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マルセイユタロット 三つの世界

マルセイユタロット、特に大アルカナでは、その構成上、3と7という数が基本となっています。(様々な見方、説があるので、異論も存在します)

今回はそのうちの「3」について考えたいと思います。

さきほど、「7」という数も出しましたが、「7」という数は「3」と「4」の数にも分かれます。

ですから、「3」を考えるには、「4」という数と対比させることで、その性質が浮かび上がることになります。ただ、そのためには「4」への理解も必要で、そうなりますと、もはや、タロットというより、数秘術的な話になってきます。

ここでは、数の話、数秘術を語るわけではないので、詳しいことは省きます。

ただ、「3」と「4」は相対されて、その合計が「7」となっているという構造には秘密と言いますか、マルセイユタロット的にも大いに関係してくる話だということです。

例えば、そのふたつの数をそれぞれに持つ大アルカナと言えば、3「女帝」と4「皇帝」があげられますが、この二人は、ある意味、夫婦であり、カップルであり、別々でありながら二人で一組という特性を持ちます。

「女帝」に3、「皇帝」に4がふられていることに、そのカードの象徴性を思えば、意図的なものであるのがわかりますし、数を詳しく知らなくても、何となく、3と4の意味合いも見えて来るでしょう。

さて、「4」は置いておきまして、「3」に戻りますと、そういうカード単体の数だけではなく、大アルカナ全体としても3の構成を見て取れます。

カモワン流とか、ユング派の(マルセイユ)タロット考察ではおなじみの、大アルカナの3段7列構図というのがあります。

これは大アルカナを横3段、縦7列で構成させるものです。そうすると、都合21枚になりますが、大アルカナは22枚で、あと一枚は「愚者」として、その図とは別のところに配置します。「愚者」は数を持ちませんから、こういうことが可能になるのです。

この構成では3も7も出るわけで、何かしら、3つや7つの段階や階層があるような図として見ることができます。

ここで3つのものにフォーカスしますと、3つのレベル、階層、段階、世界などとして、3視点を持つことになります。

改めてというものを考えますと、まず、時間感覚、時間のとらえ方というのがあります。すなわち、「過去」「現在」「未来」という見方です。

この3視点があるからこそ、私たちは時間の流れを、まさに「経過」として見る(思考する)ことができるのです。

ほかに、スピリチュアル的にはよく例えられる、スピリット(霊・魂)、マインド(精神・心)、ボディ(肉体・物質)という3つのとらえ方があります。

また、宇宙、世の中の生成の観点では、創造・維持・破壊、あるいは始まり・頂点・終わりというような流れで見ることもできます。これらは、それぞれをつかさどる「神」として表現される宗教や文化も結構あります。

同じような流れとして見れば、「原因」「過程」「結果」という3つもありますね。そして宗教と言えば、キリスト教の三位一体も3が出てきます。

ほかに一般的な見方でも、基本(初級)・応用(中級)・独自(上級)というような段階も3つと言えます。

何事も、大きな分け方としては、陰陽とかの二元(ふたつ)がまずありますが、上記で示したように、次には3つの分け方、見方が登場し、そして4へとつながるのが、タロットにおいても象徴的に示唆されており、とても重要な数の分類です。(四つの基本数、四つの基礎的段階)

そうしますと、2と4の間でもあるのが3ですね。(本当は数秘的には、1と3、それに対する2、そして4という風に考えることも必要なのですが)

3は数秘的な意味では、創造(裏では破壊)ということになっていますが、それは1という完全性から、2、二元(ふたつの分離)状態になり、そこをさらに統合しようという第三の視点が現れる(第三番目が新たな創造点になる)からでもあります。

3は創り、壊す(2の世界を創り変えるため)段階であり、先述したように、対立したふたつを結びつけ、調和させるものでもあります。

ふたつの間に入るものということでは、3は重要なポイント、調整・調律点にあると言えます。

見えるものと見えない世界、光と闇、白・黒、善と悪、理想と現実みたいに、単純にふたつの見方だけに分けてしまうと、その間、過程、段階、グレーゾーンというものが消えしまい、デジタル的なオンオフ感覚で支配されることにもなりかねません。

