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悩みは独りよがりの中にある。

この前、自分のやっているタロットやカード技術とは違う方法(私のマルセイユタロット)で見てもらうための企画の募集をしましたが、先日、それを受けていただいた方がいらっしゃっいました。

その方は、タロットやカードが好きなことが雰囲気からも伝わってきましたし、その中のひとつとして、マルセイユタロットをされていたのも、私自身としては、とてもうれしく感じました。(それだけ、私はマルセイユタロットが好きなのです(笑))

それで、その方の展開法や技術とは異なる、私からのリーディングと説明をさせてもらったのですが、結局、本質的にはご本人がされたものと、私の展開してリーディングしたものとは、同じことが出ていたわけなのです。(同じカードもポイントとして、シンクロ的に出ていました)

そして何よりも、すべては、リーディングするまでもなく、ご本人がもともとわかっていたことだったのでした。

今日の書きたいことは、ここになります。

つまり、私たちは誰もが、本当はどうすればよいか、悩みながらも、実はわかっているということです。

しかし、占い師でもスピリチュアルリーダーでも、タロットリーダーでも、はたまた普通のお仕事をされている方でも、意外に、自分のことはわからないとおっしゃる方が少なくないです。(私もそういうところがあります)

ここが人間としての悩みであり、苦しみであり、しかも、現実世界として存在するあり方(そういうルールみたいなものになっているところ)とも言えます。

マルセイユタロットの教義に限らず、スピリチュアルな方面、あるいは宗教的な面でも、人は神や仏と同じ完全性を持つ存在、またはそれになることができる(悟ることができる、回帰することができる)と謳われています。

ですから、どんな困難な事態に陥っても、解決の方向性、よい方法、改善策などは知っているはずなのです。

人によっては、それが、何となくのレベルから、何度もそう思ってきたという確信に近いレベルまで様々です。

それでも、やっばり人は迷ってしまう、わからない、悩んでしまうというのは、神性(完全性)とかけ離れた自分、端的に言えば、自我の強さと、社会的・常識的観点で見た自分の判断を正しいと思う傾向があるからだと考えられます。

すごくシンプルに言えば、それは独りよがりのことなのです。

自分の思考あるいは感情によって、さも分析装置にかけたり、直感センスを利用したりしているように見えても、不安や恐れ、外から見た自分や、他者の観念が強くダウンロードされて操られた状態になっていては、それは独りよがりの輪の中で、グルグル回っているだけに過ぎなくなってしまいます。

ここから脱出するには、元の神性とつながる自分に戻ればいいのですが、今の時代、まず神聖な時間と場所がほとんどなく、多忙な毎日とデジタル的な膨大な思考(外側からのいいか悪いかで判断する分析)的情報の洪水にあり、ほとんどの人は、翻弄されて、環境的に、元の自分には戻りにくくなっています。

元の(神性的・魂的部分とつながっている)自分なのか、誰かの思想の(誰かのための犠牲的)自分なのか、善悪、利害で見ている自分なのか、わけがわからなくなるのです。

人間界は、私が思うに、本来の自己、神性的な自己とはつながりにくい環境をあえて作り出しているようにも見えます。

かつては、それでも、聖域や、聖域を守り、神に奉仕して、神性的なエネルギーと波動を自らに有していた巫女的・神官的な人々がおり、生活の場所においても、神棚や仏壇、近くには鎮守の神社、お寺、屋敷には屋敷神、井戸の神、台所の神など、身近にも神域を感じさせる場所がありましたし、静かなる時間も今よりは多かったでしょう。

それを失った今、現代の環境と人々が、迷いの空間(本来の自分の声を純粋に聞くことのできない時空間)に閉じ込められているかのようになって、特に精神的・霊的に淀んだり、停滞したりするのは当然かと思います。

さきほど、独りよがりになるシステム・環境が問題だと言いました。

人間界には、救済のシステムも働いていると考えられ、その中のひとつで、かなり強力なのが、意外や意外、人間同士の交流によるものなのです。

もちろん、人間と修羅の世界が近接しているような環境では、人との交流によってかえって傷ついたり、被害に遭ったりすることもあります。

反面、人が人を助けることのできる世界でもあるのです。

前に、自分は自分でしか救うことができないと書いたことがありますが、究極的にはそうなのですが、それに至るための前提で、他人からの救済、手を指し伸ばしてくれる経験によって、自らが救われたという思いが出て、自分で自分を救うという感覚が芽生える過程があります。

