葛藤のとらえ方。「月」のカードをヒントに。
葛藤があることはつらいですよね。
私もいつも葛藤だらけの人生を過ごしているようなものです。(笑)
葛藤にも日常のほんの瞬間的なものもあれば、何年にもわたって一種のテーマとなるかのような大きなものもあります。
よく「迷いのない人はすばらしい」と評価されることがありますが、確かに迷いのない人は決断も早くて爽快かもしれませんが、そういう人でも、そこに至るまでの葛藤があったはずですし、今後も新たな葛藤を抱えることになるかもしれないのです。
また迷いのないことばかりが必ずしもいいこととは限りません。葛藤には大きな価値があり、悩む人にも偉大な可能性があるからです。
さて、タロットカードでもっともこの「葛藤」を表現しているのが「月」のカードだといえます。
このカードには二匹の犬のような動物が月に向かってほえあっているかのように描かれており、それがふたつのものの対立や葛藤を示しているととれるからです。(マルセイユ版の場合)
また「月」は太陽の光を受けて輝いている存在であることから、何かの投影だと考えることもあります。
この「葛藤」と「投影(映し出されるもの)」というふたつの事柄を結びつけると、葛藤で苦しむ自分から脱却できる視点を持つヒントにもなります。
「映し出されるもの」といえば、鏡に映った映像を思い浮かべるかもしれませんが、動く影像、そしてそこにストーリー性があるものとしては皆さん映画やテレビドラマなどを想像されるでしょう。
私はシナリオ作成について少しかじったことがあるのでわかるのですが、ドラマの登場人物に最初から迷いのない平板な人物を描いてしまうと、とてもつまらないものになってしまうのです。
ドラマの場合、観客は、悩み葛藤する人物を見て感情を移入し、その葛藤を乗り越える過程と結果に心を動かされるのです。
ただの善人と悪人の争いなどは一番単純なストーリーであり、スカッとするかもしれませんが深みはありません。
たとえば善人のようでいても裏は悪人、悪人のように見えてもそうしなければならない理由と背景がある、また、どちらが善で悪なのかもわからない両者の葛藤があるというようなことになれば、見ているほうの興味と考察はますます深度が増していきます。
何が言いたいのかと言いますと、このように自分でははなく、人のこと(ドラマなど)であれば、葛藤があることは、むしろ面白い(笑う意味での面白いではありません)ことになってくるのです。
ここで主客逆転操作を自分でしてみると、自分の葛藤をもうひとりの自分がドラマを見ているかのように観察すれば、それは苦しさではなく、自分を成長させるためのドラマ装置なのだと気がつくことがあるということです。
もちろん苦しみの渦中にある自分に、そんな操作が簡単にできるほど単純なものではないのもわかります。
ただ、それでも葛藤の中に入り込んでしまって葛藤の渦の中でただ盲目的にもがき苦しむよりも、葛藤と自分自体を切り離して考える時間をもつ努力をすれば、迷いの出口への光が差してくるのではないかと思うのです。
このように考えれば、カモワン流での解決カードとしての「月」の読み方にも示唆が与えられることになります。
平たくいえば「自分の葛藤を見つめる」ということに帰するわけで、そのための方法が「時間」であったり、「対話」であったり、「沈静化」であったり、「浄化」であったりするのです。
葛藤をしているあなた、迷いの中にいるあなた、それはあなたの人生のドラマに深みを与えるためになくてはならないもの(時)であると思って、観客(神か宇宙か高次の自分か)を感動させるためにもう少しがんばってみませんか。
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