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災害や事件の意味を考える

日本には元号があり、今年は新しい「令和」になったばかりです。

このブログの読者層は、書いている私自身が昭和生まれなところもあり、昭和生まれの人が多いと予想しますが(苦笑)、平成の方もいらっしゃるかと思います。

いずれにしても、令和とは違う時代に今まで生きてきたわけで、その時代の流れや空気というものは感じて来たことでしょう。

そして、タロットなどに関係する人は、ただ普通に思う(見えるものの)時代の雰囲気だけではなく、背景に、霊的ともいえる、見えない領域における時代の空気、変化があることを実感したり、想像したりする人も少なくありません。

このブログでも、令和になってから何度かふれているように、日本の元号の分け方で見れば、やはりその元号の時代独特の意味合いが、物・心(霊)両面とともにあり、昭和・平成、そして令和へと変化してきているのを感じます。

ところで、先日、台風19号を東日本を中心に大きな被害を出して駆け抜けて行きました。発生当初からその巨大さゆえに不安視され、非常な危機感をもって伝えられていたところですが、東京あたりは想定されているほどでもなかったかもしれませんが、やはり、各地で堤防決壊による洪水など、多大な被害をもたらしました。

昨年は、中国地方を中心に降り続いた西日本豪雨、関西で立て続けに襲来した台風など、西日本でもかなり被害が出ましたし、毎年のように、九州地方の災害も起こっており、今年も佐賀などで大きな被害があり、関東でも、先の台風15号によって、特に千葉には甚大な被害が出ました。

思えば、平成から巨大な地震が各地を襲い、天変地異、災害が頻繁かつ、強力になってきたと言えます。

そして、こうした自然災害だけではなく、凶悪な殺人事件や、常識で考えられない事件なども起き、国民の生活として、精神的にも経済的にも余裕がなくなってきている気がします。

テクノロジーと情報通信機能は進化したものの、皆、将来が安心できるような暮らしができなくなってきて、不安に思う人が潜在的にも増大しているように思います。

スピリチュアルな世界では、現実に起こることは、人々の深層的な意識、心の様相、霊的なレベルと結びついていると言われ、この考えから行くと、環境・状況が悪いから私たちが不安になるのではなく、私たちの心が逆に環境に投影されている(引き起こす)と言うことになります。

それは、今の私たち(の意識)だけではなく、過去からずっと積もり積もった歪みのようなものが、ついには臨界点を迎えて、爆発するようなことになっているのかもしれません。

地震発生のメカニズムは、一応、プレートテクトニクス説で、プレートの沈み込みによって起こると言われ、これも言ってみれば、プレートの歪みによるものです。つまりは、やはり歪みとか衝突が物理的にもあるわけです。

これを象徴的に、心の状態だとすると、鬱積したネガティブな何かとか、葛藤したり、対立したりする心と言えなくもありません。

地球がガイア生命体のようなものだと仮定すれば、地球の生命体としての自浄作用、修正運動のようなものが、特に今になって大きく働く時代になった可能性があります。

これは蓄積による歪みを治そうというもので、治療と言えば治療のような意味になるのでしょうが、もうひとつ、別の考えもできます。

それは、新しい生命体に変化するために、体(精神)を作り変えているということです。地球と人は、実は霊的には一心同体のものと見ますと、私たち自体も、何か新しい人間に変容するために、地球とともに生まれ変わろうとしているのかもしれません。

大きな変容と言えば、マルセイユタロットでは「13」または、「神の家」のカードが思い浮かびます。

大きく変わると書いて「大変」という文字になります。そう、変化・変容には、それが大きなものであるほど大変であり、変わる当事者からすれば、破壊(が来ている、壊されている)と感じるようなことも起きるわけです。

一方、変わるべき存在が、あまりにも頑固で強固、古いものにとらわれ過ぎている時は、その分、変化する力も激しいものになると想像されます。

イソップ物語の「北風と太陽」の話ではありませんが、意固地になればなるほど、余計な力を入れなくてはならなくなります。それがまた自分を苦しめることになります。

私たちが古いものを手放し、新しい価値観へと変貌を遂げる時代(そのプロセスの初めの時代)として、令和になっているのだと思います。

それから、これだけ、巨大な災害が起きるというのも、人々の意識と考えが、個人単位では太刀打ちできないということを思い知らせされている気がします。言ってみれば身勝手な、自我欲求としてのエゴの世界からの脱却の要請です。

今の災害レベルは、個人はもちろん、地方自体単位のレベルでさえも、その被害の対応、処理になすすべがないほどです。かといって、国に全部お任せ、国が何とかしろ、と言っていても始まらないのです。

阪神大震災から東北大震災を経験して、私たち日本人は、ボランティア精神や助け合いの行動、義援金などで、相互に思いやる気持ちと、民間レベルでも行動していく機運が高まりました。

災害は受けた者には悲惨で、時には絶望にもかられる苦しいものですが、一方で、私たち全体としての意識に変化を生み出します。

もはや、個人がどうのとか言っている場合ではなく、明日は我が身と思い、全体で支え合う仕組みを考え、国や政府を動かしていく必要があると思います。まずは私たちの意識を、見えるものだけではなく、精神の面で変えていくことも求められます。

