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ソウルナンバーで見る、残り二か月。

11月になりました。

早くも、今年も、あと二か月です。令和という新しい元号の時代が始まりましたが、いろいろな事件、災害の多い年で、これからの激動を予感させます。しかし、実はその分、希望もあるのではないかと見ています。

ところで、11/16(土)に、マルセイユタロットの体験会を行います。そこでも時代についてのことを、タロットに関連させてお話をさせていただこうと思っております。個別に参加者公開制にはなりますが、マルセイユタロットでリーディングも行います。マルセイユタロットにご関心のある方、タロットリーディング(占いでもOK)を経験してみたい方、席にまだ少し空きがありますので、ぜひ、この機会にお越しください。

 

さて、今回は、今年もあと残り二か月ということで、2019年の締めに向けて、テーマや課題、フォーカスするものなどを、大きな意味ではありますが、マルセイユタロットで見てみたいと思います。

まず、ある数を計算してもらう必要があります。

それは、いわゆる「ソウルナンバー」というもので、西暦での生年月日を並べ、一桁にばらして合計します。

その数が二桁だと、さらに一桁になるまで、ばらして足していくというやり方になります。最初に合計した数が、35であれば、さらに3+5にして、8になるので、この数はひと桁ですから、これでOKですが、最初の合計数をばらして足しても、まだ二桁の場合は、さらに足して、ひと桁の数になるようにします。

例を示しますと、1985.12.3生まれの人の場合、1+9+8+5+1+2+3=29、29を2+9にして合計11、 さらに、1+1とし、合計数は2です。これで一桁になりましたので、計算はここまでになります。

結局、1から9までのどれかの数になると思います。その数があなたのソウルナンバーと呼ばれる数になります。

では、次に、ソウルナンバー別に、こちらでタロット(大アルカナ)を引き(メインカードと、補助的なカード数枚)、それらからの示唆を、簡単ではありますが、書かせていただきますので、自分のソウルナンバーの項目をご覧いただき、残り二か月の参考にしてください。

もっと具体的に知りたい、さらに来年の傾向も・・・なんていう方は、体験会に来てください。(笑)

なお、毎月のものは、私のホームページでも載せています。(興味ある人は、毎月一日に掲載していますので、継続してご覧いただければと思います)

 

●ソウルナンバー「1」

メインカードは「世界」です。ゆえに完成、もしくは、さらなる拡大ということがテーマとなるでしょう。今がすでに、とても充実しているのなら、そのままを堪能する、味わい尽くしていくというのもありかもしれません。ほかのカードでは、受容をテーマとするカードが何枚か出ていますので、調子に乗り過ぎることは危険で、謙虚さ、受け入れる要素を持つことは重要てす。

●ソウルナンバー「2」

メインカードは「力」です。「力」には、自分自身が力を発揮する意味と、他者の力を取り入れたり、装置を操縦するなどして力に変えたりするような意味もあるのですが、ほかのカードから見ても、どちらかと言えば後者でしょう。独力よりも、グループ、自分を信頼してくれる人たちを、さらなる自分の力にすることであり、何より、自分に自信を持つことが大切となります。

●ソウルナンバー「3」

メインカードは「正義」です。ほかに「節制」なども出ていますので、バランスや調整ということがテーマとなります。まさに硬軟、緩急、陰陽など、相反するエネルギーや要素、性質をうまくコントロールし、片方に偏らない公平性・調和が求められます。同時に、メリハリも重要で、中途半端は止め、やるならやる、しない時はしないと、はっきりした態度を取りましょう。

●ソウルナンバー「4」

メインカードは「女帝」です。「女帝」といえば創造性、クリエイティヴィティにありますが、もちろんそれもテーマなのですが、計画をもって事を進め、終わらせるという意味も、ほかのカードと関連して考えられます。行き当たりばったりは避け、先を見据えた行動を取りましょう。一方で、友人・パートナーとの交流が深まりそうで、人間関係は新たな進展が期待できます。

●ソウルナンバー「5」

メインカードは「運命の輪」です。このカードには様々な解釈がありますが、タイミングとしてゴーなのか待ちなのかで見ることもでき、全体的には、今回はゴーと見てよく、この二か月でチャンスをものにする必要があるでしょう。しかし、迷いの中にある人、やるべきことが見えていないような人は待ちのほうがよく、誰かにアドバイスを聞くタイミングと言えそうです。

●ソウルナンバー「6」

メインカードは「悪魔」です。面白いことに、ほかのカードに「正義」も出ており、その他のカードの様子から見ても、あなたの枠(正しさ、こだわり)を超えることがテーマと考えられます。有体に言えば、枠を外す、今までの自分をルールを破る、飛び越えるみたいなことです。自分が考えるいけないこと、無理なことにチャレンジし、実はそうでもなかったと思えるとよいです。

