ブログ

太陽のエネルギー

明日は夏至に当たりますね。


夏至といえば単なる天文学的な意味での分節点ではなく、スピリチュアルな意味からも特別な時点だといわれています。


夏至に限らず、冬至、春分、秋分などの4つのポイントをはじめ、一年を通じて何回かの重要な日があるようです。


カモワン版マルセイユタロットでも、明らかに夏至などの太陽の動きと関連したカードがいくつかあります。


その中でも、もっとも夏至にふさわしいカードは、ずばり「太陽」のカードでしょう。


もう見た目そのままで、顔のついた太陽が大きく描かれています。


このカードの中の太陽と、ある関連するカードとを透かして重ね合わせると、実際の夏至の太陽が特別なポイント(山の頂上や神殿の真ん中など)から昇ってくるかのように、意図的な位置を配されて描かれているのがよくわかります。


つまり、太陽の動きの観測には非常に重要な意味が古代からあり、それはとりもなおさず、「動き」を知る必要があったことをタロットが示しているのです。


海外のストーンサークルのなどの古い遺跡でも、夏至や冬至などには決まった位置から太陽が見えるようになっているとも言われています。


そのような事実と、タロットからの個人的解釈とを照らし合わせてみると、おそらく太陽のエネルギーが今以上に重要なものがあったのではないかと推測できます。


太陽エネルギーというものは、エコ意識の高まった今でこそソーラーエネルギーとして活用されはじめていますが、古代ではわれわれがまだ科学的には認識できてない別種のエネルギーが存在していたのではないでしょうか。


それは人体や精神にも影響し、さらに土地と共鳴して多くの奇跡的とも思える現象を引き起こしたかもしれないと想像しています。儀式的には、私のインスピレーションでは、手の印(手や指の特別な組み方)に秘密があると推察しています。


その発動は、やはり夏至などの特別な時点で極大となったり、変動のターニングポイントを迎えたりしていたものと考えられ、だからこそ、太陽の観測は非常に重大なことだったのではないかと私は思っています。


もちろん昔では、天体観察が季節や天候の予測と関係し、直接の農業などの種まきや収穫に影響を及ぼしていたので、太陽を観測したと普通に考えられますし、まともな意見だとは思います。


しかし私の言っていることはトンデモかもしれませんが、そういう夢想をタロットを見ながら、夏至の日にしてみてもロマンがあるといえるのではないでしょうか。(苦笑)


余談ですが、この「太陽」のカードは、個人的に相当な、ある治癒力のエネルギーがある気がしています。またいつか、この事例も紹介ができればと思います。


悩んでいるあなたは尊い。

昨日のサッカーW杯、日本代表戦、盛り上がりましたねぇ。


「今回は期待できない」というほとんどの人の予想を覆し、初戦での勝利、そして敗れはしましたが、強豪オランダ相手に最低失点のみという善戦でした。


何か2002年以来の統一された闘志というものを感じさせました。2006年でも選手たち皆さん、頑張ってはおられたのでしょうが、何かそれぞれの気持ちにちぐはぐなものが見られたような気がしています。


それは単純に二戦終えての結果の違いだけから来る錯覚かもしれません。そういう意味では「結果」ということも、他人への説得力を持たせるということでは重要な事なのでしょう。


またオランダ戦は負けましたが、試合としては勝ったカメルーン戦よりも内容として価値があるように感じました。これは「結果」というより、「過程」が輝いた試合といえましょう。


結果も大事、過程も大事、そのバランスが重要だと私は思います。



さて、そうは言いつつも、私はタロットリーディングや講座においては、「過程」というものに重きを置いています。


自由経済の社会では、とかく結果ばかりが重要視されがちですが、心の分野、悩みの相談などでは過程・プロセスが大切だと考えています。


仕事、恋愛、人間関係・・・ライフステージの様々な場面で人は悩み、迷います。


その時、「一番よい方法(道)はどれか」「この大変さから脱する方策はないか」と考えます。


たいてい、このような時に思っている(願っている)のは「よい結果」です。


確かに先が見えない不透明な状態だからこそ悩んでいるわけですが、それは自分のあるべき姿が見えないだけであって、皆よい結果を望んでいるはずです。


しかしながら、もはや悩みの状況になってしまっていること自体を思えば、この「悩んでいる今」の意味も考えてみるとよいのです。


意味はわからなくても構いません。何か意味があるかもしれないと少しだけ現況に焦点を当ててみるのです。


よい結果を望むのは人間として当然の心理ですが、結果ばかりを見ずに、「苦悩している私」と私が私を思ってみましょう。


そうすると、「悩みそのもの」や「悩んでいる自分」に価値があるのでは、という思いがわいてくることもあります。


実はそのことの確認を、カモワン版マルセイユタロットのリーディングでは行っています。


カモワンメソッドでは、問題を象徴するカードとその解決を象徴するカードがセットで出ることにより、問題自体にも意味と価値があることに気付かされます。


なぜなら問題を表すカードも、それ単体では「よい意味」や「可能性」を本来示しており、ただそれを発揮することに今は阻害されているだけだと考えるからです。


結局悩みや問題をきっかけにして、自己成長していくという過程をカードを通して前もって経験していくということになります。


そして実際に問題が解消していけば、さらに成功体験を積むことができます。


ただ重要なのはその過程であり、問題を直視して解決に向かう心とプロセスなのです。


もちろん結果も大切です。


それでも逃げずに、今の悩んでいる自分を見て問題に立ち向かい、「克服していく」あるいは「癒していく素地があるのだ」と気づいて「実際に変化を起こしていく」、その一連の流れと自分のベクトルの転換こそに意味が非常にあるのだと私は考えています。


