タイプや型は自分の中にすべて存在する。
人はよく、「私は内向型、あの人は外向型」だとか言ってみたり、はたまた血液型などで性格を分類してみたりと、結構、型はめをするのが好きみたいですね。
これはそのような型(タイプ)に分けるのが正しいのかどうかというよりも、人には分類する力があるのだと考えたほうが面白いのです。
血液型を例にとりますと、確かに医学上、ABO型として分析がなされ、それに従って4つに分類できますが、血液型はABO式以外での分類も可能ですし、血液型からの性格的な類型は科学的根拠がないと言われています。
それでも私たちが血液型分類に興味を示すのは、私たちの中に人を型としてとらえる内的な要素があるからだと考えられるのです。
逆説的ですが、血液の成分で科学的に分類しているように見えて、実際は私たちの中にある何かが、血液型という現実世界のフィルターを通してタイプ分けしてるのだということです。
これはタロットやアストロロジー(占星術)の西洋の秘教の根底に流れている「四大元素」の考え方(世界は4つの要素で構成されているという思考体系)と関係していると考えられます。
心理学者ユングの「内向・外向」、「思考・感情・直感・感覚」のタイプ論も、古代密儀に照らせば、陰・陽のふたつと四大元素の4つ、風・水・火・地(土)にそのまま対応すると推測されます。
タイプ・類型を考える時、「自分はこのタイプ」とわけ切ってしまうことは実は問題なのです。
タロットなどにある古代の四大元素論の考え方と今の分類思考の違いは、そのタイプ別の線の引き方にあると思います。
仮に4つのタイプに分けられることがあっても、古代ではそれらはすべて同一の中の一面に過ぎないという見方であるのに対し、現代のそれは、4つのタイプにまるで境界線をそれぞれの間に引くかのように、きっちりとわけてしまう、型にはめてしてしまうことに特徴があるように感じます。
形でたとえれば、古代は「円」思考であるのに対し、今は直線思考だということです。
もちろん今のタイプ論でも円思考のものも存在するとは思いますが、どうも総体的に直線状に、はっきりと区別をつけることで安心する傾向があるように思います。
型にはめることはいい面もあるのですが、直線的思考は独善的・排他的思考と、反対に自分をすぐ限界設定したり、限定してしまう自虐や束縛の傾向を生むとも考えられるのです。
古代の四大元素論のように、「ある見方では風のタイプになるけれど、別の見方では水のタイプにもなり、けれども結局はそれらは同じ要素を持つひとつの全体でもある」
というように考えれば、自分と他人との違いを意識しながらも、根底には同じものでつながっているという感覚が得られることでしょう。
人の短所も長所もある地点に立ったものの見方やバランスの違いに過ぎないことに気がつくのです。
ここに対立を緩和させるヒントもあるかもしれません。
次の機会では、タロットカードでの類型によって自分や人を見るという方法について語りたいと思っています。
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