●ソウルナンバー「7」

メインカードは「13」です。ただし、ほかのカードが、別のソウルナンバーの人たちとかぶるものも多く、いわば、今回に限り、このソウルナンバーの人は、他のソウルナンバーのメッセージがどれも参考になるということです。自分がピンと来たものを信じてもよいかもしれません。それでも、「13」が出ているので、思い切った変容・改革は必要と考えられます。

●ソウルナンバー「8」

メインカードは「愚者」です。他のカードには現実的な動きを示唆するカードがあり、このことから、心の面だけではなく、実際に場所を移動したり、変えて行ったりしていくイメージが出ます。また旅をすること、仕事の移り変わりなども考えられますし、それも深刻にならず、興味や関心のままに、少々の冒険でもOKだという気持ちで、前向きに進んで行くのがよいでしょう。

●ソウルナンバー「9」

メインカードは「手品師」です。ほかの出たカードと合わせても、どちらかというと、内面というより、物質・環境面を新しくするということが示唆されており、「手品師」の意味である「仕事」だと、転職も考えられますが、やり方、技術などを新しくするのが望ましいでしょう。全体的に情報が鍵を握り、より高度で詳細な情報、新規の情報を入手することが重要です。


「力」のカード、ライオン。

今日、ふと意識に上がってきたのは「力」のカードでした。

「力」のカードと言えば、女性とライオンという、なかなかインパクトある構図の絵です。

さて、皆さんは、女性とライオンどちらに目が行きますか?

それによって、自分の状態・立場というものがわかるかもしれません。

「動物と人との構図」では、ほかに「愚者」も、犬と人物という関係で描かれています。

「愚者」のほうは、犬が人物に対して、何か関わり合いを積極的に持とうという意図が感じられます。ちょっかいを出しているとも言えますし、警告とも取れますし、愛嬌とも言える様子のしぐさで、犬側から人物への働きかけが明確です。

一方、「力」は、ライオンが受動的に、ただ女性の意のままにされていると言いますか、ライオンの関わりの意志と無関係のようにも見えます。しかし、「愚者」の犬の関係と比べると、両者は一体化している感じが強くなっています。

マルセイユタロットでは、「力」の女性とライオンは、ライオンが女性の中に入り込んでいるかのような一体感があるのです。

「愚者」の犬が、仮に、人物の旅に一緒について行こうとして、ある意味、愚者を案内したり、守ったりしているように見えるのですが、「力」のライオンでは、すでにすべて、女性に明け渡しているかのように、ライオンの主体性は失われているように受け取れます。

このことから、「力」(のカード)は、ある種の統合を示していると考えられます。

このライオンと女性は何を意味するのか、講義では詳しくお話していますが、ここでは、また違った見方で、特にライオンについてふれてみたいと思います。

ライオンは、タロットの大アルカナの図では、ほかにも登場しています。それは「世界」のカードに現れています。

この「世界」のライオンと、「力」のライオンは対になっており、ある並べ方をしますと、「力」のライオンが「世界」のライオンのほうに向いているのがわかります。

このライオンたちが何を表すのかは、もはや、ふたつのライオンの絵を見れば一目瞭然なのですが、口を開けている「力」のライオンと、口を閉じている「世界」のライオンとで、日本人には神社の狛犬でおなじみと言えばわかると思います。(詳しくは、あえて言いません)

ライオンは動物であり、百獣の王と呼ばれるほどのまさにパワーと威厳を持ちます。

おそらく、皆さんのイメージからしても、この「力」のライオンの絵を見れば、たてがみのある雄ライオンなので、男性的で力強い、時に狂暴なものも思い浮かべるかもしれません。

それをまるで猫のように手懐けているのが女性ですから、彼女は女性的な、何かの力を持っていることがわかります。

日本語では、「力」と書けば、英語のパワーのような感じがしますが、「力」というのは、ただの物理的な力だけではなく、「精神的な力」とか「能力」「経済力」「人間力」などと、熟語的に用いれば、様々な「ちから」に例えられますので、一言で「力」と言っても、やはり(物理的な)パワーだけではないのです。

明らかに、ライオンの力と女性の力は、ここでは別種だと見ることができますが、先にも述べたように、女性とライオンは一心同体のようにも描かれていますので、すでに、このカードににおいては、ひとつの「力」として統合されているものと推測できます。

逆に言うと、ひとつの大きな力は、ふたつの別種のエネルギー、質の違う力によってもたらされると言えます。

ひとつだけの力では、おそらく限定的な範囲でしか作用しないものと考えられます。(そのことは、数で言えば、「力」までのカードたちや、「運命の輪」の動物たちによっても示されています)

