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サン・ロック教会での奇跡
私がタロットの講座を受講するためにフランスに行った時のことです。
フィリップ・カモワン氏のタロット講義が終わってからは、一緒に受講した人たちとともに、南仏を中心にタロットに関係する故地を巡るツアーに参加していました。
やがてモンペリエという都市に着き、日本から来られていたツアー主催者でもあり、タロットの先生でもある方の案内のもとに、サン・ロック教会という場所を目指しました。
私たちにはどこをどう歩いているのかわからなかったのですが、どうにか目的のサン・ロック教会にたどり着くことができました。
サン・ロック教会は、モンペリエの聖人である聖ロックを祭る教会です。
聖ロックは中世の人で、ローマへ巡礼しながら当時流行していたペストに罹っていた人々を治療しました。しかし自分自身もついにペストに罹ってしまい、あとを死を待つのみという状態の時に、どこからともなくパンをくわえた犬が現れ、また急に湧き出た泉などによって、奇跡的に回復したといわれる人物です。
のちにロックは故郷のモンペリエに戻るのですが、長らくの旅と献身的な人々への治療で身なりはボロボロとなり、誰も彼を見分けることができず、他都市のスパイと疑われて投獄され、そこで亡くなってしまいます。
けれどものちにロック自身と判明し、人々から崇められる聖人となりました。特に病気治癒、旅の守護聖人として南仏では有名です。
ロックはパンをもってきてくれた犬をいつも連れ歩くようになっていたので、犬と巡礼に関係して、タロットカードの「愚者」のモデルでもあると言われています。
長々とロックの話をしましたが、実はここからが本題です。
モンペリエの聖ロック教会に入った私たち日本人の一行は、教会内で絵はがきや聖ロック関係の品物を売っていたおばさんから、おみやげにといろいろと品を買っていました。
するとそのおばさんは、ものすごく感激したそぶりを見せ、こう言ったのです。
「奇跡が起こった」と。
どういうことかと述べますと、おばさんはロック信仰が篤く、いつも何か奇跡が起こることを信じて祈っていたということです。
それがその時、およそ教会、ましてや聖ロックとは無縁でありそうな東洋人の集団が、自分(教会)の売り上げにものすごく貢献したことが発生したのです。
私たちからすれば単にタロットツアーで、愚者と関係すると思われるサン・ロック教会を見学に来たに過ぎません。しかし、おばさんにとっては奇跡の一日だったということです。
このことは、大きな示唆を私たちに与えてくれます。
ひとつは、一方から見れば何でもない日常的なことである場合でも、他方から見れば奇跡のような、信じられないこと、すばらしいことであることも存在するということです。(その逆もまたありです)
そしてもうひとつは、奇跡や信じていることは、どんな形でやってくる(プレゼントされる)かわからないということです。
おばさんにとってのサン・ロック信仰の証が、私たち日本人のタロットツアーだったということは普通予想しえないでしょう。
縁というものは不思議なものです。そこには目に見えない力が働いています。でも縁を引き寄せるのも、人間の思いや行動でしょう。それがこの例でいえば、おばさんの篤い信仰や、私たちの行動に示されていたと考えられます。
フランスでのツアーにはいろいろなことがあったので、いずれまたご紹介したいですが、今回のことは、タロットでいえばまさしく「愚者」と「恋人」、そして「審判」のカードが連想できる印象深い事件といえました。
「月」のカードの考察 読み方の一例。
タロット講座やリーディングの勉強会をしていますと(カモワン版マルセイユタロットの場合です)、読みにくさで筆頭にあげられるカードがあります。
それが「月」のカードです。
カモワン流では、カードが正立で現れた場合、どんなカードでもポジティブな解釈でリーディングすることが求められます。
そして解決カードというスプレッド(展開法)上の規則もあり、その解決カードで登場したカードも積極的な意味で読む必要があります。
