さらに夫婦・パートナー問題 精神と現実から
昨日 とはまた違った切り口で夫婦・パートナー問題についてとりあげます。
私はタロットをしているので、やはり精神世界に興味のある人たちと交流があったり、ご相談を受けたりします。
そうした時、夫婦の間でどちらかが現実的で、もう一人が反対の精神的傾向にあって、その興味と方向性の違いから両者の関係もぎくしゃくしてしまっているというパターンが見受けられます。
典型的なものとしては、これまではさほど二人の間に問題はなかったのに、どちちか一方が精神世界に目覚めた(興味をもつようになった)ことで、相手が「変な宗教にかかぶれているのではないか」「だまされてお金をとられているのではないか」というよう目で見てしまい、疑いが疑いを読んで関係もおかしくなってしまうというものですね。
特に奥さんが精神志向、ご主人が現実傾向という話は女性・男性の特質ともあいまって、よく聞かれる話です。
社会と関わることで自分の役割と貢献度を確認し、そのために常識・現実・理論・プライドを重んずる男性と、型にこだわらず結果に至る道がいいものだと感じたら自由に受け入れ、多くの人とお話をして交流を持つ特質のある女性との違いといえましょうか。(これは実際の性別というより、性で象徴される性質という面が強いです。ですから男性でも女性的な人、女性でも男性的なタイプはあります)
一見これは、現実(物質)主義と理想(精神)主義がぶつかりあっているように見えますが、よく考えると物の見方、とらえ方の違いが以前より両者の間で大きくなってきたともいえます。
たとえば、精神を重んずるようでいて、その内側には結果(この世で私自身が楽しく楽に生きたい)という現実的な思いが隠されていることもありますし、現実主義のようでいて、本人の理想が誰からも理解できないほど崇高、あるいは本人の狭い世界観によって裏打ちされているため、現実に偏るということもあるのです。(理想を表現するには、「こうでなければならない」と目や形でわかる枠をはめるということ)
いずれにしても、どちらかの視点が極端に今までとは別の方向にシフトしてきたために起こっている事態といえます。
しかしながら、一部では実際に精神レベル・次元・自己成長の違いによって引き起こされるケースもあるだろうと考えられます。この場合は、いわば本当に住む世界が違う(ように感じられる)ので、お互いにとって苦痛となってくるでしょう。
ここでタロットカード「運命の輪」を考えみるとよいです。
輪の中には「精神の高みに登ろうとする一方の動物」と「現実を重視するもう片方の動物」の絵柄があります。どちらかが強引に行きたい方向に進もうとすると、輪は膠着して動きません(運命が回転しない)。
また一方の力がとても強く働く場合は、それに振り回されて輪は急速回転しますが、輪はいつまでも同じところを回り続け、時には動物の立場が逆転したり元に戻ったりして落ち着きがありません(幸運・不運がひっきりなしに感じられる)。
やはり、この場合は自分がどちらかであっても、それを自覚する「輪から抜け出している動物」の視点が必要だということです。どちらかがよくて、どちらかが悪いと考えるのではなく、どちらもよかれと思って行動しているということであり、結局バランスの問題です。
特に精神世界に関心が行くようになると、自分が優れた人物のように感じて(意識が進んだと錯覚して)相手を劣ったほうに見てしまう傲慢さに行き着くおそれもあります。
また精神世界の向上を目指すがために、象徴的には魂が火で熱せられる(あるいは水によって撹拌される)ことで、不純物と純粋なものにわけていく作用が働き、自分が見たくなかった問題、隠れていた問題が表面化してきます。(だから現実への対処、コントロールする課題にも、より向き合わされることにもなるのです)
つまり今起こっている夫婦・パートナーとの問題も、もともと隠れていた可能性が高いのです。これは「課題」ですから逃げずに正面から取り組む必要があります。
安易な間違ったソウルメイト(白馬の王子様、理想の女神様)信仰で、「私にはどこかに自分を理解してくれているパートナーが待っている」と思ってはいけません。(ソウルメイトに出会うためのエポック的な場合のこともあるにはあります)
相手と離れてもよいというような時は、タロットでいえば「神の家」の段階だと思います。つまり、ある程度の努力と完成(ブロック積みで象徴される関係を築き上げていく過程)がなされてはじめて、「神の光」が入り、二人はさらなる高みに行くか、両者の自覚による歩む道の明確な違いによって卒業的に別離を選択するかということになるでしょう。
もちろん人間関係は複雑ですから、必ずしもこのような考え方に収まらないものです。しかしながら、何事も目をそむけることなく、バランスを図り、事態と向き合うことで本当の活路は開かれていくと私は感じています。
これは相手と争うことを言っているのではなく、自分がただ逃げているだけかどうかを確認してほしいということなのです。
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