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一枚引きのある技法

タロットの活用法は、ここでもいろいろと述べています。

タロットの使い方は、自分に使うか、他人に使うかで、まず分けていくことができます。

それから、目的にもよります。占いで使うか、セラピーに使うか、問題解決に使うか、自己啓発、自己認識や成長に使うかなどです。(これもタロットの構成そのものによって、実は分けていくことができます)

そのような様々な使い分けがあるのですが、今日はその中でも、技法としてはもっともシンプルと言える、一枚引きによって自分を観察する方法について、書きます。

一枚引きというのは、タロットをシャッフルして、一枚だけカードを引くというやり方(展開法)です。なお、基本的に正逆はとらないほうがよく、一枚そのものを象徴として見ます。

その名の通り、一枚だけカードを引くので、一番少ない枚数の展開法になります。それだけに情報量が少ないので、これをもとにしたリーディング、特に問題解決的な読みをするには難しいものとなります。

反面、シンプルゆえに、自分に当てはめたり、心理的・環境的投影・反映として見たりするには適しています。

この一枚引きを、ある時間的スパンを決めて実行していきます。

具体的には、一日単位、週単位、月単位、年単位というのが(時間的スパン・間隔)として挙げられるでしょう。

一日単位の場合は、毎日引くことになりますし、それぞれ週一、月一、年一みたいな形で引くわけです。

この時、使うタロットのパートは、大アルカナだけのほうがよいでしょう。ここで述べている「タロット」とは、マルセイユタロットのことを指しますから、ほかの種類のタロットの場合は、小アルカナを入れたほうが効果的なこともあります。

マルセイユタロットでは、特に小アルカナの数カードの絵柄が記号的なものになっており、そこから何かを事柄をイメージしたり、当てはめたりするのは少し難しいこともあるので、絵が具体的になっている大アルカナを使うほうがこの場合はよいのです。

それで、引いたタロットをどう解釈するかです。

時間的スパンを年単位からすべて活用する場合は、大きな時間スパンのものを自分における大テーマとし、次第に時間スパンが細かくなるにつれ、そのテーマが細分化(具体化)されると考えます。

例えば、年が「星」、今月は「運命の輪」、今週は「女帝」、今日は「手品師」が出たとすると、月(何月とかのその該当月)については、「星」と「運命の輪」を併せて考え(「星」にするには「運命の輪」を動かす、あるいは動く)、週については、それに「女帝」(計画やアイデアを週ごとに決めて行く)が加わり、さらに今日となれば、「手品師」も追加していく(例えば仕事の面でそれを実行する)となり、ちょうど、大アルカナから小アルカナへと移行するような感じで、具体性を持っていくように読みます。

ただし、これでは一枚引きなのに、結局、四枚引き(笑)みたいになってしまいますので、シンプルさを追求したい場合は、それぞれのスパンを切り離して、別々に読んでもOKですし、他の時間スパンは引かず、ただ毎日引いていくというパターンのほうがよいかもしれません。

毎日引くやり方の場合は、統計的な手法も使い、そのひと月が終わる時に集計し、どんなカードが一番出たのかとか、逆に出なかったカードを確認する、女性のカードが多いとか、一人の人物のカードがよく出たとか、上の立場を示すような感じのものが目立つとか、傾向を読み解きます。

不思議なもので、同じカードがその月はよく出たり、ある一定の期間が過ぎると出なくなったりします。

こうして傾向を見れば、自分の心の動きと環境がシンクロして、カードに出ていることがわかり、いろいろと整理できます。

このようなやり方を取る一枚引きでは、カードの意味を読もうとしたり、なんとかカードを解釈しようとやっきになったりするのではなく、カードが自分に問いかけているというように、タロット側から自分へ向けてのベクトルで見つめることが重要になります。

自分からカードへのベクトル(方向性)が強すぎると、単なるリーディングや占いの練習になって、飽きてしまいます。また同じパターンしか読めないので、あまり技術的な進歩もありません。

それよりも、カードが何かを語り掛けていると見て、その問いに答えよう、応えようとしたほうが面白いですし、結局、自己分析にもつながりやすいです。

と言っても、この方法でも、飽きてきたり、同じような質問しか浮かばなかったりすることもあり得ますから、そういう時は、カードの絵柄を細かく見て、メインの人物だけではないところからの問いかけを想像するなどしていくと、同じカードからでも別の見方や質問が出てきます。

また、直感や感覚も大切にして、およそカードの普通の意味とは異なる内容が浮かんできたとしても、それを受け入れます。つまりは、自分の感じていることをカードに託して、もう一度、自分が捉えなおす(自覚する)ことが重要なのです。