言い方を換えれば、単純な二元論は、ますます対立を増長させ、全体(統合)が見えなくなってしまうのです。だから、間を取り持つ3という数と視点が大切になってきます。

ところで、仏教の天台宗では、「一心三観」という観法があります。

簡単に言えば、世界を三つで見て行く方法ですが、その三つとは、一切の存在を空(くう)と見る「空観(くうがん)」、仮の現象としてあると見る「仮観(けがん)」、そのどちらでもあり、どちらでもないと同時に見る「中観(ちゅうがん)」というものです。

この考え方と言いますか、見方は、非常にマルセイユタロット(の三つの観点、分け方)になじむと思っています。

また変にスピリチュアルに傾き過ぎたり、逆に現実的過ぎて囚われてしまったりすることなく、バランスを保ち、自己を調整させていくのに、とても有意義な観点だと感じます。

例えば、空観に傾いている人は、ひところ話題となった非二元論(何も分離せず、ひとつだけの世界という見方)の短絡的な思想に似ている(非二元論が悪いと言っているのではなく、それを浅はかに見てしまう人が問題と言っています)ように思いますし、資本主義、競争世界の中で、物やお金、能力による勝ち組を目指す考えは、現象を本当に実体として見てしまう「仮観」的な過剰だと考えられます。

マルセイユタロットの大アルカナも、象徴を理想的なものとして見過ぎてしまうと、あまりにも抽象的世界に飛躍(妄想・逃避)してしまい、「何もない」という、「無」で、感動も心も何もないような、妙な悟り感覚になってしまうおそれがあります。ニヒリズム、あるいは現実逃避に近いものでしょうか。

また占い的に現実での吉凶判断、現世利益を求めるためのツールとして使うようになってきますと、さきほど述べた「仮観」の世界にどっぷりつかることになってしまいます。

よって、空でも仮でもない、中観的な見方も入れて、大アルカナの象徴性を活用するとよいかと思います。

これも、よりよい「3つ」の視点と活かし方かと考えます。

私の講座では、このマルセイユタロットにおける3の視点を、より詳しく、また理解できるように解説しています。

現代人の陥りがちな盲点と同時に、精神や霊的なことを学ぶ人にも罠となる仕掛けが、3つの視点によって、よくわかるのです。

一方、小アルカナでは4の視点が重要になってきます。結局、3と4で、初めに戻りますが「7」になること(ある意味では、「7」を超えること)が、マルセイユタロットでは求められていると言えましょう。

※秘密情報として(笑)、「運命の輪」と「審判」、つまり10の数を基本とする大アルカナカードには、3と4との世界をリンクさせる仕掛けがあると言っておきます。


「運命の輪」のループと繰り返し

マルセイユタロットの「運命の輪

大アルカナの中には不思議な絵柄であるカードは少なくないのですが、この「運命の輪」も、なかなか不思議です。

たいていは、人の姿(それは必ずしも「人間」を表すわけではないとしても)が描かれていることが多いものですが、「運命の輪」には、動物(らしきもの)と輪という機械がメインとなっています。

そこからしても、異質だと言えます。

このカードの象徴性や意味はいろいろと考えられるのですか、今日は「輪」に注目したものにしたいと思います。

「輪」と言えば円とか回転がイメージされます。

円の場合、中心と円周、さらにその外側という構造があり、簡単に言えば、内と外があるわけです。

そこで、内(あるいは円周)にずっといる状態と、円の外に出ている状態とが想定できます。実際「運命の輪」でも、円周に乗っている動物と、円(輪)からはずれ、円の外に出ている動物とに分かれた描かれ方をしています。

ここから、円や輪に閉じ込められている者と、そこから脱出している者という構図が思い浮かびます。

ところで、日本のアニメには、ループもの(同じことが繰り返される状況が続くもの)がシチュエーション・物語として結構あります。

今は夏休みですが、夏休みのループものと言えば、例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」というライトノベル原作のアニメが思い浮かびます。

ネタバレになりますが、そのアニメの「エンドレスエイト」という話では、夏休みの8/17から31までの間を延々と繰り返す(8/31が終わる時にリセットされて、またスタートの8/17に戻される)というループ話がありました。

ちなみに、アニメ放映時には、このループを表現するために、同じ話を8回繰り返したという、今や伝説みたいなネタにもなっています。(すべて見るのはかなり苦痛ですが、全部見ないと、のちに作られた劇場版の本当の意味が体感できないことになっています)

以前も書いたことがありますが、私たちは、この話ではありませんが、何かのループに、はまり込んでいるのではないかという思いに駆られることがあります。

それは個人それぞれのループもあれば、全体としてのループもあり、言ってみれば、私たちは二重のループ(あるいはもっと何重にもなるループ)を経験している最中ではないかという疑いがあります。

