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「正義」のカードで、責任のバランスを考える。
タロットカードに「正義」という名前のカードがあります。
このカードに描かれている人物が天秤をもっているところから、ひとつの意味としてはバランスを象徴しているカードともいえます。
私がタロットの相談をしていて思うのは、問題のほとんどはバランスがとれていないことにあるということです。
その中でも今回は、責任のバランスということについてお話したいと思います。
私がデパートの占いの館に出ていた時によくあった相談ケースなのですが、親が子供のことを心配するあまり、本来子供自身が持つべき責任までも介入してしまい、親子の間でバランスを崩してしまっているということがありました。
具体的なことでいえば、結構いい年になっている子供の進路、結婚・恋愛、就職までも親が責任をもとうとしていたのです。
「私が決めてあげないといけない」と子を思う親心がそうさせるのでしょうが、年少の頃ならともかく、ある程度の年齢になり自分で物事を決められるはずの子供に対して、その人生に大きく干渉することは、子供と自分(親)の人生における責任配分を誤らせているといえます。
こう考えてみましょう。
親も子(とくに大人になった子供)も、それぞれの人生には、それぞれが100%の責任を持っているのが正常な配分だといえます。
しかし、本当は自分の人生ということで子が100%責任を取らねばならないところを親が介入し、子の責任分まで取り上げてしまうと、たとえば子が30%、親が70%という配分になっていることもあるのです。
そうすると、一見、子の負担分を減らしてあげたと親は感じますが、それは錯覚であり、その分だけ子の成長する部分や人生で味わうはずだったパートを子から取り上げてしまったことに気がつかねばなりません。
過保護が実は意味的には虐待みたいなことにもなりかねないのです。
責任の配分と言ってはいますが、それは何もネガティブなことではなく、正常に受け持つ部分であり、結果的に楽しみであったり、経験や資源になったりする分ともいえます。
親子ということで親側が子の部分を削る話をしましたが、この逆のこともあります。(親が本来責任を持たねばならない部分を子が余計に負担してしまうケース)
また親子という関係だけではなく、夫婦、恋人、友人、職場の人間など、あらゆる両者の人間関係に見られることです。
自分が責任を取りすぎているか(自分が過剰に負いすぎているか)、あるいは本来取るべき責任を減らしていないか(相手に押しつけていないか)をチェックすることは、心のバランスを保ったり、回復させたりすることにもつながりますので、一度試してみるとよいでしょう。
タロットを使った「忘れない」方法。
皆さんもご経験があるとは思いますが、たとえばノウハウ本などを購入して、
「おお、これはいい方法だ。やってみよう」
と思ってみても、いざ読み終わって日常生活に戻ってしまうと、いつの間にかすっかりそのことは忘れてしまい、本を買ったことすら思い出せないことがあります。
結局、そのまま実行に移すことがなく、「読んだ」ということで「実際に行った」と気分的に錯覚しているわけですね。
こういう場合、本を読み終わる→本を閉じる→本をしまうという過程で、「自分がやろう」と思った文章自体、物理的に目に入らなくなったことが意外にも行動に影響しているのです。
情報量の多い日常生活の中で、人はなるべく忘れようとして生きている生き物でもあるからですね。
気にとめることが少ないほうが楽だからです。
ですから、単純にその文章を抜き出して、自分の目に入りやすいところに置いておけば、少なくとも今までより気がつくことは多くなり、忘れることが少なくなるのは確かでしょう。
また本などは文章量が多いので、必然的に情報の量も多くなって、あるポイントで「これはよいな」と思ったとしても、また違う箇所で「こっちの方法も使える」「この考え方もいいよねー」など、覚えておくことができにくくなることもあります。
それでやはりめんどくさくなって、「忘れてしまう」いや「忘れようとする」のですね。
ということで、目につくところに「やりたいこと」や「使ってみたい方法」などを書いて置きたいことろなのですが、でかでかと机の前に紙を貼ってもちょっとかっこ悪い感じもします。(笑)
そこでタロットを使います。
記憶したいこと、是非やってみたいことなどをタロットカードに託して記憶させるのです。
