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新型コロナウィルスに関連して

私はあまり他人のブログとか見ないのでわからないのですが、どうなんでしょう、最近の巷の話題と言えば、やはり中国で発生した新型肺炎・コロナウィルス感染症の話でしょう。

ところが、ぱっと見たところ、あまりこのことについては、ふれないブロガーの方が多いように見えます。それどころか、中には、自分の商品やセミナーなどの告知に大変忙しい人や、現実無視かのような、「楽しく行きましょうー!」(笑)みたいなものも散見されます。

まあ、これらとは別に、陰謀論的な話で書いているものも見かけますが・・・(苦笑)

実際、現状では不安な方も多いと思いますが、医療の専門家でもない者が、うかつに書けないのも確かです。

でもメンタル的なことを書いている人はもともと多いのですから、こういう時こそ、何かメンタル面で落ち着く方法など書いていただけたらなあと思うのです。

私はタロティストなので、タロット関連で何か書くことにします。

タロットと聞くと、皆さんは、今後の状況を占ってほしいと、一般の人は思うかもしれません。

私自身は、このブログで書いているように、タロット占いはほとんどしませんし、そもそもタロット占いを教えている者でもないのです。ですが、占いを否定しているわけではなく、タロットの技術のひとつとしてはアリだと考えています。

こういう時に占うことには、マイナス点とプラス点があります。マイナス点は、状況判断だけの占いをしても何も解決しないということです。

また、もし悪いものが出てしまうと、ますます不安になり、心理的反応から、かえって悪い結果を引き寄せることもあります。

つまり、占いの予想を設計図にして、自分自身が、その過程と結果を起こしているわけです。タロットの場合は、絵柄があるので、特に強烈なカードの絵柄だと、心に刻印されてしまいがちで、自らがカードによる示唆の現実を引き起こしてしまうことは往々にしてあります。

逆によいことは、プラスや明るい予想が出た時は、安心感が出ることで、また、人によっては、たとえ占いで悪い結果であったとしても、薄々わかっていたことならば、通常知り得ない情報から、自分の感じていたことが知り得たことで、納得感が増して見切りがつき、次の行動が早くなることもあります。

それに、運気的な占いでは、いわゆる運気の流れ、情勢というものがわかりますから、波に乗るべきか、控えるべきかなどのタイミンク的なものもわかりやすいです。

それで、それを踏まえたうえで、今回の新型肺炎について、今後の日本での傾向と対策をテーマにカード占ってみたところ、悲惨なことにはならないだろうことがうかがえましたので、まずは、異常な不安を覚えている人は、気持ちを落ち着かせていただけたらと思います。

と言っても、このまま何もしないわけにはいかず、対策のやり方によっては、流行の拡大も懸念される暗示はありました。

対策の鍵は、意外に身近なところや基本にあり、誰もが思う当たり前のことをしっかり徹底してできるかということ、もうひとつは、政府や組織の体制の組み直し、末端まで指揮・情報の開示、徹底だということです。

おそらく、思ったより早く、治療法などの対策は出るのではないかと予想されますし、そうでなくとも若い世代の活躍や、新しい方法が考え出されて拡散が収まっていくようにも思います。ただ、先述しましたが、そういうのを期待して、ただ楽観するだけではだめだと思います。

「正負の法則」のディマティーニ氏によれば、すべてのことは、よいことと悪いことは等分で、完全にバランスが取れていると言います。

今回のことはかなりネガティブな世界的な事件ですが、それに見合うほどの、よいことも発生しているのです。

さて、スピリチュアルの世界では、自らの(真に)思うことが叶う世界だと言われます。(引き寄せの法則)

とすれば、極端なことを言えば、この新型コロナウィルス感染症のない世界、感染しない自分というものを完全に思うことができれば、それは実現されることになります。パラレルワールド風に言えば、この感染症のない世界、あっても問題のない世界に移行した自分ということです。

しかし、これは、その段階まで悟っている人、心がクリアーになって、完全な信じ込みや確信がある人にできる技です。

そういう人は、もはや普段から、日常的な、あるいは一般の人が抱く不安と、それによって生まれる(引き寄せる)実現の世界を超越する「心のシステム」が確立している人だと言えます。

多くの人に発信している、影響を持つカリスマ的なスピリチュアリスト、成功者のような人は、これができている人が(完全ではなくても、自信をもってやっている人が)多いと想像されます。

