議論の機会をもっと。
NHK教育テレビでも放映されていました、ハーバード大学マイケル・サンデル教授による「白熱教室」。あまりにも人気ゆえに、ハーバード大始まって以来の公開講義にしたといわれるものです。
サンデル教授は先日来日されて、東大の講堂で「正義」についての講義をされており、内容は私もテレビで見ました。
これを見ていて感じたのは、やはり日本にはもう少しディベートや議論する時間・講義というものを教育課程で取り入れたほうがよいのではないかという思いでした。
私も多くの日本人のご多分に漏れず、ディベートなるものが本当はどんなものかということや、それ自体の教育や経験をほとんど受けずに育ちました。
ですからそれらについて語る資格はないのかもしれません。
しかしながら、曲がりなりにも「人にものを伝える」講師という仕事をしておりますので、話をすること、コミニュケートすること、議論することなどについては少なからず関心があります。
私が思う日本人の議論においての悪い癖は、まずは自分の意見を述べない消極性と、いざ議論が白熱すると感情的になって、論議ではなく、それを主張する人格(人間・個人)までも含めてしまうことが比較的よくあるように感じることです。いわば公私混同みたいなことです。
たとえば話をしている人の性格や生活スタイルなどは関係ないのに、それさえ時には俎上に載せて、「あなたは何々も知らない恥ずかしい人ですよね」などといって相手を攻撃(打ち負かそうと)します。
これは訓練によっては、かなりましになるのではないかと思っています。
小学生くらいから議論の場を与えて訓練してみる。先生は人格攻撃や議論とは関係ないことでの話になるとストップして注意する。
そういうことを継続していると、おかしな話になったり、論旨のすり替えとか、本来の議論とは異なる部分については自ずと「間違っている」と皆が気がつくようになり、まさにディベートの「感覚」と「知識」を身につけられるようになるのではないかということです。
つまりは正しい議論スタイルというものを知っておくことが重要だということですね。
また、若い頃より議論の場を多く経験していたら、たとえば自分が相手から(議論として)批判された時でも、「これは自分自身(人間個人)が批判されたのではなく、あくまで私の主張している論理が批判されているのだ」と理解することができるようになるでしょう。
ですから、実際の社会の場に出て討議で批判されたからといって、いきなり激高して我を忘れるというようなこともあまり起こらなくなるのではと思います。
そういう両方の面で見ても、議論やディベートを「教育」として取り入れるべきだ考えます。
タロットでも話を伝えることは「法皇」のカードが示していますが、その「法皇」は、タロットの数の順番では次の「恋人」に視線を向けています。(カモワン版マルセイユタロット)
「恋人」には三人の人物が描かれ、特に真ん中の人物に注目すると、横の二人の人物の意見を聞いているようにも見えます。
とすると、「法皇」と「恋人」との並びで、意見を言うのにも、複数の人の主張に耳を傾けなければならない、その経験も必要というように推察できます。
タロットから考えても、早い時分からたくさんの人と意見交換し、主張を述べ合う機会を持つ(教育を受ける)ことはよいように思われるのです。
ちなみに「法皇」は次代の「教育」をも、その意味として内包しているのも興味深いことです。
さすがはNHKと思える内容のテレビですね。
2回ほど見たことがありますが・・
難しくて、でも若い人達の色んな視点からの
議論は見応えがありますね。
>terimuさん
ご覧におられていましたか。確かに見応えあります。話題にもなりましたし、本当は日本人も議論は好きだと思いますね。