要するに、他人目線だからこそ、冷静に、しかしその人のためという愛をもっての視線で、手助けが他人からできるのです。そう、独りよがりに陥っている人の堂々巡りの輪に、脱出するための手を差し伸べることができます。

人は、自分でわかっていても、本当にそうなのか、わかってはいるけれども、どうやればいいのかわからないということが、悩みにはあります。

その解決には、他人からのアドバイス(他人視線)によって、「やっぱり自分の思っていたことは正しかった(というより、自分本来の声だったのだ)」とわかりますし、方向性が自分ではわかっていても、そのやり方がわからない人には、やり方を教えてくれる人(その道の専門家とか得意な人とか)いるわけです。

例えば、自分のしたい活動があるけれとも、それをしていいのかわからない。それでも、それをするのが好きという自分がいるし、やっていて楽しい、何となくそれをすればうまくいくこともあるのではないかという感じもする、一方で、常識的・社会的に見れば、困難さの思いが出たり、自信も出てこない自分がいる、という状態だとします。

そこで他人に(タロットなどで)見てもらうと、やっていいという気持ちの許可ができていなかったり、経済的なこと、社会的な目線で活動を見てしまったりする自分が改めて認識されたりします。

しかし、したいことはすればいいとも出ます。つまりは、そのままの自分の思いが出るのです。そして、カードをさらに精査していくと、自分本来の思いが自分を成長させたり、抑圧から解放してく過程になっていることを知ります。(エゴでわがままなものとの区別もつきます)

社会や現実とすり合わせる意味では(たとえば好きなことを仕事にするなどのことでは)、方向性さえ決まれば、あとは自分自身を阻害したり、抑圧たりしないようなやり方を見つければ(現実の世界で人から教えてもらえば)いいのです。

結局、神性なる自分はすべてを知っていますが(つまり神としての自分が計画していることがある)、それを後押しするのも、現実的との調整と適応をさせていくのも、人なのだということです。(人間世界での実際の表現については、多くは現実の人間が手助けすること)

本当はわかっているのに、独りよがりに陥って悩んでいる人は、タロットセッションで解きほぐして(他人という観点でもって転換させることで)、本来の自分に戻る手助けをさせてもらいたいと思います。


タロットリーディング半実例体験

占星術的にも、いて座に木星が移行するというエポックな時に来ましたので、今日は私のやっているタロットリーディングで、半実例的なものを皆さんに披露したいと思います。

“半”とつけているのは、実際のクライアントの方へのリーディング事例ではなく、まさに、このブログを今お読みになっているあなたに対して行うという意味で、半としているわけです。(笑)

今の私は、ブログをご覧いただいているあなたの問題や悩みは知りません。

しかし、読者を想定して、マルセイユタロットをすでに展開しております。

ただ、展開法の全容につきましては、オリジナルなところもありますし、煩雑になりますから、ここで明かすことはしませんが、出たカード重要なポイントとなるところは、カードの示唆・意味とともに書いていきます。

タロットリーディングが象徴をとらえることであり、現実的(具体的)解決やアドバイスを出すというのは、実はタロットリーダー側の役割ではないことも、少しは理解してもらえるでしょう。(占い現場に立つ人は、それでも具体策やきちっとした運勢の方向性を出すことは求められます、ここでしている意味のタロットリーディングは「占い」ではないものです)

まず、明かせる範囲内での展開で言いますと、最初にスリーカードとして、三枚の重要なテーマともいえるカードを出しました。

それは、「斎王」(一般的には女教皇と呼ばれるカード)、「世界」、「神の家」(一般的には塔と呼ばれるカード)でした。

そして、さらに追加して、数枚、今回のテーマに重要なサポートとなるカードを引きますと、「正義」、(名前のない)「13」、「隠者」というカードたちも登場しています。

最初のスリーカードとしては、完成に向けた取り組み、または大きな変化を期待している状態、理想や志も高くあるようなカードたちが出ています。ここから、継続的な学びや学習、何かやりたいことや夢の実現に向かって、準備していることがうかがえます。

しかしながら、反面、思うだけで、なかなか手に届かないこと、どうやって、夢や理想にたどりつけばよいのか、そもそも、自分にその道が合っているのか、やる資格はあるのか?という疑念、自己卑下、思案している状態ということも感じます。(※カードは、ポジとネガ両面を象徴として見ていくことができるのです)

また、女性的な「斎王」、男性的な「神の家」との間に、「世界」という両性具有的(真ん中の人物)ともいえるカードがあり、両親的な影響、男女のつきあい、結婚などの問題、自身のうちにあるセクシャルな(あるいは二元性の)問題の統合というテーマも見えてきます。