ですが、その段階に至っていない普通の人、もしくは、そうした心の傾向ではない人(不安の高い人、心配性の人など)は、発信者のやり方そのものでは難しい場合があるのです。

スポーツ選手に例えればわかると思います。

名選手がコーチや監督をしても、必ずしもうまく行かないのは、名選手自身では常識であり、メンタル・魂的にも生まれた時からの傾向で、普通にその名選手が思ってやってきたことというのが、一般的な選手にとっては非常識であり、理解を超えているところがあるわけです。

よって、レベルや段階、もしくは、その人個人に合った方法が必要なのです。この現実世界は個性の世界(一人ひとり違う世界)とも言えますから、共通する概念や大枠的な方向はあっても、細かな方法・具体策は、一人一人異なることが普通です。

ということで、スピリチュアルや精神世界に関心のある人の中ては、今回の感染症の件でも、自分の心の状態が大事だと信じ込み(それは間違いではないのですが)、感染症のない世界をイメージしたり、まったく情報を遮断して、なかったことにしてしまったりする方法、または、「楽観的に思えば、現実も楽観的なことで終わる」として、無為無策に、のんきに構える方法を取る・・・みいなことをしていても、逆に不安がどんどん増幅してしまったり、正しい情報が得られず、いざという時に慌てたりしてしまうことになります。

要するに、自分はどうすれば本当に安心(安心はできないでしょうが、落ち着いたり、冷静になれるかということ)できるかを考え、行動するということです。

それは情報を遮断することでもないでしょうし、デマを信じることでもないでしょう。他人のやり方が自分に合うとは限らず、一般論はあっても、個別での状況も違います。

自分の心が安心したり、明るい気持ち、少なくとも、悲観や悲嘆にくれたりしないようにするため、心を無理矢理、理想の現実にするよりも、事実を見て、情報を入れ(正しく知り)、準備と行動をしていくことで、心が落ち着くケースがあるのです。(パニックの行動とは違うので、注意が必要です)

そして、多くの人が今後の予想イメージで整理がついたり、希望が持てたりすることによって、ますます心は明るさと落ち着きを回復してきます。

だいたい、今の不安な状態を招いているのも、中国政府の初期の情報遮断・隠蔽、WHOや日本の政府、その他行政など、本来すべきことが、変な忖度、楽観、情報の誤った分析と準備不足・対応による結果であるわけで、今現在は、人々の先々のイメージに、ネガティブなことしか想像できなくなっており、それがさらに現実を悪くする世界に移行させようとしています。

重要なのは、今後の希望や収束イメージが持てる、計画性・先見性、それに伴う実際の行動です。(マルセイユタロット、「女帝」と「皇帝」)

陰謀論ではありませんが、さすがに、今回の件では、皆さんも、日本はもとより、世界がおかしいことに気がついてきたでしょう。

一言で言えば、人が人であることが軽視されていて、もっとも大切にされているものが、国や政治、世界を動かしている者たちの間で、なぜか人ではなく、別にあることです。

霊性の堕落でもあり、欠落でもあり、逆に言えば、私たちに、真に大切なものは何か、失われていた心や魂、霊性を取り戻させるきっかけになるかもしれません。

心が現実を引き寄せるのなら、その心が安心し、落ち着き、明るくなるための、現実の行動、情報収集、訴え、運動も、時には必要でしょう。

ただ祈っていれば(祈りはよいものですが)、自分の事態が変わる可能性は現実的に低く、自分の心を変えるための「働きかけ」のほうが、先に求められることがあるのです。

おそらく、これも、「共生」と「真の自立」ということが、深くには、テーマとしてあると思います。

共生や助け合いと、自立は相反するようですが、高いレベルでは調和されるものです。一人一人が自立し、そして共生できる社会が望まれます。

マルセイユタロットでは、自立は「戦車」が表し、高次では、「神の家」が象徴します。そして共生的なものとしては、ふたつの壺を持つ女性的なカード、「節制」と「」で強調されるでしょう。(実際に、これらのカードは出ていました)

試練ではありますが、やはり、大きな流れとしては、私たち人類の転換が始まっているのだと感じます。


展開法、スプレッドの作り方

タロットの並べ方、いわゆるスブレド・展開法は、いくらでもあると言えます。

とは言え、伝統的と言いますか、タロットのサイトとか、タロット本を見れば、王道としてどこでも紹介されているような展開法は、それだけ使いやすいのだと考えられます。

タロットの展開法にこだわる人もいますが、個人的には、なんでもいいのではないかと思っています。

前にも書いたことがありますが、結局、どんな目的をメインとするのかによります。

占いとかタロットリーディングの目的は、結局、相談者・クライアントの問題解決とか癒し、幸せに導くことになってきますから、それができるのであれば、方法は何でもOKと言えます。

