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タロットゲームを体験
昨日は久々に興奮しましたね。
何かといいますと、大阪にあるフランス語学校エスパス さんにおいてのイベントに参加し、タロットゲームを習っていたからです。
以前にも記事にしました ように、タロットがゲームで使われるということは知っていましたが、実際にはどんな風にプレーされるのかわかりませんでした。
もちろん、遊び方自体はインターネットや文献などには載っているのですが、タロットはやはり文章よりも「絵」であり、そして自分が生で体験しないとわからないところがあります。
さて、そのゲームですが、最初にフランス語の先生たちから見せられたタロットはいわゆる占い用のカードではなく、まさにゲームのためにあるようなタロットでした。日本でいえばトランプと同じようなものです。
そしてゲーム用とはいえ、通常のタロットと同じく78枚で構成され、大アルカナに当たるカードが22枚、小アルカナに該当するカードが56枚(それもコート、スートカードそれぞれ16枚、40枚)ありました。やっぱりタロットなんですね。(タロットの4組は、ゲームではトランプのように「スペード」「ハート」「クラブ」「ダイヤ」となっています)
ゲームは「トリックテイキング」と呼ばれるフランスではもっともポピュラーな遊び方をやりました。
これは言ってみればちょっとトランプの大富豪ぽいところがあるのですが、ルールはもっと複雑で一種の戦略ゲームといえます。
プレーヤー各人の手持ち札の把握、点数を取る駆け引き、攻撃(親)とディフェンス側に分かれた攻防と計算など、本当に一回のゲームで考えなければならないことがたくさんあり、頭をかなり使います。
タロットは頭脳をいろいろな意味で鍛えることができますが、こうしたゲームによる使い方も能力開発に一役買うだろうなと容易に想像できました。
教えてくれた先生によりますと、フランスでは中高生時代からこのタロットゲームを皆がやり出し(男女問わず)、一晩中熱中することもしばしばであるとか。大人になってからも友人やグループ間で盛んにプレーされるそうです。フランス人の遊びのたしなみのひとつといえるものなのでしょうね。
さてゲームをしていた私なのですが、参加されている皆さんは学校でフランス語を学ばれていらっしゃる方々だと思われ、私だけ外部からの者で、たぶん浮いていた存在だと思います。(^_^;)
そして皆さんからは冷静に見えたかもしれませんが、実は心の中はかなりワクワクしており、タロットの血のようなものが騒ぐのを抑えることができませんでした。
ただゲーム自体に興奮するというより(まだ初心者で楽しむレベルではないので)、タロットがゲームとして、そして交流の場で使われているということに気持ちが高まっていたのです。
そういった私自身の特殊な位置づけのためか、ゲームの度に配られるカード(札)に、なぜか「愚者」に該当する「Excuse」というカードが何度も私に来ました。先生からも「引きが強いですねぇ~」と言われたほどです。(苦笑)
そうそう、タロットゲームをしている時、その場自体にタロットリーディングの時と似たような非日常感覚が確実にありました。タロットの霊とのコンタクト時のものと酷似したものです。ゲームの作法にもタロットリーダーとして見ると興味深いところがいろいろとありました。
タロットゲーム、これは確かに単なる遊びではあります。タロットの一般的、「俗」としての側面といえましょう。しかしその背後には、やはりタロットの深いものとつながる何かもあるように思われます。
それにしてもタロットというものは、ゲームにもなれば占いもでき、さらには心理分析や自己実現、魔法修行から霊性の向上にも使うことのできる本当に万能なカードだということです。
日本でもタロットがゲームとして流行れば面白いですね。フランス人の先生方も、日本でタロットゲームができる人たちを増やしたいとおっしゃっていました。トランプよりも面白く、また正直なゲームなんですよ。何が正直なのかって? それはお会いした方にお話しましょうかね。
こんな話も含めて、マルセイユタロットについて楽しくお話を個人的に聞きたい方、前の記事にも書きましたが、お気軽にご連絡ください。一枚・二枚のサービスリーディングもあるかもしれませんよ。(笑)
対人援助とタロットによる視覚言語効果
相談、セッション、ヒーリング、コンサルテーション、カウンセリング、コーチング、リーディング、気づきを与える・・・などなど、いろいろな名前によって、ともかくも「対人援助」(人のサポートをする)形式をとって仕事をされていらっしゃる(またはしようとされている)方は多いと思います。
その中で、やはり「対人」なのですから、人との対話という面はどうしてもはずせない重要な部分になってきます。
そしてほとんどの場合は、当然人間同士なのですから「会話」でのコミュニケーション、つまりは言葉での音声言語で伝え合うということになります。
しかしながら、対人援助の方法や内容、あるいは自分の相談(伝達)スタイルによっては何も会話である音声言語一辺倒ということはないはずです。
たとえば、お話をしながら紙やホワイトボード、ワープロ、表計算、プレゼンソフトなど使ったパソコンで相手に図示して伝えるということもあると思います。
