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自身をタロットに語らせる

タロット、特にマルセイユタロットは人の意識の元型を描いていると言われます。

かの有名な心理学者ユングも、マルセイユタロットに関わっていたことが知られていますし、後学のユング派と呼ばれる人たちの中には、詳細にマルセイユタロットと人の心理(成長、統合)の関係を考察されている人もいます。

そして、マルセイユタロットに限らず、いわゆる絵のついたカード類たちは、何らかの心の状況や、潜在的にある心の中の思いを投影すると考え、カウンセリング的な相談に用いられることもあります。

占いではないタロットの活用があるとすれば、ひとつには、心理的な意味でカードを扱うということがあげられます。

むしろ、最近では、タロット(などの絵のついたカード)は、心理セラピーに使えるものだという認識が増えているように思いますし、そのことは、精神世界系や、アカデミズムではない心理の世界では、もはや当たり前のようにも見えます。

しかし、だからと言って、タロットは心理的な(心の中の)投影装置として使うものだけではないということは述べておきます。それはタロットにおけるほんの一部の機能と言ってもいいでしょう。

私自身は、心理・メンタル面をタロットで読むことは多いですが、一方で、さらに違う階層・次元にもふれることがあります。

現実の問題の多くは、心の問題をとらえ、それを浄化したり、癒したり、変容させたりすることで解決に向かいますが、もちろん、人は心だけで成り立っている存在ではないので、ほかの部分も観ておく必要性があるのです。

とはいえ、クライアントや自分の心を整理しておけば、問題と思っている部分は、ほとんど楽になったり、快方に向かったり、少なくとも、見え方、感じ方は変わります。

なぜなら、今「問題と思っている」と書いたように、問題(悩み)は、問題として当人が思わない(意識しない)限り、問題ではないからです。ということは、「思う、思っている」ということが重要で、それはつまりは自分の心の思い方になりますので、ここに焦点を当てれば、だいぶん変わることができるのです。

ということで、タロットを心理的な分野、心の整理(ただし病的なまでになっていると専門家の力が必要です)に活用することは、大いに意義があることだと言えます。

ここで、意外に簡単な方法で、タロットを使って、自分の心と対話する方法を示します。

それは、大アルカナ22枚を使います。(高度になれば、小アルカナを使う方法もあります)

マルセイユタロットの大アルカナは、一番最初に述べたように、もっとも意識の元型を表しており、絵として把握しやすいものになっていますので、自然、自分の内面や意識、心を象徴させることができるのです。

特に、明らかに「人物」となっているもの(描かれているカード)は、この場合、やりやすいです。

ですから、全部のカードを使う必要は、最初はありません。

まず、22枚のカードのうち、気になる人物が描かれているカードをいくつか選択します。

例えば、「悪魔」が気になるとか、「隠者」が気になるとか、「星」が気になるとか、カードはどれでもいいですし、何枚でもOKですが、初めのうちは、あまり多すぎると混乱してしまうので、特に気になる三枚くらいの(人物として見ることのでき)カードにしておいたほうがいいかもしれません。

そして、自分が選んだカード、一枚一枚と向き合い、まるでカードの人物が実際の人間であるかのように想像します。

このカードが語るとすれば、何を言っているのだろう? 今、自分に何か言いたいことがあるとすれば、このカードの人物は何と言う(言っている)のだろうか? という具合に、カードの人物に想像上で語らせます。

この時、カードの普遍的な意味は、あまり考えないほうがよいでしょう。あくまで人物が語るセリフのように思うことです。

一枚ずつが終れば、次に、もし三枚を選んでいたとすれば、その三枚の人物が合議(会議)しているように、今度は想像してみましょう。

誰か一人が強い意見で押し切る場合もあるかもしれませんし、三人が等しく、意見を述べ合って、あなたに何か共通して意見を具申(笑)することもあるかもしれません。

結局のところ、自分の心の分身と語っているようなのものなのですが、タロットという物理的なカードがそこにあるので客観性を持ち、自分の中の色々な人物の思い(それは自分の思いの一部でもある)を聞くことができ、自分を整理することに役立ちます。