「運命の輪」に描かれている「輪」も、よく見るとおかしな輪であり、ループがあるとすれば、単純なものではないことが伺えます。

「輪」は回転していると言いましたが、この回転性があるからこそ、繰り返しが起こっていると言え、また同時に、輪の中にいることや繰り返されていること(動きがあること)が、当たり前のようですが、輪の中にいることでわかりづらくなっていると推測されます。(電車に乗っていても、振動等を無視すれば、外の景色が見えないと電車が動ているのか止まっているのかに気づかないのに似ていますし、そもそも電車の中にいることが自覚できない状態とも言えます)

こうして書くと、ループで回っている状態というのは、悪いことのように思えます。

果たしてそうなのでしょうか?

ループをさせているのは、それこそ「運命」という何か大いなる力とか、私たちには計り知れない神のようなものなのかもしれませんが、本当は、私たち自身ではないかということも考えられます。

マルセイユタロットを見てきて思うのは、結局、私たちは、自分が望んでいるものをすべて体験しようとしているということです。

それが普通の意識ではわからないのですが(むしろ望みとは逆のこととか、経験したくない嫌なことだとかとして思ってしまう)、奥底の部分では、同意しているか、それを望んでやっているかもしれないのです。

比喩的な言い方をすれば、神(宇宙)と自分との創造作業であり、それは神の意思でもあり、自分の意思でもあるということです。

ではなぜ、わざわざ何度もループをしているのか、そういう演出を自らさせているのかと言えば、さきほども述べたように、自分がしたいからにほかなりません。

アニメ「涼宮ハルヒ」の話では、ループをさせていたのは自覚なきハルヒでしたが、私が思うに、実はキョンとか、ほかのメンバーも、ループを望んでいた部分があるのではないかと思っています。(アニメを知らない人には、わからない話ですみません(苦笑))

ただし、いくら自分が望んでいるとしても、次第にループと繰り返しが続くと、そのおかしさ・違和感に気づいてくるようになります。

それが、自分にとっての現象(望まない現実の)問題という形で現れ続けて来るようにも思います。

いわば、「もう、ループや繰り返しをする段階ではなくなってきている」という(自らの)知らせでもあるでしょう。

ただ、悪い現象だけではなく、惰性的な、ぬるま湯みたいに繰り返される、一見平穏な日常も問題の場合があります。

ゆでガエルの例えではありませんが、このままだと、やがて破滅を迎えてしまうのに繰り返しをしてしまうという選択です。

つまり、悪い問題(現象)が、本質的には同じこととして繰り返されていると気づいてくる状況と、一見安定していて、よい状態がこれからも続いていく(本当は続いてほしいという願望)と思われる現象において、実のところは、「いや、このままだとやばいんじゃね?」と気づき始めてくる状況との、ふたつのループへの気づきがある(起こって来る)ということです。

どちらにしても、自分の中では「このままではいけない」という思いが、以前より、だんだんと強くなってきており、それがループの終わり、ループからの脱出の時期が来たことを告げていると言えるのかもしれません。

「運命の輪」は数でいうと「10」であり、数秘的には終わりと始まりも意味します。

大アルカナは22枚ありますが、「愚者」と「世界」を別格のものとしてふたつのグループに分けると、ひとつのターン(1から10)が終わるのが「運命の輪」であり、新たに11「力」から20「審判」までのターンが始まる重要なポイントになります。

ここからしても、ループがある程度繰り返されてきて、自分にとって十分な経験が積まれると、次の芽が現れはじめ、これまでのループにおける次元やターンは卒業していき、次なるところへと移行すると見られます。

しかし、ループの卒業を自覚し始めていても、自分ではめた罠を出る方法を忘却している自分もおり(どっぷりと現実に囚われた意識)、さらには思い出すことを妨害する自分(と、ある種の世界勢力)がいて、出ようにも出られない葛藤や苦しみが増すこともあると考えられます。

それでも、出る意識を持てば、しゃれではないですが、円によって縁が運ばれ、出口に導かれることもあるでしょう。

私たちは今、個人だけではなく、全体的で巨大なループからも出なくてはならない時期に来ていると言えます。

それは個人の気づきの集合的な力で、さらに脱出への機会(チャンス)が増えると想像されます。

「運命の輪」の輪と一緒に回っている動物二匹の意識でいる限り、私たちはループから逃れられません。それは、自分にとって、よい・悪いと思うことを、そのまま起こる現象として受動的に経験する姿勢とも言えます。