また、自分と相手の思いがなかなか言語化できず(適当でふさわしい表現方法が思いつかない)、困っている場合や、言葉よりも違うもので表現するほうが向いている人(そのほうが伝わりやすい人)などには
音声以外の方法が効果的に考えられます。
そのような時にタロットがあれば非常に便利なのです。
タロットはまず人が心に思い描く典型的なパターン・モデルとしての型の象徴でできていますので、普遍的(誰にでも適用することができる)であり、あらゆる状況・シーンに活用できます。
そして何と言っても「絵」で構成されていますので、目の不自由な方以外、どなたでも自分の目で見て確認することができます。
「百聞は一見如かず」ということわざもあるように、くどくどと説明されるより、一目見ただけで一瞬で言語を超えた理解がもたらされることがあるのです。
特に人の内面の部分、心の分野はもやもやとしていて、言葉では表現しにくいものです。
「自分の今の気持ちはこれなのです」といってタロットカードをお互いが見る時、ともに言葉にならなくても、わかりあえる何かがそこにはあります。
さらにいえば、時には言葉は頭にほとんど残らず、「絵」だけ強烈に印象をともなって残っていることもあります。
結局のことろ、絵でもコミュニケーションが可能であり、それは言葉や音声を伴わない「視覚言語」だということです。
「対人援助」に視覚言語も取り入れたりするのも効果的ですし、またそれが得意な分野、人がいるということでもあります。自分が言葉によるコミュニケーションが得意であっても、相手はそうとは限らないのです。
こうして音と絵によって両者は影響しあい、相補的に相手に色濃く「影響」して伝わっていくのです。
人間関係で悩む人にタロットリーディング。
タロットで人間関係を見る方法はタロットの種類によっても、またスプレッド(展開方法)によってもいろいろとあるでしょう。
ところでカモワン版マルセイユタロットは、カードに描かれている人物の視線が非常に鋭く、わかりやすくなっていますので、その視線の先を見ることで、カードに象徴される人間の関心を推し量ることができます。
その人の関心がわかれば、いわばその人物の心の中を読んだことにも相当するので、つまりは相手の本心(何を考えているのか)がわかります。
それが人間関係とどう「関係」(しゃれではありませんが・・・)しているのか? と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、人間関係の問題には、相手が何を考えているのか(思っているのか)わからないから苦労している部分もあるのです。
たとえばよく占いでは質問されることですが、恋愛などのシーンで、「相手の気持ちが知りたい」というものがあります。
これも相手の関心がどこにあるのかを知れば、相手が自分のことが好きなのか嫌いなのかは別としても、少なくとも相手の興味の方向(人物や事柄)はわかります。(自分に向いているのか、いないのかもある程度わかります)
またカードの図像を見るという行為によって、相談者は思ったより冷静で客観的になることができます。
夫婦の間でぎくしゃくしたものがあって、たとえば夫がいったい何に関心があるのか(私なのか、家庭そのものなのか、子供なのか、仕事なのか、はたまた他の女性なのか・・・)をカードで見たい時も、カモワン版の視線重視の展開では比較的はっきりと出ることが多いものです。
そうしてカードが眼前に展開され、自分の気になる(これは嫌な意味でも、よい意味でも「気になる」という両方の意味が含まれます)相手と自分のことがカードで象徴されていることが解説されれば、そのカードの出方によって、多かれ少なかれ、状況を鏡のように映しだして、自分の心(の思い)と対峙(比較・検討も含む)することになります。
その時、「ああ、やっぱり私の思っていたとおりだったわ」と感じることもあれば、「えっ、あの人はこんなことに関心を寄せていたの!?」と意外なことがわかることもあるでしょう。
どちらにしても大切なのは、相手の心を知るということではなく、一度状況を整理し、カードによって自分の気がついているところと自分が見えずにいる部分を統合して、自分と相手の理解を深めるということです。
そうすることで、取れる行動、心理などが明確になってくるのです。
カモワンタロットリーダーはそのサポートをするに過ぎません。カードからの指針を元に、決意するのは相談者自身です。
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カモワンタロットを使ったリーディングデー、11月11日(木)、14日(日)
大阪市内で開催。
リーディング枠が段々埋まってきております。希望時間枠がまだ少しとれる今のうちにどうぞ。
マルセイユタロットの小アルカナを読む利点
以前に マルセイユタロットの小アルカナ、特に数カードのリーディング方法についてお話しました。
ところでカモワンタロットもマルセイユタロットなので、やはり小アルカナの数カードは記号状になっており、そのために読みにくいとおっしゃる方がいます。
ただカモワン流のリーディングは、主に大アルカナ22枚だけで展開することが多いので、極端な話、小アルカナがわからなくても十分にリーディングは可能です。