それらに対して、サポートするカードが、先述したように、「正義」、「隠者」、「13」(順不同)です。本当は、最初に出たスリーカードたちの一枚一枚にも対応しているのですが、ここでは全体的な一連のサポートカードとして統括して見ていきたいと思います。

すると、「正義」と「13」には、剣と鎌があって、何か鋭い刃物が共通して出ていることがわかりますし、「隠者」はランタンのようなものをかざして、(フードによって柔らかになっている)光を掲げているのが見えてきます。

剣や鎌、「隠者」の光などの象徴性はきちんとある一定の決められた意味があり、しかも、それは多重性を持ちますが、今回は、初心者にわかりやすく、見たままのモノの印象から読み解きます。

刃物なのですから、何かを切る、そぎ落とすことであり、また(もし刃物がさび付いていると)磨いて光らせることかもしれません。

ただ、「正義」のほうは、まさに正義の剣を振り下ろすイメージもあり、カッティング的なシーン(始まりや、モノのシェア)も思い浮かび、一方、「13」では、鎌なので、刈り取る、処理する、収穫する(終わらす)というイメージが出ます。細かく言えば、同じ刃物でも、使い方や目的も異なるわけです。

そして「隠者」は智慧や経験のある老賢人の姿でもあります。こういう人物が光を持って現れており、何かを授けてくれる雰囲気も醸し出しています。しかし、すぐに見つかるような。あるいは虚栄心で目立つ人物ではなく、隠れた実力者とも言えます。そして、あなたに、自分の良さを自覚できるよう、(光をあてて)フォーカスしてくれそうでもあります。

「13」は一見、怖いカードですが、試練を含む変容のカードでもあり、「隠者」もある種の新しい(特に霊的、精神的な)体験を施すイニシエーション的な意味を持ちます。

ということは、この二枚が出ているので、少なくとも学びの蓄積、回収や効果によって、新しい次元が開かれる準備が来ていることがうかがえますし、実際の人かどうかは別として、あなたを(厳しくも、時には優しく)引上げ、導く人も出現するかもしれません。(または自分が探すこと)

少なくとも、剣が出ていることで、自分が磨き続けた知識・経験・感性が、役に立つのだと信じる、役に立つ時が来たと思うことは大切です。それがあなたを変え、救う光ともなるのです。(刃物は磨くと光輝きますが、それを示唆しているのが「隠者」(のランタン)とも言えます)

「正義」の剣は決断を促し、学びだけではなく、すでに実践や新しい段階へと、勇気をもってスタートすることも言っているかのようです。成功や失敗の概念で悩むのも、また両天秤の成させる技ですが、逆にそれはまた、「正義」からの解決的な提案も語ります。

それは、天秤のように、ふたつをかけ持つこと、また剣を重視して、覚悟を決めて、今までメインではなかったことをメインにし、マイナーとメジャーの交換を促すということです。もし一人でその決意ができない、自信が得られない時は、「隠者」として専門家のサポートも受けるとよいでしょう。

いずれにしても、「13」があるので、中途半端に悩むより、できることの処理を進めて、したいことへの決断を早めるべきだと感じます。それはあなたにとっては、時にはつらいことや大きな変化でもあるのですが、それを受け入れることが進化でもあるのです。

そもそも、最初に出た三枚のカードたちも、自分自身を受け入れていない部分が過去から残存していることが示唆されており、それを認めていくことが、何よりも達成したいことへの近道であることを表しています。

親や他人、パートナーたちの願い・思いよりも、あなた自身の世界(真ん中は世界のカードです)を構築する、いや楽しむことです。しかし、やり方は複数ありますし、あなた一人がすべてやるのではなく、苦手なものは、ほかの人に移譲する許可と赦しも持つことが肝心です。目的のための、楽と効率性は選択してよいのです。

あなたは、弱くて決断力もないと自分では思っているかもしれないですが、マルセイユタロットは、本当のあなたはそうではないと言っており、むしろ、それはあなたが作り上げてきた逃避的殻(シェルター)であると語っています。

「神の家」は、そのシェルターを破壊しますが、同時にあなた本来の自立、魂(神性)に生きる人生を始めることができます。もうグズグズしてはいられないのです。

以上、ざっと、初歩的なレベルでリーディングしましたが、これだと、とても抽象的だと感じられたでしょう。

特に占いタロットをしている人には、そう思えるはずです。こんなものはアドバイスにならないと。

しかし、カードを見ながら、もう一度、よく読んでみてください。

例えば、あなたが仕事の選択で悩んでいたら、どういう意味として読めるでしょうか?