私はあの人に対して怒っていたんだとか、ああ、あの行為はあれに忖度していたなとか、意外にあれは楽しかったかも・・・みたいな、抑圧したり、取り繕ったりしていた気持ちが、カードを見ることで表出することがあるわけです。

人間、押し込めた心は、やがて溜まって爆発することがありますし、自分の気持ちに嘘をついたり、気が付かなかったりしていくと、結局、他人や世間の情報に流される人生とか、自己否定から不幸な状況を招き寄せる結果となりがちです。

いわば、心のクリーニングと言いますか、発散や自覚をして、そこからの自己尊重につなげていくのです。

マルセイユタロット、特に大アルカナは、人の心の元型(皆が思うパターン)を象徴すると言われます。

ですから、特に22枚の大アルカナのカードを引くことで、自分の意識や心の何かが現れたり、投影させたりすることができ、まさに、心の鏡として扱うことが可能です。

毎日、気持ちや心は変わっていきますし、毒のような、ネガティブなものもあれば、明るく楽しい気分のものもあります。その感情に気づくことで、ネガティブなものは浄化され、ポジティブなものは強化、あるいはバランス化されます。

一年、これを続ければ、相当あなたは自分の心の扱いの達人になっているのではないでしょうか。それはまるで、荒ぶるライオンをコントロールする「力」の女性のような存在です。

毎日できなくても、先述したように週単位とかでも、やってみる価値はあると思います。

話は戻りますが、年、月、週、日の、四つの柱ごとに一枚引きをすることで、毎日複数のカードの連繋を見ることになります。もちろん、同じカードが出る場合もありますので、その時は、さらにそのカード(におけるテーマ)が強調されていると見てよいかもしれません。

カードたちを関連させていく、ひとつのコツとして、カードの(絵柄)中にカードを入れていくような読み方があります。

さきほどの例でいえば、年テーマが「星」、月テーマが「運命の輪」、週テーマが「女帝」、日テーマが「手品師」なので、「星」の壺に「運命の輪」と「女帝」を入れて、流してできてくる泉のもとに「手品師」がいて、その「手品師」の机に水があふれている・・・というようなイメージを持てば、なんとなくでも、複数のカードのつながりを読むことができるでしょう。

もちろん、カードの細かな図形象徴の関連において、その知識がある人は、はっきりとした具体的テなーマを読むことも可能です。(これはきちんと学習しないとできません)

ともかくも、カードは、まさに、扱いによってはあなたの分身となるのです。

言ってみれば、万能ツールともいえるものですから、うまく活用しましょう。


この世界 ループやバーチャルの話

人生、迷いと決断の連続と言えます。

たぶん終わってみれば(つまり死ぬと)、どちらでもよかった、何でもよかった、経験こそすべて・・・みたいな感想になるのではないかと想像します。

とはいえ、逆に終わりだからこそ、後悔もあって、ああすればよかった、あちらを選べばもっと違った人生になっていたのでは・・・と思うこともあるかもしれません。

映画やゲームの世界では、なになにルートとか、こちらの世界線・あちらの世界線、選択肢A,Bなどと言われて、複数のシナリオが用意されているものがあります。

私たちの人生も、ルートの違う、いわば平行世界のような、選択によって世界そのもの、人生そのものか大きく変わることが実際にあるのかもしれません。

一方で、これもよく創作ではありますが、ループ現象的に、どのルートを通っても、結局同じ結果になってしまうというパターンもあります。アニメではよく見かける設定ですが、これはどの作品を見ても怖いものです。

もしかすると、私たちは同じ時間・世界を、それこそ数千、数万の、恐ろしくたくさんの回数を刻み、永遠とも言える輪の中にはまっているのではないかと想像すると、恐怖があります。

例えば、輪廻転生(説)も、同じ人生ではないとはいえ、ある意味、ループで、巨視的に見たら、同じような時間を過ごしているようにも思えます。

実は私自身、既視感(デジャヴュ)を瞬間的に体験したことがあり、映画マトリックスの黒猫のシーンではないですが、確かに、ほんのわずかな時間の間に、まったく同じシーンを複数経験した感覚があったのです。それはビデオの巻き戻しと同じような感じでした。

こうなると、ループ説以上に、この世界がバーチャルリアリティであることにも実感が出てきます。

ループに説は、ネガティブなことばかりではなく、もし、天国のような自己陶酔の世界に自分がいれば、そこに永遠にループしていれば、幸せしかないことになります。(笑) ただ、これはこれで、ある意味、怖い話です。(こういう設定も、よく漫画やアニメの悪役が使う術でありますが)

