ブログ

タロットの話がしたい人、お気軽にご連絡を。

私はブログ(アメブロ)を始めてまだ半年も経っていませんが、すでに何人もの新しい人と知り合うことができました。


と言っても、実際にお会いした人は少ないのですが、それでもブログをしていなかったら知ることができたかどうかわからないと思える人が多い気がします。


それはクライアントさんや講座の受講生という方もありましたが、逆に私がクライアントであったり、そうした形ではなく、単に人間同士での交流であったりすることもあります。


公務員を辞めてタロットを始めた時もそうでした。タロットをすることで、これまでの世界とはまったく異なる方々(思想や感じ方も含めて)とおつきあいすることができ、たくさん刺激を受けるとともに、自分自身のそれまでの枠組もはずれて、本当に大きな変化がありました。


これまではどちらかといえばひっそりと(笑)活動していましたので、ほとんど関西の一部以外では私を知る人もいませんでたしが、ここに来ていろいろとリーディングイベントなどを行ってきたことで、少しずつ皆さんとお知り合いになれる機会も増えてきたように感じております。


体験会書面対面リーディング神戸企画 などもお陰様でほぼ定員を迎えることができました。

※(「書面対面リーディング神戸企画」は一時定員になりましたが、一名通常リーディングへのご変更があったため、まだ空きがひとつあります。3000円で長時間リーディングを受けるチャンスです)


ところで、こういった営業的なことを抜きにして、純粋にタロット(カモワン版マルセイユタロット)のことで話をしてみたいという方、いらっしゃいませんか? 


人間同士のおきつあいという感じの、交流としての形ですね。一応、私はカモワン版マルセイユタロットのプロとして、日本でもいろいろな事情も含めて、まあ詳しい方だと思いますし、それについてのお話はいくらでもあります。


私自身もいろいろな方ともっとお話がしてみたいと思っています。(キマジメそうには見えますが、関西人なのでもともと話好きでジョークも好きなところもあります。これは個人講義を受けられた方はわかるでしょうね(^_^;))


というわけで、お話をしてみたいという方はご遠慮なく、お問い合せ かプチメールなどでご連絡ください。


私の時間の都合がつく限り、お会いしてタロットに関すること、その他もろもろのことなどお話させて(あるいはこちらからお聴きしたりさせて)いただきたいと思います。


これは本当にセールスや営業のこととは無関係ですからご安心ください。純粋に交流とお話をしてみたいだけなのです。実は私はいきなりの多人数での中に入るのが苦手なところがありますので、こういうことを書いてみました。少人数ならお互いにゆっくりと話し合えるからですね。


創造」ということは、ふたつの考えのやりとりや交流によって生み出されるものです。自分との対話(内面を見つめる)だけではなく、他人との会話も活用してみませんか。


ブログをご覧いただけている方と、いつかお会いできることを楽しみにしております。


さらに夫婦・パートナー問題 精神と現実から

昨日 とはまた違った切り口で夫婦・パートナー問題についてとりあげます。


私はタロットをしているので、やはり精神世界に興味のある人たちと交流があったり、ご相談を受けたりします。


そうした時、夫婦の間でどちらかが現実的で、もう一人が反対の精神的傾向にあって、その興味と方向性の違いから両者の関係もぎくしゃくしてしまっているというパターンが見受けられます。


典型的なものとしては、これまではさほど二人の間に問題はなかったのに、どちちか一方が精神世界に目覚めた(興味をもつようになった)ことで、相手が「変な宗教にかかぶれているのではないか」「だまされてお金をとられているのではないか」というよう目で見てしまい、疑いが疑いを読んで関係もおかしくなってしまうというものですね。