慣れてくれば、人物ではないカードも、あえて人物のように見て行くこともできますし、シャッフルして偶然出たカードを素材にして、語らせることも可能です。

偶然に出すほうが、意外性と言いますか、さらに客観性を持ったり、特に占い次元に降りていく(変えていく)こともできるたりする(つまり、現実的・具体的な問いに答えてくれるような気にもなる)ので、楽しいこともあります。

マルセイユタロットは、人物が描写されているたいていのカードには鋭い視線がありますので、その視線方向を気にして見るのも、マルセイユタロットならではのコツと言いますか、特徴と言えましょう。

それから、自分の選んだ人物のカードが、何もしゃべらない、話さないこともあります。

これは、自分の心がそのカードの象徴性において閉じていたり、秘密があったり、なかなか一人になっている時でさえも言いづらい何かを抱いていたりする場合があります。

また、反対に、うかつにしゃべりの過ぎていることの注意であることもあります。

さらに応用編の方法も、少しだけふれておきましょう。

例えば、マルセイユタロットの「月」のカードでは、犬のような動物が二匹、月に向かって吠え合っています。

それぞれ、あえて色も異なって描かれているのですが、それはつまりは、何か対抗したり、相反したり、拮抗したりする要素とも言え、いわばあなたの中のせめぎ合っている葛藤部分とも言えます。

それが何なのか、二匹の犬、それぞれにまたカードを一枚ずつ引いて、そのカードたちに語らせる(争わせる)という手があります。

あなたは、それ(会話、想像する言葉での吠え合い)を見ているだけです。(笑)

「月」のカードは、皆さんわかりづらいとか、もやもやしているので嫌われたりするカードですが、心や感情の整理には、すばらしい効果と意味を発揮する奥義的なカードなのです。ざわざわするのはプロセスであり、本当は心を静めるカードになるのです。

ただし、それには、「月」のカードの細かな象徴をよく理解(知的にも感性的にも)しておく必要があります。

ということで、皆さんも、タロットカード自身に語らせて、逆に自分を見てみましょう。きっと、なかなか面白い気づきがあると思いますよ。


全体と関係するオリジナル化

今日はクリスマスイブですね。

クリスマスが、もはや世界的行事になっているので、キリスト教徒とは関係なく、感謝と幸せに意識を向ける人も多く、またそうありたいと祈りたい気分になりますし、そのような波動が世界中から伝わってくる時かもしれません。

さて、個人的には、冬至が明けて、暦とは別に改まった感じが強くなりました。カードを引いて、儀式的に切り替えたというのもありますが。

ちなみに私が引いた一枚引きバージョンのものは、「恋人」カードでした。占いなどですと、恋愛に関係するカードみたいに思うかもしれませんが、マルセイユタロットのこのカードはほかの象徴性も考えられ、なかなかに深淵なるものがあります。

このカードは人間が三人いて、まるで相談や選択をしているかのような図があり、同時に上空にはクピド(キューピッド)、あるいは天使ととってもよい、現実を超えた(天上的)存在も描かれています。

このことから、おのずと、地上と天上との関係が示唆されるのですが、人間三人とクピドの位置・面積などにも秘密があり、私がこれからどの位置(スタイル)でいなければならないかがよくわかるものでした。

このようなことは、タロット全体(少なくとも大アルカナ全体)を知っていないと、実は解釈は難しいのですが、逆に言えば、全体を知れば、一枚単体の単純な意味のレベルを超え、タロットが示すあなたにとってふさわしい奥深い意味が出てくるのです。

全体と単体と言えば、、私たち個人と人類全体とか、宇宙と私とか、神と人間の関係とかというような対比を想像させますし、物事は、個人単体で存在したり、理解できたりするものてはなく、全体の有機的ともいえるつながりをもって、はしめてより深く理解が可能になるのだと、タロットを見ていても思い知らされます。