ああ楽しい、ああ苦しい・・・という、人生への思いの繰り返し、連続です。

人は快楽を求め、苦痛からは逃れたいと思う生き物で、それは当然の心理でしょう。

しかし、動物的に、ただそのふたつを求めるだけでは、なかなか輪の中から出れられないということが、カードには示されているのです。

ループや繰り返しは、起きるべくして起き、自らが実演しているものと言えますが、同時に、出たり、止めたりする選択もでき、もはや必要ないのに、同じ演目が演じられ続けるのは、違和感でしかないのです。


少ない枚数の展開(スプレッド)

私はもとともは旧タロット大学出身で、カモワンタロットの講師をしていた者なので、その使う展開方法も、もっぱらカモワン流がメインでした。

しかし、そのカモワンタロットも、もう一人の製作者はアレハンドロ・ホドロフスキー氏であり、ここでも何度か言及しているように、カモワン氏とホドロフスキー氏とでは、使用するタロット展開も違っています。

当たり前ですが、同じタロットでも、使い方を変えることができ、ただひとつの方法が絶対などということはないでしょう。

ツールとしてのすばらしさは当然必要ですが、やはり、使う者の考え方、技術も多分に影響すると考えられます。

言ってみれば、タロットは、使う人によって姿や性格を変えるということです。

ということで、私も今は、カモワン流にこだわらずに、いろいろなメソッドを研究し、使っています。

マルセイユタロットには「手品師」というカードがありますが、まさにこれで、いろいろな技術・道具を、臨機応変に使うということです。

ちなみに、マルセイユタロットには、すべてのカードが関連している、あるいは、ある目的のために、カードそれぞれが関係し合うという考えがあります。

ですから、「手品師」も、その背景にはほかのカードと当然関係しており、数のうえでも象徴的にも、21の「世界」とは強い関連性があると言えます。

要するに、「手品師」の臨機応変さは、カードで言えば「世界」という目的・大目標という理想があってのことで、勝手気ままにやっているというわけではないのです。

逆も言え、あるメソッドにこだわり過ぎたり、あるやり方が唯一絶対だと思ったりして、画一的・硬直的になり、かえって本来の目的が達成しにくくなる(効果が出にくくなる)という事態もあり得ます。

ということで、象徴的に言えば、「手品師」と」「世界」、両方の方向性から、リーディングなり、タロット活用なりを考え、実践するのがよいと思っています。

そして、近ごろ、私は、タロットカードの展開枚数が少ないものの使い方(考え方)に注目しています。

展開枚数が少ないもの(スプレッド)と言えば、一枚引きや二枚引き、多くて三枚引きと言ったところでしょうか。

一枚引きという、もっともシンプルな展開は、一枚だけに一見簡単なように見えますが、実はとても奥深いものでもあります。

しかし、一般的には、二枚か三枚の引き方がよいかもしれません。(展開枚数の少ないものを選ぶ場合)

そして、三枚引きはよく使われるスプレッドで、結構研究されていると思います。

ただ二枚引きはあまり見かけない気がします。そこで、私は二枚引きいろいろな角度から読むことをしてみました。

すると、面白いことがわかってきまして、やはり、マルセイユタロットはすばらしいなと改めて感じた次第です。

その研究成果は、受講生用のメルマガなどで配信、披露しています。

その一部というわけではありませんが、少しだけここでも紹介しますと、それは視点の切り替えというものです。

三枚引きでもそうですが、だいたい、タロット展開の流れ・方向性は、左から右へというのが主流です。それを時系列的に解釈しますと、過去から未来へ、左から流れて行くという見方となります。

実はそれは、かなり三次元的な常識的見方となります。例えば、さきほど述べた時系列でも、過去→現在→未来と見て行くことになりますが、それが普通の時間のとらえ方であり、過去に原因があって現在と未来に結果があるという形になります。