そんな話は、非現実的で、他愛もない漫画やアニメ、映画の創作話か、と思うかもしれません。

しかし、この話をしているのは、結構、重要なことだと個人的には思っています。

それは、マルセイユタロットで言えば、「吊るし」に関係するもので、私たちの認識は、果たして正しいのかどうかという問題提起にもなります。

例えば、パソコンを扱っていて、パソコンの調子が悪く、うまく動かない場合は、パソコンの内部に問題(ソフトとかOSとか)と考えます。

でも、もしかすると、パソコンではなく、パソコンを使用している人間の脳とか、身体とかの異常で、そう見えている・感じているだけかもしれません。

さらには、パソコンも扱っている人間もすべて含む「自分認識している世界」自体が、機械のバグのように、瞬間的におかしくなっていると見れば、パソコンや人の問題ではなく、世界そのものの問題と言えます。

どれが本当のなのかは、よく考えるとわからなくなってきます。

私たちはループの中にいるのか、違うループ(輪)をいくつも渡り歩いているのか、逆に輪などなく、自分か誰かが世界を作っていて、その経験を映画のように味わっているのか、人生、世界、経験とは何かを想像すると、それはひとつの考えに限定できないと言えます。

とすると、考えの数だけ、人生やパターンはあるのではないでしょうか。

最初に、どの選択をしても同じとなる(とわかる)場合と、やはり、ひとひとつには意味があり、別ルートへと、選択の度に移動している(選択する人生が確かにある)と見る場合があると言いました。

どちらが正しいかも言えず、ただ見方・考え方でどちらでもあるのでしょう。

ガチガチの運命論のように、人生は大方、最初から決まっているという人と、いや、運命は自由に変えられるという人がいます。これも、考え方次第で、結論は出ないでしょう。

ただプログラミング説になってきますと、大元のプログラムと、ゲーム演者そのものが変えられる範囲のプログラム(いわばキャラが自己プログラミングできる範囲)とがあるように思われ、大元は変えられないにしても、自己プログラミングは、ある程度、レベルや難易度によって書き換えの許容範囲が変わってくるのではないかとイメージします。

ですから、個人において、悟るような人も出る(大元のプログラムに戻る)でしょうし、欲望のままに自堕落に生きてしまう人もいるのでしょう。

限界突破と言いますか、ある条件の規定値に達すると、制限がはずれ、次の範囲・レベルへと上昇するのかもしれません。それが学びとか、成長とか言われているように思います。

ですが、これでは、あくまで大元に操られるキャラクターゲームでしかありません。私たちはどこまで行っても単なるキャラなのか、実は大元なのか(大元になることができるのか)、ここが問題でもあります。たぶんどちらでもあるのだと思います。

これも「吊るし」と、そして「世界」のカードとの関係性で表せそうです。そして時間的にも有限と無限、つまり死と誕生の有限性と、それと対になる永遠性(完全・無限性)です。

ゲーム版世界の移行はループと言えますし、ゲームの大元に帰るのは、マトリックスやバーチャル世界からの脱出でもあるでしょう。

ループとバーチャルも対やセットで考えると、私たちは、いろいろな世界を経験し、ループしていくことで、既視感を認識し、ついにはそのループからの解脱に気づくことになるのではないかと思います。

それには、ひとつのレベルの世界から次のレベルの世界に移る時の感覚、つまりは次元上昇のようなものが非常に重要なファクターになるものと思われます。

次へ移っても、ループ説では、ループしていることには変わりないのですが、別の輪への移行が、たとえループ・繰り返しであっても、脱出・解脱のきっかけとなるのではないかということです。

ものすごく低い例え話で言えば、ゲームに熱中している子供が、ゲームをクリアーする瞬間、我に返る、あるいは母親からの「ごはん、できたわよ」とか「勉強しなさい」という声に気づく、みたいな感じです。(笑)

今日はわけのわからない話だったかもしれませんが、こんなことも、マルセイユタロットを見ていると、浮かんでくるので、面白いと思います。


新型コロナウィルスに関連して

私はあまり他人のブログとか見ないのでわからないのですが、どうなんでしょう、最近の巷の話題と言えば、やはり中国で発生した新型肺炎・コロナウィルス感染症の話でしょう。

ところが、ぱっと見たところ、あまりこのことについては、ふれないブロガーの方が多いように見えます。それどころか、中には、自分の商品やセミナーなどの告知に大変忙しい人や、現実無視かのような、「楽しく行きましょうー!」(笑)みたいなものも散見されます。