極端なことを言えば、たった一枚のカードでも、クライアントによいアドバイスができ、相手も納得できるものであったのなら、それでいいわけです。

逆に、やたら複雑な展開をしても、相手にさっぱり伝わらない、何もカード群から適切なものが思い浮かばない、カードが読めない・・・となれば、形式倒れで、中身はないと言えます。

ということは、どんな展開法・スプレッドでもいいので、タロットリーダー側が使いこなせるもの、その展開法で読める自信があるものを選択していくことが重要になります。

しかしタロット学習初心者の段階では、一枚引きすらうまく読めないこともありますから、もっとたくさんの枚数の出る展開法のリーディングが難しいのは当たり前です。(余談ですが、実は一枚引きは枚数こそ少ないですが、リーディングとして情報が限られますので、かなり難しい展開法の部類と言えます)

ですから、三枚くらいのものの、セオリーとも言える展開法から入って、それに慣れていくことが段階としては大切になるかもしれません。

ある程度、少ない枚数のものに慣れたら、やはり、もっとたくさん枚数の出る展開法にチャレンジしていくとよいでしょう。枚数が多ければ、情報量も多くなり、それだけ、深く広いリーディングが可能だからです。

単純な展開法だと、読み方も浅くなってしまう傾向があります。

そして、多くの人に使われている展開法は、使いやすいとは言えますが、ずっとタロットをやっていくと、自分に合わないと感じるようになることもあるかもしれません。

そういう場合、自分でオリジナルな展開法を作るのもよいです。

師や先生を持たず、自分でタロットを学び、リーディング技術を身につけていく人の中には、最初からオリジナルの方法を試していく人もいます。

世に披露されている展開法は、あくまでモデル・型みたいなもので、最終的には自分流の使いやすい、読みやすい方法に変更したり、新しいものを発案したりして、それに効果があるのであれば、常用していくのはありでしょう。

そこで、オリジナルなものを作るに当たり、たぶん知っている人は知っているでしょうが、ここでヒントを挙げたいと思います。

一番重要なのは、ストーリーの構成要素を考えることです。

タロット占い、タロットリーディングは、結局、人に伝達する形を取るので、それは一種の「物語」形式なのです。

皆さんも論文の構成などで、学校で学ばれたかと思いますが、序論・本論・結論とか、起・承・転・結とか、人に伝えるストーリーや文章には基本の型があります。

タロットを使って人に話をする場合、占い要素を重視するケースでは、時系列(過去・現在・未来の要素)はほしいところです。なぜなら、占いは、特に、状況推移や未来を知りたいという人が多いからです。

カウンセリング的なリーディングにおいてタロットを使う人の場合でも、時系列、特に過去は大事なので、やはり時系列要素は必要と言えましょう。

あと、問題を示す要素、それを解決していく要素、それに、この世は人間社会ですから、の要素(鍵となる人物とか、理想の人とか、人間関係なら相手や自分を表す人物像とか)もあるとよいです。

タロット界では、ケルト十字という有名な展開法がありますが、あれの10個の要素(カードを置くところの意味)は、占いに来る人の、知りたい情報をうまく網羅しているのです。

このような「要素」を挙げていき、それらを起・承・転・結とか、いつ、どこで、誰が、どのように、どんな方法で・・・みたいな、国語で習ったような質疑応答、物語作成法に従い、並べて行きます。

そして、その「要素」こそが、カードを引いて置く場所になります。すると、あら不思議、あなたのスプレッドが完成するわけです。

図形の意味とセットにして、ある図形上に形を整えていくと、さらにそれらしく見えてきます。

例えば、△(三角)を使う並べ方はよくありますが、これらの角の三点の位置に、要素としての意味を置きます。(形はよくあるものでも、自分なりの意味・要素を置けばオリジナルになってきます)

そうですね、ぱっと思いつく事例としては、左に「現実(物質)」、右に「精神(心)」、上の頂点に「統合観点」という要素・意味とします。

すると、

●統合

●現実 ●精神

のような三角形と意味になります。(上図は三角ではないですが、三角として想像してください)

この三点にそれぞれ、カードをシャッフルして一枚ずつ置くとします。

今、仮にやってみましょう。(今回はマルセイユタロットの大アルカナのみで)