ところで、自分にとってのライオンは何になるのか、もう少し具体的に考えるてみるのも面白いです、

タロットを使いこなすには、元型とも言える象徴の基本的な意味を知る必要があります。この「力」のライオンの場合、ライオンの本質的な象徴を知るということです。

しかし、それは元型的であるので、全員に当てはまったり、原理としては言えることだったりするのですが、個人の象徴として、より具体的な次元に降下させていきますと、ライオンの意味は各人で異なってくるようになります。タロットリーディングのシステムと同じことです。

その時、本来は知っておかねばならない元型的な意味も、象徴図の印象からだけでも、想像することが可能になって、そのイメージしたもの、思いついたものが、意外に個人には相当していることがあるのです。

簡単に言えは、絵を見て浮かんだものが正解だったり、問題や課題の核心をついていたりすることがあるわけです。

ということで、たとえ、カードの意味を知らなくても、例えば、「力」では、絵を見て、ライオンの意味を個人的に想起してみるのもよいのです。

あなたには、ライオン(と女性)は何に見えますか?

まず、いきなり答えや具体的なことを出そうとしなくてよいです。

絵はどのような構図や状態になっているのか、それらを観察することです。

「力」だと、女性がライオンを操っている、押さえているようにも見えますし、ライオンは自ら、女性に身をゆだねているようにも見えます。

また、ライオンは口を開けて、そこに女性が手を入れているわけですから、ペットを飼われている人ならわかるように、これはよほどの安心とか信頼がないと、動物のほうがそのようなことはさせないと思いますし、人間も、噛まない、大丈夫だという確信がなければできないことです。

あなたが女性の場合は、「力」の女性側の立場で見ることができるでしょうが(反対に、男性だったら、ライオン側で見ることができます)、性別に限らず、自分がライオンだったら、女性だったら・・・と想像すると、その立場における何かが見えてくるかもしれません。

そして、女性とライオンの関係性、力のかけ方、かけられ方を、ポジティブに見ることもできますし、ネガティブ(問題性)として見ることも可能です。

自分が力を入れ過ぎていることもあれば、放置していたり、依存したりしていることもあるかもしれませんし、誰かから強制的にさせられていたり、逆に、この人のおかげで、乗り切れそうだと、勇気や自信をもらえているかもしれません。

ライオンは動物として、強烈な力を持ちますが、それだけにもし、手懐けることができれば、かなりの(新たな)力となって、自分のものとなります。

ライオンに同じエネルギー、同じようなパワーで立ち向かっていっても、おそらくコントロールすること、勝つことは難しいでしょう。

サーカスやショーでの猛獣使いは、鞭を用いていますが、鞭があるから猛獣が人に従っているわけではありません。従う理由がすでに形成されているから、あのようになるのです。鞭は単なる合図の道具に過ぎません。

サーカスやショーと言えば、「手品師」もそれらしい人物として関係しますし、「吊るし」もいかにもサーカスぽいですよね。

余談ですが、タロットに造詣が深くて、マルセイユタロットをフィリップ・カモワン氏と共同で復刻させた映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキー氏は、幼少の頃、サーカスと関わることがあったため、サーカスぽい絵柄のあるタロットに、昔から心魅かれる理由のひとつにもなっていたのだと思います。

それはさておき、ライオンには、理由はここでは述べませんが、古代より、象徴的に太陽の意味もありました。

占星術的には、太陽の巡りは、黄道十二宮、星座(サイン)と関係し、女性(乙女)とライオン(獅子)も星座にはあります。

ただ、私は、ライオンと女性の関係が、通常の人間を超えた人物と、旧太陽系から新太陽系への変換を示しているようにも考えています。

すると、やはり、「太陽」のカードとも関連してくるでしょう。太陽とか惑星、宇宙を、ただの物質、今の天文学的な見方をしていては、このあたりは全くわからなくなります。というより、常識はずれで迷信みたいな感じに思えるでしょう。

ですが、太陽こそ、太陽系を作っているように、私たちの意識の中心であり、もっと言えば、意識そのものと言ってもよいのかもしれないのです。ただし、物質的な意識が中心だと、今見ているような、化学的反応の燃える星みたいなものに見えます。

古代では、太陽にはいろいろな見方があり、太陽信仰にもなっていましたが、熱くない太陽もあるとされています。もちろんエネルギーの大きさや供給する大元としての意味はありますが。

太陽がライオンで表される時、野蛮で肉食のライオンの動物の姿と、百獣の王としてすべてに君臨する威厳ある存在、何者にも屈しない(影響を受けない存在)としての部分がともに示唆され、私たちは前者の部分をよい意味で征服した時、太陽としてのライオンは、新たな姿を見せるのだと想像されます。(錬金術的な意味もライオンと太陽にありますが)

要するに、私たちの意識が変わる時、ライオンを取り込み、新たな意識の人類(人間)として、再生(次元自体が変容)するということです。

それは言い換えれば、私たちの常識としての宇宙が変わることを意味します。

丹念に「力」のカードを見ていくと、いろいろなことが隠されているのがわかりますし、それを読み解いていくと、結局、私たちの進化や成長(の方法、方向性)を示唆しているように思います。これはマルセイユタロットのどのカードにも言えることです。