恋愛の問題で悩んでいたら、どう解釈できるでしょうか?

生き方をどうすべきかで悩んでいたら、このタロットの示唆からどう思われるでしょうか?

占いの場合は、占い師から、あなたの運勢的、現世利益的幸運の道を具体的に示してくれることが多いです。それは楽で安心できることでもあります。だから、本当に自分では判断がつかない、わけがわらない、緊急だという時には、占いもよいと思います。

ところが、占いではないタロットリーディングとなってきますと、このように一見、抽象的な読み方にもなります。

このブログを読んでいる人の悩み・問いはいろいろで、まさに個別的なものでしょう。(最初にも言ったように、当然、私は皆さんの悩みひとつひとつは知りません)

それでも、展開したタロットから見る共通する象徴性があり、それを具体的次元・事象として、あなたが落とし込めば(あてはめれば)、おのずと、どうすればよいのか、どういう状態なのか、自分自身で気づくことができるはずです。

これこそが、象徴(抽象次元)と、現実(具体次元)をつなぎあわせる力となり、自らの創造性の力の発揮とも関係してくるのです。

右か左かが、言われなくても自然にわかってくる、あるいは右でも左でもないという本質的問題・テーマが見えてくると言ったほうがよいでしょうか。

タロットリーダーはあなた(クライアント)自身ではありません。タロットにあなたの思いや状態を映し出すことはできても、その本当の解答は、まさに、あなた(クライアント)自身でしかわからないことなのです。

それでも、タロットには、実際的・具体的次元にまで落として、わかりやすくさせる技法もあります。これは具体性を示唆させるための、タロットからの親切な手ほどきです。

それがタロットに小アルカナのある意味のひとつです。(それでも、それは正しいとか間違いを指すものではありません。現実の中で、あなたの性質をどう生かすのか、どう調整するかの判断を、大アルカナよりも、具体的な形で示すというものです、運・不運を示すことでもないのです)

タロットリーディングは、タロットリーダーのタロットの象徴知識、直観性と、クライアントの実際的情報、カードへの印象、直感などが相まって、共同作業としてワークし、タロットリーダーのサポートのもとに、クライアント自身で、自らの解決や気づき、癒しを得ていくものなのです。


マルセイユタロット講座で伝えるもの

この前は、市井の悩める人々に、占い師として、応え、癒し、その人たちの問題や人生をよくしていくという道で頑張る人の応援歌のような形で書かせていただきました。

タロットリーダーとして、対人援助する道のひとつには、占い師となって、まさに現実の実践の場で、様々な人々の悩みごとに対応していく、救済の道があります。

実はこれは自他ともの救済です。

なぜなら、占い(師)といえど、やはり自分の問題・テーマと関係したクライアントが現れるからです。その人たちの悩みに取り組んでいくことが、すなわち、自分自身への浄化や学びにもなっているからです。

またそうした占いというより、セラピストの要素を主として、タロットリーダーになっていく人もいます。これらは個性でもあり、その人の選択と、天の思し召し(役割)によるところもあるでしょう。

活躍の場や方法は、何がよくて何が悪いとか、優劣で決められる問題ではないのです。

大切なことは、目の前の悩めるクライアントに対し、その問いが占い的なものであれ、心理的なものであれ、霊的なものであれ、真剣に自分のできる範囲で(完璧にできるわけではないので、今の自分の力として)応じていき、結果的にはその人たちが癒されたり、前向きになったりすればよいのです。

時にはうまくタロットが読めなかったり、クライアントによいアドバイスを提示できなかったりすることはプロの人でもあるでしょう。

しかし、あなたがタロットとともに、うわべや虚栄心、ほかの目的ではなく、純粋に心と魂でもって応対していれば、相手の人はどこかですでに癒され、何らかの形で問題の解決に向かっいるのだと感じることができます。

さて、一方、私は、講座でタロットリーダーを養成することを主目的としているのではありません。そういう道が、講座で学んでいると、選択肢のひとつとして出てくるということであり、それもまた個人の自由と意志、自らの内なる衝動や導きによります。

ではほかに、何を目的としているのでしょうか?