さて、暦的には新年はまだですが、太陽と地球の関係では、すでに年が明けたとも言えます。

そこで、ふとタロット(マルセイユタロットの大アルカナ全体図)を見ていて思ったのが、やはり、先ほどの全体と個人の関係です。

この現実の世界、地上世界は、いわば個性の世界と言えます。誰一人、まったく同じ人間はおらず、みな必ず、どこかは違っています。

そのため、人と比べての優劣が、あらゆる局面で起こりやすく、能力(身体・知能)、経済、名誉、肩書、家柄、会社、組織、国、地域、家族、友人、持っているものなど・・・本当に何でも比べられてしまう(比べてしまう)ことが起きます。

それで優劣を見てしまうと、どちらにしても、自分にとって、つらい世の中になります。

人より優秀だと思っている部分があれば、それを維持することに労力がいりますし、もっと上の人が出れば、たちまち敗北感や劣等感に苛まされることなります。そして、最初から劣っていると認めてしまうと、自己を尊重するどころか、存在価値を認めることさえ難しくなり、とても苦しいことになってしまいます。

やはり、相対値で見る世界ではなく、自分自身の絶対値で見ていくような方向性が必要かと思います。

このことと最終的には関係してくるのですが、これまでは、いわゆる生きる上での正解とか、成功法則とか、ひとつの完成されたような技術などのようなものが多く出た(ある個人が提供した)時代でした。この中には、連綿と伝統的に伝えられてきたものもあるかもしれません。

そうしたものは今後も続いていくとは思いますが、同時に、教科書的なものや、普遍的な法則、技術というものは、個人によって、どんどん変えられていくものになるのではないかと想像しています。

つまり、あるひとつの基本のような型はあっても、一人ひとりの個性に応じて、その人個人にふさわしいものに、今よりももっと容易に変えられていくということです。

例えば、何か教えるビジネスがあったとしても、ただ先生や師匠のことを忠実に守ってやっていくというスタイルより、最初は確かに基本は学ぶにしても、早い段階から自分流に合ったものに変えていく、柔軟な流れになることが多くなる気がします。

いわゆる「守・破・離」と呼ばれる段階がありますが、そのスピードや形式の崩し方が早くなり、個人的に変容(トランスフォーム)していくのが当たり前になるというわけです。

そしてひとつのことにこだわるよりも、多くの融合や統合が起こり、学びや成長というものが、全員が右へならえというようなハンコで押したようなスタイルにならず、個人そのものの価値・ものさしで計るようになり、自分流の進み方の把握がより早まるのではないかと予想しています。

言ってみれば、オリジナル化が普通になるということです。

しかし、ここが重要なのですが、オリジナル化は進みながらも、ほかの分野とか技術、教えともつながりやすくなり、全体としては、目指す方向性が一致してくる(一人ひとりの価値観とか個性は当然違ったままで、多様性は持ちますが)ということです

自分には自分のやり方、方法、成長の段階があることを早期に自覚し、無理せず、しかし、自分を貶めることもせず、全体の中で、自らの個性の活かし方を、他人(それも複数)から学んだり、関わったりすることによって開花させ、オリジナルな自分なりの生き方、社会貢献、サポート、充実、幸せ感を得ていくことになるのではと思います。

それには、今までように、個人がとんがって、カリスマ化したり、セルフブランディングみたいな特別なウリを築いたりする必要もなく(それは別にあってもよいですが)、全体のネットワークでつながり、個人は中継点や変電所みたいな感じでありながら、個として独立しているイメージとなります。

いわば、個人でいながらも、シェアやネットワーク的な組織もありの業態と言えましょうか。

これは、一見、メッセージ的には「あなたらしく」ということではあるのですが、ただ、ひとつの個性や顔をあなたと思うのではなく、複合的ともいえる、色々な顔と仕事、趣味、傾向を持つことを自分に認めるということに近いです。

本質的には、先日のブログに書いたような、見える現実のネットワークと、見えない霊的ともいえるネットワークを意識した生き方、働き方へのシフトと言い換えてもよいでしょう。