ライオン(と女性)は、このような大きなものの象徴でもありますし、さきほど述べたように、自分にとって具体的なものや、何か(あるいは誰か)との関係性も示すことがあるのです。

この、ミクロからマクロ、マクロからマクロ、抽象から具体、具体から抽象の世界を、縦横無尽に旅させてくれるのが、タロットのだいご味と言えるでしょう。

さあ、あなたも自分のライオンを手懐け、あるいは、ライオンとして、この女性に象徴されるものに委ね、大きな力を発揮いたしましょう。


仲介する自分

マルセイユタロットの大アルカナを見ていると、人間、あるいは人間でない存在も含めて、複数のものが出てくるカードと、単独の人物など、独立した感じの図像のカードとに大別されるように思います。

細かく見れば、単独に見えるカードでも、実はほかの存在が隠されて描かれていることもあるので、必ずしもそうとは言えないのですが、ぱっと見には、そういう分類も可能です。

そして、複数の存在の出るカードたちの中で、その人物(存在)たちの中心となったり、仲介をしたりしているように見えるものがあります。前者は「世界」、後者は「恋人」などが典型でしょうか。

今回、その後者と言いますか、仲介や架け橋役ということをテーマにしてみたいと思います。

タロット的に言えば、仲介や架け橋となる存在は、天上的な存在と、地上的な存在があるように見えます。

もっとわかりやすく言えば、実際の人か、人ではない存在かということです。

私たちは現実の世界では、当たり前ですが、「人間」である以上、私たちがなれるのは、(実際の)人としての仲介役、架け橋役です。

皆さんも、今までの人生を振り返ってみてください。

自分が仲介役になったこともあるでしょうが、特にまだ未熟な頃、幼い頃、若い頃などは、誰かに仲介されて、あるグループや団体、組織などに導かれたと思います。

それには、仲介された先が、悪かったこともあるでしょうが、あとで振り返ると、結果的には良かったと思えるところ(こと)が多かったのではないでしょうか。

俯瞰した見方をすれば、どちら(導かれたところが良かったところ、悪かったところ)にしても、自分ひとりで閉じこもっていては見えなかった世界、わからなかった世界を、ある人が仲介してくれたおかげで、経験することができたのです。

その仲介役が、天使か悪魔かで、行き着く先は違ったかもしれませんが・・・

今、天使と悪魔の対比をしましたが、実際の仲介する人は「人間」ではあっても、その背後に、天使的な力や悪魔的な力が働いている場合があるかもしれません。

すると、一口に仲介と言っても、現実の人間だけの意志や思いだけで、仲介されているのかどうかという問題(疑問)が出てきます。

常識的には、現実・実際世界の関係性・情報性の中で仲介がなされますので、それ以外の見えない世界の仲介や力などは、普通の人は考えないものです。

しかし、タロットなどの世界に関わっていますと、現実を超えた世界を見るようになって来ますので、いろいろな影響や原因も、見える世界だけで考えないようになってきます。

「恋人」カードにも、人々が気が付かない上空で、キューピッドが矢を射かけている図があり、このような見えない世界からの働きかけ、仲介があることが示唆されています。

ということは、仲介、橋渡し役というのは、人間だけではなく、見えない世界の存在、さらには「存在」だけでもなく、いわゆる「ご縁」のような「概念」的なものも含まれるのかもしれません。

ともあれ、ここで言いたいのは、私たちの世界は、当然ながら一人だけの世界ではないので、様々なことを体験したり、新しい考えをもたらせたり、意識の拡大が起きたりするためには、どこか別のところへ(新しい経験の場所へ)行く必要があるということです。

そして、そのためには、仲介役・架け橋役のような、旧から新へ、既知から未知へ、孤独から仲間たちのところへと連れ出してくれる人が重要なのです。

人は心地よいとか、逆に、あきらめ、絶望の世界にいると、何もしたくなくなります。現状維持、固定を望むというか、どうでもよくなって、惰性に生きるようになるわけです。

言い換えれば、自分から何かをするということが少なくなるのです。従って、他人の力が必要となってきます。

あなたを今の状態から外の世界や別の世界に連れ出したり、ほかの経験をさせてくれたりする人によって、あなたに変化が訪れます。

狭い世界にいる人は、自分からどうこうしないというのは、すでに述べた通りです。

ですから、皆さん自身が、仲介役にもなれることを意識して、お節介かもしれませんが、少し、ほかの人に、その人が知らなくて自分は知っている世界を味わってもらう工夫をしてみてもよいのではないかと思います。