それは、ちょっと大それた話にはなります。

マルセイユタロットの教説には、人は誰でも神性なる部分、高次の霊性を持っているというものがあります。

もちろん、人間には、ほかにも、いわば動物的な本能部分や、感情や快楽(苦を避ける)で動く、自己防衛、自己(エゴ)満足で判断する部分もあります。その他にも、人というのもは、本当にひとつところでは限定できない、様々な要素を持つ存在です。

ゆえに、私たちは日々悩んだり、逆に喜びを味わったりすることができます。

さて、ここで、もう少し、視線を外に向けてみましょう。あなたは、この現状(あるいいは歴史で学んだ過去からの)世界が、最善のものだと思えますか? そして、何より、あなた自身は幸せ(単なる現世利益的なものや、個人レベルで満たされているというのではなく、本当の心や魂部分から見て)と言えますか?

そして人の心は、案外にもネガティブに傾きやすいことも、多くの人は自覚しているのではないでしょうか? そういう性質にいるのはなぜなのでしょう?

とはいえ、スピリチュアル的な大きな神視点を持ってくれば、なるほど、この世界は完全で何も間違っていないのかもしれません。

つまり、問題は、私たち自分自身にあり、この世界自体は、自分の今の世界の人に共通した心が映し出した(作り出した)マトリックスのような世界だと言えるのかもしれません。

そのことは、おそらく事実に近いのではないかと、いろいろと学びをしてきて私も感じます。

それから、よく言われるものに、カルマ業の人生というものがあります。これにもいろいろな考えはありますが、平たく言えば、輪廻転生説の一環であり、私たちは、成長であれ、修正であれ、とにかく過去(あるいは未来)の何らかのデータと宇宙的規則(ダルマ)によって裁かれ、地球人生を繰り返しているというものです。

こうした視点をそのまま入れてしまえば、私たちはとにかく、毎度毎度、記憶はなくても、どこか、あるいは誰かの魂のデータによって、適切だと思える今生の人生設定を選んで、輪廻転生して、生き続けることになります。

しかし、さきほど、神目線に立つと、世界の問題は私たち自身の共通したものにあると言いました。

輪廻転生を繰り返し、自分や世界をよくしようとしても、今現在の社会と世界は、とても理想とはほど遠いというか、私には修羅の世界にも見えてきます。

もちろん、善的なものや幸福もたくさんあるとは思いますが、やはり皆が平和で安心して、生き生きと活躍できる世界とはいいがたい部分が多いように思います。

ここで、思うのは、マルセイユタロットをやってきて気づいたことでもありますが、そもそも私たち自身が、かなりの部分で間違ったシステムを信じ込み、それを動かそうと、もう何千年もしてきたのではないかということです。それはカルマシステムとか、輪廻転生的なものも含めてです。

言い方を変えれば、認識や智慧のレベルが、ずっと低いままで来ていて、いわゆる文明の進化ということはあっても、それは本質的には変わっておらず、自分たちの信じているシステムと社会をただ便利に、回転しやすく発達したかのように見せかけているだけという気がします。

我々が信じ、続けてきたこと(これは生きている世界だけではなく、あの世とか、見えない世界も含めて)に疑いや考察の目がまったくなく、ただ神は、宇宙は完璧だと思い、頑張って従っていれば報われるということを、何世代も繰り返していて、真の進化が滞っているのではないかと考えるわけです。

換言すれば、ある同じ次元(と世界)でのループにはまっているということです。もしかすると、実験として観察されている対象なのかもしれませんが。

これは、神や宇宙を否定したり、疑ったりするということではありません、おそらくも神、宇宙は、いつも完全です。

しかし、私たち人間自体が誤謬し、宇宙や神性的ものから遠く離れた状態に、自らを置き続けているのです。

いわば、自分たちで自分たちを苦しめているシステムの中で、バーチャルなすばらしき世界と思っている「地獄」にいるのです。

ですから、私たち自身が生み出す幻想やよいことと思っているものを疑い、レベルや次元、システムを変容させなくてはならないと言っているのです。

マルセイユタロットが本当に伝えていることは、それだと私は考えています。(もちろん、あくまで私の考えで、いろいろほかの考えがあってもいいと思っています)

簡単に言えば、マルセイユタロットを通して、内なる神性に少しでも近づき開花し、一人一人が波動的に影響を及ぼし合い、自分たちを苦しめるシステム自体が変えられることを確信してほしいと思っているのです。