まあ、これらとは別に、陰謀論的な話で書いているものも見かけますが・・・(苦笑)

実際、現状では不安な方も多いと思いますが、医療の専門家でもない者が、うかつに書けないのも確かです。

でもメンタル的なことを書いている人はもともと多いのですから、こういう時こそ、何かメンタル面で落ち着く方法など書いていただけたらなあと思うのです。

私はタロティストなので、タロット関連で何か書くことにします。

タロットと聞くと、皆さんは、今後の状況を占ってほしいと、一般の人は思うかもしれません。

私自身は、このブログで書いているように、タロット占いはほとんどしませんし、そもそもタロット占いを教えている者でもないのです。ですが、占いを否定しているわけではなく、タロットの技術のひとつとしてはアリだと考えています。

こういう時に占うことには、マイナス点とプラス点があります。マイナス点は、状況判断だけの占いをしても何も解決しないということです。

また、もし悪いものが出てしまうと、ますます不安になり、心理的反応から、かえって悪い結果を引き寄せることもあります。

つまり、占いの予想を設計図にして、自分自身が、その過程と結果を起こしているわけです。タロットの場合は、絵柄があるので、特に強烈なカードの絵柄だと、心に刻印されてしまいがちで、自らがカードによる示唆の現実を引き起こしてしまうことは往々にしてあります。

逆によいことは、プラスや明るい予想が出た時は、安心感が出ることで、また、人によっては、たとえ占いで悪い結果であったとしても、薄々わかっていたことならば、通常知り得ない情報から、自分の感じていたことが知り得たことで、納得感が増して見切りがつき、次の行動が早くなることもあります。

それに、運気的な占いでは、いわゆる運気の流れ、情勢というものがわかりますから、波に乗るべきか、控えるべきかなどのタイミンク的なものもわかりやすいです。

それで、それを踏まえたうえで、今回の新型肺炎について、今後の日本での傾向と対策をテーマにカード占ってみたところ、悲惨なことにはならないだろうことがうかがえましたので、まずは、異常な不安を覚えている人は、気持ちを落ち着かせていただけたらと思います。

と言っても、このまま何もしないわけにはいかず、対策のやり方によっては、流行の拡大も懸念される暗示はありました。

対策の鍵は、意外に身近なところや基本にあり、誰もが思う当たり前のことをしっかり徹底してできるかということ、もうひとつは、政府や組織の体制の組み直し、末端まで指揮・情報の開示、徹底だということです。

おそらく、思ったより早く、治療法などの対策は出るのではないかと予想されますし、そうでなくとも若い世代の活躍や、新しい方法が考え出されて拡散が収まっていくようにも思います。ただ、先述しましたが、そういうのを期待して、ただ楽観するだけではだめだと思います。

「正負の法則」のディマティーニ氏によれば、すべてのことは、よいことと悪いことは等分で、完全にバランスが取れていると言います。

今回のことはかなりネガティブな世界的な事件ですが、それに見合うほどの、よいことも発生しているのです。

さて、スピリチュアルの世界では、自らの(真に)思うことが叶う世界だと言われます。(引き寄せの法則)

とすれば、極端なことを言えば、この新型コロナウィルス感染症のない世界、感染しない自分というものを完全に思うことができれば、それは実現されることになります。パラレルワールド風に言えば、この感染症のない世界、あっても問題のない世界に移行した自分ということです。

しかし、これは、その段階まで悟っている人、心がクリアーになって、完全な信じ込みや確信がある人にできる技です。

そういう人は、もはや普段から、日常的な、あるいは一般の人が抱く不安と、それによって生まれる(引き寄せる)実現の世界を超越する「心のシステム」が確立している人だと言えます。

多くの人に発信している、影響を持つカリスマ的なスピリチュアリスト、成功者のような人は、これができている人が(完全ではなくても、自信をもってやっている人が)多いと想像されます。

ですが、その段階に至っていない普通の人、もしくは、そうした心の傾向ではない人(不安の高い人、心配性の人など)は、発信者のやり方そのものでは難しい場合があるのです。

スポーツ選手に例えればわかると思います。

名選手がコーチや監督をしても、必ずしもうまく行かないのは、名選手自身では常識であり、メンタル・魂的にも生まれた時からの傾向で、普通にその名選手が思ってやってきたことというのが、一般的な選手にとっては非常識であり、理解を超えているところがあるわけです。

