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火の試練と水の試練
タロットを見ていると、人の浄化や変容(自分の意識の大きな変化・成長)のためには、二種類の大きな試練があるのだというのだということに気がつきます。
それは、
火の試練
水の試練
のふたつです。
この試練を理解するには、そのまま「火」と「水」のイメージを思い浮かべていただくとよいでしょう。
火は熱く、焼けるような痛みがあります。いわば、かなり直接的なつらい体験や苦しい経験といえます。
あまりに火が強ければ、火傷を起こし、その治癒には相当の時間がかかるかもしれませんし、もしかすると、焼け切って灰が残るだけのこともあるかもしれません。
けれども燃焼は気化を伴い、蒸留過程を通じて、純粋なものと不純なものとを区別します。また、燃えることにより、形を根本から変えてしまうことも可能です。
一方、水は冷たく、さらさらとすべてを洗い流しますが、量が少ないと詰まり、多いとおぼれてしまいます。
水には一定の形がなく、様々な形態に変わっていきますので、その時その時の変化の対応力というようなものが問われているといえましょう。
それはつらいことというより、むしろ誘惑や人からの影響による堕落や固定に対する試練と呼べるものです。
あるいは「流れ」ということでは、自分の中の固定したものをどう流していくか(つまり浄化)ということでもあります。
興味深いことに、火の試練と水の試練は、火の恩恵と水の恩恵という形で交互にやってくる場合もあります。
すなわち、火の試練で傷ついた心には水の恩恵(水で流し、あふれさせるような心や実際的な治癒)で癒され、水の試練で溺れてしまったり冷たくなった心には、火の恩恵(太陽光のような温かさ、熱情、インパクトによる蒸発作用、一気に処理する素早い救済)で助けられるというようなものです。
つまり、火と水は質の異なるふたつのエネルギーであり、試練にも恩恵にも両方働くということです。
火と水は本来相容れないものですが、その相容れないものを統合していくことに、錬金術などの古代からの秘儀の神髄があるといわれており、タロットにもそのことは描かれています。
聖書や古い伝説でも、洪水や神からの雷(いかずち)のよなう火の衝撃によって、試練を与えられたということが伝えられています。
「火」と「水」に象徴される相反するエネルギーを自分にうまく活かすことによって、大きな成長の糧にすることができるものと思います。
なんと言っても、「火」と「水」を合わせると「かみ」とも呼べるものなのですから。
やる気が出ない時に、「運命の輪」と「吊るし」
しかし暑いですねぇ。(;^_^A
こう暑いと何もやる気が起きない人もいらっしゃると思います。
やる気が起きないというのは、案外と重要な示唆が含まれていることがあります。
まず単純にエネルギーが落ちている、疲れがたまっていることが考えられるでしょう。
やる気が起きない状態がずっと続くようでは、これはうつ病も疑ったほうがよいかもしれません。(私の経験による、うつ時の状態については、また別記事で書かせてもらいたいと思います)
人はモチベーションやテンションが上がったままの状態で継続することはまれです。
世のすべては、上がれば下がり、下がればまた上がることが繰り返されています。
ということは、上がった気持ちも下がることが必ずあるということです。これをタロットで見れば「運命の輪」で表すことができるでしょう。
ですから、その意味ではやる気がなくなってくることも自然なことで、また何かのきっかけで上がってくるのだともいえます。
問題はその上げ下げの流れのリズムを無視し、ムチを自らに当てるがごとく、無理からにモチベーションをあげようとすることです。
やる気が起きないということは、ある意味「やらなくてもよい」ということであり、いや、むしろ「やらないほうがよい」と内側からサインが来ていることもあるわけです。
従ってそのような時は何もしないとか、やる気にならねばならない対象とは違うことをするという意識の転換と選択が必要となってきます。
タロットでいえば、「吊るし」を取るということです。
そうは言っても、仕事などではやる気に関わらず、どうしてもしなければならない状況もあるでしょう。