最近は、自己アピールをすることで、むしろ自分だけの世界に閉じ込める(囲い込む)がごとく、何かファンとか、推しの人を取り合っているかのように見えます。ニッチな世界であっても、自分がお山の大将とか、個性のてっぺんみたいな位置にいたがる、みんながそういう場所を占めたがるような様相です。

自分が一番、自分が目立つという志向は、必ずしも悪いわけではないですが、ほかに生き方として、誰かと誰かを結び付けるあの世界とこの世界との橋渡しをする、そういうことで、自分自身の世界も広げ、人々に貢献するみたいな方法もあるかと思います。

それが向いている人もいるのです。コーディネート役と言いましょうか。

もちろん、お節介になったり、押し付けになったり、仲介のはずが迷惑になってしまったりすることもあるかもしれません。

宗教とか変な集まりとか、ネットワークビジネスとか、仲介役自身が何らかの利己的な利益・特典を受けたり、自分の強い思い(欲求)を満たすために、そういう役をしてしまうのは問題です。

そのあたりは、仲介する側だけではなく、される側も気をつけなくてはなりません。

しかし、まさにこのバラエティある世界の拡がりを、実際の人間として、純粋な気持ちで、つなげていく活動をすると、そこには天使性が働くのではないかと思います。

天使は、カードの「節制」においては救済の意味にもなります。あなたの仲介は、誰かに救済をもたらすかもしれないのです。

ところで、タロットリーディングもまた仲介の性格があります。

クライアントとタロットリーダーは、タロットを仲立ちとして、問題の解決を図り、双方の意識の変換や拡大、成長を担っていきます。

また、ある意味、天上と地上の架け橋にもなっています。(タロットがそういうツールでもあります)

心理学的には、自我と(統合的)自己の架け橋でもあり、何より、「太陽」のカードでも示される、普段の自分ともう一人の別の自分との懸け橋にもなります。それは神性なる自己と物質・心理的な自分との統合の過程とも言えます。

最初のほうに、実際は人が人を仲介する話をしましたが、あとでふれたように、見えない世界のことを入れると、その裏では、別の存在や、縁とかカルマのような「概念」が仲立ちしていることも考えられます。

そして、霊媒・ミディアムのように、心霊界と、現実の世界を仲介する人もいますし、カウンセラーなどは、心の世界と現実の世界を仲介しているとも言えます。

人だけではなく、儀式・祭祀のようなものでも、特別な演出が、実際の普通の世界と神や仏、祖霊の世界とを仲介させる役割をします。お墓参りすらも、お墓というものと祈りによって、亡くなった人と生きている人の仲介を、意識の世界で行います。

まさに、間々(あいだあいだ)の(仲立ち・仲介)世界は、そこかしこにあり、私たちは、様々に仲介し、仲介されながら生きているのです。

あなた自身も、きっと、誰かと誰かの架け橋になっているはずです。

そう考えると、人生とは、誰しも役割をもって生まれている、あるいは、誕生すると、役割が自動的につくことがわかります。

特に、年齢や経験が増しますと、仲介される側より、仲介していく側になってくると思います。今までよりも、積極的に、仲介役、架け橋役をやってみるのもよいのではないでしょうか。


タロットで占う良し悪しとは?

タロットカードの使い方には、いろいろあることをこのブログでも触れてきました。

ただ、一般的には、いまだ占いに使うカードという認識でしょう。

そして、その占いにおいても、全体的な運勢を占うというものに使用するよりも、どちら・どれ(の方向性・選択肢)がよいかとか? あの人の気持ちはどうか?などといった、短期的なこと今の状態を知ること今迷っていることの選択においての判断を求める時に使われる傾向にあると思います。

タロット占いが、生年月日などのデータをもとにした運命を扱う「命占」ではなく、偶然に出たもので、言わば「偶然の必然性」をもとに占う「卜占」と言われているので、占いの分野においても、上述のような使い方になるのは当然と言えます。

そして、今述べたように、タロット占いが、長期的な運勢の流れというより、今悩んでいること、迷っていることの指針を選択的に出すことでの使い方になるのなら、今の問題や関心のある何かに対して、いいか・悪いかの判断をカードに求めるようになるのも当たり前です。

ということは、どうしても、カード自体にいい・悪い、吉凶判断を見ることになってしまいます。

では、ここで極めて根本的な質問になりますが、そのいい・悪いは誰が決めているのでしょうか?ということです。

そして、そのいい・悪いの基準は何なのか?というのも、皆さんに問うてみたいところです。

このテーマ(問い)は、タロット占いをプロとしてやっている人に対しても、少し考えてみていただきたいものです。

まず、いい・悪いは誰が決めているのかですが、これは人であるのは間違いないでしょう。

占いの現場では、タロット占い師が、出たカードの良し悪しを読んだり、判断したりしていますので、ここにおいては、決めているのはタロット占い師ということになります。

しかし、その判断のよりどころ、つまり、もともとのカードの意味は、その占い師が決めているわけではなく、先生に習って知ったか、独学して知識を得たかというものでしょうから、当人(占い師)が良し悪しを決めているわけではないのがわかります。