えぇー、覚えるのかぁ、めんどうだよねぇ・・・と感じるかしもれませんが、タロットに慣れていれば覚えるというより、自然に内容とタロットがリンクするようになります。まさに自動反応のようなものです。
そして、実行したいと思っている知識や文章などを、ある一枚のカードに象徴させ、タロットカード(画像でもよい)を目の着くところに飾っておきます。
外出の機会が多い方は携帯の待ち受け画面にしてもよいです。
これには二重の効果があります。
ひとつには、ここで書いてきたように、物理的に「目に入る」機会が多くなるということで、忘れようにも忘れにくくなります。(象徴させたことを実行するかは、やはり本人の意志によりますが)
もうひとつは自分が覚えておきたい内容だけではなく、それを象徴させたタロットカードにおけるほかの事柄(そのタロットが象徴している様々な事柄)も心に染みこんでいくということです。
たとえば、「スピードこそ起業のカギ」というようなことを覚えておきたい時、「戦車」というカードにそれを象徴させてもいいのですが、同時に「戦車」の表す成功や勝利というような事柄もあなたにの中に刻み込まれて行き、成功のためのマインドが呼び起こされていくというものです。
これは願望実現法というより、自分の中にある成功における心のプラスとマイナスのことも出てくるということです。
ですから、この場合、単純にカードを見ていれば成功するということを言っているわけではありません。成功するためのあなたにある問題点も出てくるということを意味します。
しかしながら、そのマイナス部分を見つめ直し、克服することができれば成功に導かれるということでもありますので、結局のところ、大きな意味では願望実現法といってもよいかもしれません。
タロットカードの「隠者」に見る、年を取った時の対処法
タロットカードで「隠者」というカードがあります。
いわゆる老賢人という姿で描かれているカードで、深い智慧と見識、経験を有している人物がそこにはいます。
私はタロットを教えている時、皆さんにカードに親しみをもってもらうため、よく冗談でこのカードを「おじいちゃん」と表現することがあります。
カードが問題状態で出た時、「古い考え方にとらわれている」「ある物の見方に固執している」「隠れすぎ」など、困ったじいちゃん(笑)ぽい話を交えてたとえに出したりします。
しかし本当に、このカードは年老いた時、私たちはどう対応すべきかということを教えてくれるような気がしています。
年を取ると肉体はだんだんということを聞かなくなり、動きはどうしても機敏にはできなくなるでしょう。
「隠者」の人物を見てみると、ゆったりとしたローブを着ていて、それほどの動きはやはり見られません。
(余談ですが、映画スターウォーズのジェダイの着る服みたいな感じですね。スターウォーズは結構秘教魔法的な話です)
しかしその視線は鋭く、手にはランプを持ってじっと観察しているかのようです。おそらく心の中はスピード感あふれる洞察のインスピレーションが動き回っていることでしょう。
それがあまりにも早いので、一瞬で判断も下していそうです。(カードの順番では「正義」のカードの次が「隠者」であり、「隠者」の視線の方向に「正義」があることも興味深いのです)
それはまるで検索エンジンを一発クリックして、瞬時に結果を出す(しかし組み上げられたシステムと巡回する量は多重)ようなものです。
このように、「隠者」はたとえ肉体的な動きは若い時のようにできなくても、蓄積された膨大な知識と経験によって、無闇に動かずとも適切な回答を得ることができますし、内的にはとても能動的(心は豊かで積極的)なのです。
そして「隠者」の姿は、最初にも述べたように、私たちに年を取ったら何をすべきかということを示唆してくれています。
それは探求する、学ぶということです。
学生に戻るといってもよいです。つまり、何かを学び続けるということなのです。
学びは新しい知識や技術の習得を意味するだけではなく、自分自身を常に変えていくきっかけにもなります。性別、世代を超えた広い交流もあるでしょう。
そのことが、凝り固まりがちなお年寄りの頭脳と生活に柔軟性と活性をもたらせます。
また学びは自分を謙虚にします。
教えを講うわけですから、尊大な態度だと相手は教えたくても教えたくなくなります。
それに、自分の知らないことを知るということは、「ほぉ、こんな世界があったのか」「この年になってもまだまだ知らないことはたくさんあるものだ」と自分の小ささを知り、自然と頭(こうべ)を垂れることになります。