今日述べていることは、マルセイユタロット的には、「世界」と「手品師」との関連になります。

「世界」が全体やネットワークを示し、「手品師」が個性、個人を表します。この二枚は、タロットの4組、すなわち、四大元素としてもつながっているのです。

ところで、地球の歳差運動をもとに、占星術的には、サイン(星座)をひとつの時代ととらえる考え方があります。今はみずがめ座の時代で、すでにその状況は始まっていると言われます。これが大きく意識にも上ってくるような、そういう予兆を、来年から(いや、すでに今から)感じるものです。

資格ビジネス的なもの、ある証書をいただければOKというような時代では、すでにありませんが、自分を幸せにするために、ただ画一的なものを求めるのではなく、自分流にアレンジ、自分本来に合わせていく意識は、ますます重要になってくると思えます。(それでも、最初は自分が魅かれるもの、興味あるもの、基本的のものなどは、学んだり、ふれたりしていくことは必要でしょう)

ですから、他人や環境のせいにしていても始まらず、自分がどうしたいのか、自分はどうするのか、自分としてはこうしたいということを、素直に出していくことが大切になってくると思います。


冬至のタロット

この記事がアップされている時は、ほぼ冬至の時期になりますので、タロットを持っている方は、ぜひ、冬至にタロットを引かれるとよいと思います。

冬至は夏至、そして春分・秋分とともに、大きな時のポイントになります。

前にも書いたことがありますが、通常の意識状態を変えるには、いろいろな方法があり、天の方法、地の方法、人の方法として分けることもできます。

その中で、時のポイントを利用するのが、こうした特別な天体的時間で行う天の方法(場合によっては地の方法にもなりますが)となります。

なぜ通常の意識状態を変える必要があるかといえば、いつもの調子では、鋭敏な感性が出にくく、全体、あるいは神性、潜在的なものとのつながりがわかりづらく、物事を物質中心として見てしまう顕在意識が強く働いているためで、いわば本当の世界と分断されて生きているようなものになっているからです。

ですから、これ(通常意識)を変えて、全体や見えない部分、潜在的な部分、神性・神聖的なところとのつながりを取り戻すわけです。

普段の俗(の生活)から、聖なるもの(神・神性)の力を復活・流入させ、浄化と再生を図ることでもあります。

そうすると、インスピーションや直感を伴って、普段気づけないようなことに気づくこともあります。

タロットリーディング(この時間が非日常的意識時間になっている)によって、アイデアが浮かんだり、気づきが増したりするのも、そうした意識の変換作用があるからなのです。

冬至の際、自分でテーマを決めてタロットを引いてもいいですし、特に何も問いを立てなくても、意味があるカードが出ると思います。

特にテーマが何も思い浮かばない人は、冬至の象徴的意味を考えて、「復活・再生するには」「これから何をすべきか(占い的だったら、これからどうなるのか)」「何を始めるのか、何が始まるのか」というテーマでやってみるとよいでしょう。

冬至は、昼間がもっとも短くなる時で、逆にいえば、そこから昼間が長くなっていく切り替えの時なのです。ですから、古代から、太陽の復活の時として、重要なポイントとして認識されていたのです。

日本でも天照大神が、太陽神とされているように、太陽を神として崇め、信仰している地域、国、時代は多いというか、普遍的なものと言ってもいいくらいです。

その理由は、くどくど説明するより、皆さんが「太陽」と聞いて、何をイメージするかで、もうわかると思います。命、生命の根源、私たちの意識の中心のようなものが感じられるでしょう。

地上や我々に、あまねく光としてふりそそいで、生命を育むエネルギーとして供給してくれている太陽が、信仰的に神とされるのも当然です。(セット・ペアとなる天体には「月」があります)

ただ、マルセイユタロットを学べばわかりますが、タロットにも「太陽」というカードがあり、それは私たちが天体(水素核融合を起こしている物質的な太陽)として見ているそれとは限らないということです。

むしろ信仰的に神として見ている太陽の性質に近いかもしれません。そのどちらでもあるとも言えますが。

古代の海外で、太陽信仰では、ミトラ教などが有名ですが、そもそもクリスマスもその影響があると考えられます。(諸説ありますが)