さきほど、タロットで「13」と「神の家」を出しましが、「13」の次は、14の「節制」に続き、16「神の家」は、17「星」へと進みます。

「節制」はまさに、助け合い、相互扶助的な象徴カードであり、救済を意味する天使が描かれています。

そして「星」には女神がおり、穏やかに、すべてのものに惜しみなく愛やエネルギーを捧げています。ここには調和が描かれています。「節制」も「星」も、ふたつの壺と水があるのが象徴的です。

個人主義に走り、一部の勝者と大量の敗者のようなピラミッド社会を、特に経済的な構造として続けていく限り、人々の精神・心も同じ構造を取り、自分さえよければいい、自分が勝者や生き残りになればいいという思考になりがちです。

自己責任という言葉がよく言われます。確かに、幼い精神で、うかつな行動を起こすものは自業自得で「自己責任」であると言えますが、最近の風潮は、自己責任によって、まさに自分の責任(全体としての責任)逃れをし、あらゆるものから関わり合いたくないという心を助長しているようにも思います。

それはでも、人々の心が病んでしまっている(それもありますが)というより、そのようにさせている(させてきた)社会の問題・構造も大きいと思います。(他人のことなど考えられない、余裕のない世界にされてきたと言いますか)

人の価値を、ただ能力のあるなし、経済の多寡、情報通かどうかなど、特に量(計る幅ともいえます)的に見ていては、この傾向にますます拍車がかかると思います。

確かに、今の実状は、自分の生活だけで精一杯の人が多く、他人に構っていられないと思います。

ですが、ふと立ち止まり、なぜ、そうした気持ちにさせられているのかという「構造」に少し思いを馳せ、小さなことからでも、他者、国、地球など「全体」というものの視点で見る心を思い出すことが重要かと感じます。

人々の小さな行動と気づきも、それが多くの人で集合して行けば、巨大なものとなって、変革の力に変わります。

仕方ないとか、今までの常識とか、一人ではどうにもならないとか、それこそがある意味、洗脳でもあるのです。

現実を変えるには、自己の中で創造することが大事です。アイデアを、今の状態ではない新しいものとして考え、イメージを創り出すのです。妄想に逃げるのではなく、地上に生きながら、地上ではないところからのアイデアを持ってくるわけです。

これは、マルセイユタロットでいうところの、「女帝」と「皇帝」の関係にもなるのです。

大きな災害は、逆に見ると、それだけの規模や危機感を持たないと、人々の意識が全体性・集合性の方向に向かない状態であるからだと言えます。これ以上、犠牲者(明日は自分になるおそれもあります)を増やさないようにするためには、私たち自身にかかっているわけです。

また、デマに流されたり、誰か救世主を待つ、先の時代を待つなどという姿勢になったりせず、自らが成長し、自己を確立していくことも重要です。

愛や平和を叫ぶだけでは(そう思う気持ちは非常に大切ですが)、あまり変化はないと言えます。

個としての確立を目指し、そのうえで全体レベルに統合していくことで、自他ともに救済できる力が発揮されると考えます。(単純に言えば、自分を救うには、他人も救う協力体制があれば、どちらも救われるということ、それは実は自己や他人が、ともに同じレベルに成熟しないと持ちにくく、少なくとも、自分が未熟でエゴ的な状態、依存的な状態であると出にくい発想なのです、もう「成功」という概念自体を変える時代に来ていると言えます)

地球や世界は、すでに変わろうとしてはいますが、そのスイッチを本当に押し、稼働させるには、あなた自身の思いが必要なのです。


特別な人との関係の理由 その2

前回の続きです。

前の記事では、人間関係や恋愛などにおいて、特別となる人との関係性について、こうしたものは縁のものとは言え、自分の納得する理由が欲しくなり、その理由を探したくなることをお話しました。

そして、見方として、心理的なものと、霊的なものがあるとご紹介したところで、「つづく」となったわけです。(笑)

では、早速お話していきます。

特別な人となってしまう人との関係の理由についてですが、これははっきり自覚できるものがあれば、別に理由を求める必要性はありません。逆に言えば、自分でもなぜこんなにまでなってしまうのか、気にしてしまうのかと、よく理由がわからないこそ、それを知りたいと思うわけです。

それは、言わば、見えない理由のようなものです。

そのように考えると、たいてい、見えない世界というのは、心理的なもの(サイキック分野含む)か、霊的なものとなります。

ですから、特別な人との関係性のわかりづらい理由は、見えない世界にあると考えてもいいわけです。ここに、タロットの世界、スピリチュアルなものと関連してくるのです。

まず、心理的なものですが、これは、範囲を限れば、自分の生育歴におけるものからの理由が大半と思えます。

心理分野は確かに見えない世界のことではありますが、心理学がメジャーとなった今、案外と常識的・現実的な考えでもあります。

つまり、自分のこれまでの生きた歴史の中に、その相手と特別になってしまう何がが働くようになっていたというものです。

よくあるパターンとしては、幼少期の両親、あるいは家族との関係から来るもの(理由)です。

父や母との関係、兄弟姉妹との関係など、家族の中で、自分がどのような位置を占め、育てられてきたか(愛情のかけられ方)によって、大人になっても人間関係(それ以外でも)に影響を及ぼしているケースです。