しかし、逆の見方も可能で、未来に原因があり、それによって今や過去が規定されてくるというものもあります。

マルセイユタロットは、三次元的な時空だけで見る世界ではありません。

ということは、時系列的な見方にしても、普通とは逆もあり得ることになります。

二枚引きであっても、左から右という流れだけではなく、右から左へ、あるいはその両方を同時に見るということも可能です。

一枚一枚を独立させるのか関連させるのか、それもどちらかに決めなければならないというのでもありません。

ただ、よくあるような、数秘的にタロットを扱うもの、例えば、二枚のカードが、5と6という数を持つカードが出たので、合計して11の数を持つカードに本当の意味がある・・・みたいな考えは、個人的にはあまり採り入れ過ぎないように注意が必要かなと思っています。

それは、(マルセイユ)タロットは絵柄がメインであるからです。

タロットは数と無関係ではないので、上記のような数秘的なとらえ方も、間違いではないでしょうが、それを第一に考察することは、タロットという絵が主であるものの特性を無視しているに等しいかと考えます。何といいますか、タロットに付与されている数を第一にしてしまうと、タロット愛がないような感覚になるのですね。(笑)

ともあれ、タロットのスプレッドもいろいろとあり、面白いものではありますが、まだまた研究の余地はあり、観点を変えれば、少ない枚数のものも、これまでとは違った使い方もできるということです。

また、自分が使いこなせないツール、技術、方法を持っていても仕方がないので、そういう場合は、今の自分が使いこなせるもので確実に効果を出すか、もっと研鑽を積み、自分のレベルを上げて、高度なものを使いこなせるようにするか、になります。

あと、マルセイユタロットの4組の考えを入れれば、理論だけとか、気持ち(感情)だけとか、やる気だけとか、実利のためだけとかで偏って選択をしていても、やがて、その選んだやり方に飽きが来たり、つらくなったりしますので、4組のバランスも考慮するとよいでしょう。


マルセイユタロットのリーディングとは

二年前の今頃の記事に、タロットリーディングで具体的なことが言えるための工夫について、書いています。

しかし、根本的に言っておかねばならないことがあります。

一般的に、タロット占いとタロットリーディングを混同・誤解している人が多いということなのです。

占いの場合、抽象的なことでは満足しない人が大半でしょう。そもそも、悩んで占いに来ている理由には、具体的なことが聞きたい気持ちがあるわけてす。

例えば、「相手は私のことをどう思っているのか?」という質問には、私のことが好きなのかどうなのか、(恋愛対象として)何とも思っていないのか、少しでも可能性があるのか、そこのところをはっきりさせたい(つまり具体化させたい)という思いがクライアントに隠されています。

そこをぼかされると、答えになっていないと感じるでしょう。

ほかにも、「どんな仕事が向いているのか?」という質問に、「人と関わる仕事がいいみたいですね」というくらいでは、やはり、クライアントには満足できない部分が残るでしょう。

もっと具体的な職種とか業種、時にはどこのそこの会社(企業)に行けば採用されるとか、勤めるのが向いていないのなら、アクセサリー販売を起業させれるとよいですよ、そしてそのデザインは・・・みたいに、より詳しく言ってくれれば、とてもうれしく、助かる気持ちがすると思います。

そういうことを教えてくれるのが占い師の役割だと、信じている人が少なくないでしょう。

そして、その具体性が当たっているか、当たっていないかで、優秀な占い師かどうかが世間的に判定されるという習わしもあります。よい占い師と評判になれば、占い師としての営業も順調になり、経済的にも栄誉(プライド)的にも満たされます。

ですが、タロットリーディングとなると話は別です。

タロットリーディングは、当てるためにするものではなく、また、具体的なことをタロットリーダーが、タロットから読み取るために行うものでもないからです。

目的は、クライアント自らが気づいたり、納得したりしてもらうために、タロットによって導きを行うことです。

よく、「答えは質問者(クライアント)自身が知っている、質問者の中にある」と言われます。

これがタロットリーディングの基本的姿勢になります。ただし、(自分の中の何かが)知ってはいても、わかってはいない、気づいてはいない(自覚できない、自分一人では理解できない)という状態があるからこそ、悩んで、相談に向かうわけです。

いくら「答えは自分の何かにある」と言っても、一人では見つけられない、判断がつかないというのが本音ではあります。(その意味では、必ずしも「自分の何に答えがある」とは言えないのです)