特に奥さんが精神志向、ご主人が現実傾向という話は女性・男性の特質ともあいまって、よく聞かれる話です。


社会と関わることで自分の役割と貢献度を確認し、そのために常識・現実・理論・プライドを重んずる男性と、型にこだわらず結果に至る道がいいものだと感じたら自由に受け入れ、多くの人とお話をして交流を持つ特質のある女性との違いといえましょうか。(これは実際の性別というより、性で象徴される性質という面が強いです。ですから男性でも女性的な人、女性でも男性的なタイプはあります)


一見これは、現実(物質)主義と理想(精神)主義がぶつかりあっているように見えますが、よく考えると物の見方、とらえ方の違いが以前より両者の間で大きくなってきたともいえます。


たとえば、精神を重んずるようでいて、その内側には結果(この世で私自身が楽しく楽に生きたい)という現実的な思いが隠されていることもありますし、現実主義のようでいて、本人の理想が誰からも理解できないほど崇高、あるいは本人の狭い世界観によって裏打ちされているため、現実に偏るということもあるのです。(理想を表現するには、「こうでなければならない」と目や形でわかる枠をはめるということ)


いずれにしても、どちらかの視点が極端に今までとは別の方向にシフトしてきたために起こっている事態といえます。


しかしながら、一部では実際に精神レベル・次元・自己成長の違いによって引き起こされるケースもあるだろうと考えられます。この場合は、いわば本当に住む世界が違う(ように感じられる)ので、お互いにとって苦痛となってくるでしょう。


ここでタロットカード「運命の輪」を考えみるとよいです。


輪の中には「精神の高みに登ろうとする一方の動物」と「現実を重視するもう片方の動物」の絵柄があります。どちらかが強引に行きたい方向に進もうとすると、輪は膠着して動きません(運命が回転しない)。


また一方の力がとても強く働く場合は、それに振り回されて輪は急速回転しますが、輪はいつまでも同じところを回り続け、時には動物の立場が逆転したり元に戻ったりして落ち着きがありません(幸運・不運がひっきりなしに感じられる)。


やはり、この場合は自分がどちらかであっても、それを自覚する「輪から抜け出している動物」の視点が必要だということです。どちらかがよくて、どちらかが悪いと考えるのではなく、どちらもよかれと思って行動しているということであり、結局バランスの問題です。


特に精神世界に関心が行くようになると、自分が優れた人物のように感じて(意識が進んだと錯覚して)相手を劣ったほうに見てしまう傲慢さに行き着くおそれもあります。


また精神世界の向上を目指すがために、象徴的には魂が火で熱せられる(あるいは水によって撹拌される)ことで、不純物と純粋なものにわけていく作用が働き、自分が見たくなかった問題、隠れていた問題が表面化してきます。(だから現実への対処、コントロールする課題にも、より向き合わされることにもなるのです)


つまり今起こっている夫婦・パートナーとの問題も、もともと隠れていた可能性が高いのです。これは「課題」ですから逃げずに正面から取り組む必要があります。


安易な間違ったソウルメイト(白馬の王子様、理想の女神様)信仰で、「私にはどこかに自分を理解してくれているパートナーが待っている」と思ってはいけません。(ソウルメイトに出会うためのエポック的な場合のこともあるにはあります)


相手と離れてもよいというような時は、タロットでいえば「神の家」の段階だと思います。つまり、ある程度の努力と完成(ブロック積みで象徴される関係を築き上げていく過程)がなされてはじめて、「神の光」が入り、二人はさらなる高みに行くか、両者の自覚による歩む道の明確な違いによって卒業的に別離を選択するかということになるでしょう。


もちろん人間関係は複雑ですから、必ずしもこのような考え方に収まらないものです。しかしながら、何事も目をそむけることなく、バランスを図り、事態と向き合うことで本当の活路は開かれていくと私は感じています。