いや、むしろカモワンタロットを長い間やっている方でも小アルカナはさわらない、使わないという人もいるくらいです。
カモワン流一本でタロットをされる方はそれでも全く構わないと思いますし、自己探求の道においてタロットを使うという場合でも、大アルカナの象徴のみでも相当深いところまで行き着くことができるでしょう。
しかしながら、次に述べるふたつの理由において、小アルカナもリーディングできるように訓練するとよいです。
ひとつは、占いとしてタロットをする場合に、抽象的なことから具体的なことに絞っていくことができるという利点があることです。
これはたとえば、仕事という大きなくくりの中でも、小アルカナを使うと、営業的なことか事務的なことか、あるいは堅い仕事かサービス業のような柔らかめの仕事かといった具合に分類できますし、さらに堅い仕事の中でも公務員なのか弁護士なのかというようなことまでも細かく見ていくこともできます。
そしてもうひとつは、シンボル・象徴を読む(イメージする)訓練になるということです。私自身はこちらの意味で小アルカナを修練することをお勧めします。
マルセイユ版の小アルカナ数カードが記号のように単純化されていることで、大アルカナのような絵柄のついたカードから特定のイメージを想像することはとても難しく感じます。そういうことに私たちは慣れていないのです。
しかしながら、一見何の変哲も意味もないような形から、自由にイメージをふくらませていくということを訓練していると、非常に想像力というものが鍛えられます。
「想像」は「音」が同じように、「創造」と結びつきます。人はイメージしたものを実現していくという過程を通るからです。(逆にいえばイメージされないと現実に下ろせないということでもあります)
また、記号からいろいろなものをイメージできるくらいになってくると、日常の何気ないことについても「シンボル・象徴」としてくみ取ることができてきます。
たとえば「出勤時にカラスが三羽、羽ばたいていた」というありふれた景色から、あるシンボル、自分へのメッセージというように想像することも可能になるのです。
ということは、今まで気がつかなかった自然(宇宙)からのメッセージにも気がつくということになります。いわゆるシンクロにも敏感になってくるのです。
しかしながら、記号とはいっても、小アルカナの数カードにも原理のようなものがそれぞれあります。それは四大元素と1から10までの数の示す原理です。すなわち4×10によって40枚の象徴的世界があり、それによって世の中の事象が表されるのです。
これは易の卦が64の単純な形をしていても、森羅万象を表すということと同様です。
原理を理解しつつ、イメージを膨らます修練を積むと驚くべきことがあなたの中で起こってくるでしょう。
私もまだまだ訓練の途上にいます。
自分の中の「愚者」を取り戻す。
カモワン版マルセイユタロットの大アルカナの絵図(タロットマンダラ)を見ていますと、進んでいるように見えて、実は最初の「愚者」にまた戻っているかような感覚があります。
あまり知られていませんが、タロットマンダラは実際に「世界」から「愚者」に戻っていく過程を見ることもあるのです。
回帰と進展は視点を変えた同じものなのかもしれません。
さて、そのようにして皆さんも自分の歴史をふり返ってみましょう。
特に記憶のある幼少期(小学生時代が多いかもしれません、もちろん人によってはもっと前のこともあります)のことは、自分の中の「愚者」を発見する(思い出す)にはいい時期です。
たとえば私の場合、「謎を研究する」とか言って、クラスで「なんでも研究会」というグループを作っていました。(笑) 謎といっても当時の小学生らしい「UFO」とか「心霊現象」「超能力」みたいなことです。(昔、ブームの時代があったのです)
卒業時にクラスでそれぞれ皆が自分用にと、クラスメートにお別れのメッセージを書き込んでもらうというものが流行りましたが、私のそれには「いつまでもUFOが好きな人でいてください」と、半ばからかわれ気味(苦笑)に書かれていたのを覚えています。
で、考えてみれば、今現在もそれが「タロット」に置き換わっただけで、同じことをしている自分に驚きます。しかしこれも、大人になった途中から、あることで「愚者」を思い出すことができたからだと思います。
まあ、私の場合は極端ですが、皆さんもまだ社会規範や他人の目、常識をあまり気にしていなかった時代に戻って、自分の「愚者」的な部分を探求してみるのもよいでしょう。
そこからワクワク感の再生や、自分の潜在的ブロック、また反対に生き甲斐の発見に行き着くこともあります。
「いつから私は、詩を書くことをやめてしまったのだろう」
「いつから私は、夢を語ることをしなくなったのだろう」
「いつから私は、思いっきり自分を出すのをしなくなったのだろう」
「いつから好きなことするのに、理由を考えたり、必要以上に制限するようになったのだろう」
こんなことをあなたも感じたことはあるばすです。
タイムマシンに乗って、まだ枠がそれほど強くなかった時代に戻ってみましょう。人は心の中ではいつもタイムマシンに乗ることもできますし、自由に創造性を発揮することもできるのです。