私にもできる(なれる)でしょうか?
タロット講座をやっていますと、受講生の方から「私にも○○ができるでしょうか?」「○○になることができるでしょうか?」という質問形式をされることがあります。
また、タロットリーディングの時でもこのような質問になる方は多いものです。
この気持ちはとてもよくわかります。
かくいう私自身も最初にタロットを勉強したいと思った時、私の電話の問い合わせに直接出られた先生に向かって、「私も占いができるようになれるのでしょうか?」と聞いたことがあります。
まあ、私自身は公務員を辞める方向に考えていましたので、何も特技や資格のない状態ではとにかく「占い」でもできるるようになっておこうと手に職をつける気持ちで聞いたわけですが。。。(今思うと占い「でも」と考えていた私は甘かったですねぇ...(^_^;))
質問形態には心理的な背景があり、質問の様態そのものに本人の気持ちや隠されたものがあります。
「私が○○になれるか?」「私に○○ができるか?」と質問する時点で、相当な不安、あるいは期待も同時に内包しており、その葛藤のままが出るのでこういった質問になるわけです。
いわば、質問した相手に答えを言ってほしい、導いてほしい、大丈夫だと言ってほしいという気持ちが隠されているわけですし、要するに自信がないわけです。
とはいえ人間ですから、迷っていたり、わからないことがあったりすれば、そのような気持ちと質問になってしまうのも無理からぬことです。
この自信のなさは、方法がわからないということに原因があるのなら解決はしやすいですし、その意味では「私が○○になれるか?」「私に○○ができるか?」という質問を当初はしていても問題はないといえます。
ところが、ある程度方法を学び、実践を続けていきながらも、いつまでも、「私が○○になれるか?」「私に○○ができるか?」という質問を繰り返すようでは、かなり問題です。
たとえば私がタロットを習って講師になる勉強をしていた時に、もし先生に「私は講師になれるでしょうか?」と質問したら、たぶん先生は怒るか、あるいは無視されるかされたでしょう。
つまり、そういう質問が出る時点で、講師になる気はない、あるいはなろうという意志が弱いと見られるわけです。
もっといえば、自分の資質(タロット講師になるための)に疑問があるわけで、その疑問は知識のこともあれば、ほかの自分が思っている弱さ、克服しなければならない点でもあります。それは自分ではわかっている部分です。
わかっているのなら、質問する前に決意し、それを解消すべく努力することです。その上で「タロット講師になるためには、自分にはこの点が弱いと思っているが、どうすればよいか?」というようなことを先生に聞けばよいのです。
そうすれば講師を育てようと考えている普通の先生ならば、質問に答えてくれるでしょうし、少なくともヒントはいただけるはずです。
タロット講師になることを例にしましたが、ほかのことでも同じです。
最初の入り口では、質問も相手に勇気づけてもらえることを期待するようなものになっても仕方ありません。
しかし自分が目的を持ってその道を進んでいるのなら、決意を固め、具体的な方法や技術、心構えを質問していくことです。
ですから、「私が○○になれるか?」「私に○○ができるか?」というより、「○○になるにはどうすればよいか?」「○○ができるようになるには、どうすればよいのか?」という質問に変化させていくことが望まれるのです。
もしそのように質問を変換できない場合は、目的に疑問があったり、心から望んでない部分があったり、もっと細かく見つめるべき不安要素があったりするということです。
自分の質問自体に注意を払ってみましょう。
タロットリーディングを学ぶことは、こうした質問の仕方にも注意を向けることになるので、必然的にに自己の省察を行う(自分を深く見つめていく)ことにもなるのです。
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