結果は、

●統合観点(斎王)

●現実(悪魔) ●精神(愚者)

こんなカードたちが出ました。(これも三角図としてイメージしてください)

このカードを引いた人は、物質・現実としての象徴性に「悪魔」、精神性においては「愚者」、それらを統合するのに「斎王」ということになります。(皆さんへのメッセージにもなります)

読み方はいろいろありますが、一例として、「悪魔」に支配される現実から、心は「愚者」のように自由になりたいと思うものがあり、その対立・葛藤が問題になっているのですが、「斎王」は精神性と受容性のカードですから、気持ちとしての「愚者」を重視しつつも、「悪魔」を受け入れ、そこから脱却するには、どうやら現実の学びが必要である(斎王の意味から)とわかるわけです。

つまりは、逃避するより(あるいは、今の現実から逃げたければ、変えたければ)、逆に現実(「悪魔」に象徴され、自分が嫌っている世界・事柄を)学べということですね。

この「要素」は、今、抽象的と言いますか、精神とか物質とか大まかな感じで、具体的に絞っていないので、読みにくいかもしれませんが、もっと、仕事の問題、自分が望んでいる状態、解決策やアイデアというように、わかりやすく、具体性をもって要素を設定することで、カードをもっと読みやすくすることができます。

この△の例は、気づいた人もいると思いますが、マルセイユタロットの「運命の輪」をモチーフに思いついたものです。あるいは、弁証法の形でもあります。

このように、一枚のカードをもとに、展開法、スプレッド作るという方法もあります。

まあ、究極的には位置とか形を決めなくても、思いついた要素をその都度、カードから引いて行けば、出たカードと要素の意味をつなげていくと、自然にストーリーになっていることもあります。

この場合は、物語を構成する力と、問題の本質に行き着くための質問力が要求されるでしょう。

ということは、いわばコーチングであり、カードを使って自由に聞いていく(自由とはいえ、目的のために質問を計算的に、意図的に選択している)ことができる人は、コーチング能力や技術がある人ということにもなります。

それが難しい場合は、最初から決められている展開法、スプレッドを使うほうがやりやすいです。王道のスプレッドは、それだけ、スートリングが自動的にできるようになっているからです。


技術・メソッドの伝承、選択

私はもともと、日本でいうところの「カモワンタロット」からタロット(と言ってもマルセイユタロットオンリーですが)に入った者です。

このところ、少しカモワンタロットの話題にふれることがあったので、久しぶりにカモワンタロットについて、検索してみました。

すると、いろいろな人が、まさに様々な解釈・思いで、カモワンタロットを見ている(リーディング・鑑定・占いも含む)ことがうかがえました。

近頃はYouTubeなどの動画も、タロットで普通にたくさんあるので、カモワンタロットもあるのかなと思って調べてみますと、やはりありましたね、幾つか。なかなか見ていて面白かったです。(カードの著作権はどうしているのか気になりますが…)

こうしていろいろな人のを見ますと、私がカモワンタロットを習い、実践してきた頃とは、かなり、とらえかた・考え方が違ってきたかなという気がします。

悪く言えば、本来と言いますか、最初の頃に伝えられていたものが曲解されているところもありますし、勝手に技法とか解釈が変えられているところもあるように感じます。

逆に、よく言えば、それだけ、個性的(バラエティ)に発展・拡大してきたと言えないこともありません。

もちろん、カモワンタロットにつきましては、きちんと認定講師の方々がいらっしゃいますから、その方たちに習うのが、一番最新の情報も得られ、正統に最も近いところにいるのだと思います。

それでも、カモワンタロットから離れてだいぶん経つ私から見ても、「うーん、どうなんだろう、これは…」と思う解釈で教えられている人を目にします。

それは、技術的なこともあるのですが、もっとも大切な、カモワンタロットに流れている精神といいいますか、教義のところでひっかかることが多く、それが伝わっていないのだろうなと感じます。(伝わりを感じるものもありますよ)

それがないと、仏作って魂入れず・・・みたいなことで、いくら形をまねても、カモワンタロットからは大きく離れてしまうのではないかと思います。

「そういうお前は、すでににカモワンタロットから離れたのだろう?」と言われればそれまでで(苦笑)、私が言っても説得力はありませんが。(苦笑)