問題となっていた(当時は問題とは意識しておらず、自然や当然の行為と思っていた場合もあります)家族との関係性を再現させて、自己を守ったり、浄化を図ったりすることもあれば、刻み込まれた自覚のないパターンとして、他人を家族の代替のようにして、関係性を繰り返します。

あなたが特別だと思っている人、どうしても気になってしまう人の中には、こうした自分の家族との関係が隠されていることがよくあるのです。

こう説明すると、自分でもわかりそうなものですが、意外に自分にはわからないもので、しかし、他人が見ると、結構ははっきりします。

ましてや心理カウンセラーやセラピストなどのプロの人にとっては、明確にわかるでしょうから、どうにもある人との関係が拭い去れない、忘れられない、同じような人や人間関係を繰り返して困っているという人は、そのような人に相談するとよいでしょう。

次に霊的な分野での理由です。

こちらは、心理的なものよりもわかりづらいですし、心理的なもの(トランスバーソナルな心理分野は別として)より範囲が広くなり、例えば、時間的なもので言えば、自分だけの人生(今生)だけではなく、過去や未来の生も入ると考える場合もあります。

あと、時系列(時間の流れとしての方向)だけではなく、縦階層の理由も、霊的になってくると現れます。

縦階層とは、次元やレベルのような考えで、私たちの一般的な中心観点は、今は三次元的物質次元にありますが、もっと高次(逆に低次)の、別の次元階層もあると想定して、それらの意識(データ・情報)からの理由が、人との関係性においてあると見ます。

カルマ的な概念は、時間的流れと縦階層のものとの両方があると見てよいかもしれません。

物語風に言えば、過去(生)で関わった特別な人なので、やはり今生でもそうなるとか、未来に何らかの関係や理由が作られるために、今会っている(気になっている)とか、自分と宇宙の進化のために、その人を意識するようなことが組み込まれている、イベントとして(自分)が選んでいる・・・そのような感じです。

簡単に言えば、魂のデータがそれを企画し、実行しているみたいなことでしょうか。

ですから、今の自分の普通の記憶とか、常識、推測を超えたところにあるので、理由がわからないわけです。しかし、そうした領域から見れば、理由はあると考えられものです。

ですが、問題なのは、その理由がはっきり最後までは(今生の自覚意識の人生では)、気づかないまま終わることもあるわけです。

むしろ、理由がわからないままに、あえて自らの魂がしている可能性さえあります。それは隠されたほうがよいという理由が、やはりあるからだと思われ、もしかすると、自分の(霊的な)成長にならないのかもしれません。

しかし、ここが重要ですが、それは今の時点のあなたの意識と行動における状況であり、もし何かのことで、あなたの意識が向上し、いわば、霊的な発展を遂げていくことができれば、生きているうちに、わからなかった、特別な関係性の人との理由が判明するかもしれません。

マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」を超えて、同じ10という数の二倍の数20を持つ「審判」に至った時と言えましょうか。(気づきのスピードも、覚醒すれば早くなります)

そして、タロットリーディングをしていて思うのは、理由を求めすぎてもいけないということです。

先述したように、変な言い方になりますが、現在の自分の状態では理由がわからないから、やはり、わからないのです。

いくら調べよう、知ろうとしても、自分の意識のレベルが本当の理由を明かす(理解する)レベルに至っていないので、徒労に終わることも多いのです。

ですが、自分が変われば、気づきは自然にやってきます。それも思いもかけない時に。

例えば、新たな出会いがあった時に、以前、悩んでいた人との関係の理由がはっきりしたというケースもありますし、こだわっていた人の思いが、いつの間にか薄れ始めたことに気づいた時、突如。目覚めのように、感謝のような理由(ギフト的な感じ)に思い至ることもあります。

ですから、大切なのは、自分のレベルを上げる、特に霊的な向上であり、それは「上げる」というような表現より、統合とか融和とか、そのままの中で意識が変わっているような感覚です。見方の変化、こだわりの消失、受け入れる幅の増大というのに近いでしょう。

もちろん、これには自分の浄化として、まずは傷がついている場合、癒しが必要になります。過去生まで癒しを求めるのであれば、そうした療法を受け入れてみるのもありかもしれません。(事実か否かより、自己のセラピーとして大切と考える)

未来に進むのには、過去に戻ったり、今の足踏みの状態をあえて続ける(深い落とし込みのために、続かざるを得ない期間がある、マルセイユタロットで言うと「吊るし」の期間)こともあります。救いを求めてさまようような場合もあるかもしれません。

ただ闇雲にあせったり、理由を今の時点ではっきりさせたいと強く思い過ぎたりすると、「運命の輪」はますますループしてしまい、その輪から抜け出ることができなくなります。

