生き方・コミュニケーションの技術を

 新年になってかなり経ってしまいました。ブログを更新しようと思いつつも、結局今までできませんでした。どうもすみません。
 さて、「お知らせ」の方でも掲載しておりますが、来月スキップ・スワンソンさんの「コーチング/コンシャスリビング・スキル」という講座を、西宮市で開催させてもらうことになりました。スキップさんとは


タロット大学の講座を受けるようになって知り合ったのですが、スキップさんは日本に東洋の叡智を学びに来て、逆に西洋の内的伝統・奥義に出会われたというまことに面白い人生を歩まれている方です。その日本語能力は非常にすばらしく、カモワンタロットのグランドマスターであるフィリップ・カモワン氏の英語(カモワン氏はフランス人ですが、英語も堪能です)を、それは実に見事に通訳してくれます。私はスキップさんの通訳する言葉を聞いて、感動すら覚えたものです。また通訳だけではなく、彼自身のタロットの読みも本当にすごいものがあります。そんな多彩なスキップさんの本分ともいえるのが、この「コンシャスリビング・スキル」を伝える講師としての部分なのです。スキップさんを魅了し、人生をかけて伝えようされているこのスキルを、私も学んでいる途中ですが、こうした“意識的な生きる技術”を、もっと前に習うことができていたなら、どんなに人生は楽だっただろうかと考えることがあります。“楽”というのは、“安易な”という意味ではありません。それどころか、無駄に力の入らないもっと充実した人生が歩めたのではないかというものです。しかしそれもまた、それまでの自分の人生であったわけで、後悔はしていません。
 とはいえ、私が痛切に感じるのは、「コンシャスリビング&ラブ・スキル」に代表されるような自己尊重、人間関係、目標設定と選択・行動の意識的な生き方の話を、学生時代に少しでも教えてもらうことができたのなら、ずいぶんいい意味で物の見方が変わっていただろうと、とても惜しい気持ちがすることです。小学校時代、道徳の時間で自分や社会とのつきあい方を最初に学ぶわけなのですが、それから以降は、もっと年齢に相応した「生きる方法」の授業は教えられた記憶がありません。もっとも先生個人の思いや経験と、先生と生徒の人格的交わりやクラブ活動を通して学んだ方もいらっしゃるでしょうが、大方の人は、やはり「生きる」方法のソフト面についてまで習った覚えはあまりないでしょう。
 せめて、自分は自分であり愛し愛される存在であること、だからこそ自分が自身を受け入れ、本当の自分を見つけてそれを表現していくことが大事であることが教育の過程で教えられるとしたのなら、それだけでかなりの今起こっている若者達の問題が解消されていたのではないかと思えます。自己尊重を考えるとき、そこには当然、次には相手の尊重も自然な移行段階として入ってくるからです。また、人生は自分が選択したことの積み重ねでできており、それゆえに自己の責任と可能性に満ちていることが示されると、一刻一時の重みと、生きる希望を持つことが可能になるのではないかとも考えられます。おそらく、古代社会にあっては、現代人から見るととても宗教チックに見える教えの中に、意識的に生きる智慧と方法が哲学的にきちんと伝えられていたのでしょう。それは結果的に、人々の心の平安につながるべきことであったのではないかと想像されます。
 自分の内面を見たり、他人と協調していく意識的な方法などあるわけがないと現代人は思いがちですが、勝ち負けや善悪、信念・思想などによるものではない、自分自身と他人とのコミュニケーションのシンプルな技術を、もっと学生時代から学んでいく仕組みに社会はなっていくほうが、健全ではないでしょうか。単純に、コミュニケーションの仕方さえ満足に習うことができない状況なのは、寂しいことだと思うのです。

コメント

  1. nob-tan より:

    こんばんは~先生のHP&ブログにお邪魔しまして、素晴らしい、考え方に感銘しています。まったくその通りですね~!
    今後とも宜しくお願いします。

  2. miyaoka より:

    nob-tanさま、コメントありがとうございます。
    私は頭でっかちにえらそーに勝手に書いているだけですが、
    nob-tanさまはご自分の考えをきちんと実践に移され、
    活動されて実績をあげておられることがすごいです。
    こちらこそどうぞ、よろしくお願いいたします。

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