タロットによる感情の整理
この前の 続きになります。
ある感情が(右脳で)発生して、その収まりをつけるめために、人は理屈を左脳でつけたがるというようなことをお話しました。
そして理屈が脳をうまく丸め込む(笑)ことができれば、もやもやした気持ちにもめどが立ち、気持ちの整理がつくということにもふれました。
私たちはささいなことも含めて、日常的にこのようなことを行い、動揺を沈めながら生活を送っています。
しかし、どうにも強烈な体験や理由のつけられない(頭で理解できない)ことが起これば、脳がそれを整理することができず、トラウマのような形で残り、時にはフラッシュバックや人格分離さえ生じさせるといわれています。
一方、では普通程度の出来事だと大丈夫なのかというと、そうとも言い切れないところがあります。
それは自分をごまかし、嘘の言い訳をついて、とにかくも右脳を一時的にだまらせるようなやり方をとっている場合です。
たとえば劣等感と呼ばれるものがあると、それをごまかすために、いろいろと理屈をひねり出します。
最初は、自分には能力がない、お金がない、時間がないなど、ないないづくしから始まり、さらには、相手が悪い、親が悪い、上司か悪い、会社が悪い、社会が悪い、世界が悪い・・・と外への非難に向かって、最終的には自己の存在すら否定することで、感情のいらいら感、もやもや感を収めようとします。
いわゆる不幸自慢というのもこのからくりに似ています。自分を不幸だと理屈づけることで、自分の今の状況の不満感情に折り合いをつけようとするのです。
時にはそれが攻撃的なものへと変貌し、理屈が理屈を呼んで、「オレが不幸なのもあいつのせいだ」「社会のせいだ」と幻想し、自分をおとしめていると理由づけた対象に対して、異常な執着を見せることもあります。
ここまでとはいわないまでも、意外にも人は、「まあ、仕方ないよ」と「仕方ない」理由をつけて、いつも同じ事を簡単あきらめてしまう理屈づけにより、感情を麻痺させることも少なくありません。
そうなとる、日々一時的ごまかしを続けているようなものですから、本当の意味で処理できていない感情は行き場を失い、潜在意識に乱雑に押し込まれることになります。
「ちりも積もれば山となる」ということわざがあるように、それらも蓄積が続くと、突如表面に躍り出て、今度はどうしようもない暴風雨として暴れ狂うこともあるかもしれません。
また、貯められている混乱感情が磁場となって、同じような混乱した状況を引き寄せることもスピリチュアル的にはあるといえるでしょう。
ですから、ここにセラピーや浄化の意義が出てくるのです。
これらの整理されていない、あるいは偽の理屈で押し込められた感情を、きちんと再び取り出し(向き合い)、ラベルを貼って整理棚の中に収めていく手続きをする必要があるのです。整理ですから、時には消去していくものもあるでしょう。
このようにして本当に収まりがついた時(真の意味で理由をつけることができた時)、非常にクリアーで前向きな気持ちになることが可能となるはずです。今までは重しを抱えていたようなものなのですから。
ごまかしの理屈は自分でも(忘れようとして)気がつかないこともありますが、薄々普段感じていることもあります。
タロットはこの感情の整理に役立てることができます。なぜならば、タロットに示された絵柄と象徴があなたの心を映し出す鏡となるからです。
そうしてタロットという鏡を見ながら、あなた自身、ゆっくりと埋もれていたものを整え、再編成していけば、目に見えない負担が減り、きっと気持ちの上でも余裕といい変化が見られることになるでしょう。
続きですね。
ひとの思いは、意識して出さないと奥深くにやはり残ってるしまうのでしょうか。理屈に合わないこと、理解出来ないことに疲れてしまうのですかね。
>きりさん
そうでしょうね。ハワイでのカフナやホ・オポノポノでは、これを「ウニヒピリ」の影響といって、場合によってケアーすべき存在(記憶体)だととらえられているようです。詳しくは私もわかりませんが。
>タロットであなたを変える 宮岡和宏さん
アイスブルーか、コ゛ールドドラムですね。
>きりさん
ホ・オポノポノもご存じなのですね。ヒューレン博士式だと認識するより、何も考えず4つの言葉で消去することになりますね。