しかしながら、今でも、私自身は、カモワン流の技術はすばらしいと思いますし、長年、個人的には研究もしてきたところで、どうしても思うところはあるのですね。

カモワンタロットのことを述べていますが、これはあくまで例であり、言いたいことは、別にあります。

それは、技術・メソッド伝えるということはどういうことか? というテーマです。

マルセイユタロットで言えば、「法皇」のカードに関係しますし、レベルを変えれば、「隠者」とも言えるかもしれません。もっと広く考えれば、「太陽」とか「審判」とか「世界」とか、別のカードでも表すことができるでしょう。

一般的に、メソッド・技術の伝承となれば、当然、その技術面が強調され、それを身につけることが大前提となります。ただ、それが身につけられたかどうかを判定するのは、機械(モノによっては機械のこともあるでしょうが)ではなく、人です。

人には感情もあり、すべて公平に判断することは難しいでしょうから、どうしてもそこに誤差のようなものが生じるでしょう。師匠が気に入ったお弟子さんに肩入れすることもあれば、ひどい場合には、経済的なことで、免状の判断が左右される場合もあるかもしれません。

そして、「伝承」ですから、さらにまた人から人へと伝えられていく過程で、ある程度の基準はあっても、やはり人の判断になりますから、次第に伝承される中身が変わってくるのは、普通に予想がつきます。

もし伝承が(世代など)だけではなく、同時期に複数の人にされていく、もあるとすると、その枝分かれ分は膨大な数になって行き、伝承された人の数だけ、実は流派のようなものもあると見ていいかもしれません。

すると、そもそも正統を争うのはどうなのか?意味があるのか?という問題にもなってきます。

なるほど、今は映像・音声記録技術も格段に進歩していますから、見える技術であれば、その伝承も、形としては確実に昔よりかはできるでしょう。

でも、それを思えば、昔の、言葉か文字でしか伝えられなかった時代のものは、果たして、本当に「型」のようなものは、正しく伝わっているのか?と疑問が生じます。

「これは昔から伝わっている唯一の正しい方法だ」と言われたところで、やはり、人から人、あるいは文字で伝えられている限りは、どこか誤認したり、解釈を変えられたりしているのではないかと思うのが普通ではないかと思います。

カモワンタロットを学習していた時代からの知人で、ある道の先生とも言えるお坊さんがいらっしゃり、その方は、「伝わっていることはすべて嘘だと思ったほうがいいですよ」とよく語られます。

この言葉の深い意味は、まだまだ理解の浅い私では、十分ではないものの、さきほど述べたようなことも入っているのではないかと考えています。

要するに、伝統的なもの、すごい伝承の技術というものでも、真理とか、正しいかどうかなどはわからないということです。

特に、「形」というものにこだわり過ぎると、おかしくなって来る気がします。

形に意味がないのではありません。形にこそ、実は奥義・奥伝があることは少なくないと思います。しかし、形だけ真似ても、意味がないわけです。

精神と形が一体になっていると言いますか、その心でやれば、その形になり、その形でやれば、その心になる・・・このようなものではないかと考えます。

この「心」の部分は、ただのメンタルという意味ではなく、霊、あるいは魂と表現してもよい部分を含むものだと、個人的には思います。

日本人がよく、「魂入れろ、心を込めろ」みたいに言うのは、理由があるのでしょうね。

ですから、矛盾した言い方に聞こえるかもですが、技術・メソッドの伝承には、形にこだわらずに、それでいて、形も大切と見ると言えます。

形の意味(形に込められた精神・背景)をよく考えると言い換えてもよいでしょう。

あと、理論と実践というふたつの側面もあります。

理論は言葉や文字で伝承されやすく、これは割に、皆に同じ型(内容)を伝えられやすいです。

しかし、実践となってきますと、施術者、場面場面、対象者、問題・・・ひとつとしてすべてが同じというケースはないはずです。

従って、まさに臨機応変、理論を超えた対応も必要になってきます。

そこから、オリジナルな考え方・技法も出てくるのは容易に想像がつきます。

理論やひとつの正しさにこだわり続けると、実践では通用しないものになってくるおそれがあり、また理論無視で、実践で気分次第、コロコロと変えていくだけのことをしていると、やっていることを体系的にとらえて、ほかの人に伝えることができなくなります。

「伝える」ということでは、実践ケースで起こること全部を伝えるのは、当然無理です。

数々の実践の中で、有効なもの、普遍的に通じ、使えるもの、多くの人に身に着けてもらいやすく、効果が高いものを選ぶ必要性もあるでしょう。

ゆえに、マルセイユタロットでも、あえてカモワン流に言えば、「法皇」の視線カードは、タロットマンダラ(カモワン流の大アルカナ絵図の言い方)において、選択を象徴する「恋人」なのです。(タロットマンダラの並びは、多様な意味があり、もちろん他の理由もあります)