これは相手と争うことを言っているのではなく、自分がただ逃げているだけかどうかを確認してほしいということなのです。


夫婦問題

タロットをしていますと、自分の考えとは別な方向を示すことがあります。


たとえば夫婦・パートナーシップの問題で相談者の話をうかがっていると、「とてもこれは関係を続けていくことは難しいだろう、別れるということもありかも・・・」と感じていたのに、タロット展開すると「関係修復を目指すほうがよい」と読めるばかりか、時には「その関係が相談者の真の向上につながる」とわかることもあります。


もちろんその反対もあります。だからやはり、相談者の話をよく聞いたうえでタロットを展開してみないことには、本当の解決方向はわからないと私は思っています。


そして、これはカモワン流の特徴かもしれませんが、展開自体がストーリーのように出ますので、それをタロットリーダーが解説しているうちに、相談者自らが最初の思惑(タロット展開する前の表面的な気持ち)とは違った結論を導き出すこともあります。


結局これは、人間の中には起こっている問題に対しての本当の意味と対処方法を知っているものがあり、それを自分自身で気がつくようにするための仕組みがタロットにはあるのだと感じられます。


さて、人間関係、特に結婚している夫婦・パートナー同士が関係を続けていくかどうかを判断することは、なかなか現実的には難しいところがあります。


まず離婚ということが本人が考えているようにそう簡単なものではないということと、もしお子さんがいらっしゃったら、親権・今後の養育の問題はじめ、いろいろと決めていかなければならないこともあり、子供の情緒や心理的なことも配慮しなければならないこともあってかなり大変だということです。


そしてやはり一番の考慮すべき問題は経済的なことになるかもしれません。特に主婦である方が離婚にふみきれない要因も、自立できない経済力にあることが多いからです。


そういうこともあって、個人的には、相談者にはできるだけ関係を修復してもらい、夫婦の気持ちを戻していけるようになっていただければとも願っているのですが、そうはいっても、やはり関係を継続していくことはこれ以上望ましくないという例もあります。


DVを受けているなど極端な場合は言うに及びませんが、そうでなくても、何より、本人が本人としての人生を歩めず、ただパートナーなど誰か別の人のためだけに生きているかのような状態が続いている人は、離婚も選択肢のひとつだと考えられます。


経済的なことも、実はその牢獄のような人生から解放されることで、生きる力と勇気を取り戻したことによってすべてが積極的・行動的になり、就職にも前向きになることで自然に解決していることもあります。


ほかにも行政、NPO等からの支援、相談によって自立に向けた道も様々にあります。そうなると、本人が本気で別れることができるかという決意・気持ち大事だということにもなります。


いずれにしても、一人で悩んでいるとわかるものもわかりにくくなってきますので、友人以外の客観的な目でみてもらえる誰かに相談してみることは有意義だと思います。


気持ちや行動をずっと押し殺したままで、一人悶々と悩み続けることが一番よくありません。あなたが思っていること以外の道や方法もあるかもしれないのです。


今更ながら継続は力なり、タロット編

私はいわばタロットバカ(笑)みたいなところがあります。また、タロットの中でもマルセイユ版(特にカモワン版マルセイユタロット)にこだわり続けています。


人からは「ほかのタロットや技法をしないのですか?」と問われるのですが、いまだに一途にこればかりです。(^_^;)


ただおかげさまで、ひとつにこだわって継続しているおかげで、このタロットからのメッセージを受け取りやすくなりましたし、ほかのものへの応用も利くようになりました。


ちょうど、このタロットの並びでいえば、「斎王」「隠者」とたどって、ある日「神の家」のように爆発したようなものです。(本当の意味での爆発はまだまだですが) 専門も行き着けば普遍にたどり着くというような印象です。


私はあまり器用ではないので、どちらかといえばひとつのことに専門的に打ち込むほうが好きです。(ただ好奇心はたくさんあります) また前にも言いましたが、決して特殊能力があったり、天才タイプであったりするということはないので、ただコツコツとやっていくしか能のないところがありました。


でも私も人間です。何でもかでも地道に継続できるタチではありません。あきっぽいところもあります。楽したいと思う輩です。(苦笑)


そんな私が、なぜずっとタロットを続けてこられているのでしょうか?