クリスマスがなぜこの時期なのか、そしてイエスの生誕を祝う日となっているのか、サンタクロースとは何者なのかなど、タロット的に見ていくと、とても面白いことがわかってきて、素朴でありながら、深い意味をもって信仰されていた太陽神や、やがて宇宙システムそのものに行き着いてきます。

私たち日本人は、キリスト教徒は少なく、クリスマスもただのイベントとして消費してしまっている感じが強いですが、クリスマスの概念が入る以前にも、民俗学的に見ていけば、冬至をどう扱っていたのか、日本人としての行事とか意識が見えてきます。

今でも、冬至にはお風呂にゆずなど入れたり、かぼちゃ、小豆を食べたりする家庭もあるでしょう。これらは、やはり太陽のシンボルと関係すると言われています。

そして、当然ながら、天体の流れが個人としても影響するところがあり、個人的にもし、復活、再生を図りたいことがあるのなら、冬至の力を利用して、さらに秘伝的な力を持つ、マルセイユタロットを引いて、自らを生まれ変わらせることも意識的には可能です。

正確な時間ではなくも、このいわばクリスマス期間として流れている力を(世界中が祝福と再生のエネルギーに満ちている)自分に還元すればよいのです。

楽しい、幸せなイメージがクリスマスにつく分、反対に、不幸な境遇や孤独を思うようなネガティブな感覚も、反転して、多くなる時期でもあります。

これが意外にこの時期の落とし穴で、たとえ自分が苦しく、不幸だと思っていても、そういうものと同調しないよう、意識や気分を切り替え、深くのめりこまないよう、気分転換や簡単な自分なりの儀式を試みるとよいです。

つまりは、自分のせいだと思い込まないことです。ほかの(世界中の)人のネガティブ気分が増幅されて、影響を自分がいつも以上に受けているおそれもあるのです。

この時期ほど、生きていられるだけで、とにかくありがたいと思うことが重要なことはないかもしれません。まあ、なかなか実際に苦しい人には思いにくいでしょうが、だからこそ、再生の願いで、太陽に祈りをささげるとよいと思います。

また一年の終わりにも近いので、一年の感謝の意味を込めてもよいでしょう。冬至に、一年の収穫としての意味で、タロットを引くのもありなのです。

また太陽信仰関連でいえば、単純に、太陽そのものを尊敬・尊重するのもよいでしょう。「お日様、お天道様、ありがとー」みたいな感じです。正月の初日の出を拝む気持ちに近いと言えましょうか。(冬至の翌日など) ※これ(太陽への祈り、感謝、拝み)はメンタルの部分においても、結構深い意味があると思っています。

タロットを持っている人は、22日でも23日でもいいので、どんなカードが出たのか、コメント書いていただくとうれしいです。何かする(お返事を必ずする)というわけではありませんが・・・(ほかのタロットの種類の人でもよいですが、こちらとしては、マルセイユタロットの名前とカードに変換して解釈します)

私の生徒さんの場合は、一枚引きといわず、自由に学習された展開法でやってみてください。ではよいクリスマスを。


見えないネットワークシステム

タロットリーディングでも思うのですが、例えば一対一の相談をしていても、そこには、ほかの存在や、何か別のデータバンクのようなものがあるのではないかと感じる時があります。

つまり、(カードとしての絵の)タロットや人間のみで問題について検討したり、解決しようとしたりしているのではないということです。(ほかの情報や支援も受けているということ)

タロットの場合は、例えば、タロットの精霊というものの助けがあると言われます。このタロットの精霊については、様々な意見や考え方があるので、ここでは何者であるかは言いません。

ただ、私はそれが存在していると感じますし、そこからのコンタクトによって、得られる情報はあると思っています。

しかしながら、これも次元の違うひとつの情報とか、エネルギー場と見れば、「精霊」というのも、あくまでそういったところの象徴や通路(アクセスポイント)と考えることもできます。こちらの考えのほうが、受け入れやすい人もいるかもしれませんね。