大きな言葉でいえば、創造されたものの立場から、創造する立場への変換です。

私たち自身がその昔、契約したもの(存在)を解除し、新たに私たち自身で世界を変え、本来の宇宙を創造、あるいは本来のもとに回帰する必要があるのです。

そのようことを伝達し、皆さんと私の目覚め、向上のために、マルセイユタロット講座を開いています。これもまた、それぞれの救済の道だと考えています。


占いの世界で頑張る人に

私は、純粋な占いとしての技術のタロットは、ほとんど教えていませんが、場合によっては、必要なこともありますので、特にプロリーダー養成コースの中では、伝授している技法もあります。(求められればお伝えもします)

と申しますのは、やはり、タロットを対人援助的に使う場所としては、現実的には占いのフィールドが多いからです。

ここ(占いの現場)は、占いという、一見、非現実的なことを扱う場所ながらも、実は、いろいろな意味で、とても現実的なところです。

まず、占いの館などの場合、オーナーは人助けの意思でされている人もおられるでしょうが、営業・お店の部分もありますから、当然営利としてのお金が関係します。

占い師は雇われる立場になり、場所によっては、それこそ、営業セールスマンのように、毎月・毎週の売り上げ(人気)ランキングが貼り出されて、競争を意識させられることもあるでしょう。

また、占い師同士の激しい競争意識とか、売れている人への嫉妬の念のぶつかりあいとか、そういう激しい情念が渦巻くところもあります。

ともあれ、店内の争いはともかくして、お店側としては、厳しい言い方をすれば、どの道、お店の利益に貢献しない占い師には用はないというわけです。しかし、普通の仕事でも、仕事ができない人は、辞めさせられたり、厳しく扱われたりするものです。

逆に、人気の占い師は、いろいろとお店が便宜を図ったり、特別ボーナスの支給や扱いをよくしてくれたりします。まあ、これも私企業に勤める普通の社会の人と似たところがあるわけです。

ということで、経済的なことでの雇用の現実性が、占いの世界でも当然存在するので、現実的だと言っているわけです。

もうひとつは、占い師のほうではなく、相談に来られるクライアント側にも言えることです。

それは、巷の占い現場の相談内容は、まさに生々しく、現実めいた問題だということです。

もっと言えば、具体的なことが多く、人間の典型的な悩みといえる。仕事・お金、恋愛・結婚、人間関係、健康、運勢などの問題が如実に、あるいは赤裸々に語られるわけです。

たとえクライアントの言い方が抽象的であったり、柔らかな感じがあったりしても、悩んでいる相談者の心はかなり苦しく、どろどろしたものがあると言えましょう。そう、人間社会の(悩みごとの)縮図のようなもの(世界)があるのです。

日本には、ムラ社会の時代では、江戸時代に整えられた檀家制度もあって、お寺さんに悩みごとを相談できたり、そもそも近所づきあい、家族づきあいが色濃いものであったりしたので、悩みを打ち明ける機会は、今よりも気安くあったのではないかと想像します。

また、かつてのムラには、いわゆる年齢階梯制度による一人前になる仕組みがあり、年齢グループによって、男女別に集まり、夜に話し合ったり、泊まったりして、いろいろとムラの掟を学ぶと同時に、仲間意識を醸成し、悩みも共有したり、相談し合ええたりする雰囲気があったと言われます。

さらに言えば、仏様や神様と交流する霊的な機会が、祭ごと(祀りごと)として、季節のポイントの折々にあったので、霊的浄化やエネルギーの開放と充填もできていたところがあったのでないかと推測されます。

それで、話を占い師に戻します。

今、身近に、現実的・精神的なことを相談てきる場所が、意外に多いようで少ないのが現状です。

確かにスピリチュアルリーダーとか、セラピスト、カウンセラーとかいう人は増えてきましたが、そういう、いわば横文字的なものになってきますと、敷居が高くて敬遠される人もいます。(継続回数が必要なことがあるのと、料金が高額というのもあります)

しかし、「占い」となれば、相談としては、特に女性の場合は気軽に行ける人も多いでしょう。料金も予約制の自宅サロンでされている人とか、有名占い師さんは別として、最初はそれほど高額には設定されていません。

タロットを学習し、タロットを人に活かしたいとなれば、このような占いの現場で活動するという方法もあります。

ただ、先述したように、生の現場では、まさに市井の人の本当の悩み、現実的な悩みごとを相手にしなければなりません。そこには、空虚な理論や、いきなりのスピリチュアル的観点、精神論は受け付けられない場合もあります。

言い方は悪いのですが、占いの相談に来られる方は、自分の状況を実際によくしたいと飢えている、よい選択肢を強く求めているのであり、フワフワした抽象的な物言いでは済まないこともあるわけです。