よって、レベルや段階、もしくは、その人個人に合った方法が必要なのです。この現実世界は個性の世界(一人ひとり違う世界)とも言えますから、共通する概念や大枠的な方向はあっても、細かな方法・具体策は、一人一人異なることが普通です。

ということで、スピリチュアルや精神世界に関心のある人の中ては、今回の感染症の件でも、自分の心の状態が大事だと信じ込み(それは間違いではないのですが)、感染症のない世界をイメージしたり、まったく情報を遮断して、なかったことにしてしまったりする方法、または、「楽観的に思えば、現実も楽観的なことで終わる」として、無為無策に、のんきに構える方法を取る・・・みいなことをしていても、逆に不安がどんどん増幅してしまったり、正しい情報が得られず、いざという時に慌てたりしてしまうことになります。

要するに、自分はどうすれば本当に安心(安心はできないでしょうが、落ち着いたり、冷静になれるかということ)できるかを考え、行動するということです。

それは情報を遮断することでもないでしょうし、デマを信じることでもないでしょう。他人のやり方が自分に合うとは限らず、一般論はあっても、個別での状況も違います。

自分の心が安心したり、明るい気持ち、少なくとも、悲観や悲嘆にくれたりしないようにするため、心を無理矢理、理想の現実にするよりも、事実を見て、情報を入れ(正しく知り)、準備と行動をしていくことで、心が落ち着くケースがあるのです。(パニックの行動とは違うので、注意が必要です)

そして、多くの人が今後の予想イメージで整理がついたり、希望が持てたりすることによって、ますます心は明るさと落ち着きを回復してきます。

だいたい、今の不安な状態を招いているのも、中国政府の初期の情報遮断・隠蔽、WHOや日本の政府、その他行政など、本来すべきことが、変な忖度、楽観、情報の誤った分析と準備不足・対応による結果であるわけで、今現在は、人々の先々のイメージに、ネガティブなことしか想像できなくなっており、それがさらに現実を悪くする世界に移行させようとしています。

重要なのは、今後の希望や収束イメージが持てる、計画性・先見性、それに伴う実際の行動です。(マルセイユタロット、「女帝」と「皇帝」)

陰謀論ではありませんが、さすがに、今回の件では、皆さんも、日本はもとより、世界がおかしいことに気がついてきたでしょう。

一言で言えば、人が人であることが軽視されていて、もっとも大切にされているものが、国や政治、世界を動かしている者たちの間で、なぜか人ではなく、別にあることです。

霊性の堕落でもあり、欠落でもあり、逆に言えば、私たちに、真に大切なものは何か、失われていた心や魂、霊性を取り戻させるきっかけになるかもしれません。

心が現実を引き寄せるのなら、その心が安心し、落ち着き、明るくなるための、現実の行動、情報収集、訴え、運動も、時には必要でしょう。

ただ祈っていれば(祈りはよいものですが)、自分の事態が変わる可能性は現実的に低く、自分の心を変えるための「働きかけ」のほうが、先に求められることがあるのです。

おそらく、これも、「共生」と「真の自立」ということが、深くには、テーマとしてあると思います。

共生や助け合いと、自立は相反するようですが、高いレベルでは調和されるものです。一人一人が自立し、そして共生できる社会が望まれます。

マルセイユタロットでは、自立は「戦車」が表し、高次では、「神の家」が象徴します。そして共生的なものとしては、ふたつの壺を持つ女性的なカード、「節制」と「」で強調されるでしょう。(実際に、これらのカードは出ていました)

試練ではありますが、やはり、大きな流れとしては、私たち人類の転換が始まっているのだと感じます。


展開法、スプレッドの作り方

タロットの並べ方、いわゆるスブレド・展開法は、いくらでもあると言えます。

とは言え、伝統的と言いますか、タロットのサイトとか、タロット本を見れば、王道としてどこでも紹介されているような展開法は、それだけ使いやすいのだと考えられます。

タロットの展開法にこだわる人もいますが、個人的には、なんでもいいのではないかと思っています。

前にも書いたことがありますが、結局、どんな目的をメインとするのかによります。

占いとかタロットリーディングの目的は、結局、相談者・クライアントの問題解決とか癒し、幸せに導くことになってきますから、それができるのであれば、方法は何でもOKと言えます。

極端なことを言えば、たった一枚のカードでも、クライアントによいアドバイスができ、相手も納得できるものであったのなら、それでいいわけです。

逆に、やたら複雑な展開をしても、相手にさっぱり伝わらない、何もカード群から適切なものが思い浮かばない、カードが読めない・・・となれば、形式倒れで、中身はないと言えます。