ところが、「月」のカードはそのトーンの薄暗い色調や、二匹の犬が月に向かってほえあっているという、なにやら対立的な図柄からも、いい意味で読みにくいのです。
そこで皆さんは「月」のカードに困惑してしまうことになるのです。
「月」は実に深いカードなのですが(ほかのカードももちろん深いです)、ひとつ「心理」や「感情」をテーマにして読んでいくとわかりやすくなってきます。
ただ「感情」というものはとらえにくいものです。だからそうは言っても余計に難しく感じられるでしょう。
ここで図柄にある二匹の犬に注目します。二匹が向かい合っているのですから、自分と相手がいる(または自分の中でも二人いる、二つある)ということです。
ここに先ほどの「感情」というテーマを当てはめると、「自分と相手の感情に着目する」という意味が出てきます。
犬がほえあっているのですから、主張を言い合うという解釈もできるかもしれませんが、カギは「感情」や「気持ち」です。
「ほえあう」つまり言い合う、伝え合うにしても、自分や相手の気持ちを配慮することが求められるのです。
まずは自分の気持ちを相手に伝える、同時に相手からも気持ちを伝えてもらうことです。
そこには意見の食い違いや、思ってもみなかたことで自分の感情が揺さぶられる(対立や反感も含めて)ことが生じるかもしれません。
それでもお互いの気持ちを吐露しあうのです。相手の言葉から複雑な心境にはなっても、相手がなぜそのようなことを述べるのか、そんな気持ちでいたのかを「感じる」ことを「月」のカードは示唆しています。
つまり相手の中に、自分の気付いていなかったものををお互いが見ていくということになります。
感情や気持ちを押し殺して過ごしていても解決にはならないことが多いものです。
そのため「月」のカードが出ると、ずっと心の底に貯めていたこと、あるいは普段感じていて言えずにいたこととを相手に話す(話すことだけではありませんが)ということを示していると言ってもいいでしょう。
月は太陽の光を受けて輝くものであり、光を受けるという受容性があります。また何かを鏡のように映し出すという幻影的な作用もあります。
片方の犬が見ているものは、相手への幻想であるかもしれませんが、同時に相手の見えていなかった部分(自分の中の葛藤部分)を受け入れていくということでもあります。
結局は相手の中に自分を見るということにつながります。
もう一度読み方に戻りますが、このカードが出ると、感情をキーに、ふたつの対象があることを思うことです。自分だけなら自分の中のふたつの心、相手がいるなら、相手と自分の心や感情に注目します。
次に抑圧しているもの、葛藤があるのなら、それを対話(自分ならふたつの心、相手がいるなら相手と自分)させることです。
この時、論理的な主義主張ではなく、気持ちや感情の部分に注視することが重要です。
さらに、ふたつを統合する前の分離状態をよく観察して見ることで、その両者を受け入れる素地ができます。表裏一体に思いを馳せるのです。
つまり新しい次元への移行や発想ができる前の分析と、受け入れ時期と行動が示されていると解釈します。
このことは、カードのローマ数字を見てみるとよくわかります。
月のカードの数はⅩⅧ(18)であり、ローマ数字はⅩ(10)とⅤ(5)とⅢ(3)に分かれます。
Ⅹ(10)は「運命の輪」であり、運命の転回やある段階での統合を示します。それにはⅤ(5)としての「法皇」、伝えること(話すこと)が求められ、そのことでⅢ「女帝」(3)という新しいアイデアや発想につながっていくことを表しています。
こういった「月」における一連の過程を理解しておくことで、実際の場面で「月」が出てきた時にどうリーディングしていけばよいのかの判断がつきやすくなるでしょう。
そうすれば、「今、気持ちを話すことをすればいいのか」「話すより先に見つめる感情があるのか」、はたまた「気持ちを話すにしても、どう話せばよいのか」なども、ケースによってどれが適当かということを読み解くことができるはずです。