だから、悩んでいる人は尊いものだと思います。(悩んでいなくても尊いですが)


それだけエネルギーをかけ、少なくとも何とかしたいと心を砕いているからです。


悩み中は何の実績も結果も残せないように見えますが、一生懸命作業をし、汗をかいているのです。それを誰が意味のないものと断ずることができましょう。

悩みの最中と過程の価値を思い、自己を卑下することなく、勇気をもって立ち向かっていきましょう。

過程の大切さに気がつけば、自然と結果だけを気にする心もなくなり、逆によい結果を招くことも可能になるのではないかと私は感じています。


恋をして、あまりにも苦しい時

あなたにはこんな経験がありませんか?


恋をして、相手のことを思うと居ても立ってもいられない。


一応は両思いの関係でいるけれど、自分の思うような反応を相手は返してくれず、心の中が落ち着かない。


恋愛となれば、誰でも経験する感覚かもしれません。


今は恋愛について、いろいろなコミュニケーション技術や心理的な技法、占いに至るまで、心構えや対処方法の情報が数多くあります。


けれども、本当に心が荒れ狂う状態になった時、この暴風雨を沈める手立てはないのでは・・・という気がしています。


とにかく、落ち着けない、心配である、相手のことが気になって気が狂いそう・・・


本気で恋をしたら、テクニックなんか言ってられず、心は暴れるままでどうしようもない。そのようなこともあるのではないでしょうか。


これはもう、カモワン版マルセイユタロットでいえば、 「12」の吊るしと「13」が逆向きで並んでいるようなものです。カードを持っている人は実際に見てみるとよくわかります。


この並びになると、ちょうど「吊るし」の人物に向けて「13」の鎌が振り下ろされているかのような印象を受けます。


「12」の吊るしの人物の世界が、恋をした相手だけしか見えない閉塞したものになってしまい、自らの妄想ともいえる相手へのあせりの思い(焦燥感)が、「13」の逆向きという形でネガティブなエネルギーに投影され、自ら(「12」の吊るし)を傷つけているような状況といえます。


この場合の「13」逆は、まさに自分が作り出した「ゴースト」です。

(実際のリーディングでも、この並びが展開したことは何度か見ています)


こうなればかなり苦しく、逃れたい一心で死への羨望さえ生ずる危険性もあります。(それゆえに「恋愛」と一言で言っても強烈な面もあるのです)

この状態から脱するには、多くは他人の助けが必要です。それが「節制」の天使といえましょう。または時間の経過による心と環境の変化を待つ、これくらいでしょうか。


ただ、ものすごくつらくても、必ず出口はあります。それが望む恋の成就ではないかもしれません。しかし、人も(自分だけではなく相手も、周囲も)世も、必ず変転していきます。それがまさに自然の摂理だからです。


変転するということは、そのあなたの苦しい状況が永遠に続くわけではないということです。そういう意味では、やはりこの世は地獄ではないでしょう。変わってくことが許されている世界なのですから。

(固定した心理が続くのは、地獄と天国を示すともいえます)


少なくともまったく同じ状態がずっと続くことはありません。それを思い、「この経験にもきっとよいことがあるのだ」と信じ、待つことです。そうすれば、自分自身の激越な思いが薄れていくか、相手の何らかの変化によって、あなたの感情にも少しずつの変質があるでしょう。

「時間の変容力を待つことができない」「どうしても我慢できない」「自分でもおかしいと感じる」「神経症の症状に近いものが出てきた」というような場合は、自分ひとりで悩まず、カウンセラー、セラピストなどの専門家に相談することです。

あなたの恋愛の苦しさ、少しでもわかってあげられたらと思います。


タロットが人を選ぶ

世にタロットの数はあまたあります。今この時点でも誰かが新しいタロットを創造しているかもしれません。


私が使っているのはマルセイユタロット(カモワン版)です。日本ではマルセイユタロット自体がマイナーなうえに、さらにカモワン版を使う人は少ないでしょう。(マルセイユタロットという大きなくくりの中に、カモワン版というものがあるとお考えください)


でも一時期カモワンタロットは旧タロット大学、現イシス学院さんによって急速に広まった経緯もあります。(私もその流れで学んでおります)