ということは、どんな展開法・スプレッドでもいいので、タロットリーダー側が使いこなせるもの、その展開法で読める自信があるものを選択していくことが重要になります。

しかしタロット学習初心者の段階では、一枚引きすらうまく読めないこともありますから、もっとたくさんの枚数の出る展開法のリーディングが難しいのは当たり前です。(余談ですが、実は一枚引きは枚数こそ少ないですが、リーディングとして情報が限られますので、かなり難しい展開法の部類と言えます)

ですから、三枚くらいのものの、セオリーとも言える展開法から入って、それに慣れていくことが段階としては大切になるかもしれません。

ある程度、少ない枚数のものに慣れたら、やはり、もっとたくさん枚数の出る展開法にチャレンジしていくとよいでしょう。枚数が多ければ、情報量も多くなり、それだけ、深く広いリーディングが可能だからです。

単純な展開法だと、読み方も浅くなってしまう傾向があります。

そして、多くの人に使われている展開法は、使いやすいとは言えますが、ずっとタロットをやっていくと、自分に合わないと感じるようになることもあるかもしれません。

そういう場合、自分でオリジナルな展開法を作るのもよいです。

師や先生を持たず、自分でタロットを学び、リーディング技術を身につけていく人の中には、最初からオリジナルの方法を試していく人もいます。

世に披露されている展開法は、あくまでモデル・型みたいなもので、最終的には自分流の使いやすい、読みやすい方法に変更したり、新しいものを発案したりして、それに効果があるのであれば、常用していくのはありでしょう。

そこで、オリジナルなものを作るに当たり、たぶん知っている人は知っているでしょうが、ここでヒントを挙げたいと思います。

一番重要なのは、ストーリーの構成要素を考えることです。

タロット占い、タロットリーディングは、結局、人に伝達する形を取るので、それは一種の「物語」形式なのです。

皆さんも論文の構成などで、学校で学ばれたかと思いますが、序論・本論・結論とか、起・承・転・結とか、人に伝えるストーリーや文章には基本の型があります。

タロットを使って人に話をする場合、占い要素を重視するケースでは、時系列(過去・現在・未来の要素)はほしいところです。なぜなら、占いは、特に、状況推移や未来を知りたいという人が多いからです。

カウンセリング的なリーディングにおいてタロットを使う人の場合でも、時系列、特に過去は大事なので、やはり時系列要素は必要と言えましょう。

あと、問題を示す要素、それを解決していく要素、それに、この世は人間社会ですから、の要素(鍵となる人物とか、理想の人とか、人間関係なら相手や自分を表す人物像とか)もあるとよいです。

タロット界では、ケルト十字という有名な展開法がありますが、あれの10個の要素(カードを置くところの意味)は、占いに来る人の、知りたい情報をうまく網羅しているのです。

このような「要素」を挙げていき、それらを起・承・転・結とか、いつ、どこで、誰が、どのように、どんな方法で・・・みたいな、国語で習ったような質疑応答、物語作成法に従い、並べて行きます。

そして、その「要素」こそが、カードを引いて置く場所になります。すると、あら不思議、あなたのスプレッドが完成するわけです。

図形の意味とセットにして、ある図形上に形を整えていくと、さらにそれらしく見えてきます。

例えば、△(三角)を使う並べ方はよくありますが、これらの角の三点の位置に、要素としての意味を置きます。(形はよくあるものでも、自分なりの意味・要素を置けばオリジナルになってきます)

そうですね、ぱっと思いつく事例としては、左に「現実(物質)」、右に「精神(心)」、上の頂点に「統合観点」という要素・意味とします。

すると、

●統合

●現実 ●精神

のような三角形と意味になります。(上図は三角ではないですが、三角として想像してください)

この三点にそれぞれ、カードをシャッフルして一枚ずつ置くとします。

今、仮にやってみましょう。(今回はマルセイユタロットの大アルカナのみで)

結果は、

●統合観点(斎王)

●現実(悪魔) ●精神(愚者)

こんなカードたちが出ました。(これも三角図としてイメージしてください)

このカードを引いた人は、物質・現実としての象徴性に「悪魔」、精神性においては「愚者」、それらを統合するのに「斎王」ということになります。(皆さんへのメッセージにもなります)

読み方はいろいろありますが、一例として、「悪魔」に支配される現実から、心は「愚者」のように自由になりたいと思うものがあり、その対立・葛藤が問題になっているのですが、「斎王」は精神性と受容性のカードですから、気持ちとしての「愚者」を重視しつつも、「悪魔」を受け入れ、そこから脱却するには、どうやら現実の学びが必要である(斎王の意味から)とわかるわけです。