何か技術・メソッドにおいて、正統性に悩んでいる人もいらっしゃるかと思います。

その時、ふたつの視点を持つとよいです。

ひとつは、自分は正統性・純粋性、第一の後継者、そのメソッドの名前にあくまでこだわってみたいのかどうか。

もうひとつは、そのメソッドを使う本当の目的は何か?を考え、目的のための手段とするかどうかです。

その他、自分はそのメソッドをやっていて好きかどうか、楽しいかどうかというのも、人によっては選択の理由になるかもしれません。

どれであっても、重要なのは、あなたの人生にとって、大事なのはあなた自身であり、技術でも方法でもモノでも他人でも教義(が第一)でもないのだということです。


守・破・離

芸事などで、師弟関係や、ある流派で学びをしていく過程において、「守・破・離」ということが言われます。

最初は、師、流派の教えに忠実にやっていき、やがてその教えられた型だけではなく、多流派なども比較研究して採り入れ、やがて、自分流のオリジナルなものとして自在にしていく様が、守・破・離の段階です。

言ってみれば基本から応用、さらに新しい自分なりの創造へと移り変わる過程ですね。

これは、人生そのものにも言えるのではないかと思います。まあ、人生の守・破・離ともなりますと、離の段階では「死」、あの世への旅立ちとなるのかもしれませんが。(苦笑)

タロット学習においても、この三つの段階が当てはまると思います。

私、個人的にも、この過程を通っている感じがします。今はどの段階かは言いませんが、少なくとも、破には来ていると実感します、今年立ち上げていく予定の新講座では、その分野においては離になるものと考えています。

ところで、この「守・破・離」が、意図して起こるとは限らないのです。

「守・破・離」の過程は、習い事のことが多いので、どうしても師弟の関係性の面があります。(最初から師を持たない人は別ですが)

自分の師・先生と、円満に「破」「離」へと移行していけばよいのですが、時には、いわゆる師からの破門とか、逆に、不満や理由があって、自分のほうから、思いがけず離脱してしまうということもあります。

また双方、納得ずくではあっても、あとからトラブルになるようなこともあります。

どの分野においても、ひとつの流派を形成していると、その流派の正統か異端かの争いが起こるように思います。この言葉からしても、そう、結局、宗教と同じなのですね。

だいたいにおいて、流派の正統か異端かの問題は、創始者の引退・死後などによって、後継者が誰になるかで争いが勃発します。

創始者は、宗教で言えば教祖とか、最初に神から啓示を受けた人物になり、ともかく偉大なアイデア人であったり、爆発的な情熱、行動力を持っていたりする人の傾向があります。カリスマ的な人とも言えますね。

また創始する人だけに、特別な技術や才能、芸事では磨き上げた技も卓越したものがあり、多くの人を魅了したり、納得させたりするだけの技量、あるいは人格がある人のことがほとんどです。

しかし、後継者は、その息子とか娘、血縁者であると、創始者よりもカリスマ性や能力が劣ることがよくあり、さらに、後継者と名指しされた人でも、まじめではあるけれど、「破」まで至っていない、ひたすら「守」だけの特徴のある人がいます。

そうすると、流派で特別に能力や技術がある人とか、人心を掌握したり、組織運営に長けていたりする人が、流派から独立して、新たな一門を作ることもあります。いわく「本当の教え、技術はこちら側にある」などと言って。

これ(正統争い)には、いろいろな問題があり、純粋に師の教えを守ろうとする人もいれば、このままでは発展性がないとして、技・芸をさらに磨き、新展開、拡大を目指す人もいるでしょう。

「教え」だけのことではなく、現実的問題として、経済や運営、人間関係・・・様々な要素がからみ、流派が分かれていくことにもなるのも世の常と言いますか、仕方ないところもあるのかもしれません。

そんなわけで、守・破・離が、自分が意図したものとは別に、強制的に発生したり、そのような方向に向かわざるを得ない状況になったりすることもあります。

しかしながら、自分の気持ちや意図で起こったものでなくても、また、少々トラブル的に師や一門から離脱することがあったとしても、それは、真の自立の意味で、破から離への流れのために、必要・必然のケースもあると考えられます。