さて、もうひとつ、「存在」という意味では、「ネットワーク」ということもあるのではないかと思っています。

逆に表現すれば、ネットワーク全体がある種のひとつの情報存在になっているような、そんなイメージです。

私たちの世界には、現実のネットワークとして、生身の人間同士のつながりや、今はインターネットなど、実際にはそのシステムは見えないにしても、巨大な通信網でのつながりがあります。

今、こうして、このブログを読まれている人は、別々の場所の人たちですが、インターネットあればこそでブログの場所につながり、書き手と、その内容を読む人として、ネットでの関係・つながりができています。

今やインターネットを介せば、かなりの人とつながれますし、自分が知らなかった情報を知ることもでき、反対に、自分から発信することもできます。

そうしたネットワークシステムですが、私たちの世界には、インターネットのようなものだけではなく、現実を超えた、見えない世界でのつながり、ネットワークがあるのではないかと想像します。

例えば、集合意識というのもそうかもしれません。

おそらく、人間同士、いや、地球や生命全体とつながる、何かのシステムとネットワークは存在しているのだと考えられます。

それは、レヴェル別と言いますか、次元別にも存在し、そこにつながるかどうかについても、いくつかの条件や作用が働いているのではないかと考えられるところがあります。もしかすると、アクセス権の許可が必要なものもあるのかもしれません。

反対に、自分の意志とは無関係に、勝手に、あるいは強制的につながれてしまうものもあるかもしれず、そういうものは危険なにおいがあります

相談のことで戻りますと、人は悩みや迷い、問題を抱えますと、まず自分から、あるネットワークについて、まるでインターネットを検索するかのように探索し、解決を図ろうとする(ネットワークにつながろうとする)機能があるのではないかと予想しています。

実は、インターネットでさえも、その影響は受けている可能性もあるかもしれないと見ています。

そうすると、自分の問題や悩みを解消してくれたり、軽減してくれたりする人や情報に行き着くように、自らが導いているような働きがあると言えます。

同時に、実際にタロットリーディングなど、相談の場面でも、あるネットワークにつながり、その情報網からの何らかのデータが直感のような形でダウンロードされ、解決策などが見つかることがあると思わされることが、度々あります。

秘教や古代の叡智では、すでにそのようなことが知られていた可能性があります。

マルセイユタロットには、そういった、私たちにはまだ通常知られていない、目に見えないネットワークとつながる、アクセスツールと機能を持っていると思っています。(それには図像としての秘密があるからです)

ただ、さきぼとも書いたように、ツールを使えば誰でも自由にアクセスできるとは限らず、やはりそれなりの条件やレヴェルがあるのではないかと思われます。

要するに、道具を使いこなすには、使う側の成長や技量向上、ネットワークへの鋭敏な感性のようなものが要求されるのではないかということです。

それから、もうひとつ、ネットワークには様々なものがある(からみあっている場合もあり)と考えられ、それがさらに、あるポイントや分岐点、中継点で、電気信号が切り替わるかのように、別のネットワーク系へとつながってしまう(変化してしまう)こともあると仮定します。それはまるで、体や悩の神経ネットワークみたいなものです。

ここでもし、ポジティブであったり、問題や悩みを解決したり、支援したりして、人類の成長・発展を促そうすることが目的中心のネットワークがあると想定します。そして、このネットワークを仮にAとします。

反対に、人類をあるレヴェルに滞留させておいたり、ネガティブな思いが集合したデータ網・データバンク(メモリーレコード)のようなところに行きやすくしたりするものがあるとします。これをBとします。

もしAからBへと、何かの拍子でつながってしまうと、問題がさらに深刻化したり、今まではさほどでもなかったのに、急にネガティブで重い感情や気持ちになってしまったりすることもあるのではないかと思います。

この逆もしかりで、急に明るくなり、問題も解決していくことが回線の変化であるかもしれません。

いわば、一種の電気信号のようなもので、悩内、または別の肉体以外の体の何かに引き寄せ合うものがあれば、その方向に流れて行きやすいことになるともイメージされます。

そうすると、興味深いことに、私たちは自分の意志で、選択や決定、あるいは自己の状態をコントロールできるわけではなく、ネットワーク、すなち、人類やほかの何か全体とつながった情報体ともいえるところからの影響を受け、個性でさえ、個性と言えるものではないのかもしれないと思われるところです。

