定食生活、定食人間。

以前、ある知人にこんな人がいました。


彼と一緒にごはんを食べに行こうとお店に入ると、彼はメニューをろくに見ようともせず、いきなり「今日の定食」を注文するのです。


そして服を買うのもひとつの店で、マネキンにかかっているモデル一式を買います。あるいはスーツか、ワゴンにある、すでにセットになって包まれているものを選びます。


メガネを買い換える時も、レンズとフレームが一組になって店が売り出しているものを選択します。


旅行に出かければ、バックツアー。音楽CDもベスト版を購入...


とにかくお手軽、便利、相手が用意してくれているものをそのまま受け入れてしまう人でした。


手堅いといえば手堅く、大きな失敗もないかもしれません。


そんな彼を今笑った人もいるでしょう。でも私も含めて、多かれ少なかれ、彼と似たような部分は誰しもあるものです。


人は特別に意識すること以外、普段はスイッチを切っているかのようにオートマチックに進むことを望みます。というより、無意識にそう行動しているともいえます。


それはそのほうがであり、余計なことに意識を集中して時間をロスしたり、エネルギーを消耗したりするのを避けているわけで、いわば生きるための本能的な処世術みたいなものです。


しかしながら、それは油断していると次第にオートマチック機能が拡大していきます。


特に現代はありとあらゆるものにあふれ、だからこそ逆に選択が容易なように便利なものが用意されています。または思考停止しても選択できるように導かれます。


ですから私たちは、ややもするとその仕組みに慣らされ、「ああ、面倒」ということで、ついつい考えることをやめてしまうようになります。


そうなるとロボット化が進み、目の前にすばらしい道具や材料があっても使いこなすことなく、ただの無機質な景色として日常に溶け込ませてしまいます。


これはタロットでいえば、「手品師」が技も道具もあるのに工夫しようとせず、ただマニュアルに従ってこなしていくだけの「日常」だといえます。


それでは目の前の手品を見に来ている観客を引き留めることはできず、多くの他の店の中に埋没してしまうでしょう。いわば個性も魅力も磨かれないということです。


カモワン流のタロット絵図、タロットマンダラでは「手品師」の列の一番上は「悪魔」であり、悪魔は人々を魅了する独創的ともいえる個の力を持っています。


特に自分で仕事を興したい、好きなことで稼ぎたいという方には「悪魔」の力は必須です。それを培うためにも、まずは定食生活から徐々に脱していく意識的作業が必要なのです。


例えばこれからはお店に入ってもなるべくアラカルトを頼み、できれば食べたいものをイメージしたら、一軒のお店で済ますのではなく、何軒かにわけて味わうのも個を鍛える訓練になるでしょう。


一緒に来た人に合わせるとか、注文に時間がかりそうだからと遠慮などしていたら、またまたオートマチック人間に逆戻りです。


まあ、とはいえ、何事もバランスが大事ですから、度が過ぎる個の発揮は単なるわがままにしかなりませんから、それも注意が必要ですね。

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