一言で言えば、タロット(カモワン版マルセイユタロット)が大好きだからです。


仕事にするとか、有効に使うとか、そういうことは二の次でした。また、やり続けていくことで、確実に自分の変化と効果を実感できたからです。言い方を換えれば、タロットへの絶対的な信頼です。(ただし盲信ではありません)


タロット仲間や私のタロットの受講生の方でも、このタロットが好きな方はやはり長続きしていますし、自分でも気がつかないうちに、直観力が増したり、物事の整理がつきやすくなっていたりと、いい意味で以前とは異なる自分を感じています。


このタロットは使っているだけで、ある意識を目覚めさせる作用があります。最初はなかなかそのことがわかりにくいのですが、ある日、自分の中の眠っていた部分が覚醒しはじめていることに気がつくようになります。


対外的には自分の問題として表面化することがあるのですが、それも自分が抑圧していたヘドロのようなもので、その浚渫と浄化をタロットとともに行うようにもなります。


つまり、タロットを使うことは日常的に錬金術(形を変えていくプロセスという、心の意味での錬金術)を行っているに等しいといえるかもしれません。


それでも、続けられるかどうかは、タロットへの愛し方によりますし、価値を知ることの努力(感性だけではなく、知識面も含む)を継続していくことができるかにもよるでしょう。


それでも普通の人である(と自覚している)あなたこそが、タロットを続けることによって、特別へと変化していことも可能であり、そういった人たち(意識と魂の向上を目指す人)の目覚めに使われていた道具だとも考えられるのです。


小アルカナの数カード

マルセイユ版のタロットでは、小アルカナの数カードは記号のような絵柄がほとんどであり、ほかのウェイト版などのタロットに比べ、リーディングしにくいという話をよく聞きます。


それは確かにそうだと思います。記号(状の絵)から何かをイメージするには、普通はなかなかできないものです。


ということは逆に考えると、「小アルカナ(数カード)に描かれているものから直接イメージするのではない」ということにもなります。


ではどのようにリーディングするのかといえば、方法は複数あるのですが、やはり王道としては「数」の表す象徴を基本として読み解いていくということになるでしょう。


つまり、絵柄よりも数が「主」であるということです。この場合(小アルカナの数カード)の絵柄は、極論すれば「四大元素」を区分するものでしかないといえます。(ただ、小アルカナの数カードといえど、大アルカナ的に絵柄からイメージして読む方法もあります)


従って「数」そのもの性質を把握していくことが、数カード理解の早道となります。


しかし今の私たちは「」と言っても、どちらかといえば「数字」としてとらえていることが多いのです。


数(かず)と数字(すうじ)では何が違うのでしょうか。


「数」は、数そのものの持つ性質・特徴・意味がイメージされるのに対し、「数字」といえばただ数がプラスかマイナス方向で直線的に並んだ無機質なものという印象になってきます。


たとえば、「1」と「2」の違いは、「数字」的にいえば「1」に同じ数量の「1」が加わって「2」になっただけというしかありませんが、「数」として見ると、「1」と「2」にはまるで男と女というような、二つの性格の違いとして感じられてくるのです。つまり、量ではなく質の違いなのです。


今の私たちでも「1」という数を見れば、何か新しさや始まりというイメージは持つと思います。それが古代ではもっと明確に、数が森羅万象の様態を表す象徴ととらえていたのです。


古代の人は、「1」であることと「2」であることには天地ほどの違いを実感として見ていたでしょう。


ただし、そうかと言って現代人のようにそれぞれの数が異なるものだという認識ではなく、ひとつひとつの性質は異なるものの、同じひとつの根源から現れた、単なる表現方法の違いであるというようにも考えていたのです。


このあたりを理解して、小アルカナの数カードをリーディングしていくとよいでしょう。


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