耐えるばかりが解決ではありません。
仕事やプライベートにおいて、つらいことや困難なことが人には起こってきます。
そうした場合、自分の学びとしてとらえ、これを克服する、逃げずに何とか改善していくということはとても尊いものです。
実際、そのほとんどは「自分が気がつかねばならないもの」「成長するためのイベント」だと私も考えています。
光も電流の流れる抵抗があって熱を出して輝くように、困難なことは自身を磨くことに貢献すると言ってもよいでしょう。
ただ、私はもうひとつ、「別の意味もあるのではないか」とタロットを扱っていて気付いたことがあります。
それは「今やっていることは、自分に合っていない」と気付かせるために起こっているということです。
まさに自分の性に合わないといいますか、あまりに適性に向いていないことをやっていると、やはり人より倍時間がかかったりしますし、大変さを感じる度合いも、ほかのことをやっている場合とではかなりの違いがあったりします。
また自分の所属している場所、行っていることが社会的・精神的・霊的に間違っているということも考えられます。
そうすると自分のエネルギー(体力的・心理的)の消耗も激しく、克服どころか、その前に自分が倒れてしまいかねません。
悩み苦しんで、「自分が悪いのだ」と自分を痛みつけ、最悪の場合、自ら命を絶ってしまう危険性もあります。
それは、あなたが悪いのではなく、あなたの選択している状況が間違っている可能性もあるのだと考えてみてください。(自分の選択という意味では自分にも責任はあります)
単純に職場や仕事を変えるということもありでしょうし、その前に、他人の目線や評価を気にして、避けることができるものを過剰に自分に課してしまっている場合がないかなど、点検すべきものもあるでしょう。
小説の「ドン・キホーテ」のように、愚直に立ち向かうばかりが解決策ではありません。自分の可能性を狭めているばかりに、逆につらい状況になってしまっていることもあるのです。(余談ながら、「ドン・キホーテ」の物語は非常に示唆に富み、私自身はかなり秘教に関係していると見ています)
ひたすら耐えるばかりではなく、もっと広い意味で智慧を使いなさいということを告げられているのかもしれません。
結局は、大きな意味で考えますと、自分に起こることはすべて学びやメッセージだと考えることができます。
『自分に起こることはすべて学びやメッセージ』今の私は、まさに学びの最中なのだと思います。
学び終わるときに、少しでも成長した自分になっていたいです。
と、口では簡単に言えますが、今は目の前のしんどいのばかりに気持ちがいってしまって。まだまだです。
>たろさん
本当にしんどい時は学びと考える余裕すらなくってきますから、自分がつぶれない前に、環境を変えたり、人から助けを受けたりなどして自分を守る方法を検討することも、ひとつの手ですね。