つまりは、逃避するより(あるいは、今の現実から逃げたければ、変えたければ)、逆に現実(「悪魔」に象徴され、自分が嫌っている世界・事柄を)学べということですね。

この「要素」は、今、抽象的と言いますか、精神とか物質とか大まかな感じで、具体的に絞っていないので、読みにくいかもしれませんが、もっと、仕事の問題、自分が望んでいる状態、解決策やアイデアというように、わかりやすく、具体性をもって要素を設定することで、カードをもっと読みやすくすることができます。

この△の例は、気づいた人もいると思いますが、マルセイユタロットの「運命の輪」をモチーフに思いついたものです。あるいは、弁証法の形でもあります。

このように、一枚のカードをもとに、展開法、スプレッド作るという方法もあります。

まあ、究極的には位置とか形を決めなくても、思いついた要素をその都度、カードから引いて行けば、出たカードと要素の意味をつなげていくと、自然にストーリーになっていることもあります。

この場合は、物語を構成する力と、問題の本質に行き着くための質問力が要求されるでしょう。

ということは、いわばコーチングであり、カードを使って自由に聞いていく(自由とはいえ、目的のために質問を計算的に、意図的に選択している)ことができる人は、コーチング能力や技術がある人ということにもなります。

それが難しい場合は、最初から決められている展開法、スプレッドを使うほうがやりやすいです。王道のスプレッドは、それだけ、スートリングが自動的にできるようになっているからです。


技術・メソッドの伝承、選択

私はもともと、日本でいうところの「カモワンタロット」からタロット(と言ってもマルセイユタロットオンリーですが)に入った者です。

このところ、少しカモワンタロットの話題にふれることがあったので、久しぶりにカモワンタロットについて、検索してみました。

すると、いろいろな人が、まさに様々な解釈・思いで、カモワンタロットを見ている(リーディング・鑑定・占いも含む)ことがうかがえました。

近頃はYouTubeなどの動画も、タロットで普通にたくさんあるので、カモワンタロットもあるのかなと思って調べてみますと、やはりありましたね、幾つか。なかなか見ていて面白かったです。(カードの著作権はどうしているのか気になりますが…)

こうしていろいろな人のを見ますと、私がカモワンタロットを習い、実践してきた頃とは、かなり、とらえかた・考え方が違ってきたかなという気がします。

悪く言えば、本来と言いますか、最初の頃に伝えられていたものが曲解されているところもありますし、勝手に技法とか解釈が変えられているところもあるように感じます。

逆に、よく言えば、それだけ、個性的(バラエティ)に発展・拡大してきたと言えないこともありません。

もちろん、カモワンタロットにつきましては、きちんと認定講師の方々がいらっしゃいますから、その方たちに習うのが、一番最新の情報も得られ、正統に最も近いところにいるのだと思います。

それでも、カモワンタロットから離れてだいぶん経つ私から見ても、「うーん、どうなんだろう、これは…」と思う解釈で教えられている人を目にします。

それは、技術的なこともあるのですが、もっとも大切な、カモワンタロットに流れている精神といいいますか、教義のところでひっかかることが多く、それが伝わっていないのだろうなと感じます。(伝わりを感じるものもありますよ)

それがないと、仏作って魂入れず・・・みたいなことで、いくら形をまねても、カモワンタロットからは大きく離れてしまうのではないかと思います。

「そういうお前は、すでににカモワンタロットから離れたのだろう?」と言われればそれまでで(苦笑)、私が言っても説得力はありませんが。(苦笑)

しかしながら、今でも、私自身は、カモワン流の技術はすばらしいと思いますし、長年、個人的には研究もしてきたところで、どうしても思うところはあるのですね。

カモワンタロットのことを述べていますが、これはあくまで例であり、言いたいことは、別にあります。

それは、技術・メソッド伝えるということはどういうことか? というテーマです。

マルセイユタロットで言えば、「法皇」のカードに関係しますし、レベルを変えれば、「隠者」とも言えるかもしれません。もっと広く考えれば、「太陽」とか「審判」とか「世界」とか、別のカードでも表すことができるでしょう。

一般的に、メソッド・技術の伝承となれば、当然、その技術面が強調され、それを身につけることが大前提となります。ただ、それが身につけられたかどうかを判定するのは、機械(モノによっては機械のこともあるでしょうが)ではなく、人です。

人には感情もあり、すべて公平に判断することは難しいでしょうから、どうしてもそこに誤差のようなものが生じるでしょう。師匠が気に入ったお弟子さんに肩入れすることもあれば、ひどい場合には、経済的なことで、免状の判断が左右される場合もあるかもしれません。