その結果、「吊るし」と同様に、じっくり観察すること、不透明なものがはっきりするまでそのままにしておくことがいいという場合もあれば、「恋人」のようにコミュニケーションしてよく話し合うことがいいと能動的に解釈されることもあります。
しかしながら、その根本には「感情」「気持ち」ということものがあることを、「月」の場合には見ていく必要があるでしょう。
「月」にはもうひとつ、ザリガニという甲殻類が登場しているのも特徴なのですが、これを含んでの考察はまた別の機会に譲りたいと思います。
もっと楽に・・・6月記事ベスト
タロットリーディングでは、タロットを展開したあと、あとでそのリーディング内容を検証したり、分析したりして今後の糧にするために、フィードバックする過程も大切です。
ということで、ブログにもそれを適用したいと思い、先月開始のこのブログも一ヶ月経過しましたので、6月のベスト記事10を列挙してみることにしました。
1位 「考えすぎる人のために」
3位 「お金とエネルギー」
4位 「幸せになるための視点」
9位 「タロットが人を選ぶ」
10位 「タロットの非合理性」
こうして見ますと、順位の高い記事は、一見、タロットのブログとは思えないタイトルばかりで(笑)、われながら妙な気分です。しかし読んでいただければタロットとつながることがおわかりいただけることと思います。
これまで一般的にイメージされているタロットの使い方とは違うものがあることを書いてきているつもりなので、こうした結果にも納得です。
そして、やはりこの読まれている記事の傾向から、皆さんは本当にあれこれと悩まれてしまって、動けない状態になっているのではないかと感じました。
「もっと楽に行きたい(生きたい)」と心では思っていても、現実には難しい・・・そんなジレンマに陥っている方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
私自身がついつい考えすぎて頭が固くなってしまう傾向がありましたが、それを見直すきっかけを作ってくれる(た)のもタロットです。
もっと肩の力を抜いてエンジョイできる方法を、今後ともタロットとともにご紹介できたらと思います。
こんな私でも「公務員辞めても何とかどっこい生きているよ、オレ」っていう感じですので。(苦笑)
一生懸命生きている皆様のために、少しでも心が楽に、あるいは生きる希望と自分の価値を高めてもらうためにも、タロットがその一助になってもらえればうれしく存じます。
それからブログをご訪問いただいた方には、改めて感謝を申し上げたいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
「節制」のカードと「人を助けたい病」
タロットに「節制」というカードがあります。
このカードは「節制」という名前がついている通り、物事を少し制限したり、控えたりするような狭めるイメージとともに、もうひとつ大きな意味があります。
それはこのカードの絵柄を見ればわかるのですが、描かれているのは天使であり、そこから「助ける」「救済」ということも浮かんでくるのです。
カモワン版マルセイユタロットにおいて、天使はほかのカードでも描かれているのですが、単独で大きな姿で天使として登場しているのは「節制」のカードだけです。
このことからも、このカードが天使的な役割を強調していることがわかるでしょう。
ところが、タロットを展開する時、このカードが逆向きで現れることがあります。
カモワン流でのタロットの逆向きの解釈は「問題がある状態」と見ますので、この場合、「節制」のカードの意味において、何らかの検討されなければならないものがあると言えます。
それにはもちろんいろいろな意味とケースがあるのですが、今回は「救済」ということをテーマに焦点を当ててみたいと思います。
節制のカードが逆向きに登場し、それが救済をテーマとする時、結構多いのが「助けたい病」のようなものが相談者やタロットを展開した人にあるという場合です。
カウンセラーやセラピストなど人を癒したい仕事を志す人に、ままあるケースです。
自分は人を助けたいと思っているのに、なぜ天使であり、救済を意味する「節制」に問題ありと出るのか?