「隠者」の人物も表立って目立つわけではなく、その名前が示すとおり、隠れて謙虚です。
もちろんこれまでの自分の蓄積を誰かに伝えるため、反対に自分が教える側になってもよいのです。
けれども、それは年を取れば誰もが行うありがちな話です。むしろ、たとえ誰かに物事を教えていたとしても、自分が教えを受ける立場にもなることで、さらに豊かさは増すと考えられます。
タロットを学びに来られる方は、80代の方もいらっしゃいましたし、60代くらいの方なら珍しくもないくらいです。
私もそうした皆様にタロットを教えながらも、皆様の豊富な人生経験から逆に学びを受けることも多々あります。
年を取ったら、是非新しい何かを学びに行かれることをお勧めします。
ポジティブシンキングに苦労する人は、実際の行動をする。
将来のことに思い悩む人は多いでしょう。
ましてや今の世況です。
現実的な問題がいろいろと思い浮かぶでしょう。老後の生活・年金、配偶者、子供のこと、家のこと・・・悩み事は尽きないというのが普通です。
このような実際的なことには、やはりまったく準備しないよりも、計画的に考えて行った方が安心だと思います。
以前、あるところで生活のお金を貸す仕事をしていたことがあります。
そこに相談に来られる人を見ていますと、病気や失業など、急なことでのやむを得ない事情の方はわかりますが、中には根本的にあまりに無計画すぎる生活をしているため、当然そうなるだろうという方も少なからず見受けられました。
起きてもいないことにマイナスに心配しすぎるのも問題ですが、不安を抱えながら何もせず、「なんとかなるだろ」というのが一番いけないと思います。
心底楽観的な人は、たぶんずっと大丈夫です。絶対に自分はいつもOKだと確信しているからです。人生は不思議なもので(実は不思議でもないのですが)、確信したことは現実になります。
心の底から楽観的な人物といえば、タロットでは「愚者」となります。 「愚者」は本当にどうなろうと何も気にせず、どんなものにも変化することができると確信しているので、どこにいても無事なのです。(「事が無い」と「無事」は書きます)
ところがなかなか人は「愚者」にはなれません。
普通は自分が絶対に大丈夫だとは思えませんし、なにがしかの心配はあるものです。
安心できないことがあれば、それだけそれを思う(集中する)ことになりますから、引き寄せの法則ではないですが、心にいつも思うことは現実化しやすいので、実際に心配ごとが起こります。
このことはスピリチュアル系の方には耳たこくらい聞いたことのある話でしょう。そして、「だからいいことを思いましょう」と言われます。
とはいえ、人はどうしても気にしたり、心配したりする生き物です。無理矢理いいことを思うようにしても、取り越し苦労気味の人は、ついついマイナスのことをまた考えてしまいます。
私は、特にお金など現実的な面については、不安があればその不安にきちんと対処すべき(準備と行動をするもの)だと考えています。これは自分の経験からでもいえます。
先にも言ったように、愚者的に「何とかなるわさ」とそのことを本当に心から信じている人は、実際にも何とかなってしまいます。
そうではない多くの人は、不安を少しでもなくすように、分析し、考え、そしてやるべきことをしなくてはなりません。
お金のことで不安ならば、増やすか今の支出を減らすかの対策と、将来的な計画もしていく必要があるでしょう。
これはふたつの意味があり、現実的にお金の(あくまでお金のことが例ですが、そのほかのことも同様です)コントロールしていくことと、そしてもうひとつは心の不安を少しでも取り除くという意味があります。
不安や心配が少なくなれば、その分、気持ちも楽になり、ポジティブやいいことを自然に考えることもできるからです。
不安の高い人ほど、「もう、ダイジョブ(笑)」というくらい実際的な対応をするということが大切です。行動していることで、忙しさと持ち直している安心感も生じて、不安の気持ちが薄れていくという効果もあります。
もちろん魔法的には「愚者」になりきれば、準備も計画も何も必要ないかもしれません。
ただ普通は難しいので、現実的に行動をして心配を沈め、そしてその収まった心で愚者化していくといいますか、自分の枠をはずして変えていく工夫をすれば、本当に愚者に近づくことができるでしょう。
お腹がすいたら食べ物が出てくるのを祈るのではなく、実際に腹ごしらえ(する努力を)して、落ち着いたのち、感謝と安らかな気持ちでいつも食べ物に満たされるよう祈るみたいなものです。
恐ろしい自分の基準になっていませんか?