ですから実際には日本でのマルセイユタロット使用者は、グリモー版などよりもカモワン版のほうが普及しているのかもしれません。


いずれにしても、意外に知られてないのですが、マルセイユタロットはほとんどのタロットの元型となったタロットであり、そこにはほかのタロットのように創作者個人の思いや考えが色濃く反映されるのではなく、大げさにいえば全人類的な普遍的なシンボル(象徴)が描かれているともいえます。


ただ多くの人が「ある特定のタロット」を使うことで、数量の圧倒的な力によって、そのタロットにおける目に見えない意識の集合的塊のような空間ができます。


そのためタロットリーディングにおいても、その意識の空間とつながりやすくなり、多くのデータをダウンロードすることも可能となります。言い換えれば、インスピレーションがわきやすいともいえます。


マルセイユタロットは日本では使う人の数は少ないのですが、その伝統的蓄積と絵柄の普遍性によって、距離的には遠くにある感覚ですが、さらに巨大なデータとして残っているように感じます。またヨーロッパではマルセイユタロットを使う人は多いと聞きます。


そういった話はともかくとして、やはりタロットを始めるとなるとタロットデッキ(一組のタロット)が必要となります。その時、自分はどのタロットを選べばよいのかと悩むかもしれませんが、心配しなくてもタロットのほうがあなたを選んでくれます。(笑)


タロットのことを調べていると、あたなに縁のあるタロットが必ず目に入ってくるでしょう。あるいは何度もシンクロのように登場するかもしれません。


でもここで慌ててはいけません。


「あ、これが私の選ぶタロットなのだわ」とやり始めて、のちにどうも違和感があり、我慢してやり続けて、結局いやになってやめてしまった、というようなこともあるからです。これはそのタロットと相性が悪かったと考えられます。


やはり、実際に手に取ってみて、そして使ってみても、「このタロットが好きだ」と思えるものが一番よいでしょう。


まあ、それでも私はやはりマルセイユ版をおススメしますが。(苦笑)


タロット講座は自己変容の旅。

私はタロットリーディングととともに、タロットを教えることもしておりますが、どちらかといえば教えることのほうが向いているかもしれません。


もともと私は何でも教え好きなところがあり、趣味の釣りでも、以前釣り場で出会った見ず知らずの人から「釣りを教えてくれ」と言われ、目の前に魚がたくさんいたにもかかわらず、、自分の釣りを忘れて教えることに何時間も熱中してしまったくらいです。


幸い、その人も無事魚を釣ることができて、本当にうれしかったことを覚えています。



カモワン版マルセイユタロットを習っていた時も、比較的初期の頃から「どう説明すれば理解しやすいだろうか」という教え目線で考えていたところがありました。


ですから私にとってタロットの講座をすることはとても楽しいことでもありますし、またそれだけに、人にものを教えることの責任や重要さについて、いつも考えているところです。


さて、そのタロット講座なのですが、これはタロットリーディングの方法を学ぶだけには留まりません。


もちろん、タロットに親しみ、タロットの使い方を学ぶことが最初の目的ではあるのですが、実は講座を受けていく中で、一種のワークショップのような参加者自身にも変化が起きるような仕組みがあるのです。


その一端をご紹介しましょう。


タロットは人を占う道具だと皆さんは思われるかもしれませんが、実は自分の心を映し出す鏡のような役割があり、いわば自己観察に適しているツールでもあります。


従って、講座が進んでいくにつれ、いつも自分をタロットとともに見ていくことになります。


そこには普段あまり意識したこのない自分の隠された面(長所であったり、問題の部分であったりします)も次第に浮かび上がってきます。


言ってみれば、タロットとのコミュニケーションを通じて、自分自身の内面ともコミュニケートするという二重の会話をこなしていくことになるのです。


さらに複数での講義の場合、タロットリーディングの実践練習を通して、受講生同士の生の人間のコミュニケーションもあります。


こう聞くと、ちょっと大変なイメージもあるかしもれませんが、そんなことはありません。


いつもタロットという貴重なツールが間に介在するので、直接土足で踏み込まれるような感覚はなく、むしろカードを通して自分を客観視することで、それまでの悩んでいた自分を笑えるくらいの解放的な気分も味わえるのです。


また人の問題をリーディングすることにより、自分ともリンクしていることに気付き、人間の潜在的なつながりと助け合う共助の心を確認することもできます。


不思議なことに、受講生の中には、最初の頃に自分の問題として出ていた象徴的なカードが、講座が終了する頃には、 「過去のカード」として、問題状態ではなくなって登場することもあるのです。


これはタロット学習の過程で自分を見つめることにより、漠然としていた自分の問題をはっきりとタロットによって認識したことにより、すでに問題が自分の支配下に収まったことを示しています。


つまり大きな自己改革を、タロットを学んでいる間に自然にやってのけていたことになります。


タロット講座の本当の意義はここにあります。


タロットの使い方を学びながら、実は自己変容の旅を行うのが私のタロット講座なのです。


タロット講座を終える時、皆さんのひとつの旅も終わります。


受講生さんたちの活き活きとしたお顔を拝見することができれば、私はとてもうれしく感じます。そして、私自身も受講生の皆さんとともに成長させられていることを実感するのです。


Top