まじめな人ほど、師の教えや流派・一門に忠実であろうと心がけます。ただ、それがあまりにも行き過ぎていては、ただの奴隷であったり、まさに「なになにの犬」と言われるような状態になったりします。

といえば、マルセイユタロットの「愚者」のカードが思い浮かびますが、あなたがもし愚者(愚か者という意味ではなく、自立・完成への旅立ちの者)であろうとするのならば、犬は後にいて、あなた自身は犬ではないことに注目すべきです。

自己犠牲は、本当の意味の自立にもなりませんし、師が本当に望むことではないと思います。

師が正しいとは限りませんし、仮に正しかったとして、その時代・解釈においてということもあり得ます。伝統を守ることだけが、受け継ぐことと同意ではないでしょう。

もちろん流派の「守」も大切で、おろそかにしていい、無視して去れと言っているのではありません。そこで学べたことは感謝すべきで、師はいつまでも、とのような状況になろうと、やはり師だと思います。ただ、自分は何のために学んできたのか、ということです。

もし、あなたが、その流派や一門を愛し、その組織自体を守り、存続させるという役割を思っているのなら、守こそが本道でしょう。

しかし、もともとその流派・一門に入った目的、何がしたかったのか、どうなろうとしたかったのか、その初心の目的・気持ち・意思を思い出せば、流派・組織にこだわる必要もないのかもしれません。

すると、「破」は当然として、やがて「離」に至ること、「離」を目標にしていくことも、納得できるでしょう。

離になっても、あなたはあなたなりの方法で、師や流派に貢献していけばよいのです。

自分が学び、属してきたところとうまく行かず、どうすればよいかと迷っている時、そもそも論のように、あなたたは何がしたかったのか、どうしたいのかを再び思い起こすことです。

そこでしか自分のやりたいことができないと思い込むのも早計です。人は、たいてい、選択肢や方法が、これまでの自分のレベルの範囲でしか想起できず、だからこそ迷うのです。

今の自分の世界認識を変容させ、小さな自分の世界を破壊し、大きな世界へと飛翔した時、選択肢は意外性をもって増加しますし、新たな自分の道や方法も見えてきます。

マルセイユタロットでも、「守」的なカード2の「斎王」、12の「吊るし」において、それぞれの次の数のカードは「女帝」「13」になっており、創造性と破壊性(創造性の別の形)を象徴しています。

順調に、守・破・離ができれば理想ですが、実際には、いろいろな要因がからみ、もたもたしているあなたに、別のあなたが、破と離を目指すよう、環境を用意してくれる場合もあるのです。

結局、「世界」のカードではないですが、多くの人に関わりつつも、この世では、あなた自身の世界を作ることが求められていると思います。

それは、言い方を換えれば、あなたが創造主になることでもあり、それが神性の発露・回帰にもつながることになるでしょう。


「1」の数を例にしたカード解釈

数とタロットは無関係ではありません。

しかし、数秘術をされている方で、タロットを学習すると、どうしても、数をメインとしてしまう傾向があります。

数をメインとしますと、マルセイユタロットの場合、まだ小アルカナの数カードならばいいのですが、大アルカナでは、比較的具体的な絵柄がありますから、絵柄から思い浮かぶ象徴と、数そのものの象徴との食い違い、違和感が出てきて、迷ってしまったり、意味がわからなくなったりします。

タロットが詳しくわかってくるようになりますと、アルカナの数とそのシステムも、数秘的なもので言われている数の意味との関連性は見えてきますが、まだ浅いうちだと、混乱のほうが大きいでしょう。

そのため、おススメしているのは、数秘術を習った方でも、いったんその知識はおいておき、タロットはタロット、数秘は数秘として、別々で見ておく(学習していく)やり方です。

そのほうが、最終的にはふたつを統合しやすいのではないかと思います。

そんな中でも、最初から、タロットにおいても、あまり解釈の違わない「数」があります。典型的なのは、おそらく「1」でしょう。

これは、数秘というより、普通に、現代の皆さんが思う「1」のイメージが、そのまま意味になっていることが多いと思います。

すなわち、始りとか、最初とか、新しさとか、フレッシュさ、シンプルさみたいな印象です。

深くは、完全性、統合性などあるのですが、それは図形を考えないといけませんので、とりあえずは、一般的なイメージと意味で、「1」を見ていくことにして、その「1」の数を持つ、大アルカナ(マルセイユタロット)をあげて見ましょう。