人は完全性を持つがゆえに、悩みの答えも、当然完全性の中にあることになるのですが、一方で、人は完全性を自覚することができない世界(この現実のこと)にもいます。

そのために、完全性から分離された意識にあり、自分と他人という具合に、個別に分かれた意識状態にほとんどの人がいます。

それはつまり、自分だけでは解決しない状況に置かれている(という認識の世界にいる)わけです。

従って、他人からの援助やサポート、刺激、働きかけが必要となります。

マルセイユタロットの「節制」の原理みたいなものですが、ふたつの壺を混ぜ合わすことで、救い・救われる感覚や実態が出るのです。

話を戻しますが、タロットリーディングは、タロットの象徴性を読み解き、クライアントの実際の悩みや疑問と照らし合わせて、クライアント自らが答えを見つける(悩みについて納得する)ためのお手伝い、援助を行うものです。

象徴というのは、メタファー、隠喩・暗喩の形で、タロット(マルセイユタロット)から意味が出ます。それは抽象的なものだったり、誰にも当てはまるような普遍的で、集合意識の元型であったりします。

だから、具体的な答えとか形にはならないのです。

では、具体化しなくていいのかと言えば、そういうわけではありません。現実世界で生きている私たちは、時空の中で制限(の意識)があり、ある程度の具体・選別がないと、すっきりしない感覚を持ちます。ちょっと難しく言うと、肉体レベルの次元があって、その満足感・納得感が必要な場合があるということです。

そのレベル(肉体次元)までタロットの象徴性の意味を落とし込んでいくということは、言い換えれば、クライアント個人の世界に、象徴性を移動・降下させる(変換し、当てはめる)ということでもあるのです。(これは精神の錬金術と言えます)

例えば、「拡大すること」という抽象的象徴性が、あるクライアントにとっては、具体的(その人の個人的なレベルや次元においてということ)には何の意味を持つのか、それを見つけて行くという作業になります。

クラインアント個人の世界での意味になるわけですから、もし仕事で悩んでいたら、仕事における拡大とは何かを、その人の具体性(実際的なこと)に転換させることになります。

それが転職とか、支店を増やすとか、新しいこと(それもクライアントが考えている具体的なこと)をやりたいと思っていたものを実施するとか、とにかく、人それぞれの意味になります。

結局、具体的なこと(個人的な意味)は、その人個人しか知らないのです。タロットを読む側は、あくまで推測にしか過ぎないことになります。なぜなら、クライアントとタロットリーダーは他人(同じ人物てはない)だからです。

ですが、マルセイユタロットの象徴性の世界を通して、クライアントとリーダーは同じところ(世界)に存在することができます。

その世界とは、現実を超えたものでもあります。ですから、クライアントの現実の意識や認識を超えたアイデアとか、解放の手段を降ろすことも可能になるのです。

同時に、クライアントという個人の世界に、抽象的で象徴的な意味合いを、具体的な事柄・意味に変化させることが必要で、その橋渡し、架け橋をするのが、タロットリーダーの役割なのです。

このことがわかれば、タロットリーダーがむきになって当てなくてもよく、何か具体的なことを言ってあげないといけないと、あせる必要もないのです。

もちろん、タロットやタロットリーダーが万能ではありませんから(タロットリーダーも現実世界にいる分離意識を持つ人間です)、導きがうまくいかず、クライアント自身が納得する答えを探し出せないままになることもあるかもしれません。

しかし、タロットリーディングの場合は、重要なのは、答えをはっきり出すことよりも、リーディングで相互やり取りしながら、問い(質問や悩み)を改めて見つめ直す、そのプロセスにあるのです。

なぜなら、そのプロセス自体が、完全性のための交流であり、肉体(現実)レベルでは満足できないようでも、精神的・霊的レベルでは、大きな変容が起こっている可能性が高いからです。

ですから、不思議なことに、マルセイユタロットのリーディングでは、リーディング時にずばりな答えが出なかったとしても(探せなかったとしても)、その後、悩みの事態が変容し、実際的にも変化があった、悩みの質が変わってきた(気にならなくなった)、ほかの考えができるようなって、自分の成長を実感することになった、というようになることが多いのです。

占いで救われることももちろんありますし、それは自分(クライアント)の思い方、利用次第ですが、タロット占いとタロットリーディングの違いがわかっていることは、特にタロットを使う側の人にとっては大事だと思います。


マルセイユタロット講座、やってます。

最近、日本のマルセイユタロット界隈はどうなっているのかなと、ふと思って、「マルセイユタロット」とか、「マルセイユタロット講座」「マルセイユタロットリーディング」などで検索してみました。