人は思考と感情での両方の納得を必要とします。思考・頭だけでは腑に落ちず、また、感情が納得しても、その経験を俯瞰したり、普遍化したりすることが難しいです。(これは自己の経験を、ほかの人の役に立たせることでもあります)

混乱している人は、その人との関係の理由をつきとめようとせず、理由が知りたい(知りたがっている)自分というものを受け入れ(認め赦し)、つらいですが、「今の自分のレベルではわからないようになっている」のだと思うことも、逆に救いになります。

人に相談することによって、理由の一端が示されることもありますが、それもひとつの仮説であり、正しいとは限りません。そもそも正しい答えというのはないと言ってもいいでしょう。

ですから、自分が、最終的に「ああ、そういうことだったのか!」と気づくもの、そのストーリーで正解なのだと思います。(細部は異なっていても、象徴的な意味では合っていること)

理由がわからない時は、情報の断片を拾い集め、そうしているうちに、自分の目覚めや向上が起き、自分が納得する理由を、自分の内から見つけることができるでしょう。

たとえ見つけられなかったとしても、自分の人生で必要だった人、会うべき人、思いや気持ちを入れてしまうような、自分の人生を彩る人だったということが、ネガティブな意味ではなく、振り返ることができるようになると思います。

あなたの人生劇場が輝くよう、祈っています。


特別な人との関係の理由 その1

人間の悩みは、マルセイユタロットの小アルカナのパートに実は象徴されています。

小アルカナに貫かれている基本構成・コンセプトとも言えるものに、4組というのがあります。これは、トランプでいうところの、スペード、ハート、クラブ、ダイヤにも象徴されるものです。

この四つの組で表されるものが、人間の悩みがちなこと、問題として考えられるのです。

今は四つのそれぞれを、どれがどれとは言いませんが(今日の本題でもないので)、例えば、お金や経済の問題、生き甲斐の問題、人間関係・恋愛の問題など、人の悩みごとではよくあるテーマ、4組の象徴として見ることができるというわけです。

これは、小アルカナで表される次元が、私たちの生身の生活次元、現実のフィールドを象徴しているからで、むしろ当たり前なのです。

また、発想としては逆になり、人間の悩みがタロットで象徴されるのではなく、タロットで表現される構造が、人間の仕組みにもあるからと言ったほうがいいかもしれません。このあたりはとても面白い話になるのですが、これも本日の本題ではないので、またの機会、あるいはタロット講座でお話したいと思います。

それで、今日の話は、この、人間の悩みでよくある種類のものの中のひとつ、人間関係・恋愛関係のことになります。端的に恋愛に絞ってもよいかもしれません。

まあ、言ってしまえば、「特に濃密になる人との関係」ということです。そういうのは恋愛での関係が多いので、恋愛に絞ってもいいかもしれないと言ったまでです。

ところで、マルセイユタロットの「恋人」カードの絵に、矢を持ったキューピッドが描かれているように、恋愛相手とか、自分にとって特別になる人というのは、人間が意識して関係できるものではありません。(中には、意識して関係をつけていく人もいるでしょうが)

気がつけば、いつの間にか、自分の心を占めていたとか、好きになっていたとか(相手から告白されたり、相手の行動によって意識するようになったりすることもあります)、そんな感じですよね。(ほかに、一目ぼれというのもあるかもしれませんが、これは「恋人」というより、「神の家」のような出来事で、これも意識して自分が惚れるというのではなく、突然惚れたみたいなことですよね)

ただ何もせず、妄想ばかりを巡らしていても、実際に、人と交流することはできません。

今はネット時代で、リアルの関係はいきなりは少なくなったかもですが、それでも、人は意識だけで交流する時代にはなっていません。まだまたちゃんと形・肉体・物質次元としての私たちが存在し、物理的に出会わないとならないところがあります。

そのことも、さすが「恋人」カードであり、キューピッドの下側にいる三人の人間たちが、実際に触れられるような近い距離感を描写することで表しています。つまり、現実に(行動・環境的に)人が出合わないと、始まらないわけです。

そんなこんなで、私たちは人と出会い、交流・交際していきますが、世界中には、これだけ多くの人がいるのに、出会う人は限られており、さらに中でも、親友になったり、恋人になったり、結婚したりする相手は、まさに特別な限定者です。

「恋人」カードによれば、人間側の出会いの機会を増やせば、もしかすると、縁結びをしてくる上空のキューピッドの矢は、誰かに当たりやすくなるのかもしれません。←ここ、引きこもっている人には、結構重要です。天は自ら助くる者を助くです。(笑)

しかし、逆説的ですが、出会いの機会を増やしても、矢が当たるとは、また限らないのかもしれません。

ロマンティックなことが好きな人ならば、キューピッドの矢は、あらかじめ刺さる人が決まっているのだという考え方もできるからです。

にしても、です。現実の人間は、さきほども言ったように、出会わないと交際が進みませんから、最初からまるで運命の赤い糸のように、矢の相手が決まっていたとしても、何もしなければ、運命の人なのに、一生出会わないこともありそうです。なんだか、それでは、身も蓋もない話になりますが。(笑)