そして、「伝承」ですから、さらにまた人から人へと伝えられていく過程で、ある程度の基準はあっても、やはり人の判断になりますから、次第に伝承される中身が変わってくるのは、普通に予想がつきます。

もし伝承が(世代など)だけではなく、同時期に複数の人にされていく、もあるとすると、その枝分かれ分は膨大な数になって行き、伝承された人の数だけ、実は流派のようなものもあると見ていいかもしれません。

すると、そもそも正統を争うのはどうなのか?意味があるのか?という問題にもなってきます。

なるほど、今は映像・音声記録技術も格段に進歩していますから、見える技術であれば、その伝承も、形としては確実に昔よりかはできるでしょう。

でも、それを思えば、昔の、言葉か文字でしか伝えられなかった時代のものは、果たして、本当に「型」のようなものは、正しく伝わっているのか?と疑問が生じます。

「これは昔から伝わっている唯一の正しい方法だ」と言われたところで、やはり、人から人、あるいは文字で伝えられている限りは、どこか誤認したり、解釈を変えられたりしているのではないかと思うのが普通ではないかと思います。

カモワンタロットを学習していた時代からの知人で、ある道の先生とも言えるお坊さんがいらっしゃり、その方は、「伝わっていることはすべて嘘だと思ったほうがいいですよ」とよく語られます。

この言葉の深い意味は、まだまだ理解の浅い私では、十分ではないものの、さきほど述べたようなことも入っているのではないかと考えています。

要するに、伝統的なもの、すごい伝承の技術というものでも、真理とか、正しいかどうかなどはわからないということです。

特に、「形」というものにこだわり過ぎると、おかしくなって来る気がします。

形に意味がないのではありません。形にこそ、実は奥義・奥伝があることは少なくないと思います。しかし、形だけ真似ても、意味がないわけです。

精神と形が一体になっていると言いますか、その心でやれば、その形になり、その形でやれば、その心になる・・・このようなものではないかと考えます。

この「心」の部分は、ただのメンタルという意味ではなく、霊、あるいは魂と表現してもよい部分を含むものだと、個人的には思います。

日本人がよく、「魂入れろ、心を込めろ」みたいに言うのは、理由があるのでしょうね。

ですから、矛盾した言い方に聞こえるかもですが、技術・メソッドの伝承には、形にこだわらずに、それでいて、形も大切と見ると言えます。

形の意味(形に込められた精神・背景)をよく考えると言い換えてもよいでしょう。

あと、理論と実践というふたつの側面もあります。

理論は言葉や文字で伝承されやすく、これは割に、皆に同じ型(内容)を伝えられやすいです。

しかし、実践となってきますと、施術者、場面場面、対象者、問題・・・ひとつとしてすべてが同じというケースはないはずです。

従って、まさに臨機応変、理論を超えた対応も必要になってきます。

そこから、オリジナルな考え方・技法も出てくるのは容易に想像がつきます。

理論やひとつの正しさにこだわり続けると、実践では通用しないものになってくるおそれがあり、また理論無視で、実践で気分次第、コロコロと変えていくだけのことをしていると、やっていることを体系的にとらえて、ほかの人に伝えることができなくなります。

「伝える」ということでは、実践ケースで起こること全部を伝えるのは、当然無理です。

数々の実践の中で、有効なもの、普遍的に通じ、使えるもの、多くの人に身に着けてもらいやすく、効果が高いものを選ぶ必要性もあるでしょう。

ゆえに、マルセイユタロットでも、あえてカモワン流に言えば、「法皇」の視線カードは、タロットマンダラ(カモワン流の大アルカナ絵図の言い方)において、選択を象徴する「恋人」なのです。(タロットマンダラの並びは、多様な意味があり、もちろん他の理由もあります)

何か技術・メソッドにおいて、正統性に悩んでいる人もいらっしゃるかと思います。

その時、ふたつの視点を持つとよいです。

ひとつは、自分は正統性・純粋性、第一の後継者、そのメソッドの名前にあくまでこだわってみたいのかどうか。

もうひとつは、そのメソッドを使う本当の目的は何か?を考え、目的のための手段とするかどうかです。

その他、自分はそのメソッドをやっていて好きかどうか、楽しいかどうかというのも、人によっては選択の理由になるかもしれません。

どれであっても、重要なのは、あなたの人生にとって、大事なのはあなた自身であり、技術でも方法でもモノでも他人でも教義(が第一)でもないのだということです。


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