それでも、何も考えずただ「気合いだ!」と力を込めるのではなく、上げ下げのリズムを思ってメリハリをつけ、スケジュール的に可能なら、仕事を少し停止してみることです。
そうすれば後で、逆に効率が上がる場合もあります。
自然のリズムが波のようになっていると想像すれば、ずっと同じテンションで力を入れ続けることは、タイミングが変われば激流に逆らって泳いでいることと同じになるのです。
人間は意外に外(自然)に同調しようとする働きがあります。
自分がそのリズムからはずれておかしい状態にある時、警告として自らのやる気を失わせることにより、タイミングをずらすことや一時的にストップしてみることをメッセージとして発しているのだとも考えられます。
やる気が起きないのなら、自分の今の行動や思いを分析し、「今のやり方がズレているのではないか」「流れに逆らっているのではないか」と疑って、一度自分を「吊るし」てみるのもよいかもしれません。
カードの関連から「机上の空論」を見る。
カモワン版マルセイユタロットの解釈には、カード同士に同じ象徴(シンボル)があれば、それに注目してリーディングするというものがあります。
今回はそれに関連した話です。
大アルカナと呼ばれる22枚のカードに「手品師」(ほかのカードの名称では「奇術師」「魔術師」)と「世界」というカードがあります。
この二枚には同じ象徴がたくさんあるのですが、中でも「手品師」に描かれているテーブルの上の手品の道具類と、「世界」における人物・動物類との関係には深いものがあります。
その根本的なことと詳しいことについては講座でお伝えしているところですが、ここでは講座の内容とはまた別のものを書きます。
「手品師」の手品の道具と「世界」に描かれている動物たちは、同じ意味合いをレベルや状態の違いで示したものなのです。
従ってその相違を見ることによって、カードがその時、示唆していることを導き出すことが可能です。
「手品師」の道具は「モノ」であるのに対し、「世界」の動物は「生き物」です。
「手品師」も「世界」も、描かれている人物は自分が中心であることに変わりはありません。
ただ「手品師」にはほかの人物(生き物)が出てきていません。
もしカモワン流でいうところの問題カードが「手品師」として登場し、さらに解決カードに「世界」が出るようなことになっていれば、「生物」であるかどうかというポイントはとても大事なことになってくるでしょう。
つまり、「手品師」はモノや技術で何とかなると思っているのであり、そこには血が通った生のものがないのです。まさに机上の空論状態といえましょう。(「手品師」の図柄にはテーブルもあります)
反対に「世界」は「生き物」に囲まれています。
これはモノだけではないつながりも理解しているということになります。ちなみに「世界」の中心人物は、その手に小さく道具をもっていますので、モノを軽視しているわけではありません。
また仮に「世界」のカードが問題で「手品師」が解決を示しているのならば、その逆も考えられます。
これは、せっかくの技術や道具があるのに、他人(の意見や考え)に振り回されて、それを活かしきれていないということになるでしょう。
また、考えすぎていつも動けないことになってしまう傾向の人は、「手品師」の問題と考えるとわかりやすいかもしれません。
象徴的にいえば、「あれこれ机上で考え、“一人手品”をするばかりで、観客に自分の手品を見てもらうことをしない」ということです。
こんな風にして、カード同士の象徴を比較することによって、自分の問題をわかりやすく見ることができるのがカモワン流メソッドのよいところなのです。
水平方向と垂直方向
いつも文章量が多くて自分でも読みにくいと思っているくらいですので(^_^;)、今回は短めに書きますね。
運動や関係性の方向には、大きく分けて水平方向と垂直方向とがあります。(物理的というより、心理的な面で見たほうがよいです)
縦軸と横軸で表された図を考えるとわかりやすいかもしれません。
閉塞した状況であったり、何か行き詰まったりした時に、水平方向と垂直方向とをシフトしあうことで、急に道が開けてくることがあります。
簡単な例を出すと、
自分に働きかけるか他人に働きかけるかの違い
同じフィルードか別のフィルードかの違い
友人か上下関係かの違い
などの視点の切り替えです。
カモワン版マルセイユタロットをお持ちの方は、タロットマンダラ(大アルカナ22枚をある思想で並べた図)を見ていただくと面白いことに気がつかれるでしょう。(たとえば「審判」と「恋人」など)