タロットでいえば、講座やセミナーで学習する基本的なパターンの読み、教科書的な読みとか、展開法、リーディングが通じないことも多々あります。

私など、昔、占いの館に出ていた時、タロットを展開しても、タロットそのものを無視する(見ようとしない)人もいて、こうなると、タロットを自分の中に組み込んで、絵柄ではなく、タロットの教えとか象徴性を自分の言葉に変えて伝えるしかありませんでした。まるでエアータロットみたいなものです。(笑)

でも占いの現場は、悪いことばかりではありません。誰にも相談できず、偶然仕方なく、占いブースに飛び込まれてきた方が、救われたという話はよくあります。占い師側も、きちんと結果を出して評価されれば、お金として得ることもできます。

現実的なところだからこそ、現実の場所で救う(おこがましい言い方ですが)ことができるのです。とても大げさで、あえて美しい表現をすれば、後方の病院でなく、戦場に出て看護するナイチンゲールのようなものです。

占いは、具体的で現実的な救いの言葉、サポートが必要と言いましたが、しかしこれだけでは、占いの悪い部分として、クライアントに依存や運命論信者(あるいは、幸運・開運ばかりを異常に望み、選択しようとするアンバランス性)を生み出してしまいます。

喉が渇いた人にはお水を、お腹が空いた人には食べ物を、というのが占いの最初かもしれませんが、そこでひとまず落ち着いてもらってから、本当の要因や改善の方法に入っていくことも、占い師としては求められるかもしれません。

つまりは、それは精神・心理レベルの話であったり、サイキックとは別の、霊的な成長の話であったりします。

おそらく、かつてはそういうシステムでお寺とか神社、時には地域の霊的能力者・拝み屋さんのような人(悪意のない場合の人)が、市井の人の悩みに応え、やがて、その悩みを超えて、仏や神の道、霊性の向上へと導かれるように、説いていたのでははないかと思います。それは今でいうと、終活も兼ねていたのかもしれません。

占い師さん(それを志す人も含めて)は、なかなか厳しい世界だと思いますが、皆さんの志次第で、今の現実的問題の解決を示唆しながらも、もっと高いレベルへと相談者の方々を導き、志向させることもできるのではないかと思います。言ってみれば、現代の遊行僧、市井に降りた巫女的な者なのです。

どうぞ、占い師の皆さん、頑張ってくださいませ。


「運命の輪」の切り替え

タロットの展開では、過去・現在・未来を示すパートのカードを引くテクニックがよく用いられます。(有名なものではスリーカード)

このうち、一般的な関心として、また占いごととして、未来の部分に人は注目する人が多いでしょう。

そして、次に現在。

これは、今のことですから、現在に関心があるというより、現状はタロットで示すとどうなのか?という、いわば、自分の今を客観視するような部分と言えます。

これはこれで、やってみると、やはり重要だ思えるでしょう。

では、過去はいかがでしょうか?

過去はすでに終わったことであり、普通、今から変えられるわけではありませんから、そもそも、この過去パートのカードを出す意味、リーディングする意味があるのかと疑問を持つ人も少ないかもしれません。

ただ、ここも、現在と同じく、今までの経過を冷静に確認するためには、意味のある部分といえます。

そして、今日は、また別の意味で、この過去(そして未来)の部分と関係する話となります。

マルセイユタロットの「運命の輪」によりますと、「運命は切り替えられる」と言います。

(私がタロットカードの具体名をあげて語る時、知識として学び、受け継いだ象徴的部分と、実際にカードからのインスピレーションや、ある種のカードの人格的存在とのコミュニケーションによって得ている部分のものがあり、従って書籍とか、普通に言われていることとは異なる内容も含まれます)

ちょうど、それは、列車のポイント切り替えのような感じで、今走っているレールから別のレールに乗り換えることができるような印象です。

「運命の輪」は、まさにその名前の通り、運命が回転しているさまを一説には表し、そして、その輪の回転は、個人間で違うだけではなく、同じ人の中にも、次々と入れ替わる(切り替わる)「運命の輪」があると考えられます。

ここに、もし運命というのものがひとつだけだと思ってしまったり、変える(変えられる)といっても、ある特別な場合だけと思い込んだりしてしまうと、運命の切り替えは簡単にはいかなくなってしまいます。

