どの場面でも通じるようにするためには知識的な理解があとで必要となるのです。もちろんこの逆もしかりで、頭で理解しても感情で納得していないと、それこそねじれたままとなります。
実はカモワン版マルセイユタロットはこの両方の理解をバランスよく促進させていく働きがあります。象徴への知識的な理解と、心の鏡としてのタロット双方がともになってカモワン流のリーディングが可能となるからです。