水平方向と垂直方向の違いが今一つつかめない人は、「次元」「レベル」ということをキーワードに考えてみるとよいでしょう。
そして、ここが最も大切なのですが、縦軸と横軸の図(十字)で、横から縦、縦から横へとゆったりと線をつなげていくと、様々な円が浮かび上がってくるのです。
その意味が何なのか、皆様も考えてみると面白いと思います。
旅の好みのスタイルによる相性
前に、真の意味で恋愛には相性はなく、作っていくものだ とはお話ししました。
しかしながら、人それぞれ、気質や育ってきた環境の違いなどにより、思考(考え方のくせ)や好み(自分が心地よいと感じるパターン)には異なるものがあります。
それが二人の間で大きく隔たりのあるものだと、初めの間はやはり相性の違いという感覚でとらえられてしまうことがあります。
さて、いよいよ夏真っ盛りというシーズンになりましたが、旅行へ出かけるカップルも多いことでしょう。
ここで旅の例をもとに、その相性の違い(と感じること)を挙げてみましょう。
人は旅の好みからの観点で大きくわけると、以下のふたつのタイプがあると私は考えています。
1.目的型
2.過程型
1は、とにかく行きたい場所に行って楽しむことを主としているタイプで、たとえば「何々が見たい」「何々のテーマパークや施設で遊びたい」「何々を経験したい」という目的ありきをメインとする人です。
タロットで旅をイメージするカードを挙げるとすれば二枚あり、それは「戦車」と「愚者」ですが、この1は「戦車」タイプだと考えられます。
目的を達成すること自体が旅の趣旨となりますから、目的地にたどり着くスピードを重視します。到着してからも効果的に回る方法など合理性や効率性もポイントに置きます。
すると、中には車や電車に乗っている目的地までの旅では、ほとんど寝ている人もいます。(到着すると、めいっぱい楽しみます)
これに対し、2は旅の過程やプロセスを重視するタイプです。
このタイプにも目的地はもちろん心にあるのですが、それよりもそこまでたどり着く途中の楽しみや、旅の計画から終わりまでの流れ全体を好みとし、旅をイメージするだけでワクワクしてしまうという人です。
ただ少々ロマンチスト傾向があり、実際の旅行と自分の想像とが違っていたりすると、目的地に着いても不満をもらしたり、そもそも目的型ではありませんから、そこからさらに別の旅や目的地に行こうとすることもさえあります。
タロットでいえば、この2は「愚者」タイプとなります。
恋愛関係(に限らずですが)において、この戦車タイプ(目的型)と愚者タイプ(過程型)というようにタイプが別々であった場合、旅行の間中、ギクシャクとしたものになりがちです。
目的型の人にとって過程型の人は、「途中の計画や妙なものにこだわりをもって、本来の目的を楽しんでいない」ような印象を持ちますし、過程型の人は目的型の人を、「目的地にに着くことばかり考えて、もっと景色とか旅自体を楽しんでほしい」などと感じることもあるでしょう。
ただ、恋愛が盛り上がっている時はラブラブ状態で、ともに相手へ合わそうとしていますから、そんな違いもお互いにかわいらしく見えて、すべて楽しくやり過ごすこともできます。
けれども次第に情熱が冷めてきますと、お互いの気質の違いが逆に気になり、その違いばかりがマイナスに目に付くようになってしまいます。
最初からある程度この人はこういうタイプだと思っていると、それもましになりますし、もともと同じようなタイプの人とつきあっていると、こうした意味での破綻は少なくなります。
それでもタイプ論の記事 でもお話しましたが、結局どのタイプも人の中には存在していますので、必ずしも旅のタイプもこのように分けられませんし、状況よってその複合タイプになることもしばしばなのです。
ということは、たとえ相性や気質の違いはあっても、相手に自分と同じところや自分とは異なる部分を見ることによって調整し、調和させることで、お互いが成長していくことも可能だということです。
旅のタイプの例でも、「今はこの人は目的に偏っているんだな」「私は過程を楽しんでいないから、もっと楽しんでみよう」とその時その時に、相手を思ってパターンを意識的に変えていくと、二人の関係も新しく創造していくことができるということになるのです。