すると、以前より、動画案内が増えたり、新しい講師陣とか、マルセイユタロットの魅力を伝えてくれて、頑張っていらっしゃる人もいたりするのですが、全体的には、なんだか、寂しいなあという感じの結果になりました。やはり、ウェイト版などと比べて、少数派というのは否めない感じはあります。

しかも、私など、まったく検索に出なくなっているのですね。(苦笑)

このブログは、まあまあ記事数も多くて、マルセイユタロットの検索では引っかかるものもあるとは思ってましたが、例えばGoogleとかでは、もう引っかからないようですね。以前、避難用に作っておいたFC2ブログのほうが、まだ検索に出る(すごいあとのほうのページですが…)くらいです。

これでは、私が何も講座とかリーディングとかしていないと思われても仕方ありません。(笑)

いや、一応、細々とですが、ちゃんとやっているんですよ。これが。

前にも書きましたが、コロナ発生以来、講座としては、オンライン講座(個人講座マンツーマン)がメインとなっています。(リーディングもオンラインでやっております)

オンラインはSkypeなどで、以前からもやっていたので(今はZoom)、オンライン切り替えはさほど難しくはなかったのですが、マルセイユタロット講座(入門講座を除く、最初の段階の基礎講座)が、すでに、かなり内容的に密なものになっておりまして、それをオンラインでやっていくとなりますと、結構、終了まで長期間になることが、2020年、やってみてわかったのですね。

私のマルセイユタロット基礎講座は、●グノーシス(神性の内在、神性・完全性への認識、向上を目指す)思想をベースとしながら、それを現代的に考え、さらに現実・精神・霊(魂)の三つの分野から、タロットを通した、その人なりの人生観を再構築していくものとなります。

言わば、マルセイユタロットを使った教育講座であり、自分と世界にある多重性を浄化・統合して、生きやすくしていく(調整し、折り合いをつけていく)、自己(世界)再認識の講座と言えます。

講座内容では、タロットのみならず、関連する様々な思想・知識(占星術・カバラー、数秘、歴史、心理、宗教、哲学等)をタロット用に整理して解説(取捨選択もできます)、マルセイユタロットがいかに象徴システムとして優れていて、活用できるものであるかを実感していただきます。もちろん、リーディングを学びたい人にも、その技術を詳しくお伝えしています。

オンライン化したことで、講座方法は対話法みたいな(時には映画やアニメの話、時事問題にふれての)形になり、それは一見、雑談のように見えても、意図して、マルセイユタロット理解や自己認識につなげるようにしています。単に一方的にタロットの講義をしても身につかないですし、面白くないからです。

講座は、いかんせん、長期にわたってしまうのですが、関連知識を省くことで、純粋にマルセイユタロットだけ学びたいという人には、期間を減らすこともできます。(基本、マンツーマンなのでご希望に応じるのも自由にできるのです、日程もその都度、決めて行くことができます)

私自身、どこにもない講座だと自負しているところもありますし、技術的にも、例えば小アルカナの使い方などにおいても、私自身が開発し、使いやすくしたものも含まれています。

しかも、これもほとんど知られていないようなのですが(苦笑)、お得なことに、終了してからもずっと質問もOKで、勉強会参加や動画視聴(基本的には無料)も可能です。(研究テーマごとの分科会もあり)

動画と言っても、短い簡単なものではなく、ほとんど1時間以上、時には2時間くらいの解説が入るものです。(あえて見やすい、短か目のものもあり)

何といいますか、決してそんなつもりはないのですが、もはや、見つけた人はラッキーみたいな、入り口が暗号化、結界化されたような(笑)、知る人ぞ知る「吊るし」や「隠者」の教室みたいになっていますが、一度門をたたいていただければ、その奥は長く、広いところにつながっているのです。

私もマルセイユタロットに関わって20年になりますし、講義歴も15年くらい経ちます。いつのまにか、マルセイユタロットのベテラン講師になっています。

本格的にマルセイユタロットを学習されたい方は、どうぞ、発見しにくい(笑)扉を見つけて、合図(ご連絡)いただければと思います。

まあ、あなたが見つけるというより、マルセイユタロット(にある、あなた自身が欲する何か)があなたを誘うのだとも言え、すべては縁と言えなくもないです。

この記事を見たのも、たまたまかもしれませんが、やはり偶然ではなく、きっとどこかで、求め・求められている部分がシンクロしているのでしょう。

ひっそりとですが、お待ちしております。


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