こんな話を聞いたことがあります。
ある二人の男性との交際をどうするか悩んでいる女性がいました。どちらにするか決めかねているわけです。
きっとどちらもすばらしい男性なので、迷っているのだろうと思いますよね。
そして女性当人も、「一人に決めないと自分も誠実な態度ではない」と考えているようです。
こう聞くと、「もてる女性だけど、それでもきちんと一人に決めようとしているいい人だな」と感じるかもしれません。
実はこの話にはオチがあります。
その二人の男性というのが両方とも奥さんがいるのです。つまりどちらをとっても不倫状態です。
誠実どころの話ではありません。ところが、恐ろしいことに、女性本人は不倫ということよりも、自分が二股かけることの不誠実さ?を悩んでいたというのです。
そして女性は、そもそも幸せな結婚を望んでいたとも聞きます。
結婚とは一対一の誠実な交際から始まるものと思っていたのかもしれませんが、それにしても、その相手が不倫関係となるのでは本末転倒ですよね。
ここまで極端ではないにしても、人は何かに迷っている時、信じられないような自分の基準で悩んでいる場合があります。
それは悩みというものは、人のことであっても結局自分の心に悩みが生じるからです。
いい意味では自分を見つめ、考えるきっかけにもなっていくのですが、自分にこだわるあまり、自らの狭い世界の中のルールにはまって苦しむことにもなります。
特に恋愛は「恋は盲目」というように、「好き」という感情が通常感覚の目を奪い、色メガネをかけさせられた状態ともなりがちですので、大きく曲がった自己判断になるおそれも大きいのです。
このことを考えるのに、タロットカードでいえば「恋人」カードに「正義」のカードを持ち込むとわかりやすいです。この二枚を関連させて見るのです。
恋人カードでは、恋に悩む青年が二人の女性を相手に迷っている姿が描かれています。いわば自己世界での判断の迷いです。
この状況では、上に描かれている天使の矢が、どこに刺さるかわからないくらい不安定なものです。時には自分を死に至らしめる危険性さえあります。
しかし「正義」のカードの人物の、裁判官のような客観的な目を持つことで、この天使の矢がぶれずに選ぶべきものに刺さることがあるのです。(または発射されない)
このように一枚だけではわからない意味も、二枚だと意味がはっきりすることもあります。
つまりは、カードのことに限らず、自分の世界にはまっていると盲目になりやすいので、違う人や物の観点を持ち込むということを述べています。
最初の女性のたとえでも、「あんた、それ、どっちを選んでも誠実じゃないですから!」とツッコミを入れてくれる人がいればいいわけですね。
(まあ、たぶんこの女性は「なんで?どこが?」と最初は聞き返すでしょうけれど。それほど自分世界への没入は怖いものなのです)
また、過程ではなく、目的(何をしたいのか、どうなりたいと思っていたのか)を思い出すと、案外独りよがりになっていた自分の判断に修正が加えられやすくなります。