いやいや、キューピットは天使でもあるのだから(厳密には違うのですが、ここでは同じとしておきましょう)、天使によって、出会えるよう、図らってくれるのでは・・・とロマンチストの方はおっしゃるかもしれません。

ま、出会い頭にぶつかるとか、別のイベントで会った人が、偶然にも同じ所属やクラスになったとか、気になっていた人が隣の部屋に引っ越してきたとか・・・そんな古典的マンガみたいな話(笑)はないでしょうが、世の中には、意外に、不思議な偶然・縁というのがあるのも確かです。天(もしかしたら悪魔も)がいるのかもしれません。

ともかく、自分の努力にしろ、偶然の出会いにしろ、誰かと知り合い、その人物は、何故かあなたにとって、特別な関係(位置)の人になったとします。ただし、必ずしも、相手のほうも、あなたと同等に思ってくれるかは別です。ここが人間・恋愛関係のもっとも難しいところで、悩む主要因にもなります。

そこで、占いでも、「相手は自分のことをどう思っているのか?」と聞く内容が多いわけです。(ちなみにカードでは、これがわかることが多いのですが、人の心は絶対ではありませんから、完全に読めるわけでもないのは当然ですし、カードとのコンタクトの方法、読み手の解釈によっては間違うこともしばしばあります)

そして、関係はよい状態に移行することもあれば、破綻してしまったり、そもそも最初から、自分の思うようなことにならない(片思い)ケースもあったりします。

この最中、人は悩みます。たとえ、よい関係であったとしても、これがずっと続くだろうかとか、相手に別の好きな人がいるのではないかとか、些細な行き違いなどで相手を疑ってしまうようなこととか、最悪は、相思相愛でも、相手が不慮の事故・病気などで亡くなってしまうようなことさえあります。

こうなると、人間関係とはいかに残酷なものであるのかと思う人もいらっしゃるでしょうし、逆に、ラブラブで、今関係性は最高だというペアの人は、人間関係のすばらしさを満喫していることでしょう。

歓喜と絶望、濃密な人間関係・恋愛関係であればあるほど、そのギャップも激しいものが内包されています。

また、思いが通じ合えない人、一方的に自分のほうだけが思いが強く、相手は多くの中の一人としか自分を扱わなかったり、ひどい時は、嫌われたりしていることもあります。これのほうが失恋よりつらく、残酷と言えるかもしれません。

かと言って、ストーカーになる人は、相手に恐怖と不安、怒りを与えますので、思われているほうも被害者的な怖さ、不幸感があり、これもまた残酷といえば残酷な話です。

このストーカーとストーキングされる側との関係は誤解があるといけないので、今から言う話とは別だと考えておいてください。

その他の、恋愛などの濃密な人間関係において、特に別れてしまったり、なかなか自分の思うようにカップル的になれなかったり、または、恋愛という感情ほどではないけれど、どうにも気になってしょうがない人がいたりすることに対して、人は理由を探そうとします。

なぜあの人と出会い、このような思いになったのか、何か意味があるのか・・・というように。

特に大きな問題もなく、交際し、そして自然な別れで終わったものは、それほど出会いの理由は考えないかもしれません。

何か、自分ではどうしてもわからない感じの、忘れようにも忘れられないとか、偶然にしては出来過ぎているとか、特別に思う人との関係の場合は、理由を考えないと、自分の納得がいかないわけです。

私はこの理由に、タロットリーディングでもそうですが、いくつかの見方を呈示しています。

ひとつは、心理的な見方、もうひとつは霊的な見方です。

長くなりそうなので、次の記事に続きを書きたいと思います。

特に恋愛ネタは、思い出すと、つらい人も多いと思いますので・・・間をおいて、分けて書いて行ったほうがよいと思ったこともあるからです。

それでは、しばしお待ちください。


小アルカナの読み方のコツで。

マルセイユタロットを使ってリーディングする人は、あまり小アルカナを使わない人が多いようです。

その理由で、まず考えられるのは、日本のマルセイユタロット界では、2000年以降、通称「カモワン・タロット」、カモワン版マルセイユタロットが広まったからではないかと推測しています。

私もカモワン流から入った者ですので、それはよくわかります。

「カモワン・タロット」は、その名前の通り、フィリップ・カモワン氏が復刻したマルセイユタロットなのですが、映画監督・芸術家・サイコセラピストなど、多芸多才で知られるアレハンド・ロホドロフスキー氏との共同製作によってできたもので、むしろ、ホドロフスキー氏の名で、ホドロフスキー・タロットと呼ばれることもあります。

とはいえ、日本では、カモワン・タロットとして普及し、その中心がカモワンメソッドと呼ばれる展開とリーディング方法であり、伝えられた当時から、大アルカナをメインとして使うやり方でした。今はわかりませんが、初期は、カモワン氏自身も、小アルカナについては重視していない(ほぼ使わないものである)ことを述べていたようです。