つまるところ、伝えられてきた意味とか、絵柄から決められてきた意味で、いいか・悪いかを見ていることになります。

ほかに、カードの伝えられている意味とは無関係に、直感として、占い師がこのカードはよくない、いい感じがする・・・みたいな判断になることもあるでしょうが、カードの絵柄と意味とは、それでも無関係ではないと思いますから、結局は、カードの決められた意味からの判断と言ってもよいでしょう。

では、さらに、カードの伝えられてきた意味、書籍や教科書、先生方から教わった意味を適用するとしても、その意味が、質問に対して、よい意味になるのか、悪い意味になるのかということは、カードそのものの意味とはまた別であることがわかります。

例えば、あるカードが「別れる」「離れる」という意味合いがあったとしても、「腐れ縁の人とどうなるか?」という質問では、よい意味になるでしょうし、「好きな人とどうなるか?」だと、よくない意味だと言えます。

カードの意味が、よい意味で解釈できるか、悪く解釈するかは、最終的には、人の価値観・または感情によると言ってもいいかもしれません。

そして、それらは絶対不変の基準ではないということが問題です。時代や国によっても変わりますし、個人においても価値観は変化していきます。

ただ、そうは言っても、やはり一般総合的、人としての普遍的に近い価値とか判断はあります。常識的に見て、それは不幸な道だろうとか、それは幸福なことでしょうね・・・というものは全員に当てはまるわけではないにしても、ほとんどの人には言えるもの、そういうものはあると考えられます。

言ってみれは、地球人類としての総合的価値観と言いますか、私たち全体が決めている基準のようなものです。これは。現実認識における集合的合意のようなものかもしれません。

それ自体は、おそらく数千年、ほとんど変わっていないものでしょう。ですから、いい・悪いの判断も、ずっと使い続けることができる(た)と言えます。

人の価値観は確かに時代とともに変わるものではあるものの、奥底には変わらない、誰しもが思う幸不幸とか、いい・悪い、吉凶的な感覚が共通意識としてあるので、それがタロットの判断にも使用されてきたということです。

難しい言い方をしていますが、何のことはない、いつの時代も変わらない、人の思う良し悪し、幸不幸という(価値・基準)で、見ている(部分がある)わけです。

説明が長くなりましたが、タロットカード自体は、絵柄のついた象徴カードで、その絵から類推される、ある意味合いは出ます。しかし、そのカードの意味自体と、タロットに質問する人と、解読・判断する人(占い師やタロットリーダー)が思う、カードの良し悪し的な意味とでは違うという話なのです。(ふたつの世界があると言ってもよいです)

ですから、タロットの象徴的意味合いは変わらないとしても、タロットを読む側、見る側によっては、タロットの、まさに解釈は変化してしまうのです。

ただし、今のところは、三次元的な現実認識の中で、普遍的ともいえる幸不幸・吉凶の意味が、ほとんどの人の中で共有されているので、その基準をもって、カードのもともとの意味合いをふるい分けることで、いい・悪いや、どの選択が(現実的に)よいのかなどのことが占えるのです。

従って、占い師やタロットリーダーの価値観と、質問者・クライアントの価値観が共通するものであればあるほど、カードの判断と納得感は、両者にとって大きなもの(バッチリ合っている感じ)になるでしょう。

ところが、カードを読み、判断する側、つまりはタロットリーダー・占い師側が、クライアントとは別の価値観のフィールドに、カードの意味を持っていくと、クライアントの思う価値基準とは異なることになりますので、言われている意味がクライアントには飲み込めなかったり、言われていることとは真逆の意味だと感じてしまったりすることもあるでしょう。

占いにおいては、これはまずいことになるかもしれませんが、タロットリーディングによる気づきをもたらすようなこと、意識の変容をもたらす目的になってきますと、むしろ、このほうがよいこともあります。

それは、クライアントの価値基準が、クライアント自身を苦しめていたり、自由性を制限させていたりする(束縛したりしている)からです。常識に対して、常識で対抗すると、かえって何も進まないのに似ています。

一般的な、今の人類社会に普通に考えられているような価値基準での判断の良し悪しも、先述したように、カードの意味を占い師側が振り分けたり、決めたりすることで、言わば、カード自体が吉凶羅針盤みたいになって、現実的な意味でのよい・悪いを導くことが可能です。

この仕組みは、先述した、人類の集合意識的な合意の層(ここでは、一般現実の幸不幸とか、吉凶を思う層のことになります)に、占い師がタロットをリンクさせるようなことになって、カードに、その価値基準をもとにした出方をさせることができるからだと考えられます。