そうした人は、昔風の列車の切り替えポイントで例えると、かなり重たい切り替え装置になっているということになります。

実は、「運命の輪」は(によれば)、それこそ「輪」はいくらでもあり、その分、様々な回転による無数の運命が展開されているというのです。

それに気がつかないと、輪の中の動物のようにグルグル同じところを回り続けることになります。

「運命の輪」には、輪から逃れているスフィンクス状の異質な動物がおり、つまりは、このスフィンクスの境地がカギであるのです。

簡単に言えば、自分がスフィンクスとなって、嫌な状態や望んでいない今の運命の回転を切り替えていくということです。

「これではない(この運命の輪の回転を望んではいない)」と、新たに選択(ポイントの切り替えを)していくような感覚ですね。

この方法は、訓練すればするほど、現実に影響を及ぼす可能性は高くなると思います。

スピリチュア的には、一種の波動転換儀式みたいなものです。(ただ、感覚次元の相違を実感していく必要はあると思います、単に儀式をするだけでは効果は半減するでしょう、つまり切り替わる前と後の違いを感覚として意識できるかということです)

そして、このことはこれから先の現在と未来だけではなく、過去にも及ぶのです。

「運命の輪」には、三つの動物がおり、その三つは、時の神(女神)を表現したものとも想定できます。つまるところ、それは過去・現在・未来意識による時間の流れ、運命としての感覚です。

それらが輪を通じて一体化しているものとも言えます。そう、過去も現在も未来も(一方向の直線としてではなく円環として)つながっているのです。

今、運命の切り替えを行ったあなたは、自分が変えた運命の輪を通して、過去の運命の輪も移行させており、過去の事実的な記憶としては変わっていないかもしれませんが、影響は現在→未来→過去というように向かっていると考えられるのです。

心理的には過去の重さの軽減、あるいは浄化、実際のものとしては、トラウマとか過去の失敗の思いがなくなったとか、現在と未来が、過去から応援されているように感じられる(使命の発見)とか、成功や達成の加速感がこれまでと違うという感じが出てくるでしょう。

そう、「運命の輪」的には、切り替えが行われると同時に、過去・現在・未来すべての輪も乗り換えられているのです。

自転車でたとえると、自転車の前輪を変えると(今から未来への切り替え)、後輪(過去)もそれに合わせて変えざるを得ず、従って過去も前輪にひっばられるかのように変質しているのだということです。

あるいは、こうも言えます。自転車そのものを乗り換えたので、今までの過去も新しい自転車にふさわしいものに変化していくのだと。

アニメでは、「輪るピングドラム」という作品がありますが、この作品描かれている内容のひとつは、運命を変える(乗り換える)内的な力のことが描かれています。(その他にも、深いテーマが象徴的にたくさん隠されている興味深い作品です)

私たちは普通、時系列が一方向しかないという強い現実感覚を持っていますので、過去が変わるというのはまったく理解不能だと思います。

しかし、過去というものは、いや、今や未来においても、その本質は事実やデータではなく、いかに自分が思うか、記憶するかのことによります。

同じことが起こっても、そこにいた人全員、微妙に違う記憶を持ち、さらに信念や感情まで入ると、事実というものは記憶(または印象)でしかないことがわかります。

だから過去は、歴史でさえ、たくさん改変されているのです。

あなたが学生時代学習した歴史の授業での常識さえ、新しい発見(それはたとえ過去のことであっても、今や未来に見つかることなのです!)や、多くの人が納得する説が出れば、変わってしまうものです。

ましてや個人の過去の記憶など、いかようにでも今から変わっていくことができると言えます。

今までの記憶はすべて自分の中にありつつも、実際の生活や意識のうえでは、個人がその都度選択したり、幻想としての世界を見させられているに過ぎないのかもしれません。

たとえ、過去はもう終わって、変えられないという常識でもってしても、今とこれからの「運命の輪」を、ポイント切り替えしていく儀式を続けていれば、自分の望む「運命の輪」(回転)に入ることは、しやすくなるのではないかと思います。

まずは、自分が望まない「運命の輪」が回っていることを意識・顕在化することから始め、希望する現実の回転・輪にシフトしていくように、自分(の意識)を切り替えるトレーニングが必要かと思います。

なお、「運命の輪」は同調し合うこともありますから、いいと思う人や場所で過ごすと、その影響が自分にも同調し、悪いと思う場所と人についても同じですので、自力だけではなく、他力による「運命の輪」の変換・切り替えもあると思って、やっていくとよいでしょう。

受講者用のメルマガでは、「運命の輪」のカードをもとにした、具体的な運命切り替えテクニックをお伝えしたいと思います。

こうしたことも、カードと対話していると、カード側から教えられることがあるのです。

まさに、タロットカードは生き物であることを実感しますね。


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