もうひとつの理由は、小アルカナの数カードが、マルセイタロットの場合、例えば日本で広く使われているタロット、ウェイト版(通称ライダー版)タロットと比べ、絵になっていない、記号みたいでイメージしにくいというのがあり、言わば、絵柄のない記号カードのようになっていて、タロットらしくない(トランプに近い)感じがあるからだと思われます。つまりは読みにくい、質問に当てはめにくいので使いづらいということです。

ということで、現状、日本でのマルセイユタロットリーダーの多くは、ほとんど大アルカナ使用中心になっているわけです。

しかし、タロットは78枚で一組(デッキ、セット)になっているものです。特に、マルセイユタロットは一枚一枚の絵の象徴も、また全体としての構造も、ロジックな根拠があることがわかっています。(例えば、ホドロフスキー氏の「タロットの宇宙」など読めば、そのすごさの一端はわかるでしょう。)

ということは、78枚でなければならないきちんとした理由があり、もちろん、小アルカナははずせないものであるはずなのです。

必要なパート(部分)であるのなら、当然、リーディングにもそれに応じた理由で、(小アルカナとして)使うことができると考えるのが普通になってきます。

私は、このこと(マルセイユタロットで小アルカナの必要な理由)を研究の末にいくつか見出していますが、リーディング方法となると、まだまた研究・開発の余地はたくさんあると思っています。

ここで(マルセイユタロット・小アルカナの)リーディング方法の全部をご紹介するのは紙面(ネットですが)上でも難しく、また講座とブログは異なりますので無理ですが、すごく当たり前で、基本的なことを少し、書いてみましょう。

小アルカナの基本構造・基本コンセプトは4組であり、これは四大元素を象徴しています。小アルカナのリーディングの鍵は、この4組を理解することにあります。

これに人物のイメージを重ね合わせるのが、宮廷(コート)カードの読み方になりますし、数(の意味)をかけ合わせると、数カード(数札)の読み方になります。

ただ、この4組のイメージと考え方が、案外、難しいのです。数や人物のイメージの前に、まずは、ここをしっかり押さえておく必要があります。

厳密に言えば、四大元素と4組は同じようでいて、実は異なります。いや、本質的・象徴的には同じであるからこそ、4(つ)なのですが、カードに表されている4組はモノになっています。すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)です。

一方、四大元素は、風・水・火・地(土)です。これは自然のものと言いますか、より本質(根源)を示します。

風とか、水だとかは、自然物としてイメージではわかりますし、実際に水などは水道や、ボトルに入った水とか、雨とか、海・湖沼とかで見ることができますが、ひとつのモノとして固まっているわけではありません。風が一番いい例です。そもそも風は目に具体的には見えません。(四大元素は、自然の中で私たちが見ている風・水・火・地とはまた別とも言えるのですが、ここではわかりやすく、自然のものをあげています)

ところが、タロットカードの小アルカナ4組となれば、モノになるわけで、とても具体的になります。ですから、四大元素の自然的な本質性(それは抽象的でもあります)よりも、もっと具体的でイメージしやすいモノになっているのです。この違いが、誤解を生じやすくします。

つまり、四大元素のイメージや意味と、モノである4組から出る具体的なイメージ・意味には、違いが出て当たり前であり、同時に、本質・抽象概念としては同じであるわけです。

何が言いたいのか言えば、リーディングにおいては、考え過ぎると小アルカナは余計わからくなる(読めなくなる)ということです。

風・水・火・地と4組とのイメージを何とか合わせようとか、大元があれだから、こういう意味になるのでは・・・と思考を巡らし過ぎると、ますますわからなくなってくるのです。

だから、四大元素の理解は必要ではあるのですが、単純に4組のモノとしてのイメージから出る意味や感じを出すほうが読みやすくなります。

大アルカナでは、キーワード的に、一枚一枚、ガードから出る意味や言葉を覚えていくと、実は、かえって読みにくくなってしまうことがあります。

それは大アルカナの絵が具体的でありつつも、表している世界は多様で重層的(言い換えれば具体性と抽象性の両方を含むもの)であるからです。簡単に言えば、見える世界も見えない世界も、現実も精神も、すべて象徴するみたいなものです。

ですから、最初から言葉(意味)を決めつけ過ぎると、その豊かな象徴性が制限され、固定化した読みに囚われやすくなります。結局、絵を見ても、覚えた言葉が邪魔をし、絵のイメージから出るほかの意味と混乱を来し、固まるようなことになります。

一方、小アルカナ、特に数カードはその逆とも言え、マルセイユタロットでは記号的な模様になっていますので、絵のイメージはどうしても限られます。もそもそイメージせよ、というのが無理です。

だからむしろ、記号的な意味(キーワード的なもの)をあてはめて覚えたほうが早いのです。イメージを使うとすれば、先述のモノとしての4組であり、剣・杯・杖・玉のイメージと(そこから派生する)典型的な意味を覚えて、リーディングをしていくとよいのです。

なお、マルセイユタロットの数カードでも、4組のイメージがしやすいように、1の数(エース)は、大アルカナや宮廷カードのように絵になっているのも、まるでこう使ってくれ、といわんばかりの配慮になっています。