ただ、これでは、三次元の数千年続く、常識的価値観の判断になります。

一般の普通の人は、それを求めていますから、占いの現場では特にそれでいいと思うのですが、スピリチュアルや精神世界を中心とする、私たちの意識や心、さらには霊的な次元の上昇、浄化、統合などを志す場合は、これでは足りないと思います。

この場合のリンクさせる層と価値基準は、哲学的に言うのならばイデアの層といえ、グノーシス的には神性の層、心理的には、私という自我を超越した層(しかし自分を支配するスーパーエゴ・超自我ではありません)になります。スピリチュアル的な表現をすれば、天上とか天使意識、ハイヤーセルフの意識です。

カードの意味や読み方も、現実的なことでの、いい・悪いではなくなってきます。むしろ、カードが問いかけ、意識を開かせるような意味合いになってくるでしょう。

このようなことをする意味があるのかどうか、占いバリバリの現場の人には、疑問に思うことでしょう。

大阪風に言えば、「実際(現実)の幸せの具体的アドバイスができてこそなんぼや、ふわっとした抽象的なこと言うても、お客さんのためにならへんし、そんなん、求めてはらへんのや、みんなお金があって、自由があって、いい人がいて、よい家族がいて、健康な暮らししたいんや」みたいな感じでしょうから。(笑、ただし、現場でも話を聞いてもらいたい、心を理解してほしい、わかってほしいという、カウンセリング的なケースも多々あります)

それはそれでいいのだと思います。占い師もサービス業であり、生活もあります。顧客に満足してもらうことが大事です。基礎的な暮らし、運勢がよくなって、充実しないと、先に進めないこともあります。

それとともに、今やっているカードでの占い判断というものは、いったい何なのだろう? 全体の幸せとは本当はどういうことなのだろうと、ふと、考えるのも悪いことではないと思います。

占いとは関係なく、タロットに関心のある皆さんには、一度、タロットに対して質問することで、「どちらがよいのか?」という質問方法自体を疑ってみることをお勧めします。

そうした質問をなぜしているのか、あなたの思う「よい」とは、「悪い」とは何なのか、何が基準で、何を求めているのかということを、あせらず思索すると、意外なことがわかるかもしれません。

タロットには根本的な絵柄の象徴の意味はありますが、意味そのものの解釈や判断、新たな吉凶的な意味を決めているのは、人であり、あなた(タロットを読む者)自身なのです。


一枚引きの力

世にタロットのスプレッド、展開法(並べ方)は、たくさんあります。

伝統的なものや、メジャーなものはネットや書物で紹介されていますが、オリジナルなものも結構あるはずですし、プロ・アマ関係なく、いろいろな人がタロットの独自の並べ方を試みていると思いますから、それこそ、数えきれないくらいあるでしょう。

かく言う私も、オリジナルなものは、いくつか持っています。

ただ、それ(種類)を分けていくと、おそらく、いくつかのパータンに収まると思います。

今は細かい区分けをしませんが、だいたいにおいて、何かもとにあるもの(形)を象ったもの、時系列的に並列に並べるもの、縦に積み上げていく(集積させていく)か、下に分散化させていくものなどのパターンがあると考えられます。

さて、そのように数多ある展開法・スプレッドの中でも、もっともシンプルなのが、一枚引きです。

これはタロットの束(山)から、一枚だけカードを引くというやり方です。

ここに正逆の位置を入れる(取る)かで、またちょっと複雑化してしまいますので、正逆の位置は取らず、ただ正立のみで見ていくのが、一枚引きの中の一枚引きと言えるかもしれません。

前にも書いたことがあると思いますが、実はこの一枚引きが、一番読みでは難しいと言えます。

シンプルというのは、何も簡単という意味とは限らないのです。一枚引きの場合、たった一枚のカードしかないのですから、情報として最低の量になります。

また情報量だけではなく、一枚という、あまりにも少ない枚数のシンプルさゆえに、具体的に見るのが難しくなる欠点もあります。具体的に見られないというのは、問い(タロットに対する質問)を当てはめにくいということです。

言い換えれば、抽象的なリーディング(読み)になりがちなのです。

例えば、「私は何をすれよいのか?」と質問して、一枚、「隠者」が出たとします。

ここ(この一枚)から、どう具体的に答えやアドバイスを導き出すのか、案外、難しいものです。

ありがちなのは、「隠者」の意味をそのまま出してしまうみたいな読みです。

秘密、孤独、探求、追求、危機、覚醒、イニシエーション、経験、知識、蓄積、隠遁、後退、光明、専門性、霊的な師、ハイヤーセルフ・・・それこそ、隠者の意味はたくさんありますが、ただ単純に、こういった単語を思い浮かべてみる、みたいな読みをするわけです。

