「愚者」と「正義」を使って、自由性と責任について考えてみる。

今日は皆さんに、実際にタロットカードとともに考えていただくことを書きます。


まずマルセイユ版のタロットをもっている方は、「愚者」と「正義」のカードをご用意いただき、その二枚を正立させて並べてください。


タロットカードを持っていらっしゃらない方は・・・うーんと、イメージで想像してください。フィリップ・カモワン氏のサイト で見ていいただいても結構です。(「愚者」は一番下の向かって左端のカード、「正義」は真ん中の段の向かって左端のカードです)



ところで、相談としてタロットリーディングをしていたり、自分のことでも気がつくことがあります。


それは「いかに気楽に物事を考えることができるか」ということと、真逆のようですが、「いかに自分の人生に自分で責任を持つことができるか」によって、本当に物事が変わってくるということです。


タロットカードでいえば前者は「愚者」が象徴し、後者は「正義」が表していると感じます。


あれこれ考えすぎて行動に移れなかったり、チャンスを逃してしまったり、また人目や常識を気にしすぎて自分の自由性を殺してしまい、せっかくの人生を牢獄のように過ごしていらっしゃる方がいます。


そうかと思えば、人が決めたルールや考えに縛られ、そこから脱却できないまま、自分と他人を縛り付けようとしている人がいます。


また自分のしたこと、自分の今起こっている現実に対して直視しようとせず、「これは自分の責任ではない」と逃げてしまう方がいます。


あるいは変わりたいと願っていても、行動に自信と責任が持てない人、自分の取った行為と結果への責任を引き受けようとしない人もいます。


結局のところ、過去、今の現実、そしてこれからの未来も含めて、全部あなた自身の選択の結果によるのです。それを認められるかどうか、さらに責任を持つ覚悟があるかどうかが試されているといえましょう。


こうして考えると、「愚者」と「正義」はまるで正反対のように見えますが、「愚者」は自分の責任を心底思っているから、ある面自由になれるともいえますし、いわばその覚悟があるから、どこにでも行ける気楽さがあるともいえます。


またあまりにも自分の責任バランスを必要以上にかぶろうとしていると、これまた自由性を失うことにもなります。


たとえば本来はあなたではなく、相手が取る責任の分(この場合は責任という言葉になっていますが、選択という意味も含まれます)まであなたが取ってしまっていると、相手の人生もくっついてくることになりますから、余計身動きがとれなくなります。


では用意している二枚のカードを「愚者(正立)」「正義(正立)」という並びを基点にして、二枚の組み合わせを並び替えてみてください。


「正義(正立)」「愚者(逆)」という並び、「正義(逆)」「愚者(正立)」の並び、「愚者(逆)」「正義(正立)」という並びなど、全部で8通りあります。


そうして、今述べてきた、自由性と責任というテーマで二枚の並びから考察してみてください。自分がどのような態度でいたのか、はっきりわかることがあると思います。


特に私のタロット講義を受けられている方は、タロット学習の意味も込めて是非やってみられるとよいでしょう。

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