あと重要なのは、4組は、単純に4つに分けたものではないということです。最初は分けたほうがわかりやすいのは確かですが、その分け方にコツがあると言いますか、分かれる考え方が、普通の常識とは違うのです。

私たちは、通常、分けるということを思った場合、その数の分だけ、区分けするというイメージがあります。

例えば、饅頭が8個あり、それを4つに分けてくださいと言えば、2個ずつ分けるでしょう。もしここで、10個の饅頭があり、それを4つに分けてくださいと言えば、割り切れないから無理です、となります。

ただ、饅頭の種類で10個を4つに分けるとすれば可能かもしれません。つまり、この場合は、種類で分けており、数ではないのです。

饅頭の種類で分けることにより、4つに何とか分けられましたが、種類ではなく、大きさとか、中に入っているものとか、色とか、製別とか、いろいろ分ける方法はあります。

仮に、まったく同じ饅頭ばかりでも、自分が決めた方法で、何とか分けることができるかもしれません。

話を戻しますが、小アルカナの4組とは、上記の、数で分けるのではない饅頭のように、質や種類、4つのルールで「分けられるもの」であり、「分けたもの」ではないのです。

哲学的には、分けているのはこちら側で、あちら側が分かれているわけではないというの本質です。(ここは難しいので、リーディングのコツとは別だと思ってください)

要するに、こちら側の分けるルールの統一が必要だということです。

4組は四大元素から来る意味や性質がありますが、それは基本ではありつつも、4組に、共通したステージやレベルを設定しておかないと、具体的に何を読んでいいのかわからくなります。逆に言うと、多くのレベルやステージが、4組としてあるのです。言い換えれば、4組が何重にも入れ子構造・フラクタルになっているのです。(4つの中にさらに別の4つがあり・・・みたいな連綿と続く構造)

例えば、こういうことです。

お金の問題がテーマだとしましょう。

お金と言えばコインであり、4組の玉で象徴されます。

しかし、お金を稼ぐための仕事は?と、さらに具体化していくと、玉の中の剣(コインでありつつ、ソード)、玉の中の杯(コインでありつつ、カップ)、玉の中の杖(コインでありつつ、ワンド)、玉の中の玉(コインの中のコイン)という感じで、4組構造から重層的にアプローチすることができます。

この場合、玉という設定とともに、(お金を稼ぐ)仕事というステージをさらに設定することで、具体化し、読みやすくなるわけです。

この設定をしているのはこちら側だというのが、さきほど述べた、「分けているのはこちら」というのに関係します。

 

ちょっと講座的になりましたが、私の講座では、このように、考察性と活用性との両面で、タロットを解説しています。

やり方を教えるのはもちろんですが、それだけではなく、なぜこのように使えるのか、使うのかという理由づけと、その理由を見ていくと、自然に深いものに接するようになってきて、タロットのすごさを知ると同時に、自身のスピリチュアィにもふれていくことになるのです。最終的には、タロットを通して、あなたの神性・霊性を発見し、向上させていくことが目的です。


タロットカードの人物像

タロットは、人物が描かれていることの多いカードです。もちろん人物以外の絵柄もあります。

特にマルセイユタロットの場合は、小アルカナと呼ばれるパートの、数カード(数札・スート)の絵柄は、記号模様みたいになっていて、人物などまったくイメージできません。ただし、逆に、小アルカナでも、宮廷カード(コートカード)のほうは、人物ばかりの絵柄になっています。

そして、大アルカナのパートでは、ほとんどが人物と言ってもいいくらいの絵です。

しかし、その大アルカナの中でも、人物とは見えないカードがあります。まるでマシーン物体のように見えるのです。

マルセイユタロットでの大アルカナにおいて、具体的に、そのようなカードはどれかを指摘しますと、10「運命の輪」、16「神の家」、18「」というところでしょうか。

まあ、このうち、「」のカードは、文字通り、天体の月(本当は私たちの知る物理的な天体の月とはいえないところもあるのですが)がメインであり、ほかに犬やザリガニのようなものがいて、動物も目立つということでは、物体的ではありません。

それ以外の二枚、「運命の輪」と「神の家」は、どちらにも動物のようなものや、人間に見えるものが描かれているので生物感はありますが、物体・マシーンのほうが目立ちます。

ここから、この二枚には、生き物的なものよりも、機械的な何かが象徴されていると考えることもできるのですが、今日のテーマはそれではありません。

むしろ逆で、人物(像)の話になります。

宮廷カードも人物なのですが、今回は大アルカナに絞ります。

大アルカナには、先述したように、人物に見えないカードもあるものの、ほとんどが人物(像)に見えます。(人間とは限らないものでも、一応、人物的な存在とします)

心理的には、これらのカードに描かれる人物は、一種のパータン(型)であり、人類に共通する人間像とも言えます。世界中の物語に現れたり、実際の人々を典型的な性格や特徴などに強調したりした人物でもあります。