ですが、問いは「自分(私)は何をすべきか?」です。今あげた言葉の中で、これに具体的に答えてくれたものはありますか? ほとんどないでしょう。

だから、一枚引きは難しいのです。

ですが、逆転の発想ができます。

確かに、一枚引きは抽象的になりがちで、読みとしては具体的に当てはめにくい、カードから導きにくいところがあります。しかし、タロットリーディングとは、本来そのようなものなのです。(アテモノの占いではないということ、象徴性・抽象的なものから類推し、具体性を調整していくもの)

いきなり具体性を出すことは、専門的に言えば、地上性・現実性にダイレクトに落とし込むようなもので、それは換言すれば、限定する、絞るということと同じになります。ということは、いきなり答えを絞り過ぎて(当てはめ過ぎて)、間違っている(厳密な言い方をすれば、下に降りる枝分かれの過程で、ルートを間違えている)こともありうるわけです。

逆に抽象度の高い答えは、包括性・蓋然性が高くなりますから、いわば、どれを言っても当てはまるような答えになってきます。ここから、クライアントの情報とともに、実際のフィールド(クライアントの現実)に具体的に当てはまるようなことに、下降(加工でもあります)していくことで、「大外れ」を防ぐことにもなります。(なお、この過程を直感が優れている人は、一瞬で、しかも正確に、ルートを間違わずに行うので、いかにも霊感で当てているように見えることがあります)

さきほど、一枚引き「隠者」が出た例で、「隠者」の意味としての言葉をたくさん出しました。これら(隠者の象徴から出る言葉)を総合的に見て、何か共通した特徴はつかめるはずです。

そもそも、その共通したものこそ、一言では言い表せませんが、「隠者」のカードの表す象徴なのです。言葉や意味は、その象徴をわかりやすい形で言語化したものです。

さて、言葉からでもいいですので、「隠者」の共通するようなイメージはつかめましたでしょうか?

隠者の象徴からして、何となく、激しく動いたり、今まさにGOだという雰囲気ではありませんよね。

また表立って前に出たり、積極的に率先して活動したりするという感じでもありません。むしろ、穏やかに、隠れるかのように静かに過ごすイメージが伝わります。また「隠者」のような人が見守ってくれ、何か光を当ててくれそうな気もします。

こういうような総合的なイメージから、質問にまた立ち戻り、考えてみるのです。

質問は「私は何をすればいいのか?」なので、つい、何か具体的で行動的な答えを求めたくなります。

しかし、先ほど見た「隠者」の総合的意味合いは、むしろ、隠れよ、静かでいよ、じっとしていよ、引退せよ、離れよ、智慧者に伺い立てよ・・・みたいな感じに見えます。

もしかしたら、「隠者」の象徴として、知識・智慧をつけるために、学べと言われているのかもしれませんが、何を学ぶのかは、これだけでは、具体的には出ません。

そのため、その何をとか、どれをとか、誰にみたいな具体性は、別のカードを引いてはっきりさせるか、本人(質問者・クライアント)がすでに知っていることがあります。(学びたいと思っていることがそもそもあって、隠者が出たことで、そのことが後押しされたと感じる)

言い換えれば、具体性を持たせていくには、クライアント自身の実際の情報とともに、カードを何枚か引いていくことで、かなうわけです。

けれども、一枚引きは具体化こそできにくいですが、一枚を通して、まさにその一枚が示す「象徴」というものを私たちに見せてくれます。

象徴・シンボルなので、抽象的ではあるのですが、その特別の機能により、多層(多次元)な世界にも通じることができます。(現実から心理、霊的なものまで、あるいは、時代や人の個性を超えたところまで)

ということは、たった一枚の中に深遠なる多層で多次元な情報が含まれていることにもなります。含まれるというより、見る側のフォーカスしたものにタロットが合わせてくれるみたいな感じでしょうか。

つまりは、タロットの示す「象徴」という世界を見る(象徴を通して情報を知るという古代や野生の思考的な)ことに、一枚引きは訓練としても働くのです。

もし一枚引きでも、なるべく具体的に読みたい場合は、質問を最初にはっきりさせておくことです。問う側が具体的であれば、答えも自ずと具体性を持ちます。それでも、一枚引きは、やはり情報としては少ないので、判断には困ることもあるかもしれません。

ですから、一枚引きは、どちらかといえば、タロットによる象徴世界を味わうため、象徴でもって、あらゆる世界に旅をするためのトレーニングとして問いかけ、見て(読んで)みることをお勧めします。

さらに、今ここでは書けませんが、一枚引きには、すごいやり方と言いますか、タロットカード全体を回転上昇(もしくは内転集中)させるような、使い方が隠されています。一枚なのに全体、全体なのに一枚という方法です。

少し長時間かかってしまうのが難点ですが、強いエネルギーを持つと考えられるものです。受講生の方にはいずれ紹介し、勉強会などで、皆さんでやってもらいたいと思っています。

ともかく、たかが一枚引き、されど一枚引きなのです。


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