すると、まずは1の「手品師」(一般名称では奇術師とか魔術師と呼ばれるカード)、そして11の「力」、最後は21の「世界」です。

つまりは、10番ごとに違う、1の位を持つ三枚ということですね。

10というのは、数カードの単位・セット・一組にもなっており、ここからも、ひとまとりの象徴性の数に「1」と「10」がなっていることが伺えます。

大アルカナは、10を基本システムとしているわけではないと想像されますが(3や7のシステムのほうが強い)、10を単位とできないわけではありません。

ともかく、新しさを象徴する「1」を持つ大アルカナが三枚あり、それぞれにやはり、「新しさ」の特徴の段階があるのだと推測されます。さきほど、述べた「10」の単位ごとにリニューアルしたり、レベルがアップしたりしているのだと考えられるわけです。

1の「手品師」はまさに初めの中の初めと言え、初心(者)と例えることができます。それゆえ、若い姿で、テーブルの上にもいろいろな(手品)道具が散らばっています。よくありますよね、道具から入る、形から入るみたいな人が。(笑)

なお、マルセイユタロットの種類によっては、この「手品師」の足元に、“若葉マーク”のようなものが生えているように見えることもあります。不思議?ですよね。

「さあ、やるぞ」と道具をそろえてみたものの、初心者はそれらをどう使うのか、整理して学ばないといけません。「手品師」も、心なしか、視線がテーブルの道具類にはなく、何か指導書とか頼るへき誰かを見てるようにも感じます。

次の11の「」は、ライオンを従えた女性の姿です。女性にも若々しさがあり、やはり新しい感じがします。

「手品師」の男性から女性に変わったことで、柔軟さや包容力も出た印象があります。もしかすると、「手品師」だった時がライオンに象徴されているのかもしれません。つまりは、「手品師」の経験を受け入れ、コントロールしているようにも見え、新しさといっても、また別の次元や段階に来たことが見て取れます。

「手品師」時代の経験は完全に自分のものにして、未来に向かってより力を発揮していく姿が想像されます。

そして、最後は21の「世界」です。

ここまで来ると、新しさというより、完成した感じが強く、「1」のカードは登場する動物が次第に多くなりますが、「世界」ではそれが際立ち、「力」にいたライオンだけではなく、さらに三つの生き物、合計四つの生物に囲まれ、中の人も、一見女性のように見えつつも、男性にも見え、いわば、中性、両性を持つ者ではないかと考えることができます。

終着点、完成されたようにも見える「世界」ですが、異次元レベルで、次の段階の新しいことに向かうことになると言えます。まさに「新世界」です。それは中央人物のダンス姿や動きからも、何かこれから始まるのではないかという見方ができるからです。(その他の理由も、もちろんあります)

「手品師」が道具だけを扱っていたのに対し、「力」から「世界」にかけては、それが生物というものに変化していることも重要ですし、「世界」に至っては、再び、「手品師」のような道具も中央の人物は手にしています。

単純に絵柄だけを追って行っても、「手品師」から「力」「世界」へと、拡大・成長・複雑・高度化しているのがわかります。

ここではわざと、優しく書いていますが、本当は、今書いてきたことは、非常に深く高度な象徴性と意味が隠されており、それがわかると、マルセイユタロットが周到に用意されたシンボリズム、体系にあることが明瞭になります。

要するに、マルセイユタロットは、明らかに意図をもって、複雑に計算された描写のもとに成立しているということであり、ただの印象とか直感、あるいは芸術的な意味をもって描いているのではなく(芸術の影響はあるとは思いますが)、私たち、カードを見る者に、ある種の企画と意図を発見するよう促している仕掛けがあるわけです。

さて、再び、「1」を持つ三枚のカードに戻ります。

リーディングにおいても、このような段階やレベルの違いを、同じ「1」を持つカードに見ておくことで、どのカードが出たかによって、カードを引いた人物、またはリーディングを受けているクライアントに、どういう「新しさ」の質が求められているかというのがわかります。

「手品師」が出るのと、「力」で出る場合、「世界」が登場した時とでは、それぞれ違いがあるうえに、同時にこれらのカードで出た時や、もし正逆の位置を採っていた場合なども、さらに意味合いが変わってくることになります。

しかし、基本として、数のシンボルをとらえた時は、「1」という数が浮かび上がり、段階やレベル、質は違っても、やはり何らかの新しさが求められていること、または、そのためのテーマがあることは確かなのです。

あなたなりの、新しさをもって、今年に活かしてください。

 


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