まずひとつには、単純に技術や能力が足りていないということがあげられるでしょう。
そしてもうひとつが、先述した「助けたい病」にかかっているという場合です。
「助けたい病」とは何か。
それは人を助けることで自分の満足を、いびつな形で得ようとしていることです。
いびつな満足ということがポイントです。
これは人を助けることで人から感謝してもらい、自分の足りない自尊心や不足感を満足させようとするものです。
つまりこれは、自分を助けてほしいことの裏返しなのです。
自分の満たされていない部分を、他人のためと思って何かを「してあげ」、自分の優位性を確認し、「自分は価値がある存在だ」と無理矢理高めようとしているわけですね。
また、かつて「自分が助けてほしかったのに助けてもらえなかった」「助けてあげたかったのに助けられなかった」という記憶が、「助けたい病」に向かわせることもあります。(これも欠けている何かを代償しようという行為です)
別に、これらのことが全部悪いというわけではありません。人のためになり、過去の償いの意味もあるからです。
しかし、自分の欠乏感・不足感・自信のなさ、不安の気持ちなどを補うために「人助け」を利用してはまずいということなのです。
そういう面では、やはりこれらも「能力不足」(助ける力の不足)の一つとなるのかもしれません。
そしてその裏には過剰な「助けたい精神(人を助けて自分の自尊心を補填する心)」や「極端な利他主義(自分の満足より、他人の満足を過度に優先し、潜在的に不足感を感じる心)」があると考えられます。
ただ人は最初から完璧にはできません。多かれ少なかれ、問題を抱えて生きています。
人を助け、癒す仕事をする人の中でも、私も含めて問題はもっているものです。
だからと言ってそれを無視して仕事に臨むのではなく、やはりきちんと向き合い、少しずつでも改善しながらやっていくことが大切ではないかと考えています。
あなたを頼って来てくれた人に、完全なことは提供できないかもしれません。それでもそのことで、あなたはまた勉強し、自分の技術や精神を向上しようと考えるでしょう。
結局のところ、人は助け合って生きているのだと思います。そしてこのこともまた、「節制」はその図柄にある「二つの壺のやりとり」で示しているのです。
タロットは視覚言語
近頃、漢字がアルファベットを使う外国人に人気らしいですね。
自分の名前を漢字に変換してくれるサイトもあるとか。
暴走族のペンキ文字風みたいな語呂合わせでないことを祈りますが、まあそうなるんでしょうねぇ・・・(苦笑)
それでも外国人には意味がわからなくても、なんとなく漢字の醸し出す雰囲気がわかることもあるらしいのです。
やはり漢字も、もとはといえば象形文字からといえますので、形自体に意味が込められていることを感じ取ることができるのでしょうね。
ところで、タロットも漢字と似ているところがあるのです。
似ているどころか、カードの中にはほとんど漢字と同じではないかと思えるものさえあります。
例えば、「禁」という文字がありますが、この漢字はタロットカード(マルセイユタロット)の「星」と符合するところがあります。
星のカードの図柄には、木が二本描かれています。その下には女神と思われる女性が謙虚に壺から水を流している姿があります。(タロット画像を見たい人は、ここをクリックして 見てください。一番上の段、向かって左から三番目のカードが「星」です)
一方、漢字の「禁」にある「示」の字は、神に捧げるための供物台から転じて、神に関係するものにつく文字となっています。つまり「禁」は「二本の木の間に神」と分析されます。
それは二本の柱で守られた神域や聖なる区域を表し(禁足地)、そしてまた「星」のカードも二本の木の間に女神が描かれており、そこは特別な聖域を「示す」のです。
ここにタロットカードと漢字に驚くべき共通性があることが発見できます。
このように考えれば、タロットはいわば漢字のような目で見て意味を伝える言語の一種(視覚言語)だと言えます。
漢字と意味的に似たところがあるのも、洋の東西を問わず、人類の普遍的なシンボルが、方や漢字、方や絵という形で表現されたものとも考えられます。
またへんとつくりの組み合わせ、漢字同士組み合わせによって、多種の新たな漢字と意味が作り出されたように、タロットカードも複数のカードの組み合わせによって、多くの意味を汲み出すことが可能となります。
さらには日本語の漢字かなまじり文のように、カード同士が何枚も連繋していくことにより、そのカードの間のストーリーも創造され、ひとつのまとまった文章として出現することもあります。
目で見て意味を瞬時に把握できる視覚言語は、複雑な情報も少ない形で伝えることができます。
タロットもまた78枚(大アルカナだと22枚)のみで、たくさんの情報を送り、伝え合うことができるのです。