自己は自分の悩や体が規定しているのではなく、自らの思考、感情等でさえも、全部自分が決めていると言えず、何かのネットワークとつながっていて、影響を及ぼしあっていることは十分に考えられます。

これは自分は他人でもあり、他人は自分でもある可能性でもあり、やはり人類全体としてネットワークを形成し、ひとつの生命、思考・感情体というメインコンピュータ(存在)みたいになっていることが、SF的ですが、想像してしまいます。

そして、そのネットワークに、害ある(コンピュータ)ウィルスのようなものが注入されればどうなるのか?という思いも出てきて、実際にはすでに行われているのではないかという危惧もあります。

ウィルスではなくても、さきほど述べたような集合意識で蓄積されたネガティブなデータが混入されてくることもあるかもしれません。

また、自分が自分だけで決められないのであれば、自分の問題や状況も、自分だけのせい(自己責任)とは言い難く、それこそ人のせい(ネットワークからの影響)ということもあるかもしれないのです。(自分の問題は自分によって引き起こされているのではない可能性と、その解消もまた自分の意志と力だけで何でもできるわけではないという示唆となります)

逆を考えれば、自分の状況や問題も、よきネットワークにつながって、情報が変われば、改善されていくことも期待でき、それも自分だけの力で、必死に努力したり、計画・行動したりするよりも、早いこともあるわけです。

※(見える)現実のネットワークでも、つながりによって、助け合うこと、知恵を出し合うことができ、一人では解決できなかったことが解決できることがあるのと同じです。

見えないネットワークが何であるのかは、まだわからないところも多いかと思いますが、それを意識していくことで、問題への解決の新たな方法や、遺伝や環境だけで規定される自分だけではないことも、わかってくるのではないかと想像しています。

タロットをされる方は、意識を高い点に持っていき、よきネットワークとつながるようにしていると、そういう場へアクセスしやすくなって、リーダーもクライアントにも好影響があるのではないかと思います。(周波数域の違いと言ってもいいかもしれません)

メルヘン的に言えば、悪魔よりも天使のネットワークになつがることを意識しましょうとなります。

特にタロットリーダーは、自分で何とかタロットを読んでしまおう、クライアントにアドバイスを出そうとして、「一人の殻」に閉じこもってしまう場合もあり、それはかえってよい結果が得られなくなります。

だから、多くの支援網(ネットワークからの情報)によって、読まされている、縁を与えられている(ネットワークとつながっている)という気持ちを意識し、そうすると、わかりづらい展開についても、新しい発想や直観が得られやすくなるのではないかと思います。


タロットの読み方 4つの観点

このブログは、ひとつの読み物として見ていただいている方もいらっしゃると思いますが、「タロット」とか「マルセイユタロット」で検索されて、タロットの読み方とか意味を知る参考にしたいと思って、たどりつく方もおられるようです。

今日は、そういう後者の方のための記事になっているかもしれません。

紹介するのは、一枚の大アルカナを、四つの観点から読んでみましょうというものです。

やり方は、私のほうで、大アルカナを三枚引かせていただきます。(下の画像参照、もし画像が消えていたら、左、真ん中、右という位置で見てください)

そしてその一枚ずつについて、4つの観点から、意味やメッセージをシンプルに出してみるという方式を取ります。

せっかくですから、読者参加型としまして、上記画像で、三つの裏向きのカードがありますので、直感でどれか一枚選んでください。テーマ(問いの内容)は、ご自分で設定していただいてもいいですし、特に具体的になくてもいいです。

その後、下記の、選んだカードの項目を読んでいただければ結構です。

詳細な解説でありませんので(あとで説明しますが、紙上(ブログ上で)リーディングをすることが今回の目的ではありません)、深刻にならず、楽な気持ちで選び、読んでみてください。自分が選んだカード(三枚のうち一枚)が、何のカードだったのか(表)は、最後で言います。

まあ、タロットを少しでも知っている人ならば、内容から、たぶん推測できると思いますが。(苦笑)

 

●(向かって)左のカードを選んだ方

1の観点  焦り過ぎ、またはちょっと自信過剰のところもあるかも。

2の観点  自信をもつこと。積極的になり、とにかくやってみる。

3の観点  昇進や成功の可能性あり、物事か早く動き出しそう。

4の観点  悩むより、チャレンジすること自体に意味があるのでは?