従って、大アルカナを人物として把握していくと、世の中の人間のパターンがわかってきます。同時に、ここが重要ですが、これらの類型パータンは、実は、一人の人間の中にも存在するキャラクター、性格、パーソナリティ、特質とも想定することができるのです。

これも心理的(あるいはスピリチュアル的)な話になりますが、面白いことに、入れ子構想やホロン構造のように、一人の中にいる複数のキャラクターたちが、外の世界にも同じようなパータンの人たちとして存在し、内と外とが同じ構造、もしくは投影しあっていると見ることができます。

例えばカードの「隠者」は、あなたの中のアドバイザーとか智慧者、孤高を望む人物像かもしれませんが、外の実際の世界においては、あなたのメンターや先生として現れているかもしれないのです。

逆を言えば、その人に自分の智慧ある存在のような人物を投影している、当てはめているとも言えますし、そのまた反対に、外の実際の人物によって、あなたの中のそれに似た存在・キャラクターが息づき始める、見出されるということになるのです。

ほかのカードの例でも考えてみましょう。

節制」は天使の姿が描かれていることで、救済者であり、セラピストのような人でもあります。

もし、あなたがセラピー受けて、そのセラピストの技術や人物に感銘し、自分もこの人のようなセラピストになりたいと思ったとすれば、その人によって、あなた中にいた同じような人物(性格)が発動したと言えるのです。

つまり、あなたの中の「節制」が見出されたのです。

もしかすると、あなたが受けたセラピストの人は、もともとあなたの中にいた「節制」の天使であり、あなたがそれに目覚めるために、待っていた外側の「節制」の天使とも言い換えることができます。

この場合、例えば、「節制」は14の数を持ち、その前の数のタロットは「名前のない13」です。この「13」と「節制」は、マルセイユタロット的には、セットやペアを形成し、救いと、その前の困難、試練と救済を示唆します。

ということは、あなたがもしセラピーを受けなくてはならない何か悩みや問題を抱えていたとすれば、それは「13」の状態であると言え、そのためにセラピスト(14「節制」)に治療を受けに行ったわけですが、この仕組みには、先述したように、自分の中のキャラクター・人物と、外の実際のキャラクター・人物とがいて、外の人物が中の人物の覚醒に関わっていたとすると、あなたの悩みや問題は、そのために実は起こっていたと考えることもできるわけです。

見た目は問題とその治療ですが、背景には、内と外の共鳴による、内なる人物の覚醒があるわけです。(セラピスト側には、「13」のほうの覚醒が促されることもあります)

カードの人物像とその性格を知っておけば、こうした仕組みにも気づくことかあります。

また、タロットリーディングにおきましても、展開の中の重要なカードと思えるものに、まさしく、その人物像が強調されることがあります。

もし問題の解決とか癒し、変革に関わるのならば、その重要なカードの人物像は、あなたが目指したり、行動したり、その性格になったりすべき人物(キャラクター)と言えます。

あなたは自分の性格はこうだとか、こういうタイプだと思っているものがあるでしょう。それは誰しも大人であれば、今までの経験から、何となく自分を想定しているところはあるものです。

しかし、タロット的には、あなたの性格はそれだけではないのです。少なくとも、大アルカナの数、22の性格(キャラ)があるとも考えられます。一応、ノーマルモードのあなたとして現れるのが、自分がそうだと思い込んでいる、あるいは、成育的・経験的に培われた性格です。

あなたが問題状態にある時は、ノーマルモードだけでは対処できないことがあるのです。また、今までのバージョンのあなたでは追いつけない、無理がある、古くなっているということもあります。

従って、そうした時は、別モードのあなたが必要となるのです。それを示すのが、問題に際して現れる(アドバイスとして引く)カードの人物と言えます。

宮廷カードの場合は、それがもっと現実的(外の世界の人物)であることが多いのですが、大アルカナの場合は、外の人であることもあれば、自分自身の内的な別の性格を意味することもあります。

そのカードになり切った時、あなたに現れるイメージは何か、この人物ならばどう考え、どう行動するのか、それを想像することです、

いや、実は、想像するというより、会話するというほうが近いかもしれません。タロットのそのカードの人物と話をしてみるのです。擬人化する感じで、タロットの人物とコミュニケーションすれば、きっとあなたにアドバイスが届くでしょう。

サイキックなタロットリーダーやタロット占い師の場合、実際にカードを読むというより、カードの人物(精霊となります)と話をしたり、カードの人物同士がまるで生きているかのように会議している内容を聞いて、クライアントに伝える人もいます。

世界はモノで満ち溢れていますが、すべて生命を持つと考えれば、カードだけではなく、あらゆるものと会話が可能になるかもしれません。

一番最初の話で、大アルカナの中で、マシーンや物体のようなカードがあると述べたのには、これと関係するところがあります。

ともあれ、カードの描かれてい人物像、キャラクターをあなた自身の中に発見してみてください。

それには、やはりタロットカードを知る必要はあるでしょうが、直感の優れている人は、カードの絵柄を見ただけで、人物を推し量ることができます。それもまた、(マルセイユ)タロットのよいところです。


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