 

●真ん中のカードを選んだ方

1の観点  執着、完了していないもの、ネガティブな思いがありそう。

2の観点  変化をおそれない、断ち切る、手放す、無駄を省く。

3の観点  関係は終了、先行きに不安、試練ののちによい変化。

4の観点  本当に大切なものは何か なぜそれを手放せないのか?

 

●(向かって)右のカードを選んだ方

1の観点  考えすぎ、発想や生活が平板、計画性の欠如。

2の観点  何かを作る、生み出す、ワクワクする企画を立てる。

3の観点  結婚や恋愛の期待、仕事やポジションの発展。

4の観点  貢献したり、補佐できたりすることは何か?

 

さて、いかがでしたでしょうか。

カードの回答(それぞれどのカードであったか)を発表しますと、左は「戦車」、真ん中は「(名前のない)13」、右は「女帝」でした。

もちろん、意味としては、上にあげた意外のものもたくさん出てきます。ここで書いたものは、非常に易しい読みというか、カードの典型的な意味に近いものです。(それぞれのカードで検索すれば、すぐ出てきそうな意味のようなもの)

では、4つの観点とは何か?です。

1はカードに問題性を見た場合の見方、2はカードから創造性や問題解決的な方策を得る見方、3は占いとして(どうなるか?的な)の見方、4はカードの象徴性、カードそのものになって自分を振り返るような(リビジョン的)見方です。

ここでは4つの観点を示しましたが、ほかの観点も当然あります。

このように、一枚のカードでも、観点、見方を変えれば、読みが違ってくるのです。これは別にカードを読むことだけに限らず、私たちのモノの見方、考え方でも言えることです。

例えば、いつもネガティブなこと、問題性ばかりを見つけようと思っていますと、何を見ても、何が起こっても問題ばかり目につきますし、その反対に、ポジティブや、どうすればいいかのような解決的思考(志向でもある)で見ていれば、そうした人生と生き方に(人から見てというより、自分が感じ、自分が思う自分の人生としては確実にそう)なってくるわけです。

ということは、タロットカードから出す意味やメッセージには、正解はないということになります。

どの視点て見ているのかということや、そこから出されるアイデアや発想、通常思考の転換、感情や心の捉え直し・潜在的なものの発見など、むしろそのプロセスとして、カードリーディングは重視・活用されると言っていいでしょう。

つまり、簡単に言えば、ひとつの答えや正解を出すこと(だけ)が、タロットリーディングの使命ではないということです。しかもその正解とは、結局人間が決めるもので、本当の意味では正解はないのです。

こう言ってしまうと、タロットをする意味とか意欲さえ失われる方も、中にはいらっしゃるかもしれません。

それは、タロットの本当の醍醐味を味わっていない、わかっていないからそうなるのです。また、「人生とは、正解(正しさ)や客観的成功を求めていくもの」と思い込んでいる人の場合もそうです。

究極的には正解はないというのは確かにそうなのですが、一方で世界観を厳密にすれば、その世界においての正解・不正解はありえます。ここもまた、タロットによって、検証することができます。

まずは、タロットを、カードの「手品師」の扱う手品道具のように見て、いろいろなことが考えられる楽しいツールのように思い、タロットを扱っていくことが第一歩です。だから「手品師」は「1」という数を持ちます。

そのうち、正解がないことが正解という面白さに目覚め、「皆が正しい、誰も間違いがない」という次元に行き着こうとする喜びの世